#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

SDGsがわからないー取り残されたくない世界なのか

SDGs「誰ひとり取り残さない」というところからいきなりつまづいていて、17の目標とか169のターゲットとか全く入ってこない。

というのは「誰ひとり取り残さない」って「取り残す側」の発想ですよね?私たちが、取り残してるんですよね?
私たちがド安い賃金で服やら電子機器やら作らせてるから貧困があり、木を伐って汚水を垂れ流しまくってるから飢餓があり疾病があり、教育の機会がない人たちがあり、いちいち言ったらめんどくさいしめんどくさい奴だと思われるからまあいいかと思ってるからジェンダーの不平等が温存されているんですよね?

「持続可能な社会のために ナマケモノにもできるアクション・ガイド」というのを見ました。たしかに、やらないよりはきっとやったほうがいいんでしょうからどんどんやったらいいと思うんですけど、節電やリサイクルよりも、もっと怠けていることがあるんじゃないでしょうか。

「取り残される側」の人の意見や気持ちは考えられているのでしょうか。
ホームレス状態にある人と一緒に活動している北九州の奥田知志さんが昔、「(野宿生活から脱することなどを)社会復帰と言うが、復帰したくなるような社会なのか」と問いかけられたことがあります。
過重な労働に耐えることが美徳とされ、そうでなければ自己責任と責められ心身の健康を害してしまう。「生産性」のない人・モノ・コトは切り捨てられる。もともとお金のある家に生まれた人だけが代々トクをするし、その地位を手放すまいと必死になる。そういう世界に「取り残されたくない」と思うでしょうか?そういう世界こそが、そういう世界の人が言うところの「社会課題」を生み出しているのに?そういう世界に「包摂されたい」と思うのでしょうか。

持続可能な、とよく言われているけれど、持続するのは何なんでしょうか。取り残す側の人の生活は持続させたまま、かわいそうな人も取り残しませんよ、なんてことがあり得るのでしょうか。「取り残される側」への想像力が乏しいまま、「誰ひとり」とか「すべての人が」と言えてしまうことにも、私は大きな違和感を感じます。

だからといって何もしないわけじゃなくて、できるだけゴミを出さないとか差別に屈しないとかやっていくんだけど、それはSDGsのためではなくて自分が信じることをしたいと思うからなんだけどなあ。

ソトコト2019年 06月号 [雑誌]

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