ガブリエル・ガルシア・マルケス『幸福な無名時代』
1月5日(月)
朝
お茶
昼
スンドゥブ、オクラとわかめと豆腐を鰹節で和えたの、キャベツのサラダ、なすあげびたし、お茶
夜
大根おろしと納豆とかまぼことねぎをのせたうどん、ビール
おやつ
豆、どんどん焼き、チョコパイ、コーヒー、お茶
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昨日食べすぎたので今日は控えめに…と思ってたんだけど
チョコパイを食べてごめんなさい。
どんどん焼きも食べてごめんなさい。(久々に食べるとおいしいものだ)
ガルシア・マルケスの「幸福な無名時代」を読みました。
まだジャーナリストだったころのマルケスが書いた記事を寄せ集めたものですが
まるで新聞記事やノンフィクションとは趣の違う、ほとんど小説のような文体にひきこまれる。
小説とは何か?
ニュースとは何か?
エッセイとは何か?
っていうことを、「やし酒飲み」とはまた別の方法で考えさせられた。
ちなみにこれは、わたしが以前に書いたマルケスの『予告された殺人の記録』のレビュー。
マルケスは故郷で起きた殺人について、村中の証言を集めてこの小説を書いた。
それは金属の塊にノミを打ち込み、事件の真相を掘り出す作業を思わせる。
だが、証言が積もるほどに塊は手触りの違う切り口を与えられ、
果実のように大きく熟していく。村人の数だけ新たな物語が立ち上がるのだ。
(あたしが「ISIS編集学校」の課題で書いた「予告された殺人の記録」のレビューより)
「幸福な~」に載ってる事件のルポルタージュも基本的にはこれと同じで、大統領からうだつの上がらないイタリア移民まで、単なる事件の関係者としてではなく、「その人」の物語として書かれている。
ベネズエラの革命の前後の三日間を伝える記事だけど、ゴミ捨て場のスラムの暮らしを伝えるルポルタージュだけど、そのずべてが、「事件」や「出来事」ではなく、紛れも無い、そこに生きたその人の物語として書かれている。1960年代の、遠い遠い遠い国の話だけれども、その人の体温や息遣い、表情までがありありと、いま・ここに立ち上がってくるように書かれている。
解説を読むと、マルケスはコロンビアから喜び勇んでヨーロッパ特派員として欧州に渡ったものの、地元のメディアに比べたらコネクションも資金力もなく、速報性という点では全くダメだったらしい。
でも逆に「速報性(速さ)」をあきらめることで、こういう書き方を開発したのだとしたら、かっこいいなと思った。
お金やコネが「ない」と思ったらチャンスなのかもしれない。
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