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#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

葛藤とともにある「わたし」の人生、仕事、性

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このブログや、Twitterのプロフィールにしている
このピンクの写真は何?と、5年に1回くらい聞かれるのですが、

これは、指輪のかたちをしたバイブレーターなのです。
(「バイブレーター」がなんだか分からないというよい子は、
おとうさん・おかあさんに聞いてみてね!)
いまはパスワードを忘れてしまってログインできていないmixiの時からずっとプロフィールに使っている写真です。ハタチくらいから使ってるってことになるのかなあ。

高校生の時に上野千鶴子さんの本を読んでからフェミニズムに興味を持って、北原みのりさんのファンになったんですよ。

それで、北原さんのアダルトグッズなどのネットショップ「Love Piece Club」で売っていたのが、この指輪型のバイブレーターなのです。

Love Piece Club

誰かに気持ちよくしてもらうんじゃなくて、
自分の気持ちいいことは自分で決めるんだと。
誰にも認めてもらわなくても、自分がいいと思うことは自分で決めるんだと。
強く、とがった気持ちが10代後半からの自分を支配していて(今も)、それをバイブレーターで象徴するっていうのがおもしろくていいじゃんって思ったし、「ゆびわのかたち」っていう、ガーリーキッチュなプラスチック製のもの、っていうのもかわいくていいなと思って気に入ってるんです。



で、昨年、その北原みのりさんが逮捕されてしまったんですよ。
昨年のうちに釈放されたようなのですが、、、ずっとサイトへのコラムの更新も途絶えたままで心配していました。そして、今週、久しぶりに彼女の書いたものを読むことができたのです。

北原さんの逮捕から現在に至る経緯はこちら ↓

Love Piece Club - ご無沙汰してしまいました。 / 北原みのり

これを読んで、いたたまれない気持ちになったり、大きな憤りを感じたり、悲しくなったりしたんだけど、わたしがハタチのときに出会った北原さんだったら、もっと違う表現をしたり、もっと違う闘い方をしていたかもしれない、と思った。もっと直接的で、激しい言葉で怒りを表現したのではないか。もっと真っ向から警察と争っていたんじゃないかとか。
それは、逮捕後で北原さんが心身ともに疲れているから…というわけではなくて、確かに疲れてはいると思うけど、きっと15年前よりももっともっと強く怒りを感じ、疑問を感じているからなのではないかと思った。

女として生きてきて、性の仕事をしてきて、正論や真っ向勝負がいかに通じない世界に私が立っているのかを、実感しない日はありません。そもそも「私の性器はわいせつではありません」と言わなければならない状況そのものが、理不尽で、女にのみつきつけられる壮大な罠のように私には見えます。(北原みのり「ご無沙汰してしまいました。」Love Piece Club,2015)

10代の時にわたしがフェミニズムに魅かれた原因のひとつは、その強い・勢いのある・過激な(と、当時は思った)言葉づかいや表現だったと思う。自分が女として生きていくことや、女らしくあらねばならないことが受け入れられず、かといって「女として評価されたい」(モテたい、かわいい・きれい・性的に魅力的だと言われたい・など)という気持ちも同じくらい大きく、そのどちらも自分の中では整理できずに鬱々としていた自分にとって、強くてまっすぐで正しくて甘えのないフェミニズムの言葉は、魅力的だった。
「自分にも生きられる世界があるんだ」と思ったし、「自分も生きられる世界を自分でつくっていけばいいんだ」と思えたことが救いになった。何を言われても堂々としていられることが憧れだった。


でも今思うと、当時の自分がフェミに大きな憧れを抱いてポーっとなっていたのって、まさに単なるマスターベーションだったのかもしれないなあって思います。
フェミニズムが悪いとか、意味ないっていうことでは、決して無くて!!!(今もすごく信じてます)
正論だけ言って悦に入ってた自分って相当、痛かったなと。
自分は正しいことを考えてるから大丈夫、バカじゃないから大丈夫、って決めつけてただけで、何も問題の根本に迫るアクションをしてこなかったんじゃないかと思う。自分の思想に対して心地のよいことが書いてある本だけ読んで、勉強したような気になっていたんじゃないか。あからさまな性差別、意に沿わない仕事、そういうことをおかしいなと思うこともあったのに、「生きていくためだから仕方ない」「今はそういう役割を演じてるだけで、ホントの自分はレジスタンスしてるもん」って自分の中で勝手に言い訳しているうちに、なんだか世の中が不穏になって、おかしいことがいっぱいおこっても、またいつものこと…わたしはそうは思ってないけどね…って、そればっかりの人になってしまったように思う。

商品を全て倉庫にしまい、什器を破壊し、リアル性器にみえるようなものは破棄、そうなったら徹底的にやりたくなって壁紙まで剥がした。そして最後に、文字通り何にもなくなりがらんとしたお店に大きなテーブルを買いました。女たちが集まってお話できるような、そんなテーブルです。(同)

「わいせつ」を利権のように利用してきた男社会の言う「わいせつ」は、私のからだからかけ離れている、というしかない思いです。逮捕された以上、すでに強制的に闘いを引き受けなければいけないのですが、であれば「性器はわいせつかどうか」という本質的な議論ではなく、私が今まで考えて紡いできた言葉で、具体的に慎重に闘っていきたい。それがとてつもなく長く重い闘いになるとしても。(同)

逮捕という事態に対して、北原さんがしたことが「集まって話すテーブル」を用意したり、「本質的な議論ではなく、今まで考えて紡いできた言葉で、具体的に慎重に闘っていく」ということだということが胸に迫った。北原さんはお店もずっと開いていたかったと思うし、本質的な議論もしたいと思っていると思う。何言っても文句ばかり言ってくる人や、警察のよくわからない理屈にエネルギーを使わないでやり過ごすこともできたと思う。

でも、そうじゃなくて、あえて時間と労力がかかり、かつ、結果がいつ出るかわからないような選択をしている。
彼女が闘いを闘いぬいてきた中で、彼女が本当に大事にしていることや、彼女自身が本当にやらなければならないこと(使命)が、研ぎ澄まされてきたのではないかと思う。彼女自身は「選択」したというよりは、もう、これ以外に進む道はないと思って進んでいるのではないかと思う。
「引き受ける」と言っている。

自分も開業してしまったことで、「自分のやりたいことと、社会に求められていることのバランス」とか、「自分の理想 VS 今日の食い扶持」とかに悩むことが多いんだけど、
どこか自分は、そういう悩みをスマートに、傷つかずにうまくやろうとしていたなと思った。
ずっと言い訳しながら逃げてきたなと思った。
自分にも、そういう覚悟ができる日が来るのだろうかと思った。

その葛藤は女性器の名前を連呼したところで薄れるわけでもなく、女性器アートによって男女平等が成し遂げられるわけでも、フェミニズムのゴールが見えてくるわけでもない。私がなし子さんのみならず、ジュディ・シカゴをはじめとする女性器アートに惹かれるのは、女の葛藤を引き受けた上で言葉を紡ぐしかない、という覚悟のようなものを感じるからです。それが「彼女にとって必要であった」という女の歴史一つ一つを、ずしりと感じられるから。(同)

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2月15日(日)


お茶、コーヒー


各務原のベトコンラーメンのメッカ「新京」にて国士(野菜たっぷりベトコン)、蒸し餃子


山わさび、お刺身(ぶり・まぐろ)、冷奴、ビール

おやつ
コーヒー

2月16日(月)


ハムとチーズのクロワッサン、コーヒー、お茶


生姜あんかけうどん、お茶


菜の花としらすのアヒージョカルパッチョ、菜の花とえびのオイルパスタ、パン、ビール、ワイン

おやつ
コーヒー、ガム、キャラメルラテ


2月17日(火)


レタスのサンドイッチ、コーヒー、お茶


ほうれん草入りカレー、お茶


生春巻き、じゃがいもとウインナのチーズ焼き、ビール

おやつ
コーヒー、ガム、キャラメルラテ

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