#レコーディングダイエット

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戦争に反対する唯一の手段は

むかしむかしピチカート・ファイヴのCDを買ったときに書いてあった「戦争に反対する唯一の手段は~」が、最近また気になって調べてみた。
もともとは吉田健一さんという、翻訳家で評論家で小説家だった方が新聞のコラムに書いたこういう文章だったらしい。

『汽車に乗つたりなんかしてゐるうちにたうとう長崎まで來てしまつた。長崎は廣島と並んで原爆被害地として有名である。
併し、今日、丘の上に立つて全市を見渡しても、原爆の跡と解るものは何も殘ってゐない。ただ永井隆博士の「長崎の鐘」を讀んだものには浦上邊あたりの明かに戦後に建つた新しい家屋が散在する焼け跡が痛々しく感じられるだけである。

浦上の天主堂の廃墟はあるが、これは何も原爆の記念に殘してあるわけではなくて、建てるのに四十年掛かつたこの東洋一の天主堂を再建するのが、さう簡單には行かないだけの話である。恐らく今から又四十年後には、前のに劣らないものが長崎市の目印になるに違ひない。その附近に平和公園なるものが旣にできてゐるが、これは立派な公園で、たださういふ立派な公園という
意味において散歩を樂むことが出来る。

戰争に反對する最も有効な方法が、過去の戰争のひどさを强調し、二度と再び、・・・・・・と宣伝することであるとはどうしても思えない。戰災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。古傷は消えなければならないのである。

戰争に反對する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。過去にいつまでも拘はつて見たところで、誰も救はれるものではない。長崎の町は、さう語つてゐる感じがするのである。』
http://hyakuyobako.boo-log.com/e325411.html ←このブログからお借りしました


1957年頃に書かれたものだそうだけれど、すごい文章だと思う。
でも「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」ということの意味は、頭では分かっていたけれど、ずっと何かが引っかかっていて、心から納得できるものではなかった。

そういうもどかしさを感じた時のことを、
昨年の3月11日の日記に書いていた。
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

初めて細野晴臣さんの演奏を聴いたのは2011年の4月のことだった。桜沢エリカさんの漫画に、高校生の女の子が初めてシャネルのスーツに触れて「なんて上等な生地なんだ」と驚くシーンがある。それみたいに「なんて上等の、美しい音楽なんだ」と心をうたれた。でも、なぜいまこの時期に、こんなに優雅な音楽を呑気にやっていられるのか、とも思った。

「演奏がうまい」とはこのことか、とびっくりするような美しい演奏だった。
わたしがそれまであまりちゃんとしたコンサートなどに行ったことがなかったせいか、それまでファストフードでしか外食をしたことがなかった人が、初めてレストランでシェフが作ったフレンチを食べたような、「うまい」とはこういうことか。と初めて気づいたような、それは美しい、洗練された音楽だった。わたしは越美晴さんしかわからなかったが、細野さん以外のバンドの人もきっと長いキャリアのある一流のミュージシャンばかりなのだろう。と思った。

しかし、わたしの心にはぜんぜん響いてこなかった。
どうしていま、こんな浮世離れした宮廷の音楽のような、上品な演奏ができるのだろうと思った。
その時のわたしには、熱い鉄の塊のような怒りをまるごとぶつけてくるような、ハードコア・ラップみたいな音楽にしかリアリティを感じられなかった。こんなことが起こっているのに、どうして。こういう時だからこそ冷静になろうとか、生活の美しさを守ろうとか、逃避も抵抗の一形態だとか、そんな言動はバカバカしくて聞いていられなかった。
細野さんはあこがれの人で、聞いているとうっとりと背筋が伸びるような音楽だったけれど、わたしは聞き続けていられなくて、途中で会場を出てしまった。
#レコーディングダイエット「震災と友人のこと」
http://yoshimi-deluxe.hatenablog.com/entry/2015/03/12/171353

それから暫くして会社を辞めて、いわゆるNPO的な…福祉的な…ソーシャル起業/企業的な…的な…活動に積極的に参加するようになった。デモにも行った。出来る署名は全部した。自分の中で、政治の季節が到来していたのかもしれない…。いや、ずっと自分の中にあった政治的ないろいろを、話したり行動に移したりすることが多くなっただけなのかもしれない…。
その時々で自分にできる精一杯のことをやってきたと思うし、思慮は浅いなりにもできる限り考えてやってきたと思う。それでも、またまた自分は全然満足も納得もできなくなって、またまた「ずっと着ていた服がいつの間にか体に合わなくなっていた」ような気持ち悪さを感じるようになってきてしまった。
なので、それまでやっていた活動もお休みして、勤めていた大学も辞めることにした。友人には「もう社会にいいことなんてまっぴら。地域のためにとか、社会のためにいいことなんてもうしたくない。」と、よく分からない愚痴を言って泣きつく始末であった。。。

311の後に感じた怒りやもどかしさは嘘ではない。そしてもっと、ずっとそれ以前から、社会の仕組みに矛盾があることには強い疑問を持っていた。そのために自分ができること、やりたいことをやってきたつもりだ。なのにどうして「服が体に合わなくなる感じ」がしてくるんだろう。
やってもやっても報われないから?それは違う。それくらいですぐに変わったり、解決したりするようなものではないということは分かっていたから。そもそも、報われたくてやっていたわけではない。


でも、昨日の日記(sakiasの靴を買いました)を書きながら思ったんです。
自分の今までの仕事や活動は

・○○は△△をするべき
・○○はこうあるべき
・○○は◆◆でないといけない

といった「べき」論や、世の中に既にある規範とか、理論にしたがってやっていたものなのではないかと感じた。自分はその規範とか理論が「正しい」と信じてやっていたんだから、それでよかったはずなんだけど。
はずなんだけど…

「~するべき」に縛られて、「わたしはこの靴が好きだ」と思う気持ちを知らず知らず後回しにしてきたんじゃないかと気づいた。年齢にふさわしい額の貯金をするべき、華美でない装いをするべき、身の程を知った振る舞いをするべき。そういう「~するべき」という考え方が自分を縛っていたのではないか。加えて「社会的な弱者の味方であるべき」「不平等は正すべき」「戦争はなくすべき」という考え方さえも、わたしを縛っていたのではないか、と感じた。

わたしには美しい靴を美しいと感じる感性があり、音楽に感動する心があり、よく生きたいと願う気持ちがある。でも、そういう気持ちよりも「こうあるべき」を知らぬ間に優先していたのではないか。あるいは、優先はしないまでも、「こうあるべき」の方を上位だとして、「好き」「美しい」と感じる心を取るに足りないものとしてきたのではないかと気づいた。
そしてそれは「国のために」「日本のために」ということの方を上位にして、個人が感じる気持ちをないがしろにすることと、とても似ていると感じた。というか、同じじゃないか。


「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」というのは、こういうことなのかと思った。
平和のために、不平等を正すために生きているのではない。生きるために、平和や不平等を正すことが必要なのだ。わたしにとって生きるとは、美しい靴を履き、お酒と音楽を楽しみ、本を読み、書いて過ごすことだ。平和はそのための手段であり、必要条件だ。
逆だったんだ。自分が感じることが先で、「~するべき」という大義名分のほうがずいぶん後だったんだ。



そういえばこの前の金曜には、NPOセクターの人たちがたくさん集まるパーティに行った。どの人もそれぞれに、いろんな社会課題に取り組む人たちだ。
どの人もみんな楽しそうだった。パーティが楽しいというのは、それぞれの人がそれぞれに楽しんでいるということだとわたしは思っている。どの人も、何かの理想のために、とか、この問題を放っておけないという目標に向かってやっていると思う。でもきっと、それ以前にみんな、その仕事、その活動自体がとても「好き」なんだろうなあと思った。好きだから、魅了されているから活動が改善されるし、前進するし、理想に近づいていくのだろうと思う。
「社会のためにいいことをするべき」なのではない。「社会のためにいいことをしたい」という気持ちを、大切にすることなんだと思う。


戦争に反対する唯一の手段は。 - ピチカート・ファイヴのうたとことば - -music and words of pizzicato five-

戦争に反対する唯一の手段は。 - ピチカート・ファイヴのうたとことば - -music and words of pizzicato five-

自分の感受性くらい

自分の感受性くらい

世界最高峰のクラブ・ベルリンのBerghain(ベルクハイン)に入った日本人によるレポート

togetter.com

このまとめは超・役に立つのではないでしょうか~。このためにベルリンに行っても、ドレスコード知らなかったら入れないってことですもんね…。

こっからはババア(わたくし37歳)の自慢ですが、二十歳の時に「ベルグハイン」の前身のクラブ「Ostgut」に行ったことがあるんですよ。ラブ・パレード*1の期間中に行ったせいか、↑のまとめのようなドレスコードは無かったけど…(むしろ蛍光色のゴアパン&厚底のスニーカー&髪の毛を変な色に染めているといういかにもドイツの田舎から来ましたみたいな人のが多かった。流行っていたのだろうか…)
でも荷物チェックはこれくらいありましたね~。時間がもったいなくて、3日間ほぼ寝ずに色んなクラブに遊びに行ってたけど*2最後の方はこの荷物チェックが煩わしくて手ぶらで出かけるようにしていた。

ベルグハインだと金曜~日曜までぶっ続けでパーティをしているようだけど、やっぱりヨーロッパ(ドイツとかパリとかロンドンとかアムステルダムとかあっちの方…)だとダンス・ミュージックをアホみたいに楽しむことがふつうの趣味のひとつになっているんだろうな~と思う。日本だと何だろう…例えば釣りとか、宝塚とか…マニアックながらも、一般的に「これが趣味です」というえば「ああ、あれね」と分かってもらえる程度の趣味…みたいな。風営法云々とか言ってる国とは楽しみごとに関する文化がやっぱり違うんだなあと思いました。

文化の違い、といえば…この、基準はよく分からないけど「ダサい奴は入れません」というルールが堂々とまかり通っているのもすごいなーと思う。「コミュニティ」というものの作り方、「ベルグハイン」というクラブが果たす役割についての考え方に筋が通っている。割り切っている。誰でもいいわけじゃないんだよね。日本だったら「差別的だ!」とか怒る人が出そうだけど(ドイツにもいると思うけど)閉ざしておかないとできないこと、ルールやマナーやカルチャーを共有していないとできないこともあるんだろうな~。そのうえで「多様性」や「公共性」をどう担保していくか…みたいなことが、こういうところを面白くしていくキモなんじゃないかしらと思った。昔、東京にあった「GOLD」とかそんな感じだったのかなあ、なんて思ったり。


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