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#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

Changes of Life

日曜にお知らせしたとおり、DJのジンザイさんのトリビュート・パーティがあったので行ってきました。

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フライヤーです 裏面の青い方のモチーフはジンザイさんが好きだった煙草の箱だそう

ジンザイさんという人は、名古屋でハウスとかガラージとかのDJをしていた方だそうですが、わたしよりひと世代かふた世代くらい先輩の方なのかな。自分が遊びに行き始めた時期と前後して亡くなられたようで、お会いしたことはないんです。

その後、毎年偲ぶ会的なパーティが開催されているようで、わたしは何年か前に知人に誘われて遊びに言ったら、そのあたたかくて、オープンでクレイジーな雰囲気が気に入って、以後毎年行っています。

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ジンザイさん世代…バブル期に夜遊びをしていたような人たちは、ちょっとここでは書けないくらいラディカルな遊び方もしていたようで、物心ついたときからずっと不景気しか知らないサバイバル世代のわたしには、想像もつかないような強さと激しさで、きっと明日のことどころか、その一瞬より先のことなんか何も考えずに遊んでいたんだろーなーと、人づてに聞くだけでもビックリするやら憧れるやら。
今はすっかり偉くなったり家庭を持たれたりした人もいる(と思う)ジンザイさんの同級生くらいの方もこのパーティ(だけ)には来ていて、そのはしゃぎぶり、楽しみぶりに、確かにそういう時代があったんだなあと納得させられたりするし、今もその時みたいに楽しそうにしている大人の人っていいなあと思う。
そういえば自分もクラブに行きはじめたとき(まだ10代の頃…)、このまま勉強して大学行って会社入ってそー好きでもない仕事して大したお金ももらえないでこき使われて、何にも面白いこと無さそーなのになんでこのまま大人になんなきゃいけないんだろーと思ってたんだけど
クラブに行くと昼間いったい何やってんだかわかんない大人の人がいっぱいいて、それでもめちゃめちゃ楽しそうにしていて、すみっこでチケット一杯のドリンクで朝までひとりで粘っているボロい服のわたしに昼間なにやってるかとか聞きもせず気にもせず、気さくに話しかけてくれて、まあ楽しくやろうよ!って感じで一緒にいてくれたことがうれしかった。
こういうところさえあれば、仕事がクソだろーとなんだろうとまあ生きていけるかなあと思うと楽になった。

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実はこの日、せっかく頼んでいただいた原稿の締め切りを、すでに一週間くらいぶっちぎっていて(駆け出しライターなのにこの大物ぶり…)年末から悩みに悩んでいてどうしても書けていなかったのでした。尊敬する方々が思い入れていることに関する内容で、しかも自分には身に余るような媒体に載る原稿で、でもとても書いてみたかった内容の原稿だったので、ちゃんと書かねばと思い資料を調べ、他の人の書いた記事を読みまくり、考えられる限り正しく体裁よく書こうと思うのだけれど、書けば書くほどどんどん苦しく、書けなくなり、字数が増えるごとにどんどん心がテーマから遠ざかっていくように感じられたのでした。


しかしいい加減入稿しないとまずいと思い、これが書けるまではこのパーティにも遊びに行くまいと思いつつ原稿をはじめたんです。

そうしたらなぜか


「多少間違っていても、読んだすべての人に伝わらなくても、尊敬する先生方と意見が違っても、下手でも自分が思うように書けばよい」


という、何か自分を超えた存在からの啓示があったんです。(笑)

それからは、今まで書いていたものを全部ボツにしてイチからやり直し、夜までかかって一気に書きました。その雑誌のバックナンバーを読むと、今までに同じコーナーに掲載されている記事は、事例について客観的に説明するようなものばかりだけど、わたしが書いた記事は100%自分目線のエッセイのようなものになってしまった。それでも先生方が自分に頼んでくれたのは、自分ならではの切り口を期待してのことだと思うし、客観的な記事なら他の人のほうが上手くまとめられるだろう。何よりも、書き直す前の文書はいかにも“文部科学省ご推薦”みたいなお行儀のものだったけど、今日書き直した文章は自分のめんどくさいところやだらしないところがダダ漏れではあるけれど、きれいごとではなく血が通った大学職員の葛藤がいきいきと表現されているし、心から自分が言いたいと思っていたことを「王様の耳は、ロバのみみー!」と高らかに叫んだようなところもあり、それが伝わればスッキリする人もいるんじゃないかとか、何より自分自身がスッキリできて、お役目も果たせたように思えた。
これでダメだったら、申し訳ないけど仕方ないし、差し戻されたら謙虚に書き直そうと思った。


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自分の人生の転機はふたつあって、
ひとつはホームレスと言われる状態にある人たちに出会ったことで
そのおかげで福祉の勉強や活動をはじめて、いまの大学の仕事や知り合っている人たちがいる。
もうひとつはそれよりずっと前に、クラブ・カルチャー/レイヴ・カルチャーに出会ったことで、それが無ければきっと屋根のある住まいのないところで暮らしている人たちとの出会いも、自分の人生に活かして行けたかどうか分からない。
ストロボとミラーボール以外の光よりほかには何も見えない暗闇で、
込み入った話や理屈は強いキックと身体にひびくベースでかき消されてしまう中で、
ただそこに居ることを誰にもとがめられないで、自由に楽しんでいていいという経験をしたことが、いまの自分を作っていると思う。

ステージの上のミュージシャンと観客が向かい合い、観客はひとり残らずステージの上のミュージシャンを凝視めていたコンサートより、だれもが好きな方向を向いて踊るクラブに、わたしは惹かれるようになっていた。(中略)
「神なき後の音楽」は快楽の音楽を指向した。これは好悪善し悪しに関わらず、ある意味で当然のコースだった。純粋さや禁欲や緊張といった、道徳や敬虔や服従などの宗教的生き方と支え合うものたちが去ったあとには、融合や弛緩、そして快楽がやって来る。放埓で不敬で奔放な…。ああ、なんてスリリングなんだろう。でもその「快楽」というのは、自分で楽しめるひとしか楽しめないものである。誰かに楽しませてもらおうなんて考えてたら、いつまでたっても楽しくならない世界なのだ。(水越真紀「“テクノ・ゴッド”は要らない!」ele-king Vol.10)


このブログや、Facebookでは、福祉のことはたくさん書けるのに
なんでクラブのことは書かないの?と主に彼氏に言われていて(切れ気味に)、
そんなの読みたい人いるのかな?と思ってたんだけど、よく考えたら「やし酒飲み」の感想だってそう読みたい人がいるとは思えないわけで、そう考えると書かない理由にはならないんだよなあとも思った。


好きな人に好きってなかなか言えないみたいに、それが受け入れられなかったらとても傷つくしこわいから、本当に思い入れがあることや大切に思っていることはとても書きづらいし、表現しづらいんだと思う。
でも、高校生の時、本当にテクノが好きで、それに出会いたかったから、フライヤーを握りしめてわかりにくい地図を頼りに重たい地下の扉を開けた時のように、自分が信じる世界に自分をゆだねて、開いていきたい。そして、今までの自分を受け止めてささえてくれた世界に対して、自分ができること――書くことで、少しでも貢献していきたい。
それがわたしのコミュニティとか、シーンに対する愛だ。


Change - The Glow of Love (Single Version)


Sueño Latino - Sueño Latino (Derrick May Illusion ...


Disco 12" - Voyage - Souvenirs - 1978 - YouTube


Inner Life - I'm Caught Up (In a One Night Love ...

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1月11日(日)


ハムとレタスのサンドイッチ、お茶、コーヒー


五目あんかけやきそば(近所の中華料理屋で)

夜(ジンザイさんのパーティで)
チキンと茄子のトマト煮、パエリア、フランスパンに辛いソースがのったもの、ビール、赤ワイン


おやつ
ぜんざい(取材先で「今日は鏡開きだから」と出していただけました。初対面の人にもこんなに優しくしてくれて、大垣の人ってやさしい!!!すごくうれしくて、とても美味しかったです)、のど飴、コーヒー