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「合理的に対話できる社会」が必要になる

命の平等が“建て前”だと言う方が冷静で知的だという思い込みはやめるべき


「能率的に死なせる社会」が必要になる | Books Review | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

この記事を読んだことがすごいショックで、んでツイッターでけっこう大きい会社の役員の人が「うんうん、そーだそーだ」って感じで紹介していたのを見たことも結構ショックで(わりと若い人だった)、考えると暗い気持ちになったんだけど、その気持ちのままでもおれなかったので、自分の考えを書いてみることにしました。

お医者さんだけで責任を負おうとしないで

「自分で決めろ」と言われても、そりゃ自分で決められないと思うんです。
わたしたちが、何かを「自分で決める」時、あるいは「自分で決める」ことができる、と思う時はどんな時なんでしょうか。わたしなりに、その条件を考えてみました。

  • きちんと自分で納得した結論が出せると思える情報収集をすることができている
  • かつ、その集めた情報を、自分なりに十分に吟味することができる

っていうことが前提としてあるんじゃないかなあと思うんですよ。
だから「膵臓がんで、余命はあと3カ月です」とか、「手術をしても治る確率は10%です」っていう情報「だけ」で、まず情報の量として十分なのか。手術以外の方法は、どんな痛みがあるのか、いくらくらいお金がかかるのか、3カ月って言われてそれ以上生きた人はどれくらいいるのかいないのか、っていうような、お医者さんだけで回答できるようなこともあれば、
3カ月をどう生きるのがいいのか、他の人はどう生きたのか、家族はどう思っているか、会社の人はどう思っているか、内緒で付き合ってた恋人は、ペットはどうするか、残ってるローンはどうするか、貯金はどうするか、遺言の書き方は、遺骨は海に流してほしい、どうせなら旅行に行きたい、本を読んで調べたい、友達に相談したい、占い師に相談したい、っていう人もいるわけで、
そういうことを出来る限りやったうえでなら「決められる」んじゃないかなと思うんです。
いや、そんだけやっても、本当は決められないかもしれないけれど、治療方法の説明を聞くだけよりはいいと思うんですよ。
だから、できれば、患者が決められないからと言って、病院の先生だけで抱え込まないで欲しいと思うんです。
病院の先生と、本人と、関わってきた看護婦さんと、家族と、友達と、秘密の恋人と、あやしげな占い師と、会社の上司と同僚と、その人が大切に思っている人や、その人を大切に思っている人とで話して決めればいいじゃないですか。
医者だけが、引導を渡す役割を一手に引き受けなくていいんじゃないかなあ。


とはいえ、お医者さんたちをここまで追い詰めてしまっているという現状も確かにあるんだと思います。
あまりにも医療のことを、お医者さんばかりに任せてしまっていたり、
病院にベッドや人手が足りないということも現実としてあって、
ひとりひとりの決断を、お医者さんや病状の進行が待てない現状もきっとあるんだと思います。
この記事のさいごにあるように、どのお医者さんもきっと「良心の呵責に苦しみながら」やらざるを得ないことがたくさんあるんだと思います。

でも、どのお医者さんも、「能率的に死なせ」たり、
トリアージは必要だとしても)救急を引き受ける順番をつけたりするために、医者になった人はいないはず。みんな、少しでも長く多く楽しく「生かす」仕事をしたくて医者になったはずだと思うんです。
だからこそ、お医者さんだけで引き受けないでほしい。
お医者さんひとりで死なせることができないように、お医者さんひとりで生かすこともできないと思うからです。お医者さんひとりで人の生き死にが判断できないように、他の誰だってひとりではひとの生き死にの判断なんてできないんです。
そして、できないからあきらめるのではなくて、そこは皆で考えて、少しでもその人らしい生と死に近づけることが、人としての生を生きる事なんだと思います。

生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。(ヴィクトール・E・フランクル夜と霧」)

『医学的な重症度以外に、社会的な価値も考慮に入れるべき』だと???

文中に「90とか95の老人をさらに生かす見返りに、働き盛りの人にあきらめてもらうのは、やっぱりおかしいですよ。アル中で肝臓悪くした親父が子供や嫁さんからの肝臓移植を希望する。好き勝手した人間がそこまでして長生きしたいと言う。敏感な人が遠慮して身を引き、鈍感な人がのさばるなら、それはもう不公平でしょ。」っていう記述があった。

でも「こういう人間は生きていてはいけない」という気持ちを一番内面化しているのは、
まさに90とか95の老人や
精神障害のある人なんじゃないかと思う。
少なくともわたしが会ってきた人はそうだったし、同じような支援に関わったことのある人は同じような実感があるのではないかと思う。「敏感で遠慮して身を引いて」いる人は、そういう人たちだ。そうでなければこんなに自殺者は出ないと思う。ごく一部の、「鈍感な人(鈍感に見える人)」を挙げて、こういうことを言うのは、架空の悪人に責任転嫁をしているんじゃないか?とすら思ってしまう。
ちなみにわたしも「子どもを産んでなくて、これからもたぶん産めなくて、たいして仕事ができるわけでも、容姿や性格に愛嬌があるわけでもなく、それでいて社会に文句ばっか言っている」ような自分だって、このままだときっと救急で後回しにされるんだろうな、、、とか思ってしまった。…卑屈…

「弱さや過ちを許しあえる社会」が必要だ

このお医者さんの抱え込みぶりに、わたしはいかにお医者さんが失敗を許されない、すさまじいプレッシャーのなかにあるかということを感じました。
高校の時から、医学部に進学する子はみな一様に勤勉で、かつ、どうしてそんなにできるんだというくらい明晰な頭脳の持ち主でした。それはきっと大学6年間も、その後もずっとそうなんだと思います。しかも、厳しい勉強をし続け、長時間労働に耐え、確実な施術と投薬をし続けているのだと思います。

でも、そういう人でさえ、

失敗することがあり
苦手なことがあり
どうしてもできないことがある。

それを、他の人もわかること。そして、お医者さんが堂々とそれを言えるようになること。言えたことを、お医者さんだけのせいにせず、他の人も一緒にどうしたらいいか考えていくこと。
そのことのほうが、本当はずっと「能率的」なんじゃないかと思う。
わたしは、この文章を読んで、もっとお医者さんに努力してほしいとか、工夫してほしいとか、もっと高度な知識や技術を身に付けたりしてほしいとか、ましてや法律を変えてほしいなんて全然思わなかった。
お医者さんも、もっとSOSを出してほしい、
もうできない、「助けてほしい」って言って欲しいって思った。

お医者さんでもできないことを、知識もなくお金もなく頼れる家族も友人も無く
健康まで奪われている人に、できるわけがない。

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2月8日(日)
昨日の夜
揚げ出し豆腐、チーズ鱈、ビール


食べてない


カップヌードルシーフード、たこ焼き、お茶


麻婆豆腐、唐揚げ、五目ラーメンを少し、ビール

おやつ
お茶、ガム

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生きさせろ!難民化する若者たち (ちくま文庫)

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夜と霧 新版

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