#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

「家がないなら空き家に住めばいいじゃない」ってどうなのよ

自分もモヤモヤしたんでこれについて書くことにしました。

このモヤモヤの原因は何か?

・家が余っている。
・家がなくて困っている人がいる。
・ならば、余っている家に住めばよい。

筋道が立っていて、無駄が無くていいじゃん!と思うんだけど
これは「家が無くて困っている人自身」が、どうしたらいいか考えて
安い空き家を探して住むとか、不動産屋や大家に交渉するとかなら
モヤらないんですよ。

でも、これを政治家とか行政の人が言うのは
なんか違うんじゃないかなって思うんですよ。

安定して暮らせる家に住むとか
介護サービスを使って暮らすとか
何かの仕事をして働くとか
ちゃんとご飯が食べられるとか
そういう環境を整備するのって
国の役割だよね?
社会保障だよね?って思うんですよ。
それを単純に、安いから、手っ取り速いからといって「あまりもの」でなんとかしようとするのってどうなんかなあと思うわけです。余っていようと余っていなかろうとそれは保障されるべきものだと思うんですよね。その見地から検討してみて、たまたま空き家になっているところが利用できそうだとなったらそりゃいいと思うんですけど。

行政の役割と民間の役割

yoshimi-deluxe.hatenablog.com

以前のこの↑記事で
最低限の生命と暮らしの維持(パン)を保障するのは行政の役割で
民間の力は「なくても死なないけど、あると人生が楽しく豊かになる」(薔薇)
っていうところに発揮できるといいんでないか、と書いたんです。
空き家を改造してグループホームにしようとか
余った野菜をもらって子ども食堂しようとか
ボランティアの力で生活支援をしようとか
そういうのって、課題に気づいた市井の人たちが
今すぐ何とかしなきゃと思って緊急避難的にやってきた事でもあると思う。だから、それが上手くいったからと言って、じゃあ他もそれでやりましょ、やってくださいっていうことには慎重になってほしいなーと思う。「やる人」が自主的にやりたくてやるんならいいんだけど、そうじゃなければ「ボランティアをしてください」って命令するようなもので、なんか変だなって思う。

今日は特にオチはありません…

居住の貧困 (岩波新書)

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「ボランティア」の誕生と終焉 ?〈贈与のパラドックス〉の知識社会学?

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