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私がやって良かったと思ったSROI測定ーー「新しい価値」はあなたを揺るがす

NPO界隈で物議を醸しているSROI測定ですが、私が実際にやってみて「良かったな~」と思ったSROI測定について書きたいと思います。なお、このブログでは「SROIとは何か」については書かないので、ご存知でない方はググるなどして調べてから読んでいただけると幸いです。いちおうめっちゃ短くまとめられていたサイトも載せますが、超概要なのでそれぞれ調べてください。
andomitsunobu.net

私とSROIとの出会いは2014年頃。NPO等の非営利活動の「成果」を数値で測る新たな手法として注目され始めた頃だったと思います。私はこのイギリスからやってきた黒船がどんなものか知りたくて、また、ライターとして独立を考え始めた時でもあり、「これは知っておくとメシの種になるかもしれない」というヨコシマな気持ちから、名古屋で開催されたセミナーに参加したり*1、英国SROI NetworkのJeremy Nicholls(ジェレミー・ニコルズ)さんが来日した際には東京まで行って2日間、SROIの手法を学ぶトレーニングを受講したこともあります。*2

新しいものさしをつくる

そんなこんなで、実際に理解しているかどうかはともかく「多少SROIが分かるらしい人」ということで、2015年にコミュニティ・ユース・バンクmomoさんが実施した「NPOの社会的価値「見える化」プログラム」に参加させていただくことになりました。
これはmomoの融資先のあるNPOの事業が社会に与えたインパクトをSROIを使って測ってみよう、そしてNPOの事業の次の打ち手を考えてみようという実験的なプロジェクトでした。メンバーとして地元の信用金庫など地域の金融機関の若手職員の人たちが何名も参加されており、SROIという手法をNPOのスタッフの皆さんとともに学びつつ進めていくというものでした。

私が入ったチームは、障害児向けの放課後等デイサービスなどを行っているNPOの事業を考えることになりました。
しかし、SROI以前に金融機関の職員さんたちはそもそも「放課後等デイサービス」が分からないのです。今ほどメディアで取り上げられることもなかったため「発達障害」も分からない人がほとんど。障害とは何か、誰が何に困っているのか。それでどんなサービスが必要なのか。誰がお金を出しているのか。そんなところからのスタートでした。

SROI測定ではインパクトマップというものを作るのですが、それは机上で考えているだけではできないんですね。このNPOの場合は児童デイに来ている子の親御さんとか、通っている養護学校の先生とか、NPOの職員とかにヒアリングしないと作れません。私はサボって全然行きませんでしたが、チームの皆さんは仕事が終わった後や休みの日に現地に足を運び、色々な人のお話を聞きに行っていました。
そのヒアリングの内容を持ち寄って、「あの人がこう言っていたことが事業の価値なんじゃないか」「この人がこういうことで変わったんじゃないか」といろんな面からこの事業って何なのか、みたいなことをみんなで話し合って考えていきました。仕事が終わってから集まることもあり、手軽な値段で借りられる会議室がなく、なぜか金山駅前のカラオケボックスでミーティングをしたこともありました。

そんな中で、みるみる金融機関の職員の方が変わっていくのが分かりました。日々の暮らしに常に苦労を抱えている子がいること、親御さんの不安、それらの受け皿の少ない社会。それを何とかしたくて土日も休みなく働いているのに、本当にこれでいいのかと自信を持てないでいるNPOのスタッフ。普段の融資やテラーの業務では出会わなかった人や考え方にふれ、彼女ら彼らの社会の見かた、地域の金融機関の役割とはなにか、自分の仕事とは何かについて、深みと広がりをもって考え直していったようなのでした。
同じくNPOの職員の方も、金融機関の方から「それの何がいいの?」「何がダメなの?」と率直な質問をされることで、これまでの自分たちの世界にはなかった視点から、事業を見かえすことができたのではないかと思います。

そんな人たちが集まって、そのNPOの「価値」を考えられたことが一番の「成果」であって、結果的にはそのNPOのSROIが何点だとかはもうどうでもいいんじゃないか、と私はプロジェクトの終盤になって思うようになりました。
一つのものさしでは、一つの価値しか測れません。定規なら長さ、体重計なら重さしか測れないんです。でも、普段の「融資をしてほしいNPOと銀行員」の立場では「私たちの事業はこんなに重たいから、価値があるんです」「いやいや、これだけの長さしかないじゃないですか。それではお金は貸せません」となりがち。でも、今回のプロジェクトでは、NPOと銀行の人が一緒になって、どちらも納得ができる「新しいものさし」を開発できたことにこそ、意味があったのではないかと思いました。
私が「やって良かったと思ったSROI測定」の概要は以上です。

なぜSROIを受け入れがたいのか

ここからは、NPOの中になぜ根強いSROIへの拒絶感があるのか、私なりの考えを書きたいと思います。

やってきた事業の「成果」をあきらかにする。その「成果」を「誰が見ても明らかな」「客観的な」、「数値」にして示す。いいじゃないですか、公正じゃないですか、わかりやすいじゃないですか。それの何が嫌なのでしょうか。

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いきなりたとえ話になるんですが、あるところにサッカーがすごく得意な人たちがいるとします。
この人たちはサッカーが大好きで、サッカーを通じて国内外問わずたくさんの友人を得ることもできました。サッカー選手として活躍する人もいれば、サッカーのクラブチームを経営したり、サッカー場でグッズを売ったり、サッカー教室の先生をしたり、サッカーを通じた地域おこしでお金を稼いだりしてピースフルに暮らしています。

ある時、この人たちは、サッカーが上手じゃない人たちを発見します。この人たちはサッカーが苦手なために、うまいことお金を稼いだり、仲間を集めたりすることができずに困っていました。
サッカーが得意な人たちは、「全くの親切心から」、サッカーが苦手な人たちにサッカーを教え始めました。こういうテクニックを使うと得点しやすくなるよ。こんなトレーニングがおすすめだよ。チームはこういう風にマネジメントするものなんだ。ファンサービスはこうしよう。得意な人たちは苦手な人たちがサッカー文化に適応しやすくなるよう、様々なアドバイスをしてくれました。

それでサッカーがうまくなり、幸せになった人たちもいました。
しかしその反面、このやり方ではどうにもダメな人たちもたくさんいるのです。

たとえばある団体は「ずーっと絵を描いていたい」という団体でした。自分たちは絵が描きたくてこの団体を作ったのに、やれもっと筋肉をつけろとか、このスパイクを履けとか言われても戸惑ってしまいます。そもそもこの団体には、以前にサッカーのカルチャーにどうしてもなじめず、落ちこぼれだと責められ続け、傷ついてきた人も集まってきているのでした。

けれども、サッカーが得意な人たちは、このお金が無くて存続の危機にある絵の団体を心配してこう言いました。
「絵を続けるためには、たくさんの人に共感してもらって、資金を集める必要があるでしょう。そのために、絵の活動の価値を数値にして、みんなにわかってもらおうよ」。
活動を広く理解してもらうために、サッカーのフィールドにおいでよと呼びかけているのです。

これを聞いて、絵の団体の人は言いました。

「私たちは、サッカーがうまくなりたいと思って活動しているのではありません。
 むしろ『サッカーってどうして手を使ってはダメなんだろう?』とか
 『後ろ向きにしか走れないサッカーを作ったらどうだろう?』とか
 『得点が多い方が勝ちなのはなぜ?』とか
 『勝ち負けを決めないと楽しめないんだっけ?』
 ということを考えるために始めた団体なんです。
 つまり、サッカー以外の文化をつくるためにやっている活動を、
 サッカーのルールで評価されることに、違和感を感じているんです
」。

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…というわけなんです。
例えばボブスレーをやっている人に、サッカーのルールでもって「そんなソリなんか乗ったらダメじゃん」って言ったら「はあ?」って言われますよね。
ところが、「SROIで測られたくない」という人たちは、「競技スポーツですらない」わけなんですよ。ボブスレーとサッカーなら、多少ルールは違ってもオリンピックで勝つとか同じ目標が持てたりするかもしれないけれど、サッカーと絵画とか、サッカーと演劇とか、サッカーとシャボン玉づくりとかだと価値の「ものさし」自体が違いすぎるわけです。
サッカーの人も絵の人も「もっと社会で楽しくラクに暮らせる人が増えたらいいな」と思っているのに、なんでこんなにずれてしまうんでしょうか。

例えば、このようなずれがあるとは考えられないでしょうか。

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問い:『社会課題の解決』とは何でしょうか?

Aさんの答え:社会課題の解決に取り組む団体がきちんと評価され、勝ち残っていける新しい市場(準市場含む)を作ることです。
Bさんの答え:社会課題を生み出す「市場」自体の仕組みを疑い、違った仕組みを作り出すことです。

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「社会を変える」という時、ある団体は「誰でもサッカーを楽しめるようにすること」を目標にしているのに対し、ある団体は「サッカー以外にも楽しくチャレンジできる文化を増やしていくこと」を目指しているんです。

ルールにないものをどう讃えるか

もちろん私はサッカーに何の恨みもないんです。(サッカーというのは喩えなので…でもサッカーファンの皆さんすみません)
ただ、サッカーなら「嫌ならやめろ」で済むのですが、これが「資本主義」とか「効率主義」とか、「公金は正しく公平にムダなく有意義に使いましょう主義」だと、ここから降りたら生きられなくなってしまうのではないか、と思ってしまいます。

いくら市場の矛盾が「社会課題」を生み出しているんだよ!と叫んでも、当面は絵を描くための筆や絵の具は市場から調達しなければいけないし、NPOのスタッフには生活していけるだけのお給料を払わないといけません。
中にはこうした疑問に正直に生きるため、山奥とかで完全に自給自足のコミューンを作って資本主義との関わりを断って理想を実現していくタイプの人もいますが、別にすべての団体がそうしたいと思っているわけでも、そうしなきゃいけないわけでもないし、それこそこうした活動は限られた人にしか「インパクト」を与えていないよなあとも思います。

だからすごく「サッカー」の誘惑って魅力的なんです。サッカーはすでに人気があるし、認められやすいし、分かりやすいルールもあるし、スタッフのお給料も上げられるかもしれない。

対して「サッカーじゃない文化」って、具体的にはどうやって作ったらいいか分からないし、色々やってみても認められないどころかキモがられたり怪しまれたりするし、自分が生きている間に実現するかもわからない。

だけどそれこそが、オルタナティブを作っていくことこそが、残念ながらNPOの最大の魅力でもあるんだと思います。それは後ろ向きに走るとか、歌を歌うと1点入るみたいなルールのサッカーを作ることでもあるので、「サッカー」の世界の「ものさし」ではキモいし、意味が分からないし、役立たないもので当たり前なんだけど、もしかしたらサッカーでは苦しかった人が楽しくなるものかもしれない。うまくいけばサッカーの人にも「こういうのも悪くないじゃん」と思ってもらえるかもしれない。

少なくとも私は、「伴走支援」というのはゼイゼイと走っている人の横で、車の中から『正しいサッカーのルール』を説くことではなくて、一緒に走って転んだり、ドブに落ちたりしているうちに『支援者だった自分の価値観(ものさし)も変わってしまう』ということだよね?『社会が変わる』ってそういうことだよね?と思うので、やすやすとサッカーのコートには立たないぞというやせ我慢も大事かなと思っています。

だから、NPOの経営ってかっこいいものでも清いものでもなくて、「サッカーのルールに目配せしつつ、サッカーじゃない価値を確かに作っていく」っていう、アスリートでもありアーティストでもあるような、肉をずったずたに切られながらもじわじわと対戦相手の骨をもろくしていくようなしたたかさが必要な、難しい仕事だなと思いました。
(繰り返すけど、でも、それが面白いんじゃないの?)


最後に、最初に戻ってSROI測定について。これが休眠預金とか、公的なお金の分配に使われるようになるとして、それがいいかどうかの議論はとりあえず置いといて、「絵を描きたい」派のNPOはどうしたらいいかについて、私の思いつきを書きます。

1)「サッカーのルール」にのっとらないロジックモデルやインパクトマップを作ってみよう

「アウトプット(結果)」や「アウトカム(成果)」を、「サッカーのルール」とは違う視点で考えてみましょう。税収が増えるとか社会保障費が抑えられるとかの視点は「サッカーの得意な人」に任せて、そうじゃない面白い価値がきっとあるはずです。*3
ただ、結果として「貨幣価値に換算する」というプロセスでは「サッカーのルール」の影響を大いに受けることになりますので、ここで皆さんが出したアウトカムは最終的な点数を上げることにはたぶん寄与しないと思われます。(笑)でもきっと、一緒にSROI測定をした人が持っている「ものさし」を揺さぶるものにはなると思います。

2)「技術点」だけじゃなくて「芸術点」を加えませんか

これはSROIに限らずだけど、「サッカーのルール」を採用したほうがいいなと思うこともあるんです。例えば休眠預金がNPOに分配されるとして、そのNPOが不正な経理を行っていないかとか、「指定活用団体」と「資金分配団体」が癒着していないかとか、NPOの内部にパワハラがあって新たな社会課題を生み出していないかとかっていう、まあ当たり前のチェックはしたほうがいいと思うんですよ。これと、「税収が増える」「社会保障費が抑えられる」というのも、「既存のサッカーのルール」として受け入れてもいいということにします。これら、既存のルールに関する得点を「技術点」と呼ぶことにします。

でも「社会を変える」とゆーのは、「新しい市場をつくる」とか「市場競争に参加できる人を増やす」とか、ましてや「現状の政治や経済の枠組みをそのまま延命する」という小さなスケールだけにとどまるものではないですよね?

「変わってしまった社会」を、「変わる前」のものさしで測ることって、あんまり意味ないと私は思うんです。だからここで、サッカーのルールは最低限押さえつつも、新たな楽しいゲームの仕組みを考えて実践したNPOがあれば、それを評価する、という「芸術点」を併せて採用してはどうかと思います。
今までにない価値をはかる「ものさし」はまだ開発されていないので、どう加算していくか謎なんですけど、ひとつは科学技術の世界で行われているように、「専門家どうしの相互評価に重きを置く」というのはありかなと思っています。ただ、科学技術と違って非営利/ソーシャルセクターの分野では、こうした相互評価、相互批評の文化がまだほとんどないので、ここをヘンな権威にしないで健全に、できるだけ多くの人が面白く読めるようなシーンに育てていくことが大事なのではないかと私は思います。

ちなみにこの「芸術点」の考え方は、下記の現代ビジネスの記事と、昨年度までに一般社団法人CSRコミュニティが行ってきた「愛知型 地域から愛される企業」の認定/表彰制度のプロトタイプ作りの活動(私も少しお手伝いしました)に大いに影響を受けました。よかったら見てください。
gendai.ismedia.jp

www.csr-com.jp

今回も長くなりましたが、私がこの記事を書くうえで多大な絶望と希望とインスピレーションを与えてくれた2冊を紹介して終わります。

資本主義リアリズム

資本主義リアリズム

0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方

0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方

*1:受講料が27000円くらいかったと思う

*2:これも受講料だけで8万くらいかかった

*3:抽象的な議論というか、出来事を抽象化するのが苦手な人にはこれがハードルになるのですが、そういう時は得意な人に手伝ってもらおう!