読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

『やし酒飲み』

本/書評

1月2日ですが、この食べたものを書くブログ的には、まだ年が明けていないのでした。
年末は、酒ばかり飲んでいました。

だから、、、というわけではないのですが
2014年に読んで衝撃を受けた本の1つ「やし酒飲み」を紹介します。


やし酒飲み (岩波文庫)

やし酒飲み (岩波文庫)


 わたしは、十になった子供の頃から、やし酒飲みだった。わたしの生活は、やし酒を飲むこと以外には何もすることのない毎日でした。当時は、タカラ貝だけが貨幣として通用していたので、どんなものでも安く手に入り、おまけに父は町一番の大金持ちでした。(エイモス・チュツオーラ 土屋哲・訳「やし酒飲み」岩波文庫,2012)

 父は、わたしに、九平方マイルのやし園をくれた。そしてそのやし園には五十六万本のやしの木がはえていた。このやし酒造りは、毎朝、百五十タルのやし酒を収集してきてくれたが、わたしは、午後二時まえにそれをすっかり飲みほしてしまい、そこで、彼はまた出かけて夕方にさらに七十五タル造っておいてくれ、それをわたしは朝まで飲んでいたものだった。(同)

ってどんだけなの、とか、そもそも「やし酒」って何?とか、
これは本当にこれだけの量を飲んだってことが言いたいの?
量が多いことの喩えなの?ひとタル何リットルなのよ?など
一行ごとに突っ込まずにはいられないが、そんなことにはお構いなしでどんどん話が進んでいく。
そうこうしているうちに、この「やし酒飲み」が『お前は何者だ』と問われると

この世のことなら何でもできる“神々の〈父〉だと答えてやった。(同)

などと言いだす。えっ、酒ばかり飲んでる放蕩息子じゃなかったの、神だったの?と、ずっこける。

この後もこのやし酒飲みの神様(?)は、神らしく、「ジュジュ」という、洋服のような装身具のような魔法の道具のようなものを使って、道行く先々で出会う困難(死神にあったり、おどろおどろしい妖怪やら精霊やらに会ったりする)を乗り越えていくが、そのひとつひとつがどれも想像を超えるわけのわからなさでビックリする。

真夜中の二時に、わたしたちは、このすばらしい三人の生物と半体の赤ん坊のもとを去り、新しい旅に出たのだが、二日後にある町に着き、そこで二日間休息をとった。しかしそれまでに懐中には、一文もなくなっていた。そこでわたしは、どうしたら、食べものなどを買う金が手に入るか、思案をめぐらした。しばらくしてわたしは、自分が“この世のことはなんでもできる神々の〈父〉であるということを、思い出した。(同)

思い出すのかよ!
っていう。この後、自らの姿を「ジュジュ」でカヌーに変えて、それで川を渡す渡し船の商売をして旅費を稼ぐという、神様だったらもっと違う方法ないんかいって思うエピソードが100個くらい続く。


それにしても、これは今まで自分がこういうものが「小説だ」とか「物語だ」と思っていた常識を大きく覆された読書だった。
得体のしれない生物がたくさん出てくる、とか、展開が意外過ぎて読めない、
ということもあるけれど、
文体は「ですます」と「である」が脈略なく混在しているし、
迫真の戦闘シーンが繰り広げられたかと思ったら、唐突に
『わたしが原野と原野の生物から脱出した記録は、大体以上の通りです(同)』なんて締めくくられ、読みながらたびたび時制も狂う。


チュツオーラはナイジェリアの作家だそうで、解説を読むとたとえば「森林」ということばひとつをとっても、日本の片田舎で暮らしてきたわたしと、アフリカのそれとでは全く意味するものが違うということがわかる。「やし酒飲み」が森で出会う魑魅魍魎の物語は、ナイジェリアの伝統的な民話にルーツがあるそうで、わたしからすると「いったい何言ってんだ?」と思うけれど、日本の昔話だって、川の上流から大きな桃が流れてきて、その中から人間が産まれるなんて、アフリカの人が聞いたら相当イルなエピソードに感じるのかもしれない。


ウエットな感情表現を全く排した(というか、自分のなかに「小説というのは感情を表現するものだ」という思い込みがあったことに気づかされた)、ですますである混合の、ごつごつしていちいちつまづきながら読む文体は、さっぱりした子ども向けの絵本のような描写でありながら、不思議と風景に暗さや不気味さをあたえ、登場人物が戦ったり、食べたり、歌ったり踊ったりする動きに力強さを感じさせる。
うまい文章、美しい文章、人の心に訴えかける文章とはなんだろうと思った。

「チュツオーラの言語は、チュツオーラが、官庁用語とか新聞用語といった言語の断片に、陶冶・彫琢を加えて出来上ったものを自由に駆使して、ヨルバ語の文を、英語の単語に一つ一つ移し替えながら、標準文法の型を破った独創的な英語構文に仕立てあげた、彼独自の創造物である」(同、土屋哲「チュツオーラとアフリカ神話の世界―――『やし酒飲み』の宇宙論的背景をめぐって』)

チュツオーラの作品は、内容の面からは、ヨルバ伝承を基礎においての、チュツオーラのゆたかな想像力の見事な結晶であると同時に、文体の面からは、ヨルバ語およびその語法を基礎に、ヨルバ語の文を適正な英語に移し替えながら彫琢を加えた、すぐれた芸術品であるということになる。そして、チュツオーラの作品の評価を決定づけるカギをにぎっている大きな要因の一つは、この内容・形式両面間の均衡の問題、つまりいかにそれらが調和しているかにかかっていることはまちがいない。(同)

                          • -

12月30日(火)

朝昼
前の晩に深酒をしたため食べず


ピーマンと鶏肉のさっぱり炒め(酢をいれてみた)、キャベツときのこのスープ、ビール

深夜に飲みに行き
ビール、カンパリソーダ、ジーマ(久しぶりに買って飲んだこんな味だったっけな)


12月31日(水)

朝昼
前の晩に深酒をしたため食べず


年越しそば、豆腐と豚肉のキムチ鍋風の煮物、ご飯少し、ビール

深夜に飲みに行き
ビール、赤ワイン、えびせんべい、チーズ鱈のチーズが無い部分みたいなの、ポップコーン、餃子