#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

蝶のように舞う

「オープン・スペース・テクノロジー」(以下OST)という話し合いの手法やマインドを学ぶ一泊二日の合宿に行ってきました。(2日目)
1日目の記事はこちら

研修から帰ってきて「ていうか研修って名古屋市内でやったんだよね?帰れるよね?なんで泊まりなの?」と素朴な疑問を呈する彼氏に、こういう、合意形成とかに関する研修でー、って一生懸命説明したら、
「その研修って、つまり、“自己啓発セミナー”みたいなもの?」
と、言われました。。。
ちがうよーって言ったんだけど、自分の説明がうまくないせいかあまり伝わりませんでした。

主体性がすべて

でも、わたしも最初にOSTをやってみたとき、正直なんとも言えない違和感というか、あやしさみたいのを感じたなあとは思ったんですよね。

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OSTの4つの原則

  • ここにやってきた人は、誰でも適任者である。
  • 何が起ころうと、起こるべきことが起きる。
  • それがいつ始まろうと、始まるときが適切な時である。
  • それが終わった時は、本当に終わったのである。

これがOSTにおける話し合いのグランドルールなんですよね。
はじめてOSTをやった時、このルールを最初に厳かに説明されて、「???」となって。何かスピリチュアルな集会なの?と実は思ってしまったことを思い出しました。

閑話休題
「話し合い」や「会議」というと、あらかじめ誰かが議題を決めて
資料を印刷して配って…という流れでやると思うんですけど
OSTはそういうことは原則として“しない”ようです。

じゃあ、どうやって話し合いをするかというと

「これについて、どうしても今ここに居る人と一緒に話したい」

というテーマを持っている人が、自由に議題を出して、
議題を出さなかった人は、出された議題の中から好きなお題を話し合うグループ
どれでもいいから入って話し合う、というものです。
(議題を出せる人は参加者の規模にもよるけれど
 今回は参加者20名くらいで、1セッションあたり4~6のお題を出しました)

こんなふわっとしたやり方で、何か実効性のあることが決まるのか?と思うでしょ?
それがさー、なぜか決まるんですよ。
わたしが今まで会社とか仕事でやってた話し合いよりも、OSTを「うまくやれば」決まるんですよ。
ふしぎー。
ちなみにアメリカの通信会社AT&Tは「急な変更によりアトランタ・オリンピックの自社パビリオンの建設が間に合わない」という事態になった時にこの手法を取り入れて意思決定をし、開催に間に合わせたらしいです。
へー。


つまり、OSTでは議題の設定からして完全に参加者の主体性のみに任せているので
最悪の場合、例えば「誰も議題を出さない」なんてことも起こりうると思うんですよ。

でも、その場合って「そもそもそのメンバーで話し合うことなんてほんとはない」ってことなんですよ。たぶん。(笑)
それなのに無理に会議をする必要なんかないじゃんっていう。起こるべきことが起こってるんですよね。(笑)

それか、「お題を出したい」と思っているのに出せない人がいる、っていうことですよね。
その場合は、何がエッジになってそれが起こっているのか、
OSTのセッションを開くまでに足りていなかった準備があるのではないか、っていうことを考えることのほうが、よほどその組織やプロジェクトの根本的な問題を解決することになるのではないか、と、やりながら思いました。


ただ、「本当に、完全に参加者の主体性/自主性だけで、人間関係が改善し、イノベーションが起こりうるのか?」ということは、合宿の夜に一部の参加者の間でも議論されていました。
例えば、「最初はめんどくさかったけど地域のお祭りに参加しているうちに近所のおっさんと仲良くなる」とか「自分の意志とは関係なく学校の都合だけで分けられたクラスで、嫌な奴もいるけど1年間一緒に授業を受けるうちにみんな友達になる」っていうことがあるじゃないか。そういうやり方も必要な時があるんじゃないか。自主性に任せるだけでは足りないのではないか、というような意見も出ていたんです。

わたしは食堂から持ってきたビールを飲みながら横でこの議論を聞いて、「この『嫌な奴だけど1年一緒にいたら仲良くなった論』は、とっても魅力的で誘惑にあふれた意見だけど、とっても危険でおそろしい要素もはらんでいるのではないか」とか「それでも、わたしは『参加者の主体性のみに任せる』」ということに賭けたいと思っていました。
それはきっと、わたしが『参加者の主体性』こそがシーンや社会を変えてきたレイヴ・カルチャー/クラブ・カルチャーを信じきっているからなんだろうなあと思いました。この辺がうまく書けるようになるといいな。

動的(Dynamic)でありたい

ちなみにこの出された「お題」の中で、どれも興味ないなあと思ったらどこにも入らなくてよくて、すみっこのお茶コーナーでコーヒーを飲みながらチョコレートを食べていてもいいのです。
分科会やシンポジウムに行くと「分科会自体はつまらなかったけど、休憩中の雑談がおもしろかった」とか「夜の打ち上げで皆と喋ったのが面白かった」っていうことがあると思うんですが、OSTには、会場全体をそういうコーヒータイムの雑談のような雰囲気にしてしまおう!という発想があるそうです。

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また、いちどどこかのグループに入ったらずっとそこに居なければいけないということではなく、自由にグループ間を移動してよいことになっています。
これらのロールをシンボリックにあらわす言葉として「蝶」と「蜂」があります。
蝶や蜂が花と花の間をとびまわって、風景をやわらかく和んだものにしたり、花粉を届けたりするように、グループ間の話し合いの内容を共有したり、こう着した話し合いをブレイクしたりする役割があるそうです。
ちなみに会場に貼りだしたこの蝶とはちの絵はわたしが描きました。
躍動感のある絵にしたかったので、みんなに小さいちょうちょの絵を描いてもらって切り抜いて折って、立体になるようにして貼りました。


わたしはOSTに限らず、ずっとひとつのところにとどまっているということが出来なくて、
仕事も何回も変わっているし、
趣味も全然長続きしません。
人間関係も、ひとつのグループにずっといるということが苦手で
安定してくるとなぜか他のところに行きたくなって
ぜんぜん関係が深まらないなあと思っていました。

だけど、OSTで蝶や蜂の役割が、その場に貢献しているように
それがわたしが社会で果たせる役割なのかなあと思いました。
ひとつのテーマやグループにぐっとフォーカスして
深めていくことはできないけれど
蝶のように蜂のようにかろやかに飛び回る自由とさびしさを引き受けながら
少しずつどこかに貢献していくことはできるのかもしれない。


なぜ、わたしが冒頭の「OSTの4つの原則」に激しい違和感を感じたかも考えた。

それは、わたし(たち)が

  • 今ここに来た人を、わたしの基準でふさわしいか・ふさわしくないかを選別し
  • 自分の思い通りに(あるいは、社会で正しいとされていることの通りに)物事が起こるべきだと思っていて
  • 自分の基準でスタート時期を決めたいと思い
  • 自分が終わりたい時に終わらせようとコントロールしたいと思っている


からなんじゃないかなと思った。
「こうあるべき」ということを実現しようと必死になるよりも
「今、ここにある現状」をまっすぐに把握して、認識するだけで
いろんなことが自然に---否、「主体的に」変化していくのではないか。と思った。

夢見がちだと思う?

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1月25日(日)


焼き鮭、スクランブルエッグ、ウインナー、レタス、きゅうり、トマト、納豆、お茶、コーヒー


カレー、コロッケ、サラダ、お茶


あじのたたき、鮪のお刺身、からあげ、ビール

おやつ
コーヒー、チョコレート、みかん味のポテトチップスなどいろいろ