#レコーディングダイエット

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ディスコ高齢社会---「SCHOOL NITE」に行ってきた【前編】

わたし(36歳)の彼は9歳年上(45歳)なんですが

高校生の時からディスコに遊びに行ってた
らしいんですよ。
 
彼の青春時代はバブル華やかなりし頃で
その頃のディスコは凄かった、とよく聞いて
おったのですが、中でも凄かったのが
名古屋市 栄の住吉町らへんにあった
「SCHOOL」というディスコらしく、よく
その話を聞いてたんです。
 
で、最近当時のSCHOOLを知る大人の人たちが
「SCHOOL NITE」っていう、当時かかってた
曲なんかで盛り上がるパーティを
これまた新栄の老舗クラブ「Buddha」で
月に一回くらい?やってるらしいと聞き
彼の友人(45歳)と三人で行ってみることにしました。
 
で、ブッダに行く前にちょっと飲みながら
45歳二人にSCHOOLや当時のディスコについて
聞いた話を書いておきます。
 

焼き鳥むさし|店舗紹介(新栄店)

ちなみに飲んでいたお店はこちら 「かわ 30円」とかでら安かった

 

暴走族とパンクスの喧嘩があった

当時の人は喧嘩っ早かったらしく
よくディスコで喧嘩があったそうです。
わたし(36歳)も高校時代からクラブに
行ってますが、そんな大事になるような
喧嘩は見たことがありません。
(オラオラした感じのとこや
それこそ大箱の「ディスコ」では
近年でもあるのかもしれないけど…)
でもそんな頻繁に、しかも警察が来る
ような喧嘩とかあんまないと思うんですよ。
(クラブに警察が来るとしたら別の理由を
思い浮かべますよね)
 
でも当時はよく喧嘩やら暴力沙汰があったらしく、
SCHOOL閉店の一因もそういうことだったみたいです。
中でも「暴走族とパンクスの喧嘩があった」
と聞いた時は、頭に画が浮かんで
思わず吹き出してしまったのですが、
すかさず45歳二人から
「いや、本当にあったんだって!」
真顔で強く言われたので、
本当によくあったのでしょう。
 
ていうか今わたしがイメージする暴走族とか
パンクスとは、どっちも違う感じの
人たちなんかな?とか
そもそも今のクラブでもディスコでも、
「暴走族とパンクスが同じフロアで
  遊んでいる」なんていう状況は皆無なので
SCHOOLでは何が起こっていたんだろう、とか
たったの10年くらいでこんなに遊び方が変わる
もんなのか、と思った。
 

ジーンズでは入店できない

当時のディスコのドレスコードでは
ジーンズはNGだったらしく、
「当店にふさわしい服装ではないので」という
理由で入店を断られたりしたらしい。
みんなスーツ(イタリア製)とか
「DCブランド」の服だったんだって。
スーツですよスーツ。仕事じゃないのにスーツ
着るとか今なら相当の覚悟ですよ。
「俺(ケミカルウォッシュのジーンズ)は
入れてもらえなかったのに、後から来た
『英字新聞がプリントしてあるシャツ』の奴が
入れたのがムカついた」という話は笑った。
 
ディスコに限らず、ジーンズやスニーカーが
おしゃれ着でもアリってなったのって、
実は90年代からですもんね。(たぶん)
ディスコの80年代は着飾っていくところ、
クラブの90年代は「ドレス・ダウン」の文化
なんですよね~。
 
つーか断る理由が「当店にふさわしくない」
っていうのがすごい。今じゃ考えられない
エベレスト級の上から目線ぶりですよ。
普通にカッコつけることが
普通にカッコよかった時代なんだなあと。
 
45歳いわく、「今みたいにユニクロで適当に
買った服で友達と会う」みたいなことは
決してあり得なかったらしく、遊ぶ時は
目一杯おしゃれするのが当然だったらしい。
そういう「おしゃれウォーズで負けられない」
みたいな雰囲気とか、
俺はパンク、俺はモードみたいな仲間意識の
強さが、喧嘩する原因になってたんじゃないか
という話を聞いた。
 
思い返すと、自分も子どもの頃は今より
ディスコじゃなくても近所でもお店行っても
何やら怒鳴ったり喧嘩したりしてる人を
今よりよく見かけたような気がする。
あたしだけ???
当時はそんくらい、パワーがあり余ってた人が
多かったんだろうけど、わたしは
喧嘩が少なくなって日本が平和になって
よかったなーと思った。
(喧嘩しない分、鬱屈したものを抱えているの
かもしれないけれど、それでも平和がいいや)
 
 

そこしか無かった

「昔は携帯電話もSNSも無かったから、

友達に会おうと思ったらもう遊びに出るしか

なかったんだよね、そこでしか会えない友達が

たくさんいて」といった、いかにも

おっさん(45歳)くさい話になっちゃったな~

とか思ってたんだけど、確かにそんな状況なら

モチベーション上がるよなあとも思う。

 

もうね、ディスコにぎゅうぎゅうに人が

いたんだって。満員電車みたいに、毎回足を

踏まれてたんだって。

 

 

「DJなんて誰でもよかった」

かかる曲は毎回だいたい同じで、でも毎回

ものすごく盛り上がっていたらしい。

今のクラブだと、曲と曲のつなぎ目がどこに

あるか分からないくらいスムースにつないで

いくことが評価されたりするんだけど、当時は

かかる曲のジャンルもバラバラで、まして

「つなぎ」なんてどうでもよかったらしい。

当然、誰がDJしてるかなんて

気にしたこともなかったらしい。

 

最近は大箱でも芸能人DJを呼んでるようだし

音楽が好きな人が集まる(あまりナンパとか

がない)クラブなんて、今はほぼ100%

「誰がDJをしているか」で集客が決まるような

ところがあるから、その意味では

「クラブ」というよりは「DJのライブ」とか

「DJショウを見にいくところ」みたいに

なってるところもあるのかなと思う。

 

「最初は何が起こっているのかわからなくて

目が点になるんだけど、そのうちこの人たち

みたいに自分も激しく暴れて楽しまなきゃ損、

って思って遊んでいるうちに、本当に

めちゃくちゃ楽しくなってくるんだよ」って

いう言葉の意味はよく分からなかったけど、

とにかく心に残った。

「だから、あの頃を知らずに今、クラブで

遊んでいる子たちは、何が楽しいんだろう?

って思うことがあるよね」

という45歳のつぶやきを聞きながら、

わたし(36歳)は、まだ、とはいえ

当時はこういう曲がかかってたんでしょ?
とか思いながら↓、焼き鳥屋をあとにして
ブッダのスクールナイトへ向かったのでした。