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あいちコミュニティ財団について私が考えたこと

名古屋の(というか、私のまわりの?)ソーシャル/NPO界隈に重い影を落とした、年末からのあいちコミュニティ財団のことで考えたことを書こうと思います。

ことの経緯については、三重県の川北さんという方が詳しくまとめてくださっていたので、ご存知でない方はこちらを読んでください。↓

「三六協定結ばず残業、未払い 愛知の財団に是正勧告」を受けて – 変速アプローチ ~小さなモノゴトの作り方~

Facebookやブログで他のNPOの皆様が想いを綴っているのを見て、僕もたくさん失敗しているし、多くの人に迷惑をかけているし、そこから得たものもあるし、まぁ、下手でも書いてみようかなと思い、書くことにしました。(上記の川北さんのブログより)

私はあいちコミュニティ財団には、設立の時と、財団を通じて「ちた型0~100歳のまちづくり基金」が寄付を募られていた時に寄付をしました。財団のスタッフだった方とも何度かお会いしたり、SNSで交流を持ったこともあります。元・代表理事の木村さんとは、彼が同じく代表を務めていた*1コミュニティ・ユース・バンクmomoで、融資先団体のSROIを測るプロジェクトの際に、ちょっとだけお手伝いをさせていただいたことがります。という関係です。
って書くと関係者っぽいですが、寄付をした以外に、特段財団の活動にコミットしたことはありません。月に一度くらいのペースで届くコミュニティ財団のメールマガジンも「マメだなあ、えらいなあ」と思うものの、ほとんど読んではいませんでした。(ごめんなさい)

ただ…これを書くのに勇気が要ったのですが…財団のスタッフの入れ替わりが激しく、原因が団体内の不調和にあることは、どこからともなく噂に聞いていました。ただ、このような事態となるまでの深刻さとは思っておらず、また、思っていたとしても私の立場からは(また聞きのまた聞きくらいだし)どうすることもできなかったのですが、ひるがえって「強力なリーダーがいる組織ってこうなりがちよねえ」みたいに…ハラスメントを受けていた方には申し訳ないのですが…軽く…思っていたところがあり…かといってどうしようもできなかったんだけど、なんとも言えない心苦しい気持ちに、勝手になっていました。

最初は「直接関係ない立場の私だからこそ、そして今こそ、パワハラ云々の問題は別として、いち寄付者としてコミュニティ財団の今後の事業の在り方を考えるブログを書こう」と思っていました。
でも、全然書けませんでした。なぜかと言うとそれはきれいごとで、私の本心ではなかったからです。
私のモヤモヤの正体は財団の事業云々ではなくて、自分も知っていながら、ハラスメントに遠くから加担していたのではないか、許していたのではないかという罪悪感だったからです。何も言わなかったことを、何も言えなかったと言いかえているだけではないのかと。いや、それこそが思い上がりじゃないのか、いやいや、でもでも…
以下に私は、偉そうなことを書きますが、どれだけ書いても、それはこの自分の罪悪感、うしろめたさを何とかしたくて書くものにすぎないのかもしれません。川北さんみたいにちゃんとしたことは書けないけれど、それでも、私もたくさん失敗しているし、多くの人に迷惑をかけているし、そこから得たものもあるし、まぁ、下手でも書いてみようかなと思い、書くことにしました。

いち寄付者としてコミュニティ財団の今後の事業の在り方を考える

本心ではないと言いながら、やっぱり「いち寄付者としてコミュニティ財団の今後の事業の在り方を考える」ということから始めようと思いました。

それ以外の立場では語れないのと、もうひとつの理由は、木村真樹さんが代表を辞されたからです。他の方からどう見えていたかは分かりませんが、いち寄付者としての私から見ると「あいちコミュニティ財団=木村さん」だったからです。もちろん木村さん以外にも、スタッフの方や理事の方、いろいろな方がコミュニティ財団を支えておられたと思います。でも、基本的にはこれまでは、木村さんのアイデアで、木村さんが戦略を組み立て、木村さんが作ったコネクションを駆使して、木村さんを中心に情報を発信されてこられたと私は思っていました。
だから「木村さんのいないコミュニティ財団って何だろう」と考えることから、私は始めたいと思いました。

ちなみに私自身はどうして設立時に寄付しようと思ったかと振り返ると…(正直あまり覚えていないのですが)特に木村さんと親しかったわけでもなく、たぶん知り合いでもなかった気がするのですが「何か大きなムーブメントになりそうだから乗っておこうかな」とか「もしかしたら、自分が関わっている団体に助成してもらえるかもしれないし」くらいの考えだったと思います。すみません。でも、本当にそれくらいの気持ちで、あまりよく分かっておらず、積極的に分かろうともしていませんでした。*2
ぶっちゃけたくさんのお金を集めていた財団の、ちょっとでもおこぼれにあずかりたいなあみたいな気持ちでいたんです。
申し訳ない。
でも、少なくともソーシャルセクターに関わる者として、心を入れ替える、までは、いきなりはできなくても、「ちょうだい、ちょうだい」ばかりではなく「今の自分に何ができるか」から考えることを始めたい。そして私はライターなのだから、書くことから逃げないでいようと思ったわけです。

財団の事業内容を見てみた

財団は公器なので、代表が変わっても理念や活動は引き継がれるはずなのです。なので、私は年末の報道が出てから財団のホームページを読みに読みました。…途中から「ただいま調整中です」と表示されるページばかりになったけれど…読みながら私は、今初めてあいちコミュニティ財団が「自分ごと」になったな…と感じていました。。。

「地域に必要とされているけれど、サービスの受給者からはお金をもらいづらい」という団体に助成するという点ではほかの助成金と変わらないけれど、申請の段階からアドバイスをしたり、助成が受けられても受けられなくても活動に対してフィードバックをしたり、お金をつけるだけじゃなくてプロボノとかのボランティアスタッフが人的な支援もするというところがユニークだなあ、と私は思いました。

ただ、驚いたのが下記の「情報公開」のページのトップにある「セオリー・オブ・チェンジ2020」です。
aichi-community.jp
画像も貼っておきます。
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2025年に財団の活動フィールドである愛知県がこうなっていたい、という姿をもとに、では2020年の愛知はどうなっているべきか、そのために2017年に財団はどんな取り組みをしていくか、というのをまとめた表です。

この表によると2017年は45の活動・サービスを手掛けるとなっています。説明会や勉強会などのイベントは30回以上開催予定となっています。30回といったら毎月2~3回以上は不特定多数の人を集めるイベントをやるということですよね。私はこの、ぎっしり文字が書かれた表を見て「こんなにやるの!?」「こんなにできるの!?」「こんなにやってたの!?」と普通に思いました。

財団のスタッフはホームページによれば常勤4名、非常勤2名+代表の木村さんだったと思うんですが、これはなかなか大変な業務量ではないでしょうか。回数や量が多いということに加えて、コミュニティ財団がやろうとしていることって、ほとんど前例がない取り組みばかりですよね?手戻り・やり直し・計画の変更がないほうが珍しい、くらいの試行錯誤がある仕事ばかりではないかと私は思いました。さらに、行政・大企業・中小企業・NPO・銀行・大学の先生・宗教団体などなどなどなどものすごく多彩な人と連携した取り組みであり、それは財団の強みでもあるのですが、スケジュール調整とかちょっとした連絡だけでもずいぶん手間がかかると想像します。
スタッフだけでなく、ボランティアスタッフも多く関わっているのでしょうが(「セオリー・オブ・チェンジ2020」によれば2017年で70名以上!のボラを集める目標)、ボランティアが多ければ、そのマネジメントにも工数が必要です。人が相手の仕事だから、コミュニケーションの丁寧さも求められると思うし…。それは、長時間労働にもなってしまうのではないかと思いました。。。

誰が求めたセオリーなのか

そして次に私が疑問に思ったのは「この『セオリー・オブ・チェンジ2020』は、誰がどうやって決めたものなんだろう?」ということです。

2025年や2020年をマイルストーンにしているのは、人口の統計とかを基に愛知県の課題を出して、それに対して何が必要か…って決めていったんだろうと思うんですが、その成立過程に誰がどのように関わっていたのかなと。
ネットで調べてみたら、2016年7月6日(水) に関心がある人を集めて検討会を行ったようですが、短い時間でどれくらいの議論がなされたのかはわからないです。
www.wherevent.com

『セオリー・オブ・チェンジ2020』自体は全方向にわたって大変緻密に作られていてすごい、正しい、何も言うことがない、これができたら確かによい、としか私は言えないのですが、その実現可能性を検討することも必要だったのかもしれません。
愛知県の2025年のために、実現が必ず必要であれば、もっと人的リソースがさけるだけの資金がもっともっと必要だったのかもしれず。

また、これができたら最高なんだけど、本当に本当にこれを全部2017年にやりきるべきなのか、限られた資源の中で。という検討も必要だったのかもしれません。あいちコミュニティ財団は、愛知県のたくさんたくさんの人の思いとお金でできた財団ですが、神ではないわけです。万能ではないわけです、残念ながら。解決しなければならない課題を、あいちコミュニティ財団がすべて背負う必要はないわけで。

寄付者として、そういうことを言えばよかったのかなあ。。。
とても期待もしているけど、なにもかもやって欲しいわけじゃないし、誠実にやってできなかったとしても怒らないし。*3
私は金持ってるわけじゃないけど、そんなにケチな寄付者でもねえんだよ!

あす2018年2月2日には財団の新体制発足説明会があり、私も参加する予定ですが、このあたりのことも今後はあらためて、理事会任せにしたり、スタッフだけに負わせるのではなく考えていけるといいのではないかと思います。

「セオリー・オブ・チェンジ」の強さときびしさ

↑の『セオリー・オブ・チェンジ2020』の一般検討会に参加された水谷衣里さんという方のブログにも、このように書かれていました。

blog.livedoor.jp

TOCの中に指標を設定するのであれば、その際に、その設定の妥当性を『どちら側から』考えるか
→ここでいう『どちら側』とは、「あるべき姿」なのか「できること」なのか、という意味です。

しかし台所事情や組織基盤の足りなさは常に頭をよぎる。そして「真にインパクトある成果」を作るためには一定の時間がかかる。

そのジレンマを認識するということに尽きるのかもしれない。ジレンマはジレンマとして認識(言語化)しておくべきだな、と。

TOC(セオリー・オブ・チェンジ)は近年ソーシャルセクターで活用されている(と言われている)方法で「未来の姿を定め、そこから逆算して自分たちがすべきことを決めていく」というものです。
目先のモンダイにえいっ!えいっ!と対処していくだけで疲弊したり、自分たちが「やりたいこと」と「社会の課題解決」を混同してしまいがちなこともあるソーシャル/NPO界隈において、ロジカルに活動を進めていく手段として「なるほどな~」と私は思いました。

ただ、この「未来から逆算して考える」というのは「現在」を「未来」の手段にするということでもあるわけです。「現在」のほうがリアルで確かなように思ってしまうけどそうではなくて「2020年に人口が減少に転じる」というデータはガッチリしているのに対して、「現在」はスタッフの体調が悪くなったり、寄付者の心はうつろいやすかったり、常に不安定なわけです。そのゆらぎと、ガッチリ定めたセオリーに齟齬が起きるのは当然じゃないでしょうか。


私見ですが、TOCって「地図を手にしているような感じ」なのかなと。自分たちが進んでいるのか遅れているのかが都度、「TOCをもとにして」ならすぐ評価できるからではないかと考えました。
ソーシャル/NPOの団体は、具体的な・目に見えるプロダクトがあるわけではなく、いわゆる受益者から売り上げをもらえないことも多いです。関わる人は無給だったりもらえても低額だったり、友達や親には「なんでそんなことしてんの?」って言われたり、クレジットカードが作れなかったり、感謝されることもあるけど、なんに役に立つの?と言われることもあったりして…とにかく「自分のやってることってなんか意味あんのかな?」って思うことが多々ありまくると思うんです。私はよく思います。
そんな時、目に見えるかたちで、バシーっと活動の「価値」を説明できるTOCって、力を与えるものになるだろうなと思うんです。特に外部の資金提供者と接することが多い人には。

だけどTOCはあくまでも「手段」のひとつであって、これまた万能ではないわけです。その副作用としてスタッフを縛ってしまうこと、活動のしなやかさを奪ってしまう可能性もあるわけです。そして「活動のしなやかさ」は、ソーシャル/NPOの強みではないかと私は思うのです。*4

ちゃんとした批評が必要だ

上記のブログで水谷さんはすでに「ジレンマはジレンマとして認識(言語化)しておくべき」と書いておられ、なんたる慧眼かと思いました。(水谷さんはどんんな人なのか知らないけど)

あるべき姿を追うことはもちろん大事ですが、ジレンマにどう対応していくかを話し合える労働環境、団体内のコミュニケーションも必要だと思います。いや、「ありたい姿」を追うばかりに効率化を進めた結果、ソーシャル/NPO界隈が対応せねばならん課題が噴出する社会になってしまったとも考えられるわけで、「ジレンマに対応していく」ことこそイノベーションにつながるのかもしれません。

そして、団体内で話し合うだけでなく、団体の「外」からの言語も必要だと私は感じました。
今のソーシャル/NPO界隈は「すごいすごい!革新的ないいことをやってます!すごい!」みたいなニュースとして取り上げられるか、内輪で「あの団体は外面ばっかりよくてムカつく」と悪口を言うかどっちかしかないように私には見えます。

ベタ褒めと愚痴だけじゃなくて、多様な視点からの活動に関する批評が必要でないかと感じます。
1)団体からの情報発信(つい持ち上げがち) 
2)ベタ褒め(持ち上げがち) 
3)悪口 
しか情報がなかったら、そりゃあ参画のしようがないですよね。
批評がないシーンって死んでいきますもんね。

ジレンマと付き合うのは面倒だし、ほめるかけなすかだけしていたほうが楽に決まってるんです。
でも私たちの生活や私たちの心はそんなに単純にはできていないですよね。そのゆらぎ、不安定さ、わからなさ、遅さ、だらしなさから目を背けず、かつ希望を失わないで進んでいける言説を、私も生み出していきたいし

それができることがイノベーションであり、それこそが本当に「強い」リーダーではないでしょうか。


つづく。。。


(2018年2月4日追記)
設立時・ちた型0~100歳に加えて
NPO法人PakaPakaさんにもコミュニティ財団経由で寄付をしたことがありました。PakaPakaさんに前職でお世話になったことと、個人的には「子ども」よりも「おとな」のための活動に興味があるというか共感がしやすいので、寄付しました。

*1:このブログを書き始めた1/29に、木村さんはmomoの代表も辞されたと発表があり驚いた。http://www.momobank.net/news/2543/

*2:「ちた型0~100歳のまちづくり基金」には、大変お世話になった方が関わっていたので、ほんの少しでもお返しできたらという気持ちで寄付しました。

*3:パワハラや法令違反、また公表の経緯がマズかったことは怒るけど

*4:もちろん、TOCがあったら必ず縛られるなんてことはなく、やりがいをもって楽しく取り組むことも全然できると思うんですが。