男らしさの呪縛を内側から食い破ろうとする本
これはすごい。読もう!
わたしも全く長渕剛さんについてはスルーしっぱなしだったんだけど
これは読みたいなー。
そして、杉田さんのようにこういうことを発見して
書けるようになりたい。
杉田:僕の中には根深い「被害者意識」があったし、今もかなりあります。自分が被害者であるがゆえに、誰かや何かを批判し、その攻撃が過剰になっていく。それでますます自分のことが嫌になり、被害者意識がさらに募っていく……という悪循環をどうやって断ち切っていくのか。そういう問いが僕の中にはありました。僕は長渕さんの中にもそういう問いがあるのではないか、と想像していたんです。でも、そうした僕の問い方自体に長渕さんは根本的な違和感があったのだと思う。というか、むしろ、さらにその先のことを考えていた。「人間は生きているかぎりは誰かに対して加害的にふるまっているはずだ」、つまり「自分は大いなる加害者だ」と。
正直に言えば、僕にも、この「大いなる加害者」という言葉の意味は、はっきりわかりません。ただ、何か、被害者意識の悪循環を抜け出すヒントがあるような気がして、根本的に僕の問いを突き放されたというか、それこそ大いなる解放感の手触りがあったんですよね。
飯田一史「「弱さ」と「矛盾」を軸に、特異な“思想家”長渕剛の実像に迫る――杉田俊介インタビュー」http://bylines.news.yahoo.co.jp/iidaichishi/20160430-00057242/
長渕さんの中には、「日本」や「日本人」みたいな大きな次元の話と、小さな一個人が抱える痛みの間をつねに往き来するような、そういう振幅があります。だから一方では、さまざまな他者や対象にダイレクトに憑依しようとするんだけど、同時に他者とは絶対に一体化できないというか、憑依や共感を突き放していくところもあります。そういう両極があるのではないか。たとえば10万人の人間の熱気に囲まれたときにこそ、もっとも冷たい孤独や淋しさを感じてしまうような……。
そもそも長渕剛という人は、右なのか左なのか、男らしいのか女々しいのか、強いのか弱いのか。そのいずれでもあり、そのいずれにもおさまりきらない。わかりやすい人だと思われているかもしれないけど、本当はかなりわかりにくいところがある。というか、そういう無数の矛盾を内側に抱え込んでいるからこそ、長渕剛は長渕剛であり続けてきたのではないでしょうか。今回の『長渕剛論』では、そういう複雑な矛盾や葛藤をできるかぎり見つめるところから、長渕剛という一人の人間に向き合ってみようとしました。(同)
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5月2日(月)
昼間はなんとなく食欲がなかったので
食べず
おやつ
コーヒー、ウイダーインゼリー
夜
餃子の残り、焼きししゃもの残り
人参の葉を入れた卵焼き、
蕪の漬物、ビール
祝日はプールの営業時間が短くなるそうなので
月曜だけど泳いできた。
食べないほうが体が軽いせいか、速くたくさん泳げた。
今まではプールに備えて少し多めに食べたりしてたけど
もしかしたら違うのかなあ。
- 作者: 杉田俊介
- 出版社/メーカー: 毎日新聞出版
- 発売日: 2016/04/26
- メディア: 単行本
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