ラッパーは「地元」に根差しているかーー「地域」が先か「カルチャー」が先か
読みごたえのあるラップ批評を書く韻踏み夫さんの記事。(早稲田大学の4年生らしい。本当にすごいなあと思う。)
記事に「ラッパーはフッド(地元)に根差している」「ラッパーがフッドを歌うのも、ラップがラッパーの自己と不可分であり、自己はその育った環境と不可分だからである。」とあるけれど、私はここは本当にそうなのかな?と思うことがある。
大和田俊之・磯部涼・吉田雅史「ラップは何を映しているのか」でも同じ議論があって、同著では『地域ではなくサブカルチャーに根差すというスタンスこそが日本のリアルなのではないか(磯部)』と語られており、私もそう思うんですね。
ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで
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地元に根差しているラッパーは確かに少なくないと思うけれど、それは、ヒップホップというカルチャーのフィルター/フォーマットを通して「地元」を発見しているんじゃないかなと思うんです。
地元愛が先にあるんじゃなくて、いや、あったとしても、ラップ/ヒップホップというカルチャーが媒介となって地元を発見する、地元に根差すというスタイルを獲得しているのではないかと。
考えてみると「カルチャーを通じて『地元』を発見する」というのはラッパーに限ったことではなくて、意識高い感じで(←こんな言い方ですみません)地方に移住や定住を考える人たちも、そうなのではないか?と思う。
「忙しなく働くのではなく、ゆっくり流れる時間の中で
近くで採れた新鮮な野菜や果物、魚や穀物を味わい
自分で梅酒や漬物を仕込み、古い建物を直して住まう。
夜は暖炉の火を囲んで、気の合う仲間と穏やかに語り合う」
という「カルチャー」…それは「思想」とか「物語」と言ってもいいかもしれないけれど…が先にあって、それにフィットした「地元(地域)」が浮かび上がり、選ばれるのであって、自然豊かな田舎であればどこでもこういうライフスタイルが生まれるわけではないと思う。*1
ヤンキーっぽい人たちも地元が好きとかよく言われるけれど、それも地元愛が先に立つのではなく「アツい仲間意識」「祭りで騒ぐ」みたいな文化・価値観があったうえで「こういうウチらの地元最高」っていう気分が出てくるのではないかしらと思うんです。
何が言いたいかと言うと、地域だ地域だ、地方創生だ、まちを盛り上げようという機運があっても企画が滑りがちなのは、
・地域の名前
・地域の特徴(観光名所や特産物とか)
・地域に住む/来るメリット
ばかりを連呼するばかりで、そこに誰かが乗っかりたい・共感したいと思う「カルチャー」とか「物語」がないからでは?と思うんです。いくらメリットがあっても「共感」が無ければそれは他人事。なので響かないと思うし、いざ住んでメリットを享受する人はいても、その人は単なる「消費者」であって、まちのために少しでも何かしてくれる人とか、愛着を持って住み続ける人にはならないだろうなあと思います。
だからと言って行政とかが「うちのまちの物語は、こういうストーリーなんですー!」とガッチガチのシナリオを作って押し付けてくるのもうざい。っていうかそんな市町村はあまり無いと思うけど、あるひとつのカルチャー/物語を推すと、どうしてもそれに「乗れない」人というのは出てくるわけです。ダサいと若い人は来ないと思っておしゃれにすると「気取った町は嫌だなあ」と言われてしまったり、とか。
ラッパーから見たらある町はゲットーだけど、チャレンジしたいビジネスマンや大学生にとっては可能性を感じるフィールドかもしれない。アートで身を立てたい高校生からしたら刺激のない退屈な村も、都会に疲れた人から見たら豊かさを感じる土地かもしれない。本当は素材にこだわったカフェや家具のお店もあるのに、メインストリートにはイオンやパチンコやスタバみたいなチェーン店が乱立して下品でしょうがない、なんて思っている人もいると思う。
でも、人が集まる町というのは「いい物語がある町」ではなく「たくさんの物語がある町」なんじゃないかと思う。都会に人が多いのは、便利だからとか、会社がたくさんあるからというのもあるけれど、いろんなカルチャー、いろんな物語、いろんな人が要られる場所が多いからじゃないだろうか。ラッパーとビジネスマンのカルチャー/物語は融合しないけれど、その街の中では「共存」していられる。都会に人が集まりやすいのは、たくさんの種類のカルチャーや物語があって、どこかしらに自分のフィットする居場所を見つけやすいからじゃないかと思うんです。
大都会ほどの人は住めないし、それほど多くの人に来てもらわなくてもいいけど、少しでも人が増えたらいいなあ、なんて思っている地域は、「メリット」ではなくて、まずは自分たちが持っている「カルチャー」や「物語」を発信したほうがいいんじゃないかしら?と思うんです。発信しないことには共感してもらえないので。
そしてヨソからそこに「暮らしたい」と思って来た人がいたら、その人の持っている「カルチャー/物語」をよく聞いて大切にしてあげることが必要なんじゃないかなと思います。自分たちのカルチャー/物語と言う名のしきたりやルールを押し付けるばかりではなく。きっとその地域が持っているカルチャー/物語と、その人が持っているカルチャー/物語がシンクロするところがあるはずなので。その積み重ねが、その地域の個性を作っていくのかなあ、なんて思いました。
□■□今回の記事とだいたい同じことを書いている記事□■□
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*1:「ラップは何を映しているのか」によるとアメリカではもっと強い「地域性」っていうのがあるらしいんだけど、日本ではそうでもないっていうか、やっぱりまだ「カルチャー」に根差した地元の発見、が強いと私は思う。