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#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

消費は生産の対義語か

名古屋市内に、お世話になっている方がたくさん出入りされているある共同事務所というか、コワーキングスペースがあるんですけど、


昨晩は、その場所をどうやって使うと人がもっと集まるか、とか
どんなことに使うと関係する人や地域の人にとってもっとよくなるか、
みたいなことを何人かの方と話しました。
最近こういう話多いな〜。
 
エスニック料理が得意な人がいるから、
料理を食べながらいろんな国の人と交流するイベントをしたらどうかとか、
フリーランスの人とかが悩み相談やカウンセリングを
受けられる場にしたらどうだとか、
ベランダで野菜を育てたり、ソーラーパネルを置いたらいいんじゃないかっていう
案がいろいろ出た。
 

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(写真は記事の内容とは関係ありません。わたしの大学の職場です。学生&教職員のコワーキング/ラーニングスペースみたいのになっています)
 
一緒に話していたある大学の先生が、
 
「何かを生産する場に人は集まるんじゃないか、
消費だけの場だとなかなか人は集まらないと思う」
 
とおっしゃっていたのが印象に残った。
いくつかのグループに分かれて話したんだけど、だいたいどのグループでもベランダ菜園の話は出ていたし、なるほどなーと思った。
 
「田舎でこういう話をすると、
  じゃあ畑をやろうとか、家を改造して
  何かを作る工房にしようとか、すぐ話が
  進むんだよ。でも、都会だと広い畑も
 ないし難しいよね。
  しかも、今日出てきたアイデアも野菜とか…田舎っぽい生産物ばっかりだね」
 
そしたら別の人が、
 
「でも、生産ばっかりしていても、
 消費する人がいなかったらダメなんじゃないですか。
 高度経済成長の時はたくさん生産すれば良かったけど、
 今みたいな不景気だと誰も物を買わないじゃないですか」 と言った。
 
「田舎だと自分で食べる分だけ自分で作るんだから、売るとか買ってもらうという発想はあまりないんだよ」
 
と、いうのを聞いて、それは生産と消費が対に
なってるんしゃなくて、渾然一体となった何かなんじゃないかと思った。
その大学の先生は最近田舎に移住したそうなんだけど「最近先生が生産したものはなんですか」って聞いたら、
 
「田舎に移住した仲間の合唱団ができたので、
  みんなで一緒に歌う歌を作った」
 
って言ってたんですよ。
この議論の最中、「じゃあ田舎じゃなくて、都会で生産できるものは何だろう」ってずっと考えてたんだけど、
こと娯楽とか文化とか情報とかネットワークということに関しては、都会でも生産と消費は一体になっているというか、
分かれてはいないような気がした。
 
國分功一郎さんは「暇と退屈の倫理学」の中で、
「消費」と「浪費」という概念を分けて説明していたけれど、
もしかしたら「生産」の逆の意味の言葉は「浪費(むだづかい)」の方で、「消費」はむしろ生産に近いものなんじゃないかなと思った。
 よく味わって食べるとか、くふうして楽しむとか、そういうことは。
 
このブログを書いている時間は、何かを生産しているのか、
それとも消費しているのか、時間を浪費しているのか、どれかしら。
 
(余談)
同じグループに、福島や東北でいわゆる復興支援をやっている人がいたんだけど、
その人は 
 
「僕は "たましい” を生産する」
 
と言っていて、言葉の意味はよくわからんが、とにかくでらカッコいいがやー
と思った。(ほかの人は若干引いていた)
 
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5月13日(木)

クロワッサン、コーヒー、御茶


ほうれん草カレー、サラダ


ビール、えびせんべい、ラスク、小さいちらしずし

おやつ
コーヒー、チョコレート、飴 
 

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)