支援とか理解とかナメてんの?っていう話
最近のTwitter生活で心に残ったツイートはこれです。
同性愛差別に関して僕の基本姿勢を言えば、差別されるのが悲しいとか怖いとかじゃないんだよね。ナメてんのかコラ?です。
— 千葉雅也 『勉強の哲学』発売中 (@masayachiba) July 30, 2017
差別しないでください!人権侵害です!じゃダメだよね。ナメてんのかコラじゃないと。
— 千葉雅也 『勉強の哲学』発売中 (@masayachiba) July 30, 2017
本当にそうだと思ったんですよ。なんでこっちが下手に出ないといけないのか、と思ったんですよ。
自分は(たぶん、今のところ、社会的には)同性愛者でもなく障害者でもなく、健康で五体大満足な30代で、四代くらい前からバリバリの日本国籍で、養育すべき子も介護すべき親族もおらず、四大卒で名古屋市内にアパート借りて車も乗っててたまには好きな靴買ったり好きなだけ酒飲んで次の日にフラフラになったりもできるマッチョマンなんですけど。
差別とか、本当に、要するに「ナメてる」っていうことじゃんね。
よく知りもしないのにテメーの小っちぇー価値観に当てはめて見くびるな、ということではないかと思ったんです。支援したいとか理解したいとか差別ではなく区別だとか何様のつもりだ、それが免罪符にでもなると思っているのか。ナメていないとでも思っているのか。そんな声が、幻聴が、自分の中から発せられているようにも、自分へと浴びせられているようにも聞こえてきたのです。
國分功一郎さんのこの書評を読んで、そうだ「愛」ではなくて「尊厳」だ、と思ったんです。
「子どもの貧困」と言うとき、えっ、もしかして「子ども」を可哀想だとか思ってんの?貧困を、可哀想だとか思ってんの?それってナメてない?って、ロジカルに説明するだけの言葉を私は持っていないんだけど、直感的にそう思って心に黒いものが渦巻いていたんです。
貧困は酷いです。そのためにその人が持っている可能性や自由を大幅に制限されることは酷いと思う、金がないというくらいのことで。でも、その人までがナメられる筋合いってあんのかなって思って。「あなたたちはダメなのよ、屑なのよ、どうしようもないのよ、と私は思うのよ。の、その先にあるもの。」を考えることって、そういうことなのかなって思って。
人の思いは網みたいになっていると思うんです。愛や哀れみ、優しさ、どうしていいかわからず思わず体が動いてしまうようなこと、その網の結び目に、子ども食堂とか子ども宅食とか、学習支援とか居場所づくりとかがあって、それぞれがそれぞれの活動を写しあっているとおもうんです。いや、写しあっていくといいんだろうなと思うんです。
でも、その網の下には「ナメてんのかコラ」っていう尊厳の網の目がないといけないんじゃないか、と思ったんです。
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