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あいちコミュニティ財団のことを考えないでファンドレイジングしてもいいのか問題

4/14に「ファンドレイジング・日本2018(FRJ2018)振り返り会(東海チャプター主催)」に参加してきました。

日本最大のファンドレイジングイベント「FRJ2018」に参加された愛知県周辺の方が、このイベントの振り返りもかねて、FRJでどんな意見交換があったかをシェアしていただけるということで、勉強のために行ってきました。

jfra.jp

FRJではファンドレイジングにまつわる様々なセッションがあり、東海チャプターの方が参加されたセッションだけでも22。その中から聴講者が聞きたいセッションに手を上げてもらって、人数の多かったものからどんな内容だったかを東海チャプターの方が説明してくれる、というかたちで進行されました。

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この写真は、線の左側の数字がセッションの番号、右側が会場の人が「聞きたい」と手を上げた数です。
「聞きたい」の数が多く、この日に詳しい説明をしていただけたセッションのタイトルは下記の通りです。

  • No.49 「財団をつくる」という社会貢献のカタチ ~誰にでも助成財団を創れる時代の新たな可能性~(8名)
  • No.7 社会的インパクト評価の最新動向 ~2020年社会的インパクト評価推進に向けたロードマップ~(7名)
  • No.16 ソーシャルデザイン ~社会をちょっとよくするプロジェクトのつくりかた~(5名)
  • No.22. 受け入れ団体から見た伴走型コンサルタント ~組織づくりから始めるファンドレイジング~(5名)
  • No.54 マーケティングで企業から選ばれるNPOになる ~企業は何に「共感」してNPOと連携するのか?~(5名)

この中の「「財団をつくる」という社会貢献のカタチ ~誰にでも助成財団を創れる時代の新たな可能性~」は私も聞きたくて手を上げました。
内容は、平成20年に「新公益法人制度」が始まったことにより財団が作りやすくなったこと、その後にできた全国の財団(パブリック・リソース財団、熊西地域振興財団、一般財団法人みらいRITA)の活動を紹介するというものでした。日本の個人金融資産の約半分が預貯金であり、しかも60代以上の人に集中しているということで、お金の使い道が分かりやすい身近な財団が増えることで、寄付シーンの活性化につながるのではないか…というような話でした。

でも私はこれを聞いて「え、それだけ?」と思ったんです。

だって、財団といえばあいちコミュニティ財団じゃないですか?しかも、東海チャプターの振り返り会です。この地域でファンドレイジングに興味のある人で、あいちコミュニティ財団のことを知らない人はいないと思ったんです。

yoshimi-deluxe.hatenablog.com


なので「今年のFRJ2018では、あいちコミュニティ財団について話し合ったセッションはなかったんですか?」と質問しました。

答えとしては、FRJ2018ではあいちコミュニティ財団について正式に話し合いを持ったセッションはなかったとのことでした。

しかも、私の質問の意図がよく伝わっておらず、会場でなぜか日本ファンドレイジング協会の職員の方にあいちコミュニティ財団との距離感について説明させてしまったり、会場にあいちコミュニティ財団の関係者の方も来られており、財団のこれまでの経緯について丁寧にご説明いただくことになってしまったりして、私の不用意な発言で会の雰囲気が気まずい感じになってしまったことを申し訳なく思いました。ごめんなさい。

でも、私の質問の意図は、ファンドレイジング協会に説明してほしいとか財団に説明してほしいとかじゃないんです。
会場でも言ったんですが、ファンドレイジングをする/必要とする私たち一人ひとりが、ひとりのファンドレイザーとして、今回のあいちコミュニティ財団の一件をどのように受け止め、今後の活動に生かしていくか?ということを考えたかったんです。

しかし、あいちコミュニティ財団のことが公になったのは年末年始の時期。FRJ2018は大きなイベントなので、短期間で新しくセッションを追加するということは準備の都合で難しかったのかなーとも思います。ただ、公に議論はされなかったけれど、参加した東海チャプターのメンバーは全国のファンドレイザーの方から「あれはどうなったの?」と休憩時間などに聞かれることはあったとか。やっぱりファンドレイジングに関わる人の関心ごとであったことは間違いないようです。

そのうえで、今回FRJ2018であいちコミュニティ財団について考えるセッションがなかったとしても、それはそれでひとつの考え方だと思うんです。「あいちコミュニティ財団が起こした不祥事は、あいちコミュニティ財団という個別の組織の問題であり、日本のファンドレイジングを考えるうえで、大した問題ではない」という考え方もあるのかなと。(そういう説明をされた方はいなかったですが…)
でも、私は、そうではないのではないか、と思うのです。

あいちコミュニティ財団の不祥事の原因は「ファンドレイジング」活動が内包している矛盾にもあるのではないか

FRJ2018のセッション内容を見てみると「社会的インパクト評価」「企業連携・CSV」「社会貢献教育」「調査分析」「ストーリーテリング」「地域特性を生かしたファンドレイジング」「伴走型コンサル」とあり、これって全部「あいちコミュニティ財団」がやってきたことじゃんか、と思いました。昨年であれば、あいちコミュニティ財団の取り組みは、FRJでベストプラクティスとして輝かしく取り上げられていたのではないでしょうか。

それが今回、この無視ぶりというのは…。あいちコミュニティ財団も、日本ファンドレイジング協会はじめ全国のファンドレイザーと一緒に、日本の寄付シーンを盛り上げていこうと尽力してきた仲間ではないのでしょうか。
だからこそ、今回の不祥事には驚き、戸惑い、がっかりし、憤りも感じたと思います。財団の今後の方針など状況が定まらない中で対応に困ったことも多いと思います。
でも、でも、だからこそ、私たちはこの問題をなかったことにしないで、きちんと向き合い、考え話し合うべきものではないでしょうか。それは厳しいメッセージを発信することかもしれないし、立ち直りに向けて協力することかもしれないし、しないことかもしれません。

社会課題と向き合い、きちんと調査し、ロジックモデルを使って戦略を立てる。思いをストーリーにして語り、共感をベースに多くの人の協力を集め、「社会を変える」事業をかたちにしていく。かたちになった事業を数値にして評価し内容を公表する。その全部を美しく実現してきた組織が、一方では新たな「課題」や「抑圧」を生み出していた。それを私はどう考えたらいいのだろう、と思いました。

私だってファンドレイジングしたくて、ちゃんと勉強したくてこの振り返り会に参加したんです。私は今、あるホームレス支援団体の広報や寄付集めに関わっているのですが、スタッフのお給料はお世辞にも高いとは言えず「貧困者を支える団体が新たな貧困を生み出していないか?」とは、ずっと苦しく思ってきたところです。少しずつでも寄付を集めて、みんながストレス少なく活動できたらと思って試行錯誤しています。

だけど、一方で「社会にいいことをしているのだから」「ホームレス状態にある人だけじゃなくて、みんなのためになることだから」と言って活動をPRし、寄付をいただくことを「当然だ」と思っていないか、そこに傲慢さはないかと常に思っていなければ、と、私はあいちコミュニティ財団の色々を見て考えました。私の信じる「正義」のために無理を通していないか、「正義」のために美しくない部分を隠していないか、「正義」のために誰かに我慢をさせていないか。そしてそれでも「正義」というか信念を通さねばならないとしたら、どうするべきなのか。

もう一つは「誰のための」「何のための」ファンドレイジングなのかを忘れないことではないかと思います。
クラウドファンディング、休眠預金、ソーシャル・インパクト・ボンドなどなど、新たな資金調達の方法っていろいろあると思うんです。でも、それって「誰の」ニーズなのか?誰が望んでいることなのか?ということを常に考えないと、と思います。私は、テレビ塔の下の植え込みの陰で寝ている人や、後ろ指をさされながら空き缶を自転車に満載して売りに行く人に対して、私がやってる広報とか寄付集めってどんな意味を持つのかな?と思うと苦しくなることがよくあります。(なので、もっとよい方法を、たくさんの人と一緒に勉強したいと思っているのです。)

「社会を変える」とか「日本の寄付・社会的投資市場を10兆円へ」といったかっこいいキャッチフレーズは多くの人に響くし、そういう言葉がなければ寄付やソーシャルな活動に興味を持たなかった人たちもいると思います。だから、意味がないとは思いません。でも、結局は誰のためなのか?という問い、再配分を受け取るべき人を置き去りにしていないかという問いは忘れずにいたいと思います。

そして、その問いは、社会にイイコトをしていい気になってる私の驕りをいさめてくれるだけでなく、活動そのものを改革するエンジンになると思います。公園で寝ている人は「社会課題」というフワっとしたものではなく、ひとりの意志ある人間です。給食費が払えない、塾に行けない子どもも、障害者も、外国人も意志ある人間です。寄付はその人たちを助けるためのものでしょうか。それともその人たちを「社会課題」たらしめている状況を変えるためのものでしょうか。社会の前に、変えるべきはファンドレイザーのマインドではないか…と私は書きながら思いました。

手法に加えて、そもそも論も必要では?

こんだけ書いといてなんですが、私はファンドレイジング協会とか、FRJ2018とか、東海チャプターとかあいちコミュニティ財団をディスりたいわけではないんです。准認定ファンドレイザーの勉強しようかなあと思ってファンドレイジング協会にマイページも登録したし、一緒に学ぶ仲間だと勝手に思っていますよ!

ただ、ファンドレイズの具体的な手法だけでなく、何のためにとか、本当にこれでいいのかみたいな「そもそも」の話ももっと勉強できたらなあと思っているんです*1。それはもしかしたら、自分たちの活動の根幹を揺るがすような議論になるかもしれないけど、社会を変えるとか威勢のいいことを言うくらいなら、その程度のことにビビってちゃいけないんじゃないかな、とも思うんです。

完全に矛盾がなくて、美しい活動はないと思います。私は日本のファンドレイジング・シーンに矛盾があることがおかしい、と言っているのではなく、矛盾にこそ向き合っていきたいと思っているんです。首尾一貫していないこと、潔癖でないこと、自分の手が汚れ目は曇っているかもしれないことを、自分にも他者にも隠さないでいたいんです。清く正しく美しく、速く賢く大きい物語より、ズルくてケチくさくても「でも、やるんだよ」という実践こそが、「共感」や「ブレイクスルー」を生むと考えるからです。

私からは以上です。

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*1:ちなみにFRJ2018では「ファンドレイジングの7つのジレンマ~ワークショップで考える、エシカル・ファンドレイジング」というセッションがあったようです。「エシカル・ファンドレイジング」という言葉が衝撃だったんですが「エシカルとは言えない面も現状、ある」っていうことをちゃんと認識することって大事だなーと思いました。