#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

沈黙を破るのは言葉じゃない、けれども---「中間支援」とは、何と何の「あいだ」なのか

起業支援ネットさんの会報誌「aile」をまた担当させていただきました。
今回は巻頭に,“多文化共生業界のさまよえる蒼い弾丸”こと(?)
「多文化共生リソースセンター東海」の土井佳彦さんのインタビューを掲載させていただきました。

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いい写真だなあ(カメラは「写真工房ゆう」の河内さんです


いま、ライティングのお仕事をさせていただいているうち
その95%くらいが、どなたかにお話を聞いて、
その内容をまとめて書く、というお仕事です。

いろいろな人にお会いさせていただけて、
とても面白いお話、感動するエピソード、心温まるお人柄、
静かな語りの奥にある熱い思いなどに触れられることができ
大変幸せなお仕事です。

なかでも起業支援ネットさんの「aile」は
志あるソーシャルビジネスやコミュニティビジネスの起業家の方に
お会いすることができ、個人事業主をはじめたばかりのわたしにとって
仕事とは何か、起業とは何か、についてたくさんのヒントをいただける
大変ありがたいお仕事です。

また、インタビューのお仕事は、
限られた時間でどれだけ取材対象の方に楽しくお話ししていただくか
たくさん聞きとることができるかが問われるお仕事です。
この点に関しては、営業マンとして1つでも多く
お客さんのニーズを聞き出そうと頑張っていた過去のお仕事の経験や、
社会福祉士を目指して日本福祉大学通信教育部で
学んでいることがモロに活かされており(「相談援助演習」とか)
なんとか36年間生きてきてよかったと思っています。

誰かについて書くっていうのは、その相手をどこか殺してしまう

 いま普通に使われている言葉は、全部が目の前にあるのに、それをすでに知っているものに押し込んでしまう。全部定義をしていってしまう。それもすごくおざなりな定義を。
 でも、本当はやっぱりそれぞれなんだよ。
 ぼくが『季節の記憶』という小説の中で蝦乃木という人物のモデルというかそのままを書いた多田って友達がいるんだけど、彼のことを別のエッセイに書こうと思ったときにその矛盾に気づいたんだ。(中略)ぼくの友だちにこういうやつがいるって書こうとして、「これはおかしいな」って。
 どんな形容詞を使っても、「多田っていうのはいつも喋りながら首が振れていて……」とかっていくら書いても、全部出来合いの言葉で書くことになる。それで、「あ、そうなんだ」って。誰かについて書くっていうのは、その相手をどこか殺してしまう、生きているその人じゃないものを、すごくおざなりに写すだけなんだって。(保坂和志「考える練習」2013年,大和書房)

本当にそう思う。
どんなに上手く書けても、テキストでできる事には限界がある。
今回も土井さんにお話しいただいたことの半分くらいも書けていないし
(土井さんが日本語教師をしながら
「教育ファシリテーション」に出会ったこととか
 本当は書きたかったし、そもそも「多文化共生リソースセンター東海」が
 起業支援ネットのサポートで設立されたことなどをすっとばしており
 起業支援ネットさんにおこられました。ごめんなさい)

そもそも、土井さんが話してくれたことはなぞれるけれど
土井さんの表情、身ぶり、声の調子や大きさ、お部屋の様子なんかは
テキストだけでは伝わらない。
そこを「伝わらない」とあきらめるのではなく、なんとか伝わるように
表現を研ぎ澄ますような努力を続けることが、「書くこと」なんだけど

それでも、やっぱり、書けることには限界があり、
どうしても書けないことがあり、
どちらかといえば、言葉にできないことの方が多い、ということは、思い続けていたい。

そのうえで、書くことでできることなんて、ほんの少しのことなんだけど、
それでも書き続けていきたいし、
書けることを増やしていくことに対しての努力は
惜しまずにいたいと思う。

「中間支援」とは、何と何の「あいだ」なのか

土井さんが代表をつとめるNPO
「多文化共生リソースセンター東海」は、いわゆる「中間支援」
団体と呼ばれています。

「aile」にも書いてあるんだけど、土井さんは
例えば困難を抱えた人(個人)を直接サポートする現場を支える視点と、
行政や企業など、社会の仕組みや枠組みを作っていくようなところに訴える視点の
両方のバランスを取ることを意識している、と言っていた。

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親が失業してお金がないために学校に通えず、
かつ、日本語もよくわからず働くこともできない、みたいな
外国にルーツのある子どもたちを目の当りにすればするほど
この状態をなんとかしなければと東奔西走したくなる。

でも、それだけではどんどん同じような子どもが
生まれてくるばかりなので、
本当は、「お金がある人しか学校に行けない」とか
「日本語以外の言葉では生活のサポートやサービスが受けられない」
といった社会の仕組みそのものを変えて行くような
アクションも必要になる。

だけど、前者と後者を一人で、とか、一つの団体だけで
やっていくことはとても難しい。
(「フローレンス」みたいなスーパーマンは別として)

しかも、なぜか(?)前者に軸足を置いている人たちと
後者の人たちは水と油というか、なぜか分かり合えないことが多いというか
それこそ「違う言葉で喋っているみたい」とわたしは感じることが多い。

NPOの現場の人は、「なぜ民間がこんなに頑張っているのに
行政はもっと予算をつけてくれないんだろう」と思うし
行政の人は「これだけお金がないことを、どうして分かってくれないんだろう」
と思ってるような気がする。

あるいは、同じマグカップについて話しているのに
一方は、これは益子焼の職人がこだわって作ったもので
手触りのよさやこの釉薬の色が独特で素晴らしい文化財なんだ、って言ってるのに
一方は、これは何に使えるんだ、コーヒーも飲めるし花瓶にもなるな、
でも、それって常滑焼でもいいんじゃないの、
プラスチックでもいいんじゃないの、とか言って
全然話がかみ合ってないみたいな。


土井さんは、その「どっちでもないところ」にいて
両者の「あいだにいる」ということのバランスを重視していると言っていた。


そこに、土井さんの苦悩があり、孤独があり、
輝くところがあると思った。


ISIS編集学校の「入伝式」で聞いた話なんだけど、
「伝えたいこと」が、「メッセージ」なのではなく
「伝えたいこと」を「伝えたい人」に運ぶことを
「メッセージ」というのでもなく、

「伝えたいこと」と「伝えたい人」の「あいだ」
あるもの、それこそが「メッセージ」そのものなんだと。

よく「中間支援」って何をするんだとか言うけれど
その「あいだ」にいるということそのもの、
その「たたずまいそのもの」が、人や社会に対するメッセージなのではないか、
と、土井さんの取材を思い返しながら考えた。


で、続きは「aile」を読んでいただきたいのですが、
「aile」は名古屋市内・愛知県内の公共施設の、いろんな会報やパンフレットが置いてあるところで読めるほか(ざっくりした説明…)、起業支援ネットさんの賛助会員になって、キラリと光る志ある起業家さんの応援をしていただけると、三ヶ月に一回届きます。
この機会に、ぜひご入会くださいませませ。

賛助会員へのご入会は、こちらから

また、今月号から「aile」は特集記事の土井さんや
コリアンネットあいちさん、(と、編集部)への応援メッセージや
ご意見ご感想を募っておりますので、お聞かせいただけますとうれしいです。


(おまけ)
ちなみに、前号から「aile」を担当させていただいているのですが
「もっとよしみちゃんの個性を出して編集をしたほうがよい」と
起業支援ネットさん含め、何人かの方から言われたんですよ。

そんなこと言われても、そもそも起業支援ネットの会報誌だし
よしみ色丸出しでもおかしいやろ、
どうしたらいいんだろう?と考えた結果、
土井さんがB'zの大ファンだということを知り、
わたしも中高生時代はファンクラブに入っていたほどファンだったので
「これや!!!」と思い、ツタヤでB'zのCDを大量に借りて
取材の前にずっと聞き続けるという仕込みをしました。
聴きながら、「取材の準備としては、もっとやることがあるんじゃないか?」と
何度も思いました。

 岡潔ドストエフスキーに「鼓舞」されるって言っていたけど、それもドストエフスキーがあるものに辿り着くために困難の中を掻き分けるようにして進んだり、セザンヌが体を木にくくりつけて描いたみたいに、「こんなことして、誰が分かるんだよ」ってことまでしたからこそ分かる人がいる。そういう「誰がわかるんだ」ってことまでしないと、やっぱり伝わらないんだよ。(中略)

 書く人、つくる人が、困難を掻き分けるようにして進んでいく、試行錯誤する。できたものにその試行錯誤はそのままは出てこないけど、読者はその試行錯誤までわかる。(保坂和志「考える練習」2013年,大和書房)

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