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なぜ社会福祉士なのにライターをやっているのかーーレコードを2枚同時にかけろ

少し前に母校である岐阜大学地域科学部を取材した記事を東洋経済オンラインに掲載していただきました。
toyokeizai.net

ちなみに記事では2018年12月20日に学部をどうするか大学として決定するとありますが、実際にはなぜか当日の会議で議題に取り上げないことになったそう。結論は先送りされたようです。


この記事はヤフーにも掲載されておりまして、その中のコメントに「記事の内容よりも、地域科学を学んだのに社会福祉士の国家資格を取り、そしていまはライターをしている著者に興味がわいてしまう…w 卒業生のその後が全てを物語ってる気がするなぁ。」というものがあり、「本当にその通りやで…w」と思って笑ってしまいました。

なぜ社会福祉士なのにライターをやっているのか

特に福祉関係の人に社会福祉士なのになぜライターなんですか」とよく言われるので*1自分の考えを書いておこうと思います。

社会福祉士は役所の窓口とか、障害のある人やお年寄り、子どもの施設などで、何か困ったことの相談を受ける仕事に就いている人が多いです。フリーランス社会福祉士という人もたまにいますがとても珍しいうえ、ライターというとさらに少ないのかもしれません。

私が社会福祉士を目指したのは、10年ほど前にホームレス状態にある人と関わるボランティアを始めたことがきっかけでした。人がホームレス状態になるのは仕事がない、お金がないというだけでなく、心身に障害や病気がある、教育を受けられていない、家族がいないなどなど様々な理由が背景にあることを知ったからでした。障害や疾病、労働に関すること、心理、成年後見、更生保護など社会福祉士の勉強をするといろいろなことを広く学べると思ったんですね。また、当時就いていた仕事がキツく、自分の能力の限界も感じていたため「福祉系の資格を持っていれば食いっぱぐれることはないんじゃないか…」と甘く考えていたことも事実です。

でも資格の勉強をしたり、実際に相談の仕事を通じて気づいたのは「私って全然相談の仕事向いてないな」「っていうかあんまり相談の仕事したくないんだな」ということでした。社会福祉士が受ける相談の内容はその人の生活や人生に直接深く関わるものなので、生半可なことでやってはいかんなとも。

ただ、社会福祉士が担うべきとされている仕事は「ソーシャルワーク」と呼ばれており、その内容は相談だけではないんですね。

ソーシャルワーク専門職のグローバル定義
ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす。ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学、および地域・民族固有の知を基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける。
この定義は、各国および世界の各地域で展開してもよい。

ソーシャルワークは困った人の相談にのるだけじゃなく、「生活課題に取り組みウェルビーイングを高めるよう、人々やさまざまな構造に働きかける。」ことなのです。だから、直接的な対人援助はしなくても、ものを書くことで「社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進」したり、「人々やさまざまな構造に働きかける」ことができるならば、それはソーシャルワークのひとつと言っていいのではないか。と思って「ライター/社会福祉士」という肩書でやっています。

なぜ地域科学部なのに社会福祉士でライターをやっているのか

冒頭の記事の内容ともちょっと関わるんですけど、私が最初に出た大学は岐阜大学の地域科学部なんですね。文理融合とか学際的とか言われている学部って色々あるんですけど、記事を書くにあたり「学際的って何だろう?」と思ったのでWikipediaで調べてみました。wikiかよ。

最先端の研究の進展の方向性を考えるとき、従来とは異なった観点、発想、手法、技術などが新たな成果を生み出す例は非常に多い。これは従来はあまり結びつかなかった複数の学問分野にわたって精通している研究者や、複数の学問分野の研究者らが共同で研究に当たる、などによってもたらされる。これが学際的研究と呼ばれる。(学際-Wikipedia 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E9%9A%9B

これを読んで学際的な学問ってDJみたいなものなのかなーって思ったんです。
DJという手法でジャズとかロックとか既存のジャンルの音楽をミックスしたりエディットしたりことで、ヒップホップとかテクノとかいう新しいジャンルの音楽が生まれたみたいに、既存の「○○学」と「〇〇学」いう学問をときにスムーズに、時に強引にカットインしながらつないでいくような手法なのかなって。

実際に地域科学部では、世の中のお金の流れに興味のある「産業・まちづくりコース」の学生と、自然豊かな環境を守りたいと考えて勉強している「環境政策コース」の学生が同じまちづくりのゼミで出会うことがあります。そこでの議論には、2枚のレコードが同時にかかってフロアの熱気が高まっていくような、スリリングな興奮があります。

DJするときの最初の基本スタイルは、二枚のレコードを混ぜて合わせて、第三のものを作り出すってことなんだけど、書くってのも、目の前のテキストを混ぜ合わせるってことなのかもしれない。思想家は、目の前の思想理論をフュージョンさせてるんだ。(ウルフ・ポーシャルト、原克〔訳〕「DJカルチャー ポップカルチャーの思想史」三元社、2004年)

なので、DJがレコード(原曲)をリスペクトしていないといいミックスができないように、学際的と言われる学問も既存の学問分野をより尊重していないとできないなって思いました。自分が学生だった頃のことを思い切り棚に上げ切って言いますが、文理融合とか学際的といわれる、「何やってるか分からない」と言われる系の学部の学生こそ、それこそDJがレコードを聞きまくるように、めっちゃくちゃ勉強しないといけないんじゃないかと思いました。

ヴァルター・ベンヤミンだってカール・マルクスだって、リミックスできるんだ。というのもリミックスってのは、決して新しい文脈に順応させるってことだけじゃない。元の(ブリリアントな)思想を活性化させることだってあるからだ。リミックスは、大抵の場合、オリジナルを愛していないとできない。元の作品を新しい角度から見直し、バリエーションを作り豊かにする。(略)リミックスってのは、オリジナルに新しい生命を与える手助けをすることなんだ。オリジナルのコンセプトを救い出し、プッシュするってことだ。リミックスってのは、自分の関心を忘れることなく、オリジナルに奉仕することだ。いや、それだけじゃない。オリジナルに奉仕しながらも、自分の関心をハッキリ表明することだ。(略)愛情のないリミックスは、貧弱で退屈で色あせたものになってしまう。(同)

DJだって最初は(今でも?)そんなの音楽じゃないと言われていたけれど、今ではれっきとしたひとつのアート・フォームだって認められていますよね。

私はライターとしても社会福祉士としても中途半端だけど、だからこそライティングとソーシャルワークの先人に敬意を払っていきたい。
いいミックス、いいエディット、いいエフェクトができるようちゃんと勉強していきたい。
そんな感じで、2019年もよろしくお願いいたします。


おまけ)
私はDJにインタビューするサイト↓もやっているのでよかったら見てください。今年はもうちょっと更新したい…。
「人々のエンパワメントと解放を促進する」って、パーティのことでもあるような気がしてきました。
whatdjsaves.com

DJカルチャー―ポップカルチャーの思想史

DJカルチャー―ポップカルチャーの思想史

*1:福祉関係じゃない人にはそもそも社会福祉士が何なのかあまり知られていないので聞かれない