読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

今まで生きてきて一番困ったこと

いつもお世話になっている寺子屋塾の井上さんが
ヒビノケイコさんのブログを引き合いに出して

わたしもインタビューするときは、「その人の寄って立つ基盤は何なのか?」「大切にしている軸はどこにあるのか?」を意識しながら聞くようにしています。とくに、姿勢の3に関わる「今まで生きてきて、いちばん困ったことは何でしたか?それをどんなふうに受けとめ、どのように乗り越えてきましたか?」と問うことは、その人の核心に迫れることが多いですね

と、書かれていたのを見て、
はて?わたしが今まで生きてきて、
一番困ったことって何だったんだろう?
どうやって乗り越えてきたんだろう?
と、考えてみました。

ちなみに引き合いに出されていたヒビノさんのブログはこちら↓

hibinokeiko.blog.jp

ちなみに井上淳之典(あきのすけ)さんは、寺子屋塾という塾なんだけど
塾じゃないみたいな、変わった塾をやっている
ふしぎですごい人です。
何がすごいって、なんかあきのすけさんにお会いすると
特にあーせいこーせいとか言われるわけでもないのに
異常に勉強したくなるというか、学習意欲が湧くという。。。

ちなみにあきのすけさんのブログはこちらです。

ouraimono.terakoyapro.net

 

母が亡くなった時のこと

今まで生きてきて一番困ったこと、って
最初は特に思いつかなかったんです。
その時は困ったかもしんないけど、通り過ぎたら
忘れてしまったり、まーいい経験になったなあと思ったり。


でも、一つだけ通り過ぎれないでいるなあと
思うことがあったんです。
それは、母が亡くなった時のことです。


わたしが20代の前半頃から、母が体調を崩しだしまして
普段はどうもないんですけど、急に倒れたりしはじめたんですね。
いろいろ検査するんだけど、コレ、という原因はわからなくて
とりあえず脳に見つかった腫瘍をとる手術もしたんですけど
それが根本的な原因だったかどうかもわからない…という
状態だったんです。

もともとわたしとは性格が正反対で、
まじめで、いろいろなことを気に病むタイプだったんです。
このような娘がいるものですから、それはそれは
気に病んでいたと思います。


もともと母はどっちかというとけっこうコンサバな人で
小さいころは仲良しだったんですけど、わたしが高校くらいで
夜遊びを覚えたりした頃から関係がギクシャクしだしまして。

母は私には、高校出たら家事手伝いでもいいから慎ましく
普通に暮らして、公務員とか安定した職業の人のところに
嫁いで子ども2人くらい産んで、家に花を飾って暮らしてくれたら
いいと思っていたと思うんです。
つまりは、母と同じような暮らしをしてくれたらいいと
思ってたんでしょうね。
それだけ母は、父と結婚して、わたしたち子どもと暮らす生活が
幸せだったんでしょう。(と、今は思う)


けど、わたしは小学生時代からの、気合の入った
健康優良不良フェミニズム少女なので
結婚なんてFxxKだと思っていたし、一刻も早くお金を貯めて
家を出て、親に養ってもらわなくてもいい生活、
「誰の稼ぎで食ってると思ってるんだ」って言われないような
っていうか、自分が思わないような暮らしをすることが
人生の第一目標だったんですよ。
(27歳の時にそれが達成され、しばし生きる目標を失って
 抜け殻のようになりました)


だから、小さい頃はそうでもなかったんですけど
もの心ついてからはなんか険悪でしたね。
逆に、小さい頃あんなに嫌だった父の方が
遊び人なので、多少分かり合える(許し合える)ように
なったというか…。

いちど母と言い争いになった時、父に

「お前は(働いている女の方が偉いとか思って)
 お母さんみたいな生き方を馬鹿にしとるやろう」

と言われたことがあったんだけど
当時の自分としては、お母さんの方こそわたしの生き方を
認める気がないんじゃん、と思っていたことを
思い出した。
(泣けてきた)


そんな中、いろいろあってわたしは実家を出て
結果として名古屋に住み始めたんだけど
名古屋の会社に転職して半年後くらいに、母が倒れたと
父から連絡があったんです。

今までも急にフラっと倒れることはあったんだけど
いつもその時友達とか、近所の人がいて
すぐ病院に連れて行ってくれてたんだけど

その時は家に一人でいる時に倒れて
お父さんが仕事から帰ってくるまで誰にも見つけられず
倒れたままだったらしい。

わたしが名古屋から実家近くの病院に行ったときには
意識のない母が人工呼吸器をつけて寝ている状態でした。


で、病院の先生から家族に説明があって、
明日手術をするけれど、どうなるか分からない。
助かったとしても、必ず何らかの大きな障害が残るでしょう
ということだった。


もう、あまりその時のことを覚えていないんだけど
その時自分が思ったことだけは覚えているんです。
お母さんには生きていてほしいけれど、
寝たきりになったり、障害が残ったらどうしよう。
転職したばかりで、仕事も面白くなってきたばかりなのに、
そうなったらまた仕事を辞めて実家に
戻らなければならないのだろうか?
その時、わたしの生活はどうなるんだろうか?
お金は?仕事は?何を楽しみにしていけばいいの?とか。
母が死にそうなのに、そういうことを思った。

翌日、母は大きな手術をしてもらったけれど
病院の先生からは、もう意識が戻ることは
なさそうだと告げられた。
そして、このまま延命治療を続けることもできるし
続けないこともできるが、どうするかと聞かれた。

父は「お母さんも、このまま管だらけの身体で
痛い思いをしたいとは思っていないだろう」と
わたしや弟に言っているのか、自分に言っているのか
分からないような感じで言って、
病院の先生にも同じことを言っていた。

もしも父がいなくて、自分が判断しなければいけない
立場だったら、判断できていたかどうかわからない。
翌朝、母の呼吸がゆっくり大きくなって、その後
亡くなった。


母は急に亡くなったので、結局わたしと母は
ギクシャクしたまま一生会うことがなくなった。
ひとり暮らしを始めてからは、ほとんど実家にも
帰っていなかった。
そもそも生前もほぼ話さない期間が続いていたので、
亡くなってからも、ほとんどわたしの生活は変わらす
母がもういないという実感が持てずにいた。
もしかしたら、もう自分にとっては、すでに
居てもいなくてもいい存在になっていたんじゃないか、
と思うと
亡くなる前々日に病院で「母に障害が残ったら」と
咄嗟に思ってしまったときと同じような
気分になるのだった。

そして、今でも。

ずっと自分はこのことを困ったままで
「どう乗り越えたか」というよりも
激しい感情が薄れているというだけで、
乗り越えられずに、それをどうしていいかわからないままでいる。
それはずっと母に復讐されているようでもあり
これからも母を忘れないでいるための
愛のようにも思う。