#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

受容はするけど共感はしない

カウンセリングや相談の仕事や勉強をした人なら
「受容・共感・自己一致」という言葉を
聞いたことがあると思うんですよ。

この言葉の意味をずっと間違えて覚えていたせいもあり
「いつでも必ず、受容し、共感し、自己一致せねばならん」
「できない自分はコミュ力がない、思いやりというものがない」
と、無意識に思い込んでいたんですが


でも、よく考えたら
あっ
あたしカウンセラーじゃねえし。
って思ったんですよ。
会話はカウンセリングじゃねえじゃん、って。
それどころか、別にわたしが話したことを共感してもらえなくても
めっちゃコミュニケーションできたな~って
思う時ってあるよな~と思ったんです。
(例:ケンカや言い争い)

というわけで、なんか
共感しなくてもいいやって思ったら
ラクになったのでした。


でも、受容はしたほうがいいなと。
どんなにアホらしく思えるようなことも
まったく違うだろって思うことでも
とりあえず受容はしたほうがいいなと思う。
受容さえすればケンカにならないし
ケンカになっても不毛な感じがしないんだよな~
あんまりケンカしんのだけど。

共感はされなくても「まーしょうがないな~」と
思えるけど、
受容してもらってないと思った時の人間の
落ちこみようとか、怒りようとか、
俺のことをバカにすんなよ軽んじるなよ感って
すさまじいものがありますよね。
もうね、この世の不幸のかなりの部分が
受容の不足によっておこる悲劇なんじゃないかと
思うほどです。


かつ、「共感しなくてもいい」と思うと
途端に受容できる範囲が広くなったので
カウンセラーじゃない人には、まあまあおすすめの
ライフハックでした。



(おまけ)
ロジャース先生のが言っていることは
「共感」ではなく「共感的理解」なんだそーで
なんでもかんでも「そうだね、自分もそー思うよ~」
って共感するということではないんだそうです。
↓このサイトの真ん中へんの図がわかりやすかった、
 というか、共感した。

http://www.nanao-hospital.jp/research13/k1309.html