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#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

シェルターが社会を照らす

ファシリテーション 社会 福祉

昨日に引き続き、OST研修2日目でした。
1日目の記事はこちら↓
なぜひとりでいてはいけないか - #レコーディングダイエット

1日目の渾身のお題「なぜ、ひとりでいてはいけないのか」で
燃え尽きた感があったので、2日目はなかなかエンジンがかからず
最初のセッションにははじめはどれにも入らず、
挙式を控えた友人ふたりと、お茶コーナーでお菓子を食べながら
パーティでどのような催しをしたらよいか、についてきゃっきゃ言っていた。
(OSTでは、このようなことをしていてもかまわない)

障害のある人のケア付き住宅、

ひきこもり状態にある人のフリースペース、

それらはシェルターなのか?

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今回のワークショップを通じて話し合われていたお題で多かったのが

・障害のある人の生活を、どこでどう支えるか
 施設ではなく、地域でふつうに本人の望むように暮らすには
・ひきこもり状態にあったり、家の内外での活動がしづらい人の
 ためのフリースペースをどうつくるか
・誰でも集える場づくりはどうしたらよいか

みたいなことだった。

こういうお題を聞くたび、つまり

・いま、施設以外には、常時サポートが必要な障害のある人の
 生涯をささえるしくみがなく
・「誰でも集える場」は、わざわざ作らないといけないものであり
 社会には、ない

ということに、あらためて気づかされるなあと思い
心の中がざわざわとして落ち着かない。
わたしがいま生きているこの世の中は、あちこちにシェルターをつくらねば
自分の身を守れない戦場なのか。

シェルターが社会を照らす

しかし、わたしの仲間たちがつくろうとしている「シェルター」は
完全に社会との接点を閉ざしてしまうようなものではないようだ。

シェルターだから、まずはその外で傷ついた心や体を受け止め
安心できる仕組みはつくる。
しかし、そのドアは閉じないというか、社会につながる
ドアや窓を作っているように思う。

これは、「ひきこもり状態の人も段階をふんで社会に出られるといいよね!」
という一面的な価値観だけでものを言いたいのではなく。

昔から、資本主義の世の中に疑問を持って
人里離れた場所でコミューンとかを作って暮らし、
自分達の理想とする社会を作ろうとしていた人たちはいたようだ。
それは、自分たちがよしとしない、「こちら側の社会」とは
完全に断絶していることも多かったと思う。
わたしの仲間たちや、いま、フリースペースだコワーキングだ
グループホームだシェアハウスだ住み開きだって
いうことをやりたい人たちが考えている
シェルター的なものは、そういうものではないと思う。

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わたしがこのワークショップの問いによって
「いまのこの社会は、『誰でも集える』ような場所にはなっていない」
と気づいたように、

障害のある人がただ生きたいように生きること、
誰も否定されず受け入れられるスペースがあること、
そのこと自体が、社会をいきいきと照らすのだと思う。

「生きづらい思いを抱えている人が多い現代社会の闇」が
グループホームやフリースペースにあらわれている、のでは、ない。

障害のある人がただ生きたいように生きること、
誰も否定されず受け入れられるスペースがあること、
そのこと自体が、社会の見えていなかったところを鋭く問い、明らかに照らす光であり、
同時に、「こういう社会が、わたしたちはいいんです」というメッセ―ジであり
社会をあたたかく照らす光でもあると思う。

介護でも、子育てでも、障害のある人の支援でも、生活に困っている人の支援でも、
社会福祉の仕事は、社会の下請けや、埋め合わせをする仕事ではない。
社会をときに鋭くあきらかにし、
ときにあたたかく照らしてその成長を促進(ファシリテート)する仕事だ。
そう思う。

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5月6日(水)

コーヒー、ドーナッツ


お弁当(鶏の焼いたの、たまごやき、さば味噌煮、野菜の煮物、漬物、ごま豆腐、果物と杏仁豆腐)、お茶


納豆と大根おろし、ごはん、明太子、ほろほろ漬け、大根とツナの煮物、ビール

おやつ
チョコレート、グリコ、あられ、コーヒー、お茶、バナナとアーモンドミルクのスムージー、世界の山ちゃんしっとりせんべい