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知多と女とDIY、勝手にやる人たち-知多地域成年後見センターのこと

少し前になるんですが、2017年度に知多地域成年後見センターさんが開催された「知多半島ろうスクール」の報告書と、他の地域でも「ろうスクール」を開催できるようにした手引きを兼ねた「実践ガイドブック」の編集をお手伝いさせていただきました。

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成年後見というのは一般的には認知症とか精神障害・知的障害とかで判断能力に不安がある人のサポート(金銭などの財産の管理、いろんな契約のお手伝いなど)をすることです。
知多地域成年後見センターでは愛知県の知多地域(10市町村)の委託を受けて、後見が必要な人のお手伝いをしており、受任件数は9年で500件以上、相談件数はのべ4000件以上とのこと。裁判所での申し立てから、日々の支払いから、転居やら入所やら、ペットやゴミ出しでご近所とトラブルになってしまった状況をなんとかするやらで、職員の人は毎日朝から晩まで大忙しで働いています。

なのに、特に誰かから「やれ」と言われたわけでもないのに、毎年何らかの助成金を取っては「未来デザイン手法を使ったケース検討講座」とか「ファシリテーション講座」とか、今回の「ろうスクール」とかを開催しています。しかもこれ、全然成年後見と関係なくね?って感じじゃないですか。後見センターがやるなら「後見とは何か」とか「市民後見人養成講座」とかじゃないですか、普通。*1今回は、ド忙しい中、なぜ知多地域成年後見センターがこういうことをしているのかを、誰にも頼まれていないのに考えて、書いてみました。

勝手にやる女たち

知多地域成年後見センターの成り立ちは、ある知的障害のあるお子さんを持つ母子家庭のお母さんが末期がんになったことだったそうです。社会福祉法人むそう戸枝陽基さんのブログに当時のことが書かれていますが→ http://toeda.info/essay/fuwafuwa22.html 戸枝さんが名古屋市弁護士会、愛知県社会福祉士会などいろんな人に知的障害のあるお子さんの財産管理、身上監護などについて相談し、知多市NPO法人「地域福祉サポートちた」が法人として後見人を引き受けることになりました。後にここからスピンアウトして「知多地域成年後見センター」が生まれたのだそうです。

「地域福祉サポートちた」もそうなんですが、知多地域にはNPOとか盛んに言われる前の時代(1990年代後半)から、福祉のNPO的な活動をする団体が立ち上がり、その担い手の多くが女性、いわゆる主婦だったことがNPO界隈ではよく知られています。特に福祉についで勉強したわけでもなく、何か社会にいいことをしたいと思ったわけでもなく、地域の課題を解決しよう!と息巻いたわけでもなく、NPOを立ち上げた人がたくさんいたようなのです。
その動機はむしろ「このままだと義親の/親の介護で私が詰む」「子育てで私が詰む」だったのではないかと思います。鉄鋼や自動車の大きな会社があり、転勤で知多地域に移ってきた人が多く、周りに頼れる家族や親戚が少ない人が多い、という土地柄もあったのではないかと言われています。

後見って「その人の代わりになって、その人の権利を行使する」とか「権利が侵害されないようにする」ことなので、すっごく難しいことだと思うんです。でも、おそらくそれまで「後見」なんてほぼ聞いたことがなかったであろう「地域福祉サポートちた」の人たち、主にスタッフだった女性たちが「やろう」と思ったのは、社会にそれが必要とか思ったこともなかったわけではないだろうけど、「知ってしまった以上放っておけない」「他に誰もやらないなら私たちで」と思った、それが一番だったのではないかと想像します。

それで思い出したのが、最近見た佐々木大志郎さんのnoteです。
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知多で女性たちがNPOを始めたころは、全国的にもNPOで働いて暮らしていけるだけの給料が得られるということは難しく、それを目指していた人もほとんどおらず、という状況だったと思います。でも今では年商何億円みたいなNPO法人も少なくなく、新卒を採用するNPO法人が珍しくなかったり、志ある大学生がソーシャルグッドな団体への就職に憧れるということもあったりします。

社会的な影響力を持つようになったNPOが現れる中、「解決しやすい課題に取り組んで成果を上げたと言ってるだけで、コアな貧困層にはアプローチしてないじゃないか」とか「根本的な課題解決をすべきは国や地方自治体ではないか。NPOが安い下請けになってどうする」といった問題提起もなされるようになってきました。それに対して上記の佐々木さんのように「それはそうだけど、今ここにある課題をすぐなんとかしなきゃいけないんだからしょうがないじゃん」(超訳)とか、「てか旧来型の運動が成果出してこなかったからいまこんなヒドイ状態になってんじゃん」という議論もあり、どっちの話もそうだよなあと思いつつ、精神的には消耗するなあと感じています。

ひるがえって、もう一度知多の女の人たちがNPOを始めたことを思うと、それは「自分たちでやる他に方法がなかったから、やむにやまれず」という動機からではなかったかなと私は想像します。
当時の女性たちは、介護保険子育て支援もなく、「家の中のこと」を公に助けてもらえるなんて考えたこともなかったはずです。というか、当時の女性たちが「公」、「国」とか「役所」に助けてもらっている、守られていると感じたことってあったのかな?と思います。さらに「会社」に守られている、と思えたこともなかったのではと。親に養ってもらっている、会社からもらうお給料で暮らせている。そう思ったことはあると思います。でもそれは「結婚するまで」のことであって、あとは家庭で嫁として母としてツトメていただき、ダンナに守ってもらってください、そういう社会ではなかったかしらと思うんです。
学校では男女は平等だと教えられ、法律でも男女の雇用機会は均等ですと定められたのに、相変わらず半人前の労働力としてしか見られず、給料も少なく、ひとりぼっちで子どもや家族の面倒を見る役割に置かれる。
私は、そういう人たちが「国」や「社会」に何かを期待したり、信頼したりできるとは思えません。だから、その活動は一義的に国に何かを訴えようとか、社会に対してはたらきかけよう、とはならない。だから、「誰もやらないから、自分たちで」とか「自分たちでできるだけやってみよう」となる。で実際に会って、しゃべって、確かに感じられる仲間と一緒にやっていこう、となるんじゃないかなあ、と思うんです。誰からも期待されていないし、誰にも期待していない。だから勝手にやる、自分たちでやる。知多のNPOの人はみんな知的で優しく、ユーモアと包容力とおせっかいがたっぷりの素敵な人ばかりだけど、根底にあるのは、実は社会への絶望に裏打ちされたDIY精神なのではないか…と私は思っています。

何が絶望をアクションに変えるのか

今回の仕事で、知多地域成年後見センターの事務局長の今井さんが「私たち知多地域成年後見センターはまちづくりのNPOだと思っている」と言っていたことが心に残った。
後見人の業務を通して、判断能力に不安のある人のサポートをする。それは手段のひとつであって、目的はまちづくりだと。(超訳)今井さんたちはよく、後見人がいなくても、家族がいなくても、本当はその人の周りにその人の生活や気持ちをサポートしてくれる人がいて、権利を侵害されることなく生きていくことができれば、わざわざ裁判所で後見人を付けなくてもその人らしく生きていけるんだとも言っている。これから高齢者が増えて、認知症の人も増える、つまり判断能力のサポートが必要な人=「ニーズ」は増える、だけれども、その「二ーズ」に応える方法は後見センターを大きくすることではないんじゃないか、と思ってやっているらしいのだ。(私は後見センターのここがすごいと思うし、好き。)

未来デザインやファシリテーションの講座をわざわざやるのも、違う立場の人を思いやれる人や、規則や今までの常識にとらわれず、やわらかく発想を変えていくことで、いろんな人が生きやすくなる考え方や方法を、地域の人や地域の専門職が身に着けるためなんだと思う。

ちなみに冒頭で紹介した「知多半島ろうスクール」とは、主に定年退職したけどアクティブなシニア世代の人が、自分たちの老後の生活(老)と、それに必要な法律(law)などを学ぶ学校、というコンセプトで開催した連続講座です。熟年離婚とか相続とか、老後のヒマの過ごし方とかを、おっちゃんおばちゃんがクラスメイトになって教室で勉強するというものでした。講座内では退職した男性が、昨今の#metoo運動が聞いたら卒倒しそうな(でも、それがこの数十年を生きてきた男性のプライドを支えてきたであろうという)発言をしてみんなを苦笑いさせるという場面もあったそうですが、スクールの卒業式後は「同窓生でなんかやろう」みたいになり、地域におじちゃんおばちゃんの新たなつながりが生まれたというイイ話も聞きました。


さっきまでの当たり前がもう通じなくなったり、取るに足りないと思われていたことが急に価値を持ったり、その逆も起こったり、すごい速さで時代が変わっています。その速度に乗れなかったり、乗りたくなかったりして、「国家」や「社会」や、そして社会の一部である「支援してくれるNPO」にさえも期待も信頼も持てなくなっている人もまた、日々増えていると思うんです。

そういう人たちが、かつての知多の女性たちのように、自分たちでやろう、生き抜こうという力を持てるようになることがいいんじゃないか。と私は思うんだけど、そのためには何が必要なのかな?と。知多の女性たちがNPOを始めて続けられたのは、ぶっちゃけフルタイムで働かなくてもいいくらいの夫の収入があったから、という要素もあったのでしょうが、一家を養えるだけの収入を一人で稼ぐということが、昔よりもずっとずっと難しいというのは誰でも知っていることです。

だけれども、「自分の人生に必要な知識を、不安を煽る広告とかではないところから得る」「仲間と一緒に学びあう/学び合いを通して仲間を得る」ということは、人をすごく力づけるんだな、と私は「ろうスクール」のガイドブックを作りながら感じました。

認知症の人、精神障害や知的障害、発達障害のある人、そのどれでもないけど家から出られない人、家から出られるけど色々とうまくいかない人。そういう人たちに対して「サービスを提供する」ことが国なのか民間なのか、どっちがいいかは今の私にはわからないけれど、どっちがやるにせよその「支援」はその人たちをエンパワメントするものになっているのか?そう問い続けることが必要なのではないかと思う。
認知症の人、精神障害や知的障害、発達障害のある人、そのどれでもないけど家から出られない人、家から出られるけど色々とうまくいかない人。そういう人たちは単なる「顧客」ではない。「ニーズ」に応えているかどうかだけではなくて、その人が社会をかたちづくっていく一員としてエンパワーできているかどうかが、「支援」であり、価値が問われるところなんだなあ、と思いました。

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「ろうスクール」を他の地域でも開校できるよう、ガイドは知多地域成年後見センターの事例を参考にしながらスクールの企画を立てられるワークブック形式になっています。

ガイドブックが見たい方は、知多地域後見センターさんにお問合せくださーい。(もう残ってなかったらすみません)。

*1:知多地域成年後見センターでも、そういう講座も全然やってないわけではない。年数回頼まれたりしてやっていると思う。市民後見人は要請してないけど。