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#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

いま生きているということ

お仕事 福祉 社会

3月末で前のお仕事を辞めまして
4月からは週に3日くらい、ある医院のお手伝いを
させていただいています。
先生が訪問診療に行く時のちょっとしたお手伝いなのですが
訪問診療ということは、何らかの理由で
家から出て病院まで行くことが出来ない方ばかりということで
高齢者の方で言えば、介護度はバリバリ4から5
排せつや食事を自分ですることはほとんどできないどころか
立ち上がることも立っていることもほぼできない
だいたい寝たきり、だいたい認知症
胃瘻(胃ろう・初めて見た)や経管栄養の方も珍しくない
みたいな感じでビックリした。


一日をほとんど寝た姿勢のままで過ごし
ヘルパーさんや看護師さんが食事やら体位交換やら
排泄やらを手伝ってくれている。
話すことも口から食べることもほぼできず
外出もほとんどしていない。
おむつが濡れたとき、口の中が乾くとき、
身体のあちこちが痛む時、
そして今自分が思っていることが伝えられない時の気持ちは、
どのようなものだろうか。

訪問診療に行く前は、食べることも話すことも
動くこともできないでいる状態でずっといるということは
どういうことなんだろうと思っていた。
正直に言うと、そこまでして生きていなければいけないんだろうか
とも思っていた。



それでも、先生が診察のために
「こんにちはー!」と言いながらその人の部屋に入っていくと
ニカーッと、うれしそうな顔をされる方がいるんですよね。

その顔を見たら、
こうして、人に会えることがうれしいと思う感情がある、
会うと嬉しいと思える人がいる、
それだけでもう、いいんじゃないかなと感じたんです。
食べられなくても、話せなくても、動けなくても、
そう感じられる心があるというだけで
生きているという感じがすごくする。

逆に、いまわたしは
食べられて、動けて、話せて、ブログを書いたり読んだりできて
働けているという、たったそれだけのことで
なんでこっちのほうがよりよく生きているとか
そんな偉そうなことが言えるんだろうと思った。
生きているということは不思議なことだ。


動けなくても幸せなんだからそれでいいじゃん、と
いまの寝たきり状態の高齢者の人のQOLを上げることを
諦めてしまうことも違うと思うし
(同時に、今のような医療・介護スタッフの体制では
 現状維持が精いっぱいなんだろうなあとも思いつつ)
なんでもかんでも動けるようにする!食べられるように回復する!
というのもどうかなと思うし
ましてや食べれて動けて働ける人だけがエライとも思わないし
かつ、
自分の意志で、食べられなくなったらそれ以上の積極的な治療を
選ばないということも、誰からも全く責められることではないと思う。
どんな選択も、どんな生き方も、どんな有りようも
それがその人自身が求めて選んだものであるのであれば
どれも等価であるはずなのだと思う。


そうであるはずなのに
今のわたしの力はあまりにも小さい。
そのために自分が出来ることは何なのだろうと思う。

                              • -

4月12日(火)の食事

朝昼兼用
もやしとウインナーのたまご炒め、小松菜の胡麻和え、豆乳ヨーグルト、お茶



キャベツと人参と厚揚げのピリ辛炒め、餃子、冷ややっこ(みょうがと大葉をのっけました)、ビール


おやつ
コーヒー、はと麦とレモングラスのお茶無印良品で売っている。味は微妙)


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