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#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

書いた書評を豊崎由美さんほかたくさんの人に見ていただきました:その1―――書評を公開

本/書評 ライティング

以前にも書いたのですが、豊崎由美さんの書評講座に行きたくて、松尾スズキさんの「私はテレビに出たかった」の書評を書きました。

www.nekomachi-club.com

この書評講座に提出したわたしの書評が ↓ 下記になります。

講座は、豊崎さんだけじゃなくて、参加した人がメールで送られてくる全員の書評を事前に読んで、すべての書評を1~10点で採点する、というしくみ。(誰が書いたかは当日まで分からない)
書いたものを誰かに見てもらって、率直に悪いところやいいところを言ってもらえるという機会はなかなかないので、もしよかったら、このブログを読んでいる皆さんも10点満点で採点して、点数を教えてもらえるとうれしいです。(笑)
ちなみにこの記事の次に書く「その2」で、書評講座の結果を書きます。

※「書評」と一緒に、「この書評を掲載する媒体名を想定して書きなさい」というお題だったので、最期の「想定媒体」が、その、載せる予定の媒体です。



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 テレビを見ているようだった。恭一が新調したワンセグ付きの携帯電話で20年ぶりにテレビを見たときのように、1ページ目から強烈なテンションとスピード感に圧倒される。阿部寛演じる主人公がオフィス街を「ゲスの極み乙女」の大げさな曲をバックに、大股でダイナミックに駆け抜ける画面が大写しになる画が、私の目の前に立ち現れた。
 登場人物はみな一様に何かを演じている。テレビに出たくてたまらない欲望を隠して、地味な父親や会社員を演じる恭一。華やかな舞台で求められる役をきっちりこなしながら、表情に暗いもののある劇団の女優や俳優、子役たち。教室内の空気を読み、パズルのピースにきっちり自分を当てはめるように、決まった「キャラ」を演じあう恭一の娘エリカと、そのクラスメート。誰もが自分の居場所や地位を守るため、必死に何かを演じているのに、逆にその演技が自分をがんじがらめに縛って息苦しくさせている。その姿は「誰にでも分かるように」「誰にも文句を言われないように」と、型どおりの健やかな企画ばかりを打っては逆に視聴率を下げている、現在の「テレビ」そのもののようだ。
 後半にさしかかると、それまでオールロケだった背景が、急にスタジオのセットに変わったように見えてきた。子役の芝居が劇場でのそれのように大きい。売出し中の若いアイドルばかりが出ている学園ドラマのようだ。小さな川がリズムよく流れ、いつの間にかひとつになって大河に注ぎこむような巧みなストーリーに唸りながらも「この展開、出来過ぎていてテレビっぽいなあ」と少し引いた目で見てしまった。読み始めは、あんなに引き込まれていたのに…。前半の、会社や劇団の様子に比べて、後半を物足りなく感じるのは、私がいまの子ども達の暮らしを知らないためにリアルに感じられないからだろうか。
 この書評を読んでいる人の多くは、娯楽においても情報収集においても、今やテレビよりもインターネットにはるかに多くの時間を割いているだろう。私も勿論その一人だ。恭一や劇団員がテレビ出たさに七転八倒する様子は抱腹絶倒の面白さだが、そのセコさは、移動のたびにスマホFacebookの「いいね!」やブログのPV数を確認してしまう自分の姿のようで恥ずかしく、また愛おしくもあった。誰かに自分を認められ、安心してここに居たいだけなのに、そのためにはその場に応じた「キャラ」を演じ、発信しなければならない。決まった時間に誰かとテレビを見なければいけない、という煩わしさから解放されたと同時に、家族であっても友人であっても何を見て何を発信しているのか分からない不安を抱えた私たち。場に応じて「キャラ」を着替えながらコミュニケーションすることは、私たちがお互いの前提を共有したり、差違に戸惑って衝突したりする手間と時間を省略して、乾いた笑いでその場を問題なくやり過ごすために身に付けた知恵なのかもしれない。
 私が最も感動したのは、家族や劇団員同士の「テレビ的な」熱い感情のやりとりでも、自分を縛る「キャラ」的なものとの葛藤でもない。「ウジ虫」「ゴミ虫」「ゾウリ虫」と名乗る、対人関係に問題を抱えた三十手前のひきこもりの男たちの登場だ。学校にも職場にも家庭にも守るべき居場所などなく、インターネットでも自虐的すぎるハンドルネームを名乗って裏サイトにひっそりと生息する彼らが、へなちょこによろけながら、しかし誰よりも勇敢に世界との対決を試み、その行為が物語の新たな展開を開くのだ。
 私たちはきっとまだ「テレビ的」な、昭和からの熱く、あたたかく、時に疎ましい人間関係への憧れを捨てないだろう。しかし、同時に、そこに居場所を見つけられなかった人たちが、彼らならではの道具と知恵を使って、弱々しいながらも新しいやり方で、人とつながっていく手段を見つけていけるのではないだろうか。

想定媒体:シノドス
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私はテレビに出たかった

私はテレビに出たかった