(好きな文房具)書いた後さっとファイリングできるパッドホルダー
昨日に引き続き、文具ブログです。
マルマン パッドホルダー セプトクルール PH100-98 A4 クリア
- 出版社/メーカー: マルマン(maruman)
- 発売日: 2013/01/17
- メディア: オフィス用品
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こちらもインタビューをするようになってからの必需品。
右側にメモパッド(ルーズリーフ)をセットしてメモがとれ、
左側に資料やメモしたノートを挟めるポケットが付いているのです。
ただ、そんだけなんですけど。
こんな感じで左側に取材先の資料とか地図をはさんで
右側にメモをとります。
取材が終わったら、メモパッドをビリビリとはがして
左の資料と一緒にファイルします。
右のメモパッドは厚紙になっている台紙のところを
はさんでセットします。ここが手軽で好き。
こういうパッドホルダーって、革製のカッコイイのを
使ってらっしゃる方もたくさんいるのですが
わたしはこのプラスチックのものが
汚れそうな屋外とか、どこでも気兼ねなく
ガンガン使えて今のところ気に入っています。軽いし。
ただ、プラスチックなので
立ってメモを取る時は下敷き部分が柔かくて不安定になるかな。
もう少し小さいサイズ(B5、A5サイズのも出ている)だと
片手でも固定しやすいので、メモ重視なら小さいのがいいかも。
わたしは左に資料をはさみたいので、A4がいいんだけど。
左側の資料だけを変えて持ち運べるので
何冊もノートを使う必要がないし、
書き終わったら、メモした部分のページだけはがして
資料と一緒にしまっておけるので
「どこに書いたっけ?」ということもなくなりました。
資料が自動的にプロジェクトごとに整理できるようになり
快適っす。
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8月14日(土)
朝昼兼用
ツナと大葉と大根おろしのスパゲティ、お茶、ダイエットコーク
おやつ
プリン、ティラミス、コーヒー、カプチーノ、お茶
夜
ビール、チキンカレー、水菜と油揚げのサラダ
(好きな文房具)素早くメモがとれるボールペン「ジェットストリーム」
お盆だけど遠くにも行かず、家で淡々と原稿を書き、掃除や洗濯をしている。要するにこれといって書くことが無いので、唐突に好きな文房具について書くことにする。
フリーライターになってから好きになった文房具は、ボールペン「ジェットストリーム」です。
三菱鉛筆 多機能ペン ジェットストリーム 4&1 ネイビー MSXE510005.9
- 出版社/メーカー: 三菱鉛筆
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ジェットストリームの何が良いかと言うと
1)書き心地の圧倒的ななめらかさ
2)黒色が濃い
なのです。
「滑らかで濃い」という特長が生かされるのは「人の話を聞きながらメモを取る」というときで、要するにすっごく速くストレスなく書けるんですね。誰かの話を聞きながら書いていると、書くのが追い付かなくて、かつ、話している相手がそれに気づいてお話をいったん止めて、書き終わるまで待っててくれる…みたいな経験ってありませんか?
インタビューをするとき、そうなってしまうのが申し訳なかったり、せっかくいい話の流れだったのに中断してしまうのがもったいなくて。とにかく流れのままに速く書きたいんですね。ジェットストリームだとさらさらなめらか、わたしの強い筆圧も受け止めるちょうどよい弾力もあって書きやすいのです。
また、話を聞きながら字を書くだけじゃなくて、キーワードとキーワードを囲んで結び付けたり、矢印で対比させたりとか、図も書きつつメモっているんですけど、伸びがよいとぐるっと丸や四角を描くのも快適なんですね。
そして「濃い」のもストレスなくメモが読めていいんですわ。昔はインクが消せる「フリクション」を愛用していたんですが、フリクションのインクってやや薄くてグレーっぽいんですよね。フリクションだけ使っていた時は気にならなかったんですが、ジェットストリームを使ってみると濃いインクの読みやすさ、美しさは一目瞭然。後から読み返すのもなぜか心地がいいんですよね。艶があってしかもグレーっぽくも青っぽくも無い「真っ黒」で濃い発色で、本当に読みやすいのです。
特にボールペンのペン先が0.7mmのものの滑らかさ・濃さが最高です。
ただ、0.7mmだと手帳とか、小さい字で書く必要がある時には太いので0.5mmも使っていますが、0.7に比べると少し書くときに引っかかりがある気がします。
ちなみに、左が0.5mmでとったメモ。右が0.7mm。字が汚いことを除けば、0.7のが見やすいと思いません???太さも大事なんだな~。
これまでは特に筆記具にこだわりを持たず、粗品でもらったペンとかを使っていました。なので、恥ずかしながらわざわざボールペンをお金を出して買うということ自体があまりなかったんです…。ちゃんとしたものを使うと書き心地もいいしスピードも上がるし、丁寧に書いたときの字の綺麗さも違うので、ちょっと高くてもお金をかけるべきだなあと今更実感したのでした。
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8月13日(土)
朝昼兼用
キャベツと人参とウインナの炒めもの、お茶
おやつ
あんみつ、じゃがりこ、コーヒー、カプチーノ、ココア、お茶
夜
ビール、焼き鳥いろいろ
夜はdecibel&Kalakuta Discoに遊びに行きました。デシベル店頭で焼いてた焼き鳥をいただきました。夏だわ。
8月12日の食事とポケモン雑感、トムヤムクンヌードル
ポケモンは小さい頃のほうがかわゆいので、次のアップデートでは「退化させる」っていう機能を追加したらどうかなって思う。強そうなポケモンかわゆくない。
こんだけやってるのにまだピカチュウが出ないので、もうブッ切れてスマホを叩き壊しそうですよ。
わたしはとにかくポケモンがかわゆいので、いっぱいポケモンを集めたいんです☆
だから主人公のレベル上げとか興味ないわーと思ってたんだけど、ポケモンの仕組みって
・レベルが上がると会えるポケモンが多くなる
・レベルが上がると使える道具が増えてポケモンが捕まえやすくなる
ということに気づき、とにかく経験値を積むのが大事なんだな、またポッポかよ!コラッタかよ!とか思わず、無言で捕まえ続けることが大事なんですね。
「経験値が上がると出会える人・コトのレベルが上がる」という点では、フリーランスや社会人の仕事にも通じるところがあるなーと思うのでした。示唆に富むね!!!はやくピカチュウに会いたいっすわ。
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8月12日(金)
昨日の深夜
白ワイン、チーズ
朝
ヴァームウォーター
昼
白身魚の焼いたのと大根おろし、豆のサラダ、ピーマンの土佐煮、きのこと根菜の入った味噌汁、お茶
夜
きゅうりと卵の炒めもの、トムヤムクンヌードル、ビール
基本的にはゆるーく糖質制限しているんだけど、トムヤムクンヌードルが好きで見ると食べてしまう。
- 出版社/メーカー: 日清食品
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8月11日の食事と雑感
メシのことを書かなくても毎日更新できるのか?というチャレンジをしていたのですが、無理そうなのでやっぱ初心にかえってメシ日記から出直すことにします。
でもメシのことを書き始めたそばから、メシ以外のネタを思いつくことができました。「書くことが思いついてから書く」のではなく、思いつかなくてもとにかく書き始めることが書くコツですね。
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8月11日(木)
朝
ゴマの入ったデニッシュ(ローソンで売ってる糖質少ないやつ)
コーヒー、無糖の紅茶
昼
トマトときゅうりのサラダ、牛肉と玉ねぎの煮物(牛丼の上にのってるやつみたいなの)、もずく入りスープ、あと何か煮物が一品あったけど忘れた、パインの缶詰二切れ
夜
キャベツと玉ねぎとウインナの煮物、きゅうりとサラダチキンのサラダ、ビール
実習が終わってから、日雇労働者組合というところなど、名古屋の野宿者(ホームレス)支援団体がやっている追悼集会に行ってお参りをしました。これは昨年の夏からこれまでの一年間に亡くなった路上生活の方を追悼する会で、いつからか知らないけど毎年やっています。
今年は17名の方が亡くなられたそうです。野宿をして暮らす人や、路上でなくなる人自体は昔よりは減っていると思います。でも「日雇い労働」のようなかたちで不安定な労働をせざるを得ない人の数は減っているとはいえないのではないでしょうか。そして、その人たちに、こうしてつながり、団結し、支え合い(追悼集会の後には炊き出しがあるようで、今日も列ができていました)、亡くなった時にこうして弔ってもらえる人はどれくらいいるのだろうか。と、そんな風に思いました。昔の方が良かったとは思わないけれど、学ばせていただいたことを今とこれからに生かしていきたい。書いていきたい。
We are the Robots---人工知能は人間を超えるか
最近読んだ本で一番面白かった本は
「人工知能は人間を超えるか」です!
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2015/03/11
- メディア: 単行本
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人工知能の研究を通して、人間の認識の仕方、思考の仕方にぐんぐん迫っていくところが面白かったですね。どうしてわたしたちはネコがネコであるとわかるのか。机の上からガラスのコップだけをそっと取って来れるのか。経験から学ぶとはどういうことか…とか。当たり前だと思っていたことの仕組みが分かるのって面白いですね!
例えば人間同士の「会話」もエンコード(符号化)とデコード(復号化)なんだという説明もすごく腑に落ちた。話しているのに「わかりあえない」というのは、符号化がうまくないか、受け取る方の復号化がうまくないか、その両方かなんだなと思うと自分には分かりやすかった。会話はキャッチボールに例えられることが多いけれど、変化しないボールをやりとりしているのではないんだな。ボールを一度記号にして相手に渡す。相手は記号からボールを復元する。でも記号にする過程か、記号を復元する過程でなんかのエラーがあると、ボールを渡したつもりなのに茄子になって受け取られてしまうのかもしれない。
ある人が見ている「絵」をどのようにほかの人に伝えられるだろうか。
もちろん、コンピュータが画像を転送するときのように、左上のドットから1画素ずつ説明していく方法もある。が、あまりにも非効率だろう。(中略)考えられる効率的な描写はこうだ。
「画面の真ん中にXがある。Xは人間で私の友人だ。その近くにYがある。それはライオンだ。そしてYはとても怒っている」(つまり、私の友人がライオンに襲われそうになっている)
このように情報を「エンコード(符号化)」して記述していくのではないだろうか。そしてそれを受け取る側も、これと対応するデコーダー(復号化器)があれば、これと近いものを再現することができる。つまり、異なる人間同士で復元エラーを下げようとすると、何らかの「関係性に基づく」描写が効率的であり、それが人間の持つ文法構造として生まれつき埋め込まれていたとしても不思議ではない。要するに「お絵描きの方法」が人間の脳に生まれつき組み込まれているということである。(松尾豊「人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの」角川EPUB選書)
ロボットを作ってみると、どんどん人間がわかっていく…というところが人工知能の研究の面白いところだな~と思いつつ、でも自分としては普段全く読まないジャンルの本なので、いろいろ苦心しつつこの本の感想を書いてみました。毎度ゼロ会さんには感謝です。でも、次回はもうちょっと得意分野の本でリベンジしたいと思います。
ameblo.jp
「人工知能は人間を超えるか」と一緒に無理やり紹介している「弱いロボット」もとても素敵な本でした。2冊とも読んでみて「人口知能が人間の仕事を奪ってしまうのではないか」という不安は、「自動車ができたら人力車夫は失業してしまうのではないか」という心配と同じなのではないかと、わたしは考えるようになりました。
人間の能力ってけっこうすごいんですよね。でも、それと同時に、その能力を自分達の力をまだまだ正確には復元できない程度の能力しか人間は持っていない、ということも事実なんだな、と。
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2015/03/11
- メディア: 単行本
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- 作者: 岡田美智男
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2012/08/24
- メディア: 単行本
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この国で「好き」を貫くのは難しい―シン・ゴジラを見てきたよ!(ネタバレがあります)
シン・ゴジラを見てきました!
www.shin-godzilla.jp
ここからは大いにネタバレがありますが
あらすじがバレたところでこれから見る人にとって面白味が減る映画ではないと思うので(責任は持ちませんが…)遠慮なく書きますね。
もうね、いまの日本で見たらゴジラ=原発としか思えない映画ですわ~。
そしてエヴァンゲリオン見てた人なら完全にエヴァとしか思えない映画ですわ~。
ていうか、そもそも「エヴァ」が、ゴジラのパロディというか、オマージュだったのかなあ、なんて見ながら思いました。
ガッジーラ(GODZILLA)、ゴジラと言う「想定外の」「これまでに経験のない」危機に対して何のマニュアルも、既存の法律で対処するすべもない、という状態の中で、政治家も中央官庁の行政マンも「民主主義の手続きを重視して」誰も責任を取ろうとせずオロオロしている間にゴジラが都内に上陸して、そのうち霞が関もゴジラの尻尾でバーン!バーン!ってやって主要な閣僚も全員一瞬で死ぬという展開。縦割り行政も慎重な判断も誰にも責任を押し付けないというのも、わたしはそれは必ずしも悪いことだとは思わないし、むしろ尊重すべき面も多々あると思うんです。でもゴジラがスゲー勢いでヤベー数の都市と人間を破壊しまくってる時に平時の対応だと全員死ぬわけで悲惨なんです。その「難しさ」を、重々しさと同時に、なんだか書き割りのような間抜なユーモア・どうしても現実として受け止められない状態としての「リアリティ」をもって描いているところ(緊急速報が流れるTVのメイン画面はのんびりしたアニメ番組とか)に好感を持った。
その危機を救うのは、今回はシンジ君でもなく、アスカちゃんでもなく、綾波でもなく、平時の、儀礼的だったり、空気をよんだりするコミュニケーションには全く不得手な「オタク」的な才能を持つ人たちでした。その分野だけにはものすごく尖った才能を持つけれど、人付き合いとか、交渉とか、愛想笑いとか、愛想とか、駆け引きとかそういうことには全く長けていない「オタク」的な人たちでした。
そしてその人たちを否定せず、仲間として才能を尊重し、うまくオタク的専門家とオタク的専門家の間を取り持ってファシリテートする人たちでした。そして、オタク的専門家の生み出したアウトプットを、持てる力で支える普通の人たち(自衛隊、言われなくてもボランタリーにおにぎりを差し入れてくれる掃除のオバちゃん、仕方なく総理を引き受けたおっさん等)でした。
そんで、これって庵野英明監督本人の物語なのかなあ、と思ったんです。
特撮が大好きで、しかし日常生活に大いに支障をきたすほどの才能の凸凹が余すところなくある。そういう庵野監督を支えてくれた人が誰だったか。それはガイナックスの人たちだったり、スタジオジブリの人たちだったり、妻である安野モヨコさんだったのではないだろうか。そういう経験が、このゴジラに込められたメッセージの中に垣間見られるのではないかと思った。オタクが素晴らしいのでもない。社会性のある普通の人たちが素晴らしいのでもない。エリート官僚、政治家が素晴らしいのでもない。それぞれの知恵を結集すること、それぞれが補い合って力を発揮することではないだろうか。「シン・ゴジラ」は、いわゆる「クール・ジャパン」ではない方法で、庵野監督自身が提案する「オタクの使い方」ではないか、そんな風に思った。
映画の中に「この国で『好き』を貫くのは難しい」というセリフが出てくる。わたしはそれをこの国で生まれた「オタク」と呼ばれる人の生きづらさのように感じた。「オタク」というと内側へ引きこもっていくように思われるけれども、「好き」を突き詰めていくとどうしてもその「好き」と隣接するジャンル、社会と接触していかなければならなくなる。(マーケットが大きくなったり、それこそ「エヴァ」がアニメファン以外にも大ヒットしたりね)そこで「社会」を拒絶して自分の殻を厚くして閉じこもっていくか、それとも「好き」の力で社会と触れ合い、巻き込み、大きなうねりを創り出していくか。庵野監督が、「ナウシカ」や「エヴァ」そして「ゴジラ」でしようとしていることは明らかに後者なのだけれども、そこには庵野監督の力を信じて排除せず、しっかと受け止め助言し励まし続けている、「普通の人」「オタクではない人」「違うジャンルのオ
タクの人」がいるはずなのだと思う。
- 作者: 安野モヨコ
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2005/02/08
- メディア: コミック
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新世紀エヴァンゲリオン コミック 全14巻完結セット (カドカワコミックス・エース)
- 作者: 貞本義行
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2014/11/26
- メディア: コミック
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- 作者: 安野モヨコ
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2008/08/20
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- 作者: 安野モヨコ
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2013/01/18
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「家がないなら空き家に住めばいいじゃない」ってどうなのよ
自分もモヤモヤしたんでこれについて書くことにしました。
このモヤモヤの原因は何か?
・家が余っている。
・家がなくて困っている人がいる。
・ならば、余っている家に住めばよい。
筋道が立っていて、無駄が無くていいじゃん!と思うんだけど
これは「家が無くて困っている人自身」が、どうしたらいいか考えて
安い空き家を探して住むとか、不動産屋や大家に交渉するとかなら
モヤらないんですよ。
でも、これを政治家とか行政の人が言うのは
なんか違うんじゃないかなって思うんですよ。
安定して暮らせる家に住むとか
介護サービスを使って暮らすとか
何かの仕事をして働くとか
ちゃんとご飯が食べられるとか
そういう環境を整備するのって
国の役割だよね?
社会保障だよね?って思うんですよ。
それを単純に、安いから、手っ取り速いからといって「あまりもの」でなんとかしようとするのってどうなんかなあと思うわけです。余っていようと余っていなかろうとそれは保障されるべきものだと思うんですよね。その見地から検討してみて、たまたま空き家になっているところが利用できそうだとなったらそりゃいいと思うんですけど。
行政の役割と民間の役割
以前のこの↑記事で
最低限の生命と暮らしの維持(パン)を保障するのは行政の役割で
民間の力は「なくても死なないけど、あると人生が楽しく豊かになる」(薔薇)
っていうところに発揮できるといいんでないか、と書いたんです。
空き家を改造してグループホームにしようとか
余った野菜をもらって子ども食堂しようとか
ボランティアの力で生活支援をしようとか
そういうのって、課題に気づいた市井の人たちが
今すぐ何とかしなきゃと思って緊急避難的にやってきた事でもあると思う。だから、それが上手くいったからと言って、じゃあ他もそれでやりましょ、やってくださいっていうことには慎重になってほしいなーと思う。「やる人」が自主的にやりたくてやるんならいいんだけど、そうじゃなければ「ボランティアをしてください」って命令するようなもので、なんか変だなって思う。
今日は特にオチはありません…
- 作者: 本間義人
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/11/21
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「ボランティア」の誕生と終焉 ?〈贈与のパラドックス〉の知識社会学?
- 作者: 仁平典宏
- 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
- 発売日: 2011/03/07
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