#レコーディングダイエット

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アーティストの「人格」と「作品」は分けて考えるべきか問題

何年かぶりに新しいアルバムを発表したミュージシャンがいて、その作品が各方面ですごく絶賛されていた。私はそのミュージシャンが昔出したCDが好きで、若い頃にはうっとりしてよく聞いていた。

だけど、私はどうしても新作を聞く気になれなかった。

なぜかというと、ある時インターネットで、そのミュージシャンが過去に障害のある人に対してひどいイジメをしていたという記事を読んでしまったからだ。インタビュー形式で、悪びれもせず、こんなしょうもない遊びやってたんですよ~、みたいな調子で語られていた。私はそれを読んで、うわっ、エグい、ひどい、気持ちが悪い、とうんざりぐったりして、その人の名前を聞くだけで嫌な気持ちになるようになってしまった。その記事を載せた雑誌(ずいぶん昔の記事なんだけど)もどんな号であれ見たくない。
それくらいひどい内容だったし、私にはショックだった。読んだことを後悔するくらいトラウマになっている。

とはいえ、そのミュージシャンはかつてとても好きだったし、どこ行っても大絶賛だし、TwitterとかYoutubeとか見てると流れてくるしで、つい、つい、ちょっと聞いてみたら、おっ…、あっ…、…、… … みたいな良さがあり、よかった。でも、その良さを全然楽しめていないというか、「お前はこんなひどい奴の曲をいいと思ってるのか」と言うもう一人の私が出てきて邪魔をした。


いつもならこんなこと思ってなかったはずなのだ。

例えば、ミュージシャンが覚せい剤だか大麻だかで捕まると、その作品がCDショップから消えたり、曲がテレビやラジオでかけられなくなったりする。私は、それはおかしいと思う。シャブとかは違法だから、まぁ、それは悪いです、として、でも作品まで悪いか?作品は無実じゃないの?作った人が悪いことをすると作品自体に内在する良さまで損なわれるの?それに音楽って一緒に演奏してる人とか、CDをプレスする工場の人とか、営業の人とかジャケットの写真撮った人とかとの共同作品なんだからそのワンオブゼムが悪いだけで全部ダメなの?と思っていた。


そういえば、そんなに昔のことじゃないはずなのにもう忘れ去られつつあるけど、昨年は政治家の人が不倫してどーのこーのというニュースがいくつかあった。
それを見た人の意見の中には「政治家は法律を作って暮らしを良くするのが仕事なんだから、個人で不倫してよーと何してよーと有権者には関係ない。家族には個人的に謝るべきだけどそんなの有権者には関係ない」というのがあり、確かにそうだな、もっともだな、と思った。
でも一方では「家族との約束が守れない人に、有権者との約束が守れるのか?*1」とか「私生活で女性をないがしろにしているような人に、女性を尊重する政策が作れるのか?」みたいな意見もあり、うーん、そう言われると一理ある気もする…とも思った。


要するに、その人の「人格」と、公的な仕事や作品は
分けて考えるべきものなのか?
そもそも、分けられるものなのか?
と、悩んでいたんです。

私の結論

・その人の「人格」と、公的な仕事や作品についての評価は「分ける」

いや、何当たり前のこと書いてんだよって話なんですけどね!でも、つい混同しちゃうから。。。

えっとですね、私は分けようと思いました。分かりやすく言うと、どんなにイヤな奴でも、作品なり仕事なりの良い点はそいつのヤなとこは置いといて、良いと言おうと。逆にどんなイイ人、仲良しでも、作品なり仕事なりのダメなところはダメと言おうと。

仮にその作品/仕事のダメな点を評するときに「あ~、ココあいつの女性蔑視的な性格が出てるよなあ~」と思ったとしても、その人の人格と結びつけた批評ってしなくていいんじゃね?って思って。「作品のここに偏見が出てて良くないと思います」って言えば十分なんで。人格に言及する必要ないなと。良いところもしかり。

逆に作品/仕事が良いからと言って、その人を全人格的に持ち上げない。仕事でダメなことがあっても、その人自体がダメなわけじゃない。そういう風に考えることにした。

なに当たり前のこと書いてんだろって自分でも思うけど、作品や仕事と人格を結び付けられすぎて、傷ついたり、のぼせ上ったりしちゃう人がすごく多いなって感じるので、わざわざ書きました。

じゃあ例の曲が聞けるかっていうと、聞けないんだなコレが

そういうふうに考えることにしたんだけど…私はまだ冒頭のミュージシャンの曲をどっしり構えて聞けるかっていうと、どーしても聞けない。やっぱり吐きそうになってしまう。
前は、こうやって自分に筋が通っていないことが、嫌だった。

でもよく考えたら、この部分は矛盾していてもいいんじゃないかなって思った。

私には到底許せない過去を持っている人でも、その人が作ったものは美しい。その作品を美しいと評することを「でもあの人は…」と言って責めたり、否定することを私はしない。その事実ごと受け止める。

かといって、自分がどうしても受け入れられないものを受け入れることはしない。私として嫌なもの、聞けないものは聞かない。自分には受け入れられないことがある、ということを受け止める。でも、それを他の人に押し付けることはしない。

大人として、市民として、ライターとして、そういう態度を大切にしていきたいと思った。
厳しさと愛は同じところにあるな。


なんちて

*1:これに関しては「家族だからこそ守れない、っていう約束もあるんじゃないかな~」とも思った。それが不倫の言い訳にはならないと思うけど。