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#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

フェミニズムはどこへ行ったの---Where Did Our FEMINISM Go

今年から担当させていただいている、
「起業支援ネット」さんの会報誌「aile」の最新号が
今月初めに発行されました。

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今回は「子ども・子育て特集」ということで
名古屋市北区の「子育て支援NPOまめっこ」代表の丸山政子さん、
名古屋市南区の「こどもNPO」事務局長の青野桐子さんに
インタビューをさせていただきました。

今回のインタビューを通して、また
福祉の勉強を多少してきて思ったことは
子どもや子育ての支援って、まだまだこれからの部分の方が多いんだなあということです。
障害者福祉や、高齢者福祉の分野も、まだまだ蓄積としては浅いかもしれないけれど
数十年くらいの、当事者やご家族などによる試行錯誤と運動と研究の積み重ねがあって
後発性の利益、っていうとちょっと違うかもしれないけど
そういう土台の上に、よりよいケア、よりよい仕組みづくりが
なされてきていると思う。
介護保険とか、障害者総合支援法とか、すくなくともサービスの給付に関する
法律もできている。

でも、子どもや子育ての分野に関しては
まだまだこれから。
それは、これまでさんざん言われながらも「子育て」が家庭の中だけのもの、
母親だけのもの、ではない、とされて
やっと社会化されたというか、社会保障として、社会的サービスとして
引き受けていきましょうとなったばかりなんだなあと。。。
だから、まだ、夜明け前というか、みんながまだもやもやと見えない状態で
かつ、お金もない中で、
どう仕組みを作っていくかという試行錯誤の段階なんだなあと思いました。

フェミニズムはどこへ行ったの

先日、知人がブログにフェミニズムについて書いたら友達から

「○○ちゃんどうしたの?
 これからは、フェミニズムの活動をするの?」

と言われた、と聞いた。

わたしは10代の時に上野千鶴子さんの本を読んだりして
フェミニズムの考え方、具体的には性別とか生まれたところや
皮膚や目の色で、いったいこの僕の何がわかるというのだろう
いや、わかんねーよ
一人ひとりそれぞれだよ、決めつけんなよ
自由に生きるよ
みたいなところにひかれて、それ以来心にじっとり
フェミの思想がしみわたっているんだけど

他の人にとっては、フェミニズム
「わざわざ活動するもの」なのか、とあらためて思い知らされた。
自分にとってフェミニズムは、
息を吸ったら吐くようなものであり、
毎日お風呂に入ったり歯を磨いたりすることくらい
日常に沁みついたものなのに。



取材に行ったとき、丸山さんの転機も
「女性学」を学んだことだと言っていた。
丸山さんは、その時の喜びを生き生きと語ってくれた。
自分がモヤモヤと抱えていたことは、自分個人の問題ではなく
社会の問題なんだとわかったこと。
こうしなければいけない、という思い込みから解き放たれて
自分の人生の一歩を踏み出したこと。
(この辺りは「aile」で久野さんがとっても素敵に美しく
まとめていただいているので、ぜひ読んでください)

少女のように屈託なくお話しされる丸山さんを見て、
ああ、自分も10代の頃、フェミニズムの思想にどんなに励まされたことか、
ひとりぼっちだけどひとりじゃないと力づけられたか、と思い出した。


丸山さんはわたしの親と同じくらいの世代だけど、
この世代で市民活動、NPOをはじめた人は
フェミニズムの影響を大きく受けているように思う。
そして、海外の市民活動の現状を視察して刺激を受けて
バブルの後の荒野を、バブルと高度経済成長を知る人の勢いで(笑)
パワフルに開拓していったというイメージがある。


だけど、なぜか、わたしと同じくらいの世代は
フェミニズムにポジティブにコミットしている人は
ソーシャルセクターでもあんまりいない。
いるかもしんないけど、「自分はフェミだ」と公言すると
めんどくせー奴だと思われそうで言えない。(笑)
わたしだけ???(笑)

…それはともかく、わたしたちの世代(わたしは1979年生まれです)の
女性たち(と男性たち)は
海外だ、社会だ、というよりは
どっちかというと自己啓発とか心理学とか
内側に向かっていくようなベクトルのがメジャーな気がしている。

それは、「個を大切にする」という傾向であって
いいな~と思う反面、
わたしは、オールドスクールの人間なので、
鏡ばかり見ていて、何かから目をそらしているんじゃないか
っていう、穿った見方もしてしまう。
あっ、フェミ云々じゃなくてこういう発言が
めんどくさいのか!(笑)

正しさよりも共感を、スピードよりも試行錯誤を


きのう(9月14日)国会前に行った友人がFacebook
こんなことを書いていた。
(友人は、ずっと労働組合の活動をしてきた人だ)

政治の文脈が大きく変わったことを見せ付けられた。「正しさ」から「共感」へ。頭の古い人間はこの新しさについていけないだろうと思う。彼らが路上で作り上げた新しい民主主義は、正しいと上から言われたことに黙って従うものではなく、みんなで「それいいな」と思えることを作り上げていくプロセスなのだろう。それが今後どうなるのかは、まだわからないけど、今の若者の感覚に寄り添ったものではあるなと思う。

そっかー、これまでのフェミの議論や主張って
「正しさ」を押し付けてるみたいに思われてたから
疎ましがられてたんかなあと思った。
フェミが嫌われた原因が、その「内容」なのか「運動の方法」なのかは
今のわたしでは何とも言い切れないんだけど
彼の「正しさよりも共感」という言葉は胸に刺さった。

最近のNPO、わたしたちの世代の市民活動は
「正しさ」よりも「共感」がベースだと言われると確かにしっくりくる。
SNS、クラウドファンディング、デモ
たくさんの人を引き付けているものは、たいがい「共感」でつながっているように感じる。

丸山さんやわたしの親の世代も「共感」でつながっていたんだろうけど
その「共感」の仕方、集め方、つながり方は変化してきているのかな。


今回取材した青野さんは、わたしよりもちょっとだけ先輩の方で、
いわゆる、ふつうの小学校や中学校では個性や能力を発揮しづらいこともある
子どもたちのためのフリー・スクールを始めたというお話をしてくれた。
決められた時間割はなく、子どもたち自身が話し合ってプログラムを決める。
山や野原や、公園にあるものを工夫して学ぶ、遊ぶ。
そういうオルタナティブスクールの取り組みをはじめたそうだ。

でも、青野さんのお話の中で一番、わたしの心がきゅうっとしたのは

『だけど、公教育よりも必ず、
 わたしたちのやり方のほうが正しい と思っているわけではない』

というところだった。

それは、青野さん自身も、まだ活動のやり方を模索しているという意味でもあるし、
これ以外にも、子どもにとってよい環境、よい教育も
たくさんあるのではないかという気持ちのあらわれなのかなあと思った。
これだ、と決めてゴールまで全速力というのもかっこいいけれど
揺らぎながら、迷いながら、考え直しながら丁寧に進んでいくことも
誠実で美しいと感じた。

子どもが育つこと、子どもを育てることも同じではないかと思った。
正しさを教え込むよりも、誰かに共感できる気持ちをはぐくむこと、
パワフルに突き進む力と、
じっくりと迷い、たっぷりと落ち込み、丁寧にぐずぐずすることの
両方を大切にすること。

その経験は、同時に子どもに寄り添う大人を同時に育てることでもあり
市民(シチズンシップ)や、市民活動を育てることでもあるのではないか。
そういった意味でも、子どもや子育ては
やっぱり子どもや、母親だけのものにしておいては
もったいないように思った。


■□■ Oshirasse ■□■
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女の子よ銃を取れ

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