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#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

相模原の事件を知った時の動揺を隠さないで伝えてくれたあなたへ

社会 福祉

こんばんは。
昨日は相模原の事件を知った時の動揺を隠さないで伝えてくれてありがとう。朝起きてすぐにこのニュースを知って、わたしも、なんと言っていいか分からない気分の悪い中、出かけました。でも、一日中頭の周りに鉛のように重たい靄がかかっているようで、不安と悲しみと憤りと、そして何よりもそれを言葉にできないつらさと悔しさと、気持ちの悪さを抱えてぼうっと過ごしました。

だから、わたしが社会福祉士の資格取得のための実習を終えて、帰り道でスマホの画面を開いて、あなたがまっすぐに、不安と混乱と怒りを伝えてくれた時、わたしはその言葉の激しさ強さにも関わらず、心底ほっとしたのです。わたしの気分の悪さは、残念ながら、まだまだそのままだけれど(あなたも気持ちが切りかえられなくて苦しいと言ってくれましたね)。でも、同じように苦しく感じている人が身近にいるということを感じて、心を落ち着かせようという気にさせてくれました。

このブログでは、毎日自分が食べたもののことを書いています。昨晩は「こういう日だからこそ、いつもと同じことを書こう」とわたしは考えました。今日も、淡々と、自分が食べたものを書こうと。だって、悔しいじゃないですか。あんな卑劣なことに心を砕かれて、わたしの日常を変えざるをえないなんて。あんなことに負けたくないからこそ、いつもと同じ態度を貫きたかった。そんな卑劣なことに、決してわたし(たち)は屈しないぞということを示したかった。

でも、昨晩はぐったりして結局何も書けませんでした。あんなことのために心を乱したり、あんなことのために時間を使うことは嫌なんだけれど、やっぱり、わたしはあれについて書かなければ、先に進めない。そう思いました。


あなたもよくご存じだと思うけれど、わたしは物事に動じないほうの人間だと思っています。言いづらいですが、大きな地震津波が起こった時も、わたしは自分は他の人よりもずっとずっと「何も感じていない」と思っていました。悲惨なニュースも、それが遠くであれ身近なことであれ、どちらでも、どこか他人事というか、誰かの痛みを自分の痛みとして感じることが少ないタイプだと思います。
なのに、どうしてこの事件だけ、一日中ずっと頭を離れないのだろう、と思っていました。それはそれ、これはこれ、と、どうしても気持ちが切りかえられないのです。

あなたは、わたしのまわりに障害のある人がたくさんいて、これまでの仕事や活動でもたくさんそういう人に会ってきたからだろうと思っているかもしれませんね。障害者と呼ばれている友人や、障害者と呼ばれている人が身内にいる友人がいるからだろうと。たしかに、このニュースを聞いたとき、そうした友人たちの苦しみ、理不尽さはいかほどかということにも思いをはせました。


でも、ひと晩考えて、どうも、そうじゃないとわたしは思ったんです。
この事件は「障害者の問題」なんでしょうか。被害者が障害者だから、加害者が精神障害者である可能性があるから、これは「障害者」の事件なんでしょうか。わたしは、そうではないと思うんです。そして、決してこの事件を「障害者の事件だ=健常者(障害者ではない人)の事件ではない)」という風に片づけさせてしまっては、いけないと強く思っています。

わたしが気分の悪さを感じているのは「××ができないから」「××の役に立たないから」という理由で、誰かを排除することをよしとしたり、やむを得ないこととしたり、正当化したりすることです。
働いていないから、働いていても一人で食っていけるだけの稼ぎがないから。税金を払っていないから。生活保護を受けているから。親に養ってもらっているから。そういうことを理由にして、役に立っていないと言われている人が、残念だけれどたくさんいます。ちなみにわたしは、子どもを産んでいないからという理由でも、「社会の役に立っていない」と言われることもあります。

そしてさらに悲しいことは、働いてなかったり生活保護を受けていたりする上記のような人自身こそが、このような「××ができない人は社会の役に立たないからダメだ」という価値観を内面化していて、「自分ってダメだ」と遠慮して生きてしまっていることが少なくないことです。上記のような人たちは「人の役に立ちたくない」のではなく「人の役に立たなければならない」という規範意識を強く強く持っているがゆえに、自分に厳しくなり、自分が許せず苦しくなっていくのではないかと思っています。あなたの真面目さを見るにつけ、わたしはいつもそう思います。


でも「社会の役に立つ」というのは、どういうことなんでしょうか。労働して税金を払い、誰にも頼らず、家族を養って生きていくことなんでしょうか。もちろん、それもあると思います。でも、それは「社会」の中のほんの一部なのではないでしょうか。人間の生き方も、体つきも、持っている資産も、産まれたところや生活する場所もひとりひとり違います。人の生き方はだってひとりひとり違うのに、「社会との関係はこうあるべき」というものが一つだけ、というのは無理があると思います。

いまの日本では

・「日本人」で
・心身共に「健康」で
・「成人男性並み」に週5日・1日8時間以上くらい働けて
・四大卒で
・正社員で
・スピーディでムラのないコミュニケーションが得意で
・移り変わる情報やテクノロジーをキャッチアップできて
異性愛者で …

みたいな人しか「社会の役に立っている」とは言えない、と言われる状況がどんどん増えてきているように思えるのです。そうで
ない人は役に立っていない、だから社会に居なくてもいい…と…。

でも、上に挙げた条件に合う人は、ほんとうは日本にほんのひと握りしかいないはずなんです。
ほとんど不可能そうな規範に自分を合わせようとしたり、「規範」を作っている側の人間に認められようと媚を売ることは、結局は「規範に合っていない」自分を受けいれられずに、苦しくなっていくだけだと思うのです。
そして、こういうタイプの「自分への厳しさ」は、往々にして他人に向けるまなざしも厳しいものになるのではないでしょうか。


先ほどわたしは、あなたも「自分に厳しい」と書きました。でも、あなたには、自分の不安やおそれを包み隠さずわたしに話してくれる素直さがあります。そして、自分も混乱の中にあるにもかかわらず、同時に、身近にいる障害のある人のことも真っ先に心配する優しさがありますよね。そういう素直さや優しさが、わたしを勇気づけてくれたように、他の多くの人を支えるものであると思います。
でも、あなたは今までに、その繊細さや優しさを、様々に傷つけられたリ、裏切られたりしてきた経験があるので、役に立たないものだとか、弱いものだとか、こんなものを捨てて強くなりたいとよく言っていますね。
そして、そういうあなたの辛さを、わたしなんかには分からないでしょう、ともよく言いますね。確かにそうです。わたしは「日本人」で、女だけど「男並み」に働けるだけの気力と体力に恵まれた「健常者」で、大学を出てから色々な人やコトを蹴落としながら働いてきたヘテロセクシャルです。いまの日本社会において、わたしは強者です。

それでも、わたしはあなたに生きていて欲しいし、一緒に生きていきたいと心から思っています。

あなたやあなたの周りの人に障害があるから、かわいそうだから、弱い人を助けたいから、そう思うのではありません。あなたという人がかけがえのない友人だからです。

役に立つとか、立たないからではありません。あなたが素晴らしいからとか、ろくでもないからということでもありません。誰にでも何かに貢献できることがあり、できないことがあります。素晴らしいところもあり、どうしようもないところもあります。そして社会の「規範」と言われているようなものは、すぐに移り変わるはかないものだと思います。

「日本人でバリバリ働くマッチョなエリートビジネスマン」が激しい競争に明け暮れる裏には、「負けるのが怖い」「ここから落ちるのが怖い」という強烈な不安があるようにも思えます。わたしもそうです。強さ、とか、正しさ、とか、有用性、といったものだって、実はおそれや不安や劣等感に支えられているものなのかもしれません。

あなたにはできないことがある。わたしにはわからないことがある。強いことや正しいこと、役に立つことよりも、弱いことやできないこと、何の役にも立たないことに、わたしはあなたとつながれる契機を見出したいと思っているのです。そのためには、あなたがいてくれないと困るのです。テレビやインターネットでは色々なことを言っている人がいますが、わたしは生きていて欲しいと思っています。

まだ、残念ながら心がすっきりとはしませんが、明日からも、誰からも求められなくてもブログを書き、何の役にも立たなくても好きなものを食べ、若作りだと笑われても好きな服を着て、いい年してバカだと言われてもパーティを楽しむ、そういうふだんのくらしをこそ、大切にしていきたいと思っています。


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