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#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

ラブレターの書き方

一昨年くらいからISIS編集学校という通信教育みたいなものを
やってるんですけど

やってたら面白くなって、やり続けるうちに「師範代」という
今度は編集学校のコーチみたいなことができることになりました。(予定)
わーい。
このまま順調にいくと、自分で「教室」をもって
10人くらいの方に編集に関する「指南」をさせていただくことに
なりそうです。

いま「守」コースに申し込むと(2015年8月現在)
わたしの教室に入れるかもしれません。(笑)
(入る人も、わたしも、選べないんですけどね。)es.isis.ne.jp

恋人同士のような指南を

「師範代」になるには、最低でも1年くらいは編集学校のコースを
受講する必要があるのです。
コースの後半はけっこう大変だったんですけど
(睡眠時間は削られた)
それでも締切が迫ればいつも、えい・やあっと課題を仕上げて。
仕上げたらいつもまあまあ褒められて
師範代養成のコースまで終えたのですが。

その師範代養成のコースの最後に、師範から言われたことに
ガーンとなりまして。

(師範からのメッセージ)
yoshimiさんは、てきぱきとしっかり進める力がありますから、
今後は、深く味わう指南に挑戦してみましょう。

テキパキさが軽く見られては、もったいないですね。
ジーンと味わう指南は、言葉を大切に、回答の裏側に入ります。

友達同士のようなフレンドリー的な指南から、言葉一つ一つを大切にする
恋人同士のような愛情たっぷりの指南へ、ステップアップする時期です。

ガーン


そうなんですよね~~~
わたし、学生時代から、そんなに努力しなくても
一通り説明を聞けば、勉強でも仕事でも
たいていは60~70点くらいは取れるタイプなんですよね~。

だから、まあ、苦手でもぎりぎり合格点は取れるし
好きなことや得意なことはちょっと頑張れば80点~90点は取れるから
なんでもひょいひょいっとやってきたんスよね~。


でも、120点とか、200点とかを取ることはできない。
0点も20点も無いかわりに、
誰よりも抜きん出たことをするとか、
誰も思いつかないような画期的なことや、
粘り強く本質に切り込んでいくようなことはできない。
歯を食いしばって、
0点や20点の悔しさを乗り越えるような経験もしていない。

なんだか、たった7週間の養成コースの間に
自分の人生の甘ちゃんぶりを見透かされたようで
恥ずかしくなった。
没頭すること、一生懸命やることから逃げ続けて
だだくさ※に生きてきたなあと思った。

※だだくさ…岐阜弁で「いい加減な、粗雑な」という意味

「うまい文章」とはなにか


もともと編集学校に入ったのは、
「文章がうまくなりたかったから」なんですけど
編集学校をやればやるほど、
「文章のうまさ」とは、修辞のテクニックなどでは
全く、ない
ということが分かりました。

じゃあ、何なんだっていうと
情報と向き合っていく力、
特に、すさまじい量の情報の媒介者でもある「人」との向き合い方の問題なんじゃないかと。

あらゆる情報や人、つまり「世界」と向き合っていくこと
向き合う、ということをブレイクダウンすると
人や、世界を「受容」して、そのうえで「評価」して
ポジティブ※※な「問い」を作っていくこと。
それがいまの自分に足りないことであり、
めざす美しい文章に必要な要素なんじゃないか、
と、思ったのです。

※※…「生ぬるい」という意味ではない。

「書く力」とはなにか

yoshimi-deluxe.hatenablog.com


ひとつ前のエントリー↑で、『わからないことを
わかりやすく言い換えたり噛み砕いたりする前に、
「わからないまま、そのまま読む」っていうことって大事だな~』って書いたら
友人から「わからないことをそのまま読むのは、読む力である」って
ある児童文学の研究者が言っていたっていう話を聞きました。

彼女によれば、
『昔ながらのファンタジーは超読みづらい。
 時代や国が違うと理解できないことがある。
 そこにこだわってしまうと読むのが疲れて、読めなくなる。

 そのまま読みすすめていけるのは、読む力がある子』

と、その児童文学の人は言っているそうで。

これを聞いて『読む力』というのは「他人をそのまま受け入れる力」
なんじゃないかなと思ったんです。

と、同時に「じゃあ『書く力』ってどんな力なんだろう?」と
思ったのです。

ずっと考えていて、自分にとって「書く力」は

「自分を世界に投げ出す力」

じゃないかなと思いました。

世界に投げ出す、というと乱暴な感じがするけれど
他人を信じて、読んでくれる人を信じて、そのままの自分をその中に
委ねていくこと。

そのままの自分、と言っても、
いきなり全裸で人前に現れたらビックリされてしまうように、
なんでも自分をさらけ出せばいいというものでもなく、
かといってごてごてと着飾っても見苦しい。

押しつけがましくなく、かつ、きちんと自分の思いは文章に乗せる。
しかし、時には押しつけるような勢いや力も大切にする。
できるだけ、読む人が受け取りやすいように丁寧に推敲するが
実際に受け取るかどうかは、読む人に任せる。
そういう覚悟を持つこととと、それを実現するスキルがあることが
「書く力」なのではないかと思う。
ブログでも、どんなに丁寧に書いても、壮大にスベることはあるもので、
それをおそれず、くさらず、決して読者のせいにせず書くことが
書く力、なんじゃないかと思う。

自分をさらけ出した結果、世界からは自分が否定されるように感じるかもしれないけれど、
自分は、「世界を信じて」そこに自分を投げ出していく。
世界を受容し、評価し、ポジティブな問いを投げかけていく。

だとしたら、やっぱりわたしの文章に足りないのはレトリックじゃなくて
(レトリックも足りないが)
「世界を受容する」ということが、出来ていないことなんじゃないか、
と思ったのです。

ラブレターの書き方

で、冒頭の編集学校の話に戻るんですけど、
わたしは子どもの頃から「絶対になりたくない職業」というのが1つだけあって
それは「学校の先生」なんです。

いろいろ理由はあるんですが
「偉そうに物事を教える」というのがバカバカしくて
やってらんないというのが一番の理由です。
(世界中の先生のみなさん、ごめんなさい
 受容ができておらず、申し訳ございません)

でも、「知識のあるものが知識のないものに知識を授けてやる」っていう
教育の在り方というか、関係の在り方にしっくりこないものがあり、
正直に言うと、たいへん軽蔑していて(…なんかごめんなさい)
とにかく嫌なんですけど、(笑)

編集学校の師範代にやることは、知識や福音を伝えるようなことではなく
教室に来てくれる人達と「受容・評価・問い」を「交換し合う」ような
場を作っていくことだと思ったので
修行のためにやることにしました。

何よりも、ずっと人と濃い関係を築くことに怯えて
逃げ続けてきたという自覚があるので
まずは「オンラインでのコミュニケーション」という
自分が得意で、好きなツールを使いながら
「言葉を大切に、愛情たっぷりの指南へ、ステップアップする」
という経験をしてみたいと思う。


■□■関連記事■□□

「書く力」=「自分を世界に投げ出す」は、この時
出版社の人から言われたことから着想しましたyoshimi-deluxe.hatenablog.com


編集学校のコーチ養成講座「花伝所」に入った時の記事
この時はあまり何も考えてなかったけど
ちゃんと「自分と世界との関係」に言及していておどろいたyoshimi-deluxe.hatenablog.com

(おまけ)壮大に滑った記事
頑張って図も作ったりしたんだけど、全くウケなかったyoshimi-deluxe.hatenablog.com


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