#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

料理を作れない人にできること

わたしはレイヴ・カルチャーとか
クラブ・ミュージックとかが大好きなので
大学の時はそれで論文を書こうと思って
毎週、関連しそうな本を読んではゼミで報告するのが
楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。

特に、クラブカルチャーのありようと
来たるべき市民社会のありようが似ているのではないか
ということに思い至ってからはウキウキして
コレとコレって関係ないように思えるけど
実はつながっているのよね、とか
あまりメジャーな文化じゃないけど
社会的にはこんな意味もあるのよね、っていうことが
言いたくて言いたくてたまらなくて楽しかったのね。


でも、あるとき、はた、と思ったんです。


自分は自分の好きな音楽のステキなところを利用して
自分の言いたいことを言っているだけではないのか?
自分の好きな音楽のステキなところに便乗して
自分の主張もステキに見せようとしているだけなんじゃないか?


自分の好きな音楽は、自分が何を言おうと
何を書こうとステキなことに変わりはないのだし、
そのことについていろいろ書いたところで
いったいどうなるのだろうか?
社会的にどう見られているのであれ、
その音楽のステキなところは変わりないのだから
自分の行為に一体何の意味があるのだろう?
自分の「自分はこういう世界がいいと思っているんだ」という
主張に自信がないから、好きな音楽の威を借りているだけじゃないのか?


と、思うとそれまであんなに楽しかったのに
急に何も書けなくなって、涙が出てきた。

美味しいレストランのレビューを書くことに何の意味があるのか?


というわけで、さっそく泣きながらゼミの先生にメールで相談。
そしたら、返ってきたのはこんな返事でした。

よしみさんの言う通りです。
いい音楽は聞きゃあ分かるんです。
美味いものは食えば分かるんです。


そしてもちろん、その良さを利用して
自分の主張を良く見せようとするなどということは
あってはならないことです。


では、私達ができることは何か。
それは、美味しいレストランについて
ここが美味しいよ、こういうふうに食べると美味しいよ、
じつはこれが美味しいよ、とお節介にも書くことによって
今まで、そのレストランに来たことがなかった人が
「ちょっと行ってみようかな」と、思ってくれるかもしれない。
それだけです。
それしか、できないんです。


だからこそ真摯に書きなさい。


と、いうふうに言われて
なんだかとても腑に落ちて楽になって、
でも、そういう覚悟で書かせていただくべきなんだと思うと
書かせていただけることをありがたいと感じたし
それだけのことを、なんとかできるように
ちゃんとやろうという気になったのだった。


なんでこの話を思い出したかというと
(ことあるごとに思い出してはいるんだけど)
ハフィントンポストのこの記事を読んだからでした。

日本の子どもの貧困問題への寄付を呼び掛けるために
政府が投じた2億円についての話なんだけど。

www.huffingtonpost.jp

極論をすれば、あなたがユニセフに1万円を寄付するとそのうちの1850円(18.5%)は,寄付集めのための費用に使われているのです。

例えばワールドビジョンさんの2014年決算書によれば、33億円をチャイルドスポンサーシップという寄付で集め、その他寄付と合わせ37億5千万円の寄付があります。寄付を集めるための啓発教育費には8億6千万円を使っているようです。

私はこれを悪いことだと言いたいわけではありません。寄付を集めるにはそれだけのコストがかかるのだと知っていただきたいのです。
 
(中略)

ほとんどの日本人が知らない「日本の子どもの貧困」、そして開発途上国の子どもたちと違い、見た目ではわかりづらい相対的貧困や,諸外国に比べ教育にお金がかかり過ぎるという日本独特の構造から生じる教育格差に苦しむ子どもたちのことを知ってもらい、寄付をしてもらうためには、広告宣伝費は必要なのです。


わたしの友人たちは日々、この記事を書いた人のように
見た目では分かりづらいけれど、
経済的、社会的に貧困状態にある子どもたちや
大人たちや、女性たちや、お年寄りや
障害のある人たちの支援に昼も夜もなくその時間と心を捧げ
働いている人たちばかりだ。

わたしは思うところあって、そういう現場を離れて
ライターとして何かを書いていこうと決めてもうすぐ2年になる。

そうした現場から逃げないでひとつひとつの問題に向き合い
その人たちと共に日々暮らしを改善していこうとする
友人たちに比べて、社会がどうの、自分がどうのと
暖房の効いた部屋でキーボードを叩いているだけの自分には
一体なんの意味があるのだろうかと思うこともしばしば、というか、毎日そう思っては深酒をしているのだった。


でもきっとそうではなくて
それが自分のたたかいなのだと思う。
料理は作れないけれど、料理のおいしさを書く。
書いて、今までその素晴らしさを知らなかった
誰かが興味を持ってくれるかもしれない。
それだけのために、それを叶えることが自分の仕事であり
自分の限界なんだと思う。
なので、限界までやるだけのことなのだと思う。

資金調達のため、活動の継続のため、啓発のため、社会のため
宣伝にコストが必要だと感じてもらう。
そして自分の書いたものが
そのコストをかけるに値するものだと感じてもらえれば
自分もきっとこの世界で食っていけるのでしょう。笑

それに、それって、ソーシャルワークだよね!


カルチュラル・スタディーズ入門 (ちくま新書)

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