#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

疎外感がエンジンだ

みんなー!ネオまちおこしことシティ・プロモーション界隈にサブカルおしゃれ旋風が吹き荒れているよー!

神戸市
fnmnl.tv
名古屋市
snug.city.nagoya.jp

別にいいんだけどさー!

しかし何なんですかね、行政がクソダサいことやると「そんなダッセーことに税金使うんじゃねえよー!」と思い、ちょっとおしゃれなことをやれば「チャラついて小金持ってるヤングアダルト(死語…)に媚び売ってんじゃねーよ!」と思う、この私の荒んだ心は…。まちじゃなくて、私の心がゲットーなのか。過疎なのか。


と、思ってele-kingを読んでいたら、レヴューにこんなことが書いてあった。

新しい音楽というのは、それまで存在していた世界に疎外感を覚えていた人にしかつくれないと僕は思っている
(三田格「Klein/Only」のレビュー http://www.ele-king.net/review/album/005644/

www.ele-king.net

オシャレなまちづくりグループに居場所のなさを感じたら、もうちょっとカジュアルなグループを自分で作ったり見つけたりすればいいし、お上の作ったまちおこし計画がダサくて死にそうだったら、もっと面白いことを自分でやったり、かっこいいと思えることをやっている他のまちに堂々と出て行けばいいだけなんだよね。
どうしても目立つアクション=その地域の印象、ってなっちゃうけど、そんなに単純なものじゃなくて、ほんとうは同じ地域にいろんなジャンル、いろんな世代、いろんなムード、いろんなコンセプトの集団がいくつもあるわけで。それを「この地域は○○だから!」とか、誰に何を言われようと、わかりにくいとかとか言われようと、ひとつにまとめなくってもいいし、自分たちが地域ブランドみたいなものに染まらないからと言って気にしなくてもいいんだよね、べつに。

いろんなグループがたくさんあって、それぞれが切磋琢磨しあったり批評しあったりすればいいんじゃないかな。自分たちのグループだけのものさしで「あいつらはおかしい」「ダサイ」「公金を使う意味がない」とか言って潰しあわなければ。「ああいう考えもあるんだよね」くらいで、それぞれのグループ同士いい距離を持っていればいいんじゃないかな。だけど同じ地域にいる以上、グループを越えてどうしても合意しなければならないことは、話し合いの手間を惜しまず合意できるようにそれぞれが頑張る。みたいな。

ちょっと話がそれたけど、そういう新しい「グループ」っていうかまちおこしムーブメント的なものを作る時にエンジンになるのって「郷土愛」みたいなものだと思われてると思うんだけど
「疎外感」も、そのエンジンになるんじゃないかなって思ったの。
あれも嫌、これも嫌い、ここは自分のいる場所じゃない。そう思った時が本当はチャンスで、新しい人間関係や文化に向かって自分が進んでいける時なんじゃないかなって思った。

これを読んでから、ずーっとブロックチェーン的世界をユートピアのようなものとして夢想しているのです、私は。

読むことは愛すること、愛することは読むことーー起業支援ネットaile98号が出ましたよ

いつも書かせていただいている
起業支援ネットさんの「aile」98号が
3月の始めに出ました。
今回は、なんと、福島特集です!
はるばる福島県まで取材に行かせていただきました~。

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インタビューさせていただいたのは
福島県双葉郡広野町楢葉町で障害のある人の
生活をサポートする事業所を営んでいる
NPO法人シェルパ」の古市貴之さんです。
ハートネットTVにも出ていらしたんですね~。
www.nhk.or.jp

震災から6年、まだ原発事故の爪痕も色濃く残る地域を
古市さんと、起業支援ネット/起業の学校福島キャンパスの戸上さんに
車でぐるぐると案内していただきながら、色々なお話を聞きました。

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海岸に大きな堤防を作っているところ
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除染した土を入れたフレコンバッグ

aileのお仕事を初めていただいたとき(もう2年くらい前でしょうか)、
「もっと”よしみ色”*1を出して欲しい」
というようなことを言われたのですが

起業支援ネットの会報誌なのに、なんで?
どうしてそんな、イチ個人の”色”が必要なのか?と
正直に言うと意味が分からなくて、今もよく分かってなくて、
でも、今回の福島特集は、誰にも求められていないけれど
初めて記事を一人称で書きました。
なんか、そうしないとウソだと思ったんですよね。

読むことは愛すること

いきなり話は変わるんですが
わたくし、文章が上手くなりたい一心で
数年前からイシス編集学校という講座を受講しているんですよ。
福島に行く前日は、東京で編集学校の「物語講座」という
お稽古をしておりました。(なんと、夜の23時まで…)
編集する。日本する。イシス編集学校

文章を書くのが上手くなりたくて
物語講座を受けたんですが
前にも書いたんですけど
書くよりも前に、まずは「読むこと」のほうが
ずっとずっと大事なんだなって、この東京~福島ツアーを経て
再び実感しました。

本でも、人でも、風景でも、ある事象でも
まずは、じっとそれ自体を「読む」。。。
判断したり、言及したりしようとする前に
その人・そのこと自体の在りようを
そこに書かれていること、そこにあるままにじーっと見て読む。

「書く」ということは、そこから自然と浮かび上がってきた
何かーーそれが「物語」なのかもしれないーーを
そっと写し取る行為なのではないか、と思ったのです。

で、それって「愛」じゃんって思ったんですよ。
「君が僕を知ってる~♪」っていう曲があるじゃないですか。
あれは、君が僕のことを、
ちゃんと「読んで」くれているっていう喜びなんじゃないかなと。

一人ひとりの小さな物語をナビゲートする学校

ちなみにこの「aile」を出している「起業支援ネット」さんは
「起業の学校」という、ソーシャルビジネスやコミュニティビジネス
その他ビジネス・生業を立ち上げたい人や
すでに立ち上げちゃったけど迷いの中にある人のための
講座を開催しています。
NPO法人起業支援ネット

起業の学校のカリキュラムには
「自分で作った事業計画書を発表する」というのと
「自分のこれまでの道のりを物語にして発表する」というのが
あるそうですよ。
なんでも「事業計画書は”強さ”の共有、物語は”弱さ”の共有」
なんだそーです。

…と、説明しようとすればするほど、なぜか
「起業の学校」とは何ぞや、というのが
どんどん分からなくなってしまう、という講座ですので
気になる方は、ぜひ近日開催される「起業の学校」の
説明会や無料公開講座に行ってみては、いかがでしょーか!

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お申込みはこちら↓から
http://www.npo-kigyo.net/oc-koukai-nagoya

ちなみに、今回取材した古市さんも
「起業の学校 福島キャンパス」の卒業生です。
起業支援ネットさんが震災後、名古屋だけでなく
それまで特別に関係が深かったということもない
福島でも、敢えてこの講座を開講した、ということの意味に
思いを遣る取材でもありました。

起業支援ネットが、それぞれの人の抱える
「小さな物語」を、「起業」をキーにナビゲートしているのであれば
福島には、東北には、震災後の日本には、
不安や強がりに任せて性急に放たれる言葉よりも、もっと多くの
読まれるべき物語があるのではないか、と思いました。

■□■ Oshirasse ■□■

「aile」は名古屋市内・愛知県内の公共施設等の、
いろんな会報やパンフレットが置いてあるところで読めるほか
(ざっくりした説明…)、
起業支援ネットさんの正会員/準会員になって、
キラリと光る志ある起業家さんの応援をしていただけると、
三ヶ月に一回届きます。
この機会に、ぜひご入会くださいませませませませ。

入会は、こちらから

■□■ 余談 ■□■

取材前日に23時まで物語講座をやっていたのみならず
朝3時半まで遊んでいたのでした…
もう、こういう仕事のしかたは、しないぞ!!!
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

君が僕を知ってる

君が僕を知ってる

物語編集力

物語編集力

*1:よしみというのは私の名前です

お前は「何かの役に立つから」という理由で音楽を聞くのか?

お前は「何かの役に立つから」という理由で音楽を聞くのか?
聞かんでしょ!?

「何かの役に立つから」という理由で
音楽を聞いたことがあったとしても
そんなのつまんないでしょ?
いくらいい音楽であっても、
そんな「お勉強」みたいな聞き方
つまらんでしょう?

かっこいいからとか好きだからとか面白いからとか
踊れるからとか何か気になるからとかヒマだからとか
そーゆー何の役にも立たない理由から、あるいは
そんな理由すら特になく音楽を聴くでしょう?
そしてカンドーするでしょう?
気持ちよくなって幸せになるでしょう?
それでいいじゃないですか。

で、突然なんですけど「人間が生きていること」も
同じではないかと思ったんですよ。
音楽の価値を「何かの役に立つから」なんてことに
押し込められないように
人間を「何かの役に立つかどうか」なんて
みみっちいことで判断しようなんて
セコいし、意味のないことなのではないか!
と思ったのです、

この、佐藤彰一先生の「障害者差別解消法を考える」(視点・論点)を
読んで。
www.nhk.or.jp


ちなみに「やまゆり園」について考えたことを、
わたしはこの前の夏には↓こんな風に書いていました。

「老いの空白」 鷲田清一著 ヨシミさんより – インター・スコア

わたしは日常の外から日常を撃つような音楽が好きだ。


JJJ - BABE ft. 鋼田テフロン (Prod by JJJ) 【Official Music Video】

HIKARI

HIKARI

老いの空白 (岩波現代文庫)

老いの空白 (岩波現代文庫)

THA BLUE HERBのライブを見てきました(2016年12月24日)

ご縁あって、2016年12月24日に名古屋のClub JB'sでの
THA BLUE HERBのライブを見てきました。
…という話を
2017年2月23日に書きますね。
遅っ!

TBHR [THA BLUE HERB RECORDINGS]

20th Century Rapper

とはいえ、わたしがブルーハーブをよく聞いていたのは
大学生の時なので、
ということは、もう20年も前のことなんですね…!

THA BLUE HERB
この映像は2000年のフジロックの時のライブなんですけど
当時は本当に神がかってたんですよ。
今は色んなラッパーがいますけど
こういうポエトリーリーディングみたいな感じで
ラップする人っていなかったし
圧倒的な語彙と知識に裏付けられた歌詞の厚みも
段違いでしたもんね。

で、今も日本語ラップ流行ってますけど
当時もけっこう流行ってたんですよ。(ざっくりした説明)
でも、当時ラップしていた人たちの中には
売れてくるにつれラップする意味を
失っていくように見えた人も多く
(ex.「成り上がりたい」がラップの動機だと
 成り上がってしまうとラップする意味を見失う)

でも、ブルーハーブは、当時のような勢いはないかもしれないけど
20年間現役でやってるんだー、
すごいなーと、思う一方で
今更…というか
何で今でも…というか
昔取った何とかで商売してんじゃないの…?
みたいな疑念も持っていました。

C.EのTシャツ着てる中産階級が聞く音楽とは

JB'sに入るとライブ前から超満員。
HAZUさんのDJ*1を聞きながら、うわー、若い子ばっかだー
と驚いた。

若い子だったら、もっとイマドキの若いラッパーの
音楽のほうがワクワクするんじゃないの?
なんでこんなおっさん(失礼…)の音楽がいいの?
など、三たび自分のことは棚に上げて考えていた。

また、わたしは今
Ryugo IshidaとかゆるふわギャングKOHHといった
ヒリヒリする生活の実感から生まれた
想像力とエネルギーが、暴走する彗星みたいになってるタイプの
ラップに夢中なので

C.E*2を着た大学生みたいな子たちが
安くないチケットを買って集っているのを見て
あー、よいご身分でいらっしゃいますね
なんて、これまた自分のことを棚に上げて思ったりしていた。

こっちゃポエム書いとるわけじゃねぇ

年寄りはジェネギャップ感じてしゃーねー

上っ面しかはかれんその物差し
へし折んのにやっとんだぜGame

流石 青臭くてトベねーのは
駄草の名産地ならではのお方

目指せ直木賞だなまるで

TOKONA-X「EQUIS.EX.X」2002年

「テレビは見なくてメディアリテラシーが高くて
トランプが大統領になって驚き怒っている人たち」と
「そういう人の言うこと為すことに
憤懣やるかたない思いをしている人たち」の断絶が
最近は話題になったけれど
2002年にTOKONA-XブルーハーブをDISったこの歌詞をふりかえってみると
前者が後者の思いに、存在に
気づくのが遅すぎただけだったんじゃないか?
そんな風に思ったりした。
寒がりのババアはカシミアのセーターを着てきてしまい
開演前から既に汗だくだ。

生き恥、説教、ライフストーリー

https://www.instagram.com/p/BOadlNoB3bm/
行ってきた #thablueherb

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ライブが始まるとドーっと若い人がステージの方に押し寄せてきて
しかも、皆、もう、目がキラキラなんですよ。
キラッキラ。
本当にみんなBOSSのことカッコイイと思っていて
ブルーハーブが好きなんだな、と思った。

でもBOSSの歌ってることって
他のヒップホップもそうなんですけど
ほぼ説教なんですよ。
自分の信じた道を生きろとか
他人の言うことに惑わされるなとか
わずかな金やちょっとした名声のために誇りを売るなとか。
汚れつちまつたババアには暑苦しく感じることも多いんだけど
それをメンタルとフィジカルの両方に響かせるべく
力強くてエモーショナルに訴える
20年戦士のラップだった。

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たぶん彼らのピークタイムのひとつは
20年前であったことは確かで
彼らも今もやり続けていることを
生き恥を晒しながら歌っている」とMCで言っていた。

昨今のラップバトル・ブームについても
だいぶ抑えたトーンで苦言を呈していた。
「自分はバトルMCではない、ラッパーだから」とも。

「バトルでそのラッパーが本当に言いたいことが
 ”勝ちたい、負けない”だけならばそれを言えばいい。
 でも10代を過ぎても言いたいことがそれだけなのか。
 10代なら10代、20代なら20代
 30代なら30代、40代なら40代の
 そこからしか見えないLIFE STORYを語ることが
 ヒップホップなんだよ!!!」

うおーっ、と盛り上がる会場の若人たち…

カッコよくてもすぐにイタくなり
常に色んな視点からの評価がメタメタに感じられ気になり
何事も言い切れない、決めきれない 
相対化の大海原にいるからこそ
生き恥でも痛くても、ピークじゃなくても、
おっさんでも、中流階級でも、
俺はこうなんだ、これを信じるんだ、と
熱く押し付けてくれる力を眩しいと感じるのかもしれないなと思う。


明日をも知れぬ非正規雇用から
抜け出せる道筋なんて全く見えなくて
家族はバラバラで金もなく
税金とか保険とか何それ?みたいな生活をしている人が
いっぱいいる世界では

iPhoneでサチモス聞いて
自分で焙煎した豆で煎れたコーヒー飲んで
ニューバランス履いて、みたいな子を見ると
ケッとか思っちゃうけど
中産階級には中産階級の苦悩があり、生活があり
それぞれに辛さがあり、それぞれに絶望があり
それぞれに必死なんだな、という
ごく当たり前のことに気づかされた。

だからといって
「お前らだけじゃないよ、それぞれ苦労してんだよ」
と、収入の少なすぎる層の苦しさを
相対化してしまうことは、
絶対にあってはならないと思うんだけど。


でも、後になってTOKONA-XとBOSSが和解した*3ように
たぶん、こういう音楽、こういう文化は
階層によって断絶されてしまった人たちが出会い
結びつくような機会と力を持っているんだと思う。

わたしは、誰になんと言われてもそう信じているので
ライターとして、
こういう音楽、こういう文化から貰った力をもとに
断絶を揺り動かすような言葉を紡いでいこうと思った。

やらなかった事 やれなかった事とも言うだろう
あんたが人生においてやらなかったことだよ
あなたがやり残したものとは何だい?

ハーフタイムは終わった ここから後半だ
土壇場 モノにする度 MORE YOUNGER
最後まで笑っていたいから頑張る 
まだやり残したことがあるんだ
THE BLUE HERB「AND AGAIN」


THA BLUE HERB×OLEDICKFOGGY:THA BLUE HERB「AND AGAIN」
(この映像は私が見た12月のライブの映像ではありません…)

LIFE STORY

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IN THE NAME OF HIPHOP(2CD生産限定盤)

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トウカイ×テイオー

トウカイ×テイオー

THA MASTA BLUSTA :20周年記念エディション

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*1:自分の中ではHAZUさんのイメージはSCHOOL NITEのDJなので普通にヒップホップをかけるDJは新鮮だった。ってこっちが本業だよね…。 ディスコ高齢社会---「SCHOOL NITE」に行ってきた【前編】 - #レコーディングダイエット

*2:スケートシングさんがデザインする洋服のブランド。Tシャツでも1万円くらいする

*3:とBOSSは言っている

フリーランスは風邪をひいてはいけないと思っていた

会社を辞めてこれからはフリーでやっていくんだ、
と決めた時
これからは自分の代わりはいないんだから
絶対に風邪ひいて仕事を休むなんてできない

と思ったものだった。

しかし、そんなの無理だった。
何があっても風邪をひかない完全体なんて
機械の身体を手に入れないことには無理なのだ。
少なくとも自分には無理みたい。

と、今年インフルエンザの予防注射をしたのに
見事にインフルエンザに感染してしまい
熱に浮かされながら思った。

結局、4日くらい仕事を休ませてもらい
申し訳ないなあ、情けないなあ、と感じたけれど
自分が行かないとどーしてもダメ、みたいな仕事は
幸いにも、その間はなかったので助かった。

風邪を引いたら休めばよい

…という、当たり前のことを、
なんでわざわざこんな太字の見出しにしてまで
言わねばならないのだろうか…

寝ながらダラダラネットとかを見ていたら
アイドルの女の子が嫌な仕事を事務所に強要されて
どーのこーの、という話がやってて

アメリカではグラミー賞に異を唱えるアーティストが
「俺たちでHood Grammy賞を作ろうぜー」とか言ってるのに*1
日本の芸能界は事務所の奴隷みたいやなあ、なんて
思って、はっと気づいたんですよ。
別に芸能界だけの話じゃないなーって。

わたしも会社員の頃は仕事が嫌でも
でもこの会社辞めたら次の仕事があるか分かんないし
無かったら食っていけないし
途中で辞めたら同僚やお客さんに迷惑がかかるし
とか思ってやっていた。
少々の風邪や体調不良で休んだらダメだと思ってたし
休んでも家からメールや電話して
他の人に「あれはこうして、これはこうしてください」って
お願いしたりしていたなって思い出した。
そもそも「風邪や体調不良」になること自体が
「自己管理」のできないダメな人間、って事で
ダメだと思っていた。

でもさー、どんだけ自己管理して健康に気を付けてても
風邪ひくときはひくんですよ。
倒れる時は倒れるんですよ。
にんげんだものー(みつを)

そういう時に「ごめんなさい、今はできません」って
すぐに、素直に謝れることのほうが
フリーランスとして大切なんじゃないかと今は思う。

無理して引き受けて、質の低い仕事をしたり
それどころか、結局できなくて
納期を守れなかったりするリスクのが大きいし
いざという時「ごめんなさい」と言える関係を
普段からクライアントと作っておくことが
フリーランスとしての自分のリスクヘッジなんじゃないかと。

寝食を忘れることができない

「ずーっと仕事をしている人」に憧れていた。
やっぱり成功する人、デキる人って
すごく長い時間集中して、情熱をもって、粘り強く
諦めずサボらずそれひとすじにやっているでしょ。
それで、すごい成果を出すでしょう。

そういう人がうらやましかった。
大きな努力に見合った大きな成果が出せることも
うらやましかったし
それ以上に、そこまで情熱を傾けて
没頭できることがある、ということ自体が
うらやましかった。

わたしも、どの仕事も一生懸命やってきたつもりだけど
寝たいし、食べたいし、土日は休みたいし、
旅行も行きたいし新しい服も買いに行きたい。
ので、そこまでは集中してやることができなかった。
でも、それでは、中途半端なんじゃないのか?
土日も研修に出たり、関連する本を読んだりしたほうが
いいんじゃないのか?
そういうことをしないから、何も極められないんじゃないのか?
と思うと、
遊んでいても何か後ろめたくなった。
かといって、
遊ばずに仕事一筋にもなれなかった。
それがダメな気がして、いつも自信が持てなかった。

でも、今回インフルでずーっと寝ていて
自分には無理なんだから、仕方がない。
と、やっとあきらめることができた。笑

今までは若かったから体力があって
多少の寝不足でも何でも気合いとハッタリで何とかなる
やる気がない自分が悪いんだ、と思っていたけど
どうも歳をとってみると「そうでもないな~」と
思うようになった。
没頭できるものがないのは残念だけど仕方がないし
没頭できるものがあっても、自分にはもしかして
自分が思っているほどの体力は備わっていなかったのかもしれない
と思うようになった。
その範囲内で、自分ができることを精一杯やり
(その精一杯が、他の人と比べて取るに足りないものであっても)
できないことは、誰かにお願いする、というのが
勇気ある行動ではないかと思った。

ちなみに今回のインフル感染は
1月末に受けた社会福祉士試験の勉強の疲れが出たかな?
と思うんだけど

・人に迷惑をかけてはいけない
・寝ないで頑張らないといけない
・甘えてないで常に前進しないといけない

…という価値観が、いまの社会に差別、偏見、断絶を生んでいるわけで
(=迷惑をかける人・寝てる人・ガツガツできない人が排除される)
だとしたら、率先してソーシャルワーカー
人に頼り、働き過ぎず、寛容であるべきではないか~!
ソーシャルワーカーが忙しい自慢をしていたら
社会正義も人権も多様性も尊重できず、
ウェルビーイング(福祉)は推進されないじゃないか~!
と、考えていたらますます熱が上がって頭が痛くなった。

知りたい! ソーシャルワーカーの仕事 (岩波ブックレット)

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親しき仲にも隠し事あり

「夫のちんぽが入らない」を読んで
わたしがじーんときたのは
ちんぽが入るとか入らないとかじゃなくて

「家族にも、絶対に言えないことがある」

ということを、書いてくれたことだった。

家族にも、恋人にも、友人にも
どんなに近しい人にも言えない
自分だけの秘密(でもなぜかブログには書けたりする…)を
持っている人は、自分だけじゃないんだって分かって
心の底から、ほっとした。

今じゃ言えない秘密じゃないけど、
できることなら言いたくないよ、っていうようなことから
どうしてもどうしても誰にも言い出せないこともあって。
でも、周りの人は家族や恋人には
「何でも」「気兼ねなく」話しているように思える。

わたしは、より親しい人のほうが遠慮や気後れや
ムダな心配をしてしまって、何も言えなくなってしまうことが多い。
(なので、ブログには書けるのかもしれない…)
実際に、家族や恋人や友人から
「よしみちゃんは、もっと何でも話してくれたらいいのに」とか
「もっと心を開いてくれればいいのに」と
言われたこともある。*1

でも、自分としてはこれでも
なんとか精一杯開いていて、
ギギギと音がするくらい必死に心のドアを
開けているつもりなんだよね~。

なんだけど、仕方ないなと分かっていながら
どこかイマイチ割り切れなくて、
やっぱり「閉じている部分がある」ということが
後ろめたくて、自分はダメなんじゃないか、
傷つくのを恐れて自分を守っているだけなんじゃないか、
と自分を責めたり

かと思うと
「あたしは、そういうベタベタした人間関係は嫌なんだよおおお~」
と、誰だか分からない社会を責めたりしていたのでした。

でも、どうしても言えないことがあるのは
自分だけじゃないんだな~と思って。
「夫の…」を書いた「こだま」さんだけじゃなくて
わたしの家族や恋人や友人たちだって、
本当は、言えないことを持っているのかもしれない。

そして、わたしはどうしても言えないこと
開くことができないことを持ってはいるけれど、
家族や、恋人や、友人や、まわりの人を
ないがしろにしているわけじゃないんだ。
自分なりにできる、精一杯の方法で
大切しているんだ。
結果として傷つけてしまうこともあるけれど、
だからこそ、大切にしようと努めているんだ。

そしてそれは、わたしだけじゃなくて
程度の差はあれ、他の人も同じなんじゃないかと思った。
「言えないことがある」「開かれていないこともある」
ということも含めて、わたしであり、その人なのだ。
それが大事なんじゃないかと思った。

「ちんぽ」読みながら、このバンドのPVを見ていたんですよ。↓

D.A.N. - SSWB (Official Video)

若い人たちがフレッシュ過ぎて、見ているとなんだかこそばゆく
なっちゃうような演技もあったりしたんだけど(笑)*2
全員が全員に対して秘密を持っている、という
ストーリーなわけですよ。

↑のビデオのYoutubeのコメントにもあったけど
「最近の若者は必要以上に他人に立ち入ろうとしない」
とか、たまに聞くじゃないですか。

でも、わたしはそれは全然悪いことじゃないと
思うんです。

どんどん人間関係が希薄になっていく…
もっとおせっかいがしあえるような関係を
地域に作っていかないと…

と、福祉やまちづくりに関わる人の間では
よく言われていたりして
それを聞くと、はい、全くその通りです…はい…と思い
正しすぎて、何も言えなくなっていました。*3

でも、それって何もかもさらけ出して
バレバレになるような関係だけじゃなくて
お互いの「秘密」の部分ーお互いの「孤独」を
大切にしながら、支え合っていく、ということは
できるのではないか、と
「ちんぽ」読みつつ「D.A.N.」を聞きつつ、考えた。
ビデオに出てくる若い人たちは、
お互いの秘密をお互いに守りつつ、
きっと次の晩も、同じ車で一緒に遊びに行くだろう。

「それは寂しいことだ」という人もいるかもしれない。
たしかに、さびしいかもしれない。
でも、さびしいかどうか、さびしくないかどうか
人とどんな関わり方をしていくか
人のどんなところを大切にしていくかは
それぞれの人の選択と決断の積み重ねを
尊重していくしかないと思う。

地域や社会が危機的な状態になっていたとしても
わたしたちが地域や社会のために何もかも捧げるのではなく
地域や社会が、「わたしたち」一人ずつの孤独を
尊重できるものでなければ、いわゆる「生きづらさ」は減らないと思う。

私は、生まれて育った場所の
どの家の人がどーしたとか誰がこーしたとか
秘密も何もありゃしない、という雰囲気が嫌で
田舎を離れた。
「隣の人の顔も知らない」という都会の暮らしは
今までのわたしには、何の煩わしさもなく、とても快適だ。

だけど、いま、
都市ではないところに移り住んだり
都市に移り住んだりして
その土地にあった食べ物でカフェを開いたり、
農業をしてみたり、マルシェをしてみたり、
デザインをしてみたり、ワークショップをしてみたり
新しい仕事やコミュニティを作ろうとしている人たちは

べたべたと遠慮なくもたれあうでもなく
他人に関心のないふりをしてクールにやり過ごすだけでもない
新しい関係のある地域を、コミュニティを作ろうとしているのかなって
やっと気づいた。


Denki Groove - N.O. [Live at FUJI ROCK FESTIVAL 2006]

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

VITAMIN

VITAMIN

ototoy.jp

*1:「何を考えているのか分からない」とかも多い

*2:完全にババアである

*3:嘘です。ちょっとはブツクサ言っていました。

夫のちんぽは、入れなければならないのか?-「夫のちんぽが入らない」を読んで

すごいタイトルで、新聞広告を出そうにも
新聞社内でどのように扱っていいか
戸惑われているという
「夫のちんぽが入らない」を読みました。

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

1ページ目から剛速球で
「夫のちんぽが入らない」という本題に入り
その入らないぶりが赤裸々に描かれます。

入らないながらも、日々を重ねるごとに
丁寧に育まれていく「夫」との暮らし。

でも、その夫にさえも話せない
いろいろな悩み。
一方で、夫がひとりで抱えている苦しみに
気づいても何もできない時間、
荒れる教室(主人公の職業は小学校の教師)、
生徒に翻弄される日々。

そういう日々の心のうちが、
夫と、親と、同僚や、そのほかの人との関係が
微に入り細に入り、
豊かな比喩と巧みな情景描写、
絶妙のセンスとタイミングで挟まれるユーモア*1を交えて
綴られている。

心身の健康を害するほどに、自分の感情を吐露し
自分を最も苦しめていたはずの
夫との関係や、生徒との関係に
ボロボロになりながらもぶつかっていく中で
主人公が、世界との向き合い方
自分と社会の新しい関係を拓いていくさまは感動的だ。


「自分のしあわせは自分で決める」
「世間に合わせなくてもいい」
「ありのままの自分を受け入れていこう」

「何の価値もない人なんていない」
「生きているだけで価値がある」
「支える/支えられるの関係でなく、共に生きる関係へ」


そんなこと、教科書にも書いてあるし
テレビでも言ってるし
お役所の人権啓発セミナーでも言ってるし
はてなブログにもアメーバブログにも書いてあるし
どんなミュージシャンもだいたい歌ってるし
コンビニで売ってる自己啓発本にだって書いてある。

だけど、それが何なんだ。

そんな言葉は都合のいい時だけ利用されて
実際には、全然実現されてないじゃないか。
全然信じられていないじゃないか。
わたしだって信じられていない。


けれども「夫のちんぽが入らない」を通して
この主人公であり、語り手である筆者が
とことん自分と自分の周囲の関係に向き合い
その中から、まさに「血まみれ」になって
新しい、自分と世界の信じ方を掴んで行く時、
その言葉は、単なる綺麗ごとでも絵空事でも、
鬱陶しい説教でも、
お嬢さん、お坊ちゃんの語る
ポリティカル・コレクトネスでもなく
その人の手で得た、紛れもない真実なのだと思わされる。


この本を読んでみて、ああ
The personal is political ってこういうことか、
と思った。
筆者の「こだま」さんは、そんなことこれっぽっちも
考えていないだろうけれど
わたしがフェミニズムに求めていたことって
こういう感動だったんじゃないかと気づいた。

ごくごくパーソナルな部分、
自分の心、欲望、セックス、仕事、コンプレックス…に
深く深く深く向き合っていく中で
他者とつながれる部分、共感できる部分に出会う。
その出会いを通じて、世界の新たな見方を発見する。
自分がフェミニズムに魅かれたのは
こういうところなんだ。


ちんぽが入らなくてもかけがえのない関係が作れるように、
自分以外の、たくさんの他者と一緒に生きていく中で
「こうしなければいけない」という規範なんて
本当は無いんだと思う。

でも、どうしてもその規範から自由になりきれない
わたしたちの毎日を
あきらめるでもなく、あるべき姿、正しい論理だけにすがるでもなく
ただ、そのままにトレースして見せつけられるような小説だった。
だから、辛くて、吐きそうになって
ページを捲ることができずに読み進められないところと
輝くばかりに美しいところが、両方ある本だった。

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

*1:笑ってる場合じゃないところに限ってぶっこんでくる