#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

近くの地域より遠くても居場所、私の魂は二次元のみには生きない

note.mu

Facebookでお友達になっていただいている方が
紹介されていた記事です。

上の記事から引用しますね。

例えば、子どもの居場所について考えてみましょう。
小学校のすぐ横に児童館とか、子どもの居場所スペースみたいなのができたとします。その学校の子どもたちは、みんなそこに行くわけです。
学校でうまくいっていて、学校に居場所がある子は、そこにも居場所があります。でも、学校でうまくいっていない子は、そこにも居場所はみつけにくいでしょう。
なぜなら、「学校での人間関係」がそのまま持ち込まれてしまうからです。

どんなに配慮しても場は人を選ぶし、人も場を選ぶ。
万能は場は存在しないし、万能な人もいない。
居場所づくりについて考えるとき、これが大前提です。
場が人を選び人が場を選ぶ関係性のなかで、だれかの「居場所」ができます。
逆説的なようですが、「その場に来られない人」がいるから、そこがだれかの居場所になり得るという側面があるのです。

間口や対象者が比較的広い居場所があり、狭く限定的な居場所がある。
それらが各々存在して、そのときの自分にとって必要な居場所を選べるなら、そこにはまったく別の可能性が広がります。
かけこみ寺のようにして飛び込む居場所もあれば、自分が創造のプロセスに参加して初めて得られる居場所もあるでしょう。


実は!この方とほぼ同じことを!
ワタクシは居場所運営に携わったことなんか一回もないのに
「居場所づくり」という言葉から受けるモヤモヤする実感だけをもって
書いた事があるんですよ!
それがこの!6000PVくらいあった記事でございます。
(なんでこんなに読まれたのか正直自分ではよく分からない)
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

以下、わたしのブログからの引用です。
ここはちょっといいこと書いとるなと思ったので。。。

「物語をつくること」は、
「誰かを排除する」ことなんだろうか。
「誰も排除しない」ということと、
「物語をつくること」は、相反するものなんだろうか。

ひとつの居場所、ひとつのイベント、ひとつの施設だけで
「誰もが」を実現することは、難しいと思う。


ポートランドがだめなんじゃなくて「ポートランドしかない」という状態だと
排除が生まれてしまうんじゃないだろうか。
ポートランド」も「熱血」も「ハードコア・ヴィーガン」もいろいろあって
好きな物語を選んだり、
気分によって物語から物語へと乗り換えていけることこそが
本当に、「排除しない・されない」ということじゃないかなと思った。

そういえば最近、あんまりポートランドって聞かなくなったな…
ということはさておき、
ねっ。冒頭に紹介したnoteと
ほとんど一緒のことをなぜか書いてるでしょ。(自慢。うれしい…noteの人には悪いけど…)


そんでですね、過去の栄光にすがった自慢ばっかりしたくて
これを書いたわけではなくてですね。

あのね、地域包括ケアシステムの図ってあるじゃないですか。
こういうやつ。↓

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これだと、ヒトをぐるっといろんな支援機関が取り囲んで
サポートしますよ!っていう図になってるんだけど
いつもこの図を見るとモヤっとしていたんですよ。
だってあたしちょっとボケたり癌になって動けなくなったり
メンタルヘルスに不調をきたして日常生活が不自由になったくらいで
医療関係者と福祉関係者と役所と家族だけにガードされて
暮らすのはイヤなんだもん!!!

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例えば要介護認定されたおじいちゃんだって
野球見たり村上春樹読んだり松山千春聞いたりすることが
心身の支えになってるのって当然だと思うんです。
おじいちゃんの居場所は必ずしも「地域」になくても
いいんじゃないかって思うんです。
松山千春のコンサートには
身体がしんどくて行けないかもしれないけど
じいさんの心はきっとコンサート会場にあると思うんです。
必ずしも地域のサロンでお茶を飲まなくても
ひとり自室にこもってCDを聞く日々でも
それは精神的には孤立しているわけじゃないと思うんです。


って思うのって
わたしが若くて健康体で、自由にどこにでも行ける身体だから?
何らかの理由でどうにも動けなくなったら
「わたしもやっぱり"地域(地元)"がいい」って
思ったりするのかしら?
少なくとも今の自分には全くそうは思えません…。


わたしは生まれてこのかた自分が住んだ「土地」や「地域」自体に
愛着を持ったことはほぼ無くて
小学校高学年からは「フェミニズム」が
中学時代からはいわゆるサブカル的な本や音楽が
ハイティーンからはデトロイトテクノやクラブ・ミュージックが
自分の「居場所」だと思っていて
物理的な「場所」もなく
直接こういう話ができる友だちもほとんどいなかったけど

「近くにはいないけど
 世界のどこかには自分を受け入れてもらえる場所がある」

と、思えるだけで幸せだった。


医療と福祉と行政に暮らしをサポートしてもらうのは
むしろ必要最低限の生命と暮らしの維持のためのような気がする。
でも人生にはパンだけでなく薔薇が必要なのです。

わたしが「ここではないどこか」に思いをはせられるのは
経済的にも安定して守られた生活があったからに違いないけれど
それでもパンだけの生活であったなら
きっと精神的に持たなかっただろうなと思う。


最近平田オリザさんの「下り坂をそろそろと下る」
という本を読んだんだけど
平田さんはまさに力を失っていく地域にとって
賃金のいい職場があるとかナントカ支援があるとかいう「パン」よりも
楽しく音楽や芸術が楽しめ、思いがけない人との出会いがある
「薔薇」をまちに作っていくことこそが
生存戦略なんだということをド直球で大真面目に言ってるんですね。
まさにわたしもそう思ったもん。
働くところがないから故郷を出たわけじゃなくて、
そこに居てもつまらなかったから住んでいないだけだもん。


生命の維持になくてはならない「パン」を提供することは
社会保障として行政が責任を持ってやることであり
地域とか民間とかは、その自由さを生かして
さまざまな、色とりどりの「薔薇」をたくさん作って
好きなものを選べるようにしていくことがそのつとめなんじゃないかなと思った。
たとえば「子ども食堂」をやりたい人たちは
パンを提供しているように見えて、本当は
薔薇のある生活の豊かさを子ども達と分かち合いたいわけでしょう。
どれだけ心を震わせる文化と接した経験があるか、
どれだけ多様な他者との関りを持った経験があるか、
そのことがその人を支えているーーー世の中ははそう捨てたものばかりではないんだという
「世界への信頼」みたいなものを捨てずに生きていくための資源になっているんだと思う。
わたしには「社会資源」というのは、そういうもののように感じる。

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5月12日(木)

糖質の少ないパン、トマトジュース、コーヒー


手打ちうどん、サラダ、梅のおにぎり
デザートに羊羹、バナナ、オレンジ
コーヒー
知多市市民活動センターのA-da Co-daで)


豚バラともやしを蒸してポン酢をかけたもの
山東菜のおひたし
豆腐と山わさび、ビール

おやつ
紫芋タルト(沖縄のお土産)