We are the Robots---人工知能は人間を超えるか
最近読んだ本で一番面白かった本は
「人工知能は人間を超えるか」です!
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2015/03/11
- メディア: 単行本
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人工知能の研究を通して、人間の認識の仕方、思考の仕方にぐんぐん迫っていくところが面白かったですね。どうしてわたしたちはネコがネコであるとわかるのか。机の上からガラスのコップだけをそっと取って来れるのか。経験から学ぶとはどういうことか…とか。当たり前だと思っていたことの仕組みが分かるのって面白いですね!
例えば人間同士の「会話」もエンコード(符号化)とデコード(復号化)なんだという説明もすごく腑に落ちた。話しているのに「わかりあえない」というのは、符号化がうまくないか、受け取る方の復号化がうまくないか、その両方かなんだなと思うと自分には分かりやすかった。会話はキャッチボールに例えられることが多いけれど、変化しないボールをやりとりしているのではないんだな。ボールを一度記号にして相手に渡す。相手は記号からボールを復元する。でも記号にする過程か、記号を復元する過程でなんかのエラーがあると、ボールを渡したつもりなのに茄子になって受け取られてしまうのかもしれない。
ある人が見ている「絵」をどのようにほかの人に伝えられるだろうか。
もちろん、コンピュータが画像を転送するときのように、左上のドットから1画素ずつ説明していく方法もある。が、あまりにも非効率だろう。(中略)考えられる効率的な描写はこうだ。
「画面の真ん中にXがある。Xは人間で私の友人だ。その近くにYがある。それはライオンだ。そしてYはとても怒っている」(つまり、私の友人がライオンに襲われそうになっている)
このように情報を「エンコード(符号化)」して記述していくのではないだろうか。そしてそれを受け取る側も、これと対応するデコーダー(復号化器)があれば、これと近いものを再現することができる。つまり、異なる人間同士で復元エラーを下げようとすると、何らかの「関係性に基づく」描写が効率的であり、それが人間の持つ文法構造として生まれつき埋め込まれていたとしても不思議ではない。要するに「お絵描きの方法」が人間の脳に生まれつき組み込まれているということである。(松尾豊「人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの」角川EPUB選書)
ロボットを作ってみると、どんどん人間がわかっていく…というところが人工知能の研究の面白いところだな~と思いつつ、でも自分としては普段全く読まないジャンルの本なので、いろいろ苦心しつつこの本の感想を書いてみました。毎度ゼロ会さんには感謝です。でも、次回はもうちょっと得意分野の本でリベンジしたいと思います。
ameblo.jp
「人工知能は人間を超えるか」と一緒に無理やり紹介している「弱いロボット」もとても素敵な本でした。2冊とも読んでみて「人口知能が人間の仕事を奪ってしまうのではないか」という不安は、「自動車ができたら人力車夫は失業してしまうのではないか」という心配と同じなのではないかと、わたしは考えるようになりました。
人間の能力ってけっこうすごいんですよね。でも、それと同時に、その能力を自分達の力をまだまだ正確には復元できない程度の能力しか人間は持っていない、ということも事実なんだな、と。
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2015/03/11
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- 作者: 岡田美智男
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2012/08/24
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この国で「好き」を貫くのは難しい―シン・ゴジラを見てきたよ!(ネタバレがあります)
シン・ゴジラを見てきました!
www.shin-godzilla.jp
ここからは大いにネタバレがありますが
あらすじがバレたところでこれから見る人にとって面白味が減る映画ではないと思うので(責任は持ちませんが…)遠慮なく書きますね。
もうね、いまの日本で見たらゴジラ=原発としか思えない映画ですわ~。
そしてエヴァンゲリオン見てた人なら完全にエヴァとしか思えない映画ですわ~。
ていうか、そもそも「エヴァ」が、ゴジラのパロディというか、オマージュだったのかなあ、なんて見ながら思いました。
ガッジーラ(GODZILLA)、ゴジラと言う「想定外の」「これまでに経験のない」危機に対して何のマニュアルも、既存の法律で対処するすべもない、という状態の中で、政治家も中央官庁の行政マンも「民主主義の手続きを重視して」誰も責任を取ろうとせずオロオロしている間にゴジラが都内に上陸して、そのうち霞が関もゴジラの尻尾でバーン!バーン!ってやって主要な閣僚も全員一瞬で死ぬという展開。縦割り行政も慎重な判断も誰にも責任を押し付けないというのも、わたしはそれは必ずしも悪いことだとは思わないし、むしろ尊重すべき面も多々あると思うんです。でもゴジラがスゲー勢いでヤベー数の都市と人間を破壊しまくってる時に平時の対応だと全員死ぬわけで悲惨なんです。その「難しさ」を、重々しさと同時に、なんだか書き割りのような間抜なユーモア・どうしても現実として受け止められない状態としての「リアリティ」をもって描いているところ(緊急速報が流れるTVのメイン画面はのんびりしたアニメ番組とか)に好感を持った。
その危機を救うのは、今回はシンジ君でもなく、アスカちゃんでもなく、綾波でもなく、平時の、儀礼的だったり、空気をよんだりするコミュニケーションには全く不得手な「オタク」的な才能を持つ人たちでした。その分野だけにはものすごく尖った才能を持つけれど、人付き合いとか、交渉とか、愛想笑いとか、愛想とか、駆け引きとかそういうことには全く長けていない「オタク」的な人たちでした。
そしてその人たちを否定せず、仲間として才能を尊重し、うまくオタク的専門家とオタク的専門家の間を取り持ってファシリテートする人たちでした。そして、オタク的専門家の生み出したアウトプットを、持てる力で支える普通の人たち(自衛隊、言われなくてもボランタリーにおにぎりを差し入れてくれる掃除のオバちゃん、仕方なく総理を引き受けたおっさん等)でした。
そんで、これって庵野英明監督本人の物語なのかなあ、と思ったんです。
特撮が大好きで、しかし日常生活に大いに支障をきたすほどの才能の凸凹が余すところなくある。そういう庵野監督を支えてくれた人が誰だったか。それはガイナックスの人たちだったり、スタジオジブリの人たちだったり、妻である安野モヨコさんだったのではないだろうか。そういう経験が、このゴジラに込められたメッセージの中に垣間見られるのではないかと思った。オタクが素晴らしいのでもない。社会性のある普通の人たちが素晴らしいのでもない。エリート官僚、政治家が素晴らしいのでもない。それぞれの知恵を結集すること、それぞれが補い合って力を発揮することではないだろうか。「シン・ゴジラ」は、いわゆる「クール・ジャパン」ではない方法で、庵野監督自身が提案する「オタクの使い方」ではないか、そんな風に思った。
映画の中に「この国で『好き』を貫くのは難しい」というセリフが出てくる。わたしはそれをこの国で生まれた「オタク」と呼ばれる人の生きづらさのように感じた。「オタク」というと内側へ引きこもっていくように思われるけれども、「好き」を突き詰めていくとどうしてもその「好き」と隣接するジャンル、社会と接触していかなければならなくなる。(マーケットが大きくなったり、それこそ「エヴァ」がアニメファン以外にも大ヒットしたりね)そこで「社会」を拒絶して自分の殻を厚くして閉じこもっていくか、それとも「好き」の力で社会と触れ合い、巻き込み、大きなうねりを創り出していくか。庵野監督が、「ナウシカ」や「エヴァ」そして「ゴジラ」でしようとしていることは明らかに後者なのだけれども、そこには庵野監督の力を信じて排除せず、しっかと受け止め助言し励まし続けている、「普通の人」「オタクではない人」「違うジャンルのオ
タクの人」がいるはずなのだと思う。
- 作者: 安野モヨコ
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2005/02/08
- メディア: コミック
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新世紀エヴァンゲリオン コミック 全14巻完結セット (カドカワコミックス・エース)
- 作者: 貞本義行
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2014/11/26
- メディア: コミック
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- 作者: 安野モヨコ
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2008/08/20
- メディア: 単行本
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- 作者: 安野モヨコ
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2013/01/18
- メディア: Kindle版
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「家がないなら空き家に住めばいいじゃない」ってどうなのよ
自分もモヤモヤしたんでこれについて書くことにしました。
このモヤモヤの原因は何か?
・家が余っている。
・家がなくて困っている人がいる。
・ならば、余っている家に住めばよい。
筋道が立っていて、無駄が無くていいじゃん!と思うんだけど
これは「家が無くて困っている人自身」が、どうしたらいいか考えて
安い空き家を探して住むとか、不動産屋や大家に交渉するとかなら
モヤらないんですよ。
でも、これを政治家とか行政の人が言うのは
なんか違うんじゃないかなって思うんですよ。
安定して暮らせる家に住むとか
介護サービスを使って暮らすとか
何かの仕事をして働くとか
ちゃんとご飯が食べられるとか
そういう環境を整備するのって
国の役割だよね?
社会保障だよね?って思うんですよ。
それを単純に、安いから、手っ取り速いからといって「あまりもの」でなんとかしようとするのってどうなんかなあと思うわけです。余っていようと余っていなかろうとそれは保障されるべきものだと思うんですよね。その見地から検討してみて、たまたま空き家になっているところが利用できそうだとなったらそりゃいいと思うんですけど。
行政の役割と民間の役割
以前のこの↑記事で
最低限の生命と暮らしの維持(パン)を保障するのは行政の役割で
民間の力は「なくても死なないけど、あると人生が楽しく豊かになる」(薔薇)
っていうところに発揮できるといいんでないか、と書いたんです。
空き家を改造してグループホームにしようとか
余った野菜をもらって子ども食堂しようとか
ボランティアの力で生活支援をしようとか
そういうのって、課題に気づいた市井の人たちが
今すぐ何とかしなきゃと思って緊急避難的にやってきた事でもあると思う。だから、それが上手くいったからと言って、じゃあ他もそれでやりましょ、やってくださいっていうことには慎重になってほしいなーと思う。「やる人」が自主的にやりたくてやるんならいいんだけど、そうじゃなければ「ボランティアをしてください」って命令するようなもので、なんか変だなって思う。
今日は特にオチはありません…
- 作者: 本間義人
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/11/21
- メディア: 新書
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「ボランティア」の誕生と終焉 ?〈贈与のパラドックス〉の知識社会学?
- 作者: 仁平典宏
- 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
- 発売日: 2011/03/07
- メディア: 単行本
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8/7(日)は内海に行きます
ほぼ日刊だけがとりえのブログだったのに
また5日ほど空けてしまいました。トホホ。
いろいろやることがある時ほど、ふだん通りの習慣を大事にしないといかんすね。そこからあらゆる日常生活がだらしなく崩れていくんだなあ。岡崎京子さんの「うたかたの日々」に、主人公の心が荒んでいくとあらゆる住環境が物理的に思いっきり荒んでいくシーンがあるんだけどまさに真理だわ。明日は掃除しよ。
なんで、今日は再開に向けて重い腰を上げるべく
楽しみなことを書きます。
先週も海で遊んでいましたが、今週も海で遊びます。
毎年恒例のwideloop@内海:亜細亜に行きます~
DJタカハシは今年から亜細亜にオープンした
浜辺のオーシャンテラスでレゲエとかダブをかける係をするそうです。
先週、吉良の海に行ったときも「いや~高橋さん、海が全然似合わないですね!」と友達に声をかけられていたほどの
筋金入りのインドア派DJですが、炎天下でレコードが曲がるのにビビりつつ、先週からいっぱい選んでおられます。
毎年とても楽しいパーティになるので、よかったら一緒に遊びましょう!
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2016/8/7(sun)
wideloop seaside party@asia
亜細亜(愛知県知多郡南知多町大字山海高峰12-3)
START 15:00 CLOSE 1:00
DOOR \3,500- WEB RESERVE ¥2,800-
http://www.wideloop.info/
◆main floor
Guset Dj:Toshiyuki Goto
Live:J's Bee
Dj:ohtake(vinyl),TANAKADISCO(CISCO)
shigeta,ayapam D.J.
◆Ocean terrace
Takahashi(velvet sunday), Tsuyoshi.w(Kalakuta Disco), YAMICA(popipa)
- 作者: 岡崎京子
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2003/05
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ふしぎな木の実をたべてみた
7月31日(日)
朝昼兼用
ツナじゃが、ちくわ天、鶏天、お茶
おやつ
アイスコーヒー、ガリガリ君、謎の木の実
夜
タコのマリネ串、鶏の焼いたの
ビール、赤ワイン、テキーラ(これをやめておけばよかった)
吉良の海辺でビーチパーティがあったので行ってきました。
ライブとかあって面白かったです。
ほとんどロクに食べず酒ばかり飲んでしまいました。
会場に生えていた大きな木にたくさん実がなっていて
これは何の木だろう?と気になり
酔っぱらっていたので思い切ってちょっとかじってみました。
べたべたして渋くて悲惨でした。
いい大人のやることではありません。
あー、もう8月かあ~。あと一ヶ月で夏が終わると思うとさみしいな。
桜山にすごい果物屋さんがあるよ!
そういえばこの前、思いがけず桜山のすごい果物屋さんに行ったんですよ!
トップフルーツ八百文
retty.me
最近スムージーとかフルーツジュースとか流行ってるでしょ。
ここも生のフルーツだけを使ったジュースがとても美味しいお店と聞いて行ったんだけど、そういうおしゃれさは全くなく。正直「え?ここ、どこから入るの?ていうか、営業中?」みたいな…どう見ても年季の入りまくっためっちゃ小さい果物屋なんですよ。知らなかったらジュースが飲めるどころか、果物を売ってるかどうかすら分からなかったかもしれない…。
店に入るとギッチリと果物が並べられ、通路を「身体を横向きにして」通ります。(狭いのでまっすぐでは歩けない)バナナ、プラム、プルーン、みかん、西瓜、梨、そして店の奥の冷蔵庫にはメロンや葡萄がドーン!ドーン!ドーン!てな感じで並べてあります。
そんな中喫茶コーナーが机二つ分&カウンターという感じであります。椅子もぎっちぎちに並べてあります。適当に座るとお店のオバちゃんに「ここ詰めて!」「向かい合わせじゃなく隣同士にして!」などと指示されます。
このオバちゃんが果物ひと筋ウン十年みたいな方で、かつ、林家パー子さんとかアパホテルの方をほうふつとさせるトロピカルないでたちなんですわ。わたしが行った日はつばにぐるりとサクランボの装飾をあしらった麦わら帽子に、ショッキングピンクのブラウスでした。
で、メニューがフルーツジュースだけでもものすごくいっぱいある。50種類くらいはありそう…。選んでも、選べなくてオススメを聞いてもどちらでも、その果物に関するウンチクをオバちゃんから聞くことができます。そして当然名古屋の喫茶店マナーも外しておらず、ジュースを頼むとなんとフルーツの盛り合わせが付いてきます。すごいです。
わたしはプラムのジュースを頼みましたが、「スイカ・メロン・バナナ・ミカン・ブルーベリー・葡萄・パイナップル」を一切れずつ盛ったプレートが付いてきました。すごい。
しかも、ジュースも果物もどれもビックリするくらい味が濃くて甘くて美味しいんです~~~!!!
わたしは普段、好んで果物を食べることはないのですが、ここのはばくばくいきました。ジュースも、フルーツジュースというのはこんなに美味しいものなのかー!と感動しました。
ちなみにこんなに小さい果物屋なのに、メニューは他にフルーツのサンドイッチやパフェ、今の時期だとかき氷もあります。別のお客さんがかき氷を頼んでいたけど、パイナップルをくりぬいたのを器にして、その中に氷とパイナップルがこれでもかと盛られ、周りにフルーツが盛り付けられているというゴージャスなものでした。
かき氷は豪華すぎて腰が引けましたが、また行って違うジュースを飲みたいな~と思いました。友達と一緒に行くとあらゆることが面白いので行ってみてね。トーストとフルーツの盛り合わせが付いてくるモーニング(!)も大混雑らしいよ。
- アーティスト: ジューシィ・フルーツ
- 出版社/メーカー: 日本コロムビア
- 発売日: 2012/06/20
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若い頃に戻りたいなんて思わない
↓今日読んだはてなダイアリー
anond.hatelabo.jp
わたしも10代の頃、特に高校3年生以前には全然戻りたくないし、できるだけ思い出すこともしたくない。暗黒すぎる。
まず親に養われていることがとても嫌だった。親は自分のことを全然理解も信用もしてくれないし、全然大人としても尊敬できないし(と当時は思っていた)、それなのに「そういう人」に養ってもらわないと学校も行けないしご飯も食べられないという状態の自分がとても嫌だった。誰に食わせてもらっていると思っているんだ、と言われたこともあったけど、それを一番感じていたのは自分だった。好きで食わせてもらっているわけじゃねえし。*1
そして学校に居場所が無かった。「中学の時は成績が良かったけど高校に入ったら勉強ができることなんてフツー」というありふれた進学校で、テストで今までにとったことのないようなスコアをメイクするようになった。自分でも何が分からないのか分からなかった。クラスの友達とは何を話していいのか分からなかったし、話したいとも思わなかった。昼休みにクラスの子といっしょにお弁当を食べるのが苦痛で仕方がなく(話すことがないし友達の話すことにも興味が持てないので)、堪えられなくなって「生徒会の会議がある」と言って毎日生徒会室でひとりで昼食をとった。生徒会の役員をやっていなかったら、トイレで食べていたと思う。とにかく誰にも見られないところに居たかった。ちなみに生徒会をやったのも「自分みたいな者がこの学校にいていいんだろうか?」と悩んだ挙句、「生徒会長だから」という理由があれば学校に居てもいいかもしれない、と思った末のことだった。今思うと気が狂っていたとしか考えられない。毎日学校に行くのがつらくてつらくて、でも学校を一日でも休んだらますます授業についていけなくなる、授業についていけなくなると卒業できない・大学行けない、そうなったらお先真っ暗だと思うとその方がおそろしく、その恐ろしさからついつい登校していたら、結果として皆勤賞だった。
この自信のなさ、周囲への不信感はどこからきていたかというとものすごく自分がブスだったということがあると思う。今でも相当にブスだけど当時に比べるとだいぶマシなのだ。知らない人とすれ違って「うわっ、すげーブス」とか言われるくらいブサイクだったんですよ。(幻聴とかじゃないよ!)しかもモードな服が好きで(CUTIE少女だったのです)でもセンスはなくて着ている服とかも本当に滅茶苦茶だったんです。死にたい。でも10代の頃って性欲もメチャメチャに強くて、ものすごくモテたかったんです。男に媚びるような服とかクソだと思ってたんですけど、でも本当はすごくすごくモテたかったんです。男の人に必要とされたり欲情されたりしたかったんです。というか、誰にも欲情されない自分なんて価値がないんじゃないか?と思うとそれだけでまた死にたくなりました。援助交際がメディアを賑わせていた頃でした。でもわたしは売春することよりも、売春しようとして「お前なんかに金が払えるか」「お前なんかに勃起すると思ってんのか」と言われるんじゃないかと思ってその方がつらかった。別に売春したかったわけでも、しようとしたわけでもないし、誰からもそんなこと言われてないんだけど、そういう自動思考がはたらいて勝手にしんどかったです…。
でも大学に入ったらだいぶ変わったんですよね。
バイトしまくったので以前よりも親に遠慮せず好きなこと(主に夜に遊びに行くだけ)ができるようになったし、ゼミの先生は私のそういう過剰な自意識こそ研究に値するものがあるからと全面的に受け止めてくれた。そして「世の中でさも当たり前だと思われていることは、実はそうでもないんだよ」という授業ばかりで面白かった。大学自体にリベラルな雰囲気があったし、自分に興味のある授業ばっかりとれるというのも自分に合っていた。授業に来ても来なくてもよいというのも、制服が無いというのも、「クラス」というのがなく人間関係が自由なこともよかった。そして自分が楽しくなったら友達も増えた。色々なことが許せるようになっていった。世間に媚びた服なんかつまらないと思っていたけれど、身だしなみを整えることも悪くないと思えるようになった。社会人になって、良い上司に恵まれたことも大きい。
顔立ちや体型は、どんなに努力しても、整形手術でもしなければ劇的に変えることは難しい。でも、大人になるにつれて「美」の基準は多様になることを知った。
10代の頃は「10代のアイドルのような」見た目こそ可愛らしいと思われがちだ。でも、それは見た目のほかに差別化する要素が少ないからだと思う。
20代を過ぎ、仕事や恋愛や結婚や出産や趣味や友情や裏切りや、コツコツとした努力や不慮の事故や、思いがけない出会いや別れといった、画一的だった学生時代にはない「その人ならではの経験」が増えていく。そういう経験が、その人の外見と内面の両方に豊かな彩りを加えていくことを知った。キリッとして強くクールな美しさもあれば、ふんわりと柔らかく周囲を和ませる美しさもある。純粋で生き生きとした人に元気づけられることもあれば、どっしりと落ち着きのある人に憧れることもある。美しさは、多様なのだ。
そして、その多様な美を楽しむには知性が必要なのだ。食べるもの、身に着けるもの、部屋に置くもの、聴く音楽や出かける場所がその人の美しさを作っていく。本を読んだり音楽を聴いたり、人と会ったり知らない所へ旅したりした経験が、若い頃には閉じていた美を開花させる時がくる。それが外見の美しさに反映されるときもあるし、装いに派手さはなくても内側からにじみ出すような魅力になることもある。どういう風に自分を見せたいか、どんなふうに発信したいか、どのように他者と関わっていきたいかというプロデュース能力は、文化的な資本を充実させると自然についてくるものだと思う。
そしてそれは、年齢を重ねれば重ねるほど美しさを発揮すると思う。若さからくる肌や髪のハリやつやはどんどん失われていくけれど、経験や知性は重なるにつれ豊かになるものだからだ。
しかも、努力によってなんとかできるものなのだ。
若いときは、そんなものはババアの負け惜しみだと思っていた。でも、それはその当時の自分に美の多様性を感じられるだけの知性と経験が無かっただけなのだ。若くても若くなくてもそれぞれの人に美がある。それを感じられるかどうかなのだと思う。
そして若いときは、大人というのは何が楽しくて生きているのだろうと不思議だった。毎日毎日やりたくもない仕事をし、稼いだお金は家族に吸い取られ、顔も体もしわしわになっていく。
でも今、そう思っていた時から20年経って、今のほうが当時よりずっとずっと楽しくて、大人になってよかったと思った。顔はレーザーで消したいしみばかりだし、いい大学に入って一部上場企業に入ってマンション買って暮らすんだと思っていた未来からは遠くかけ離れているけれど、当時の自分よりも、当時の自分が描いていた未来よりもたぶん幸せだ。出会った人、読んだ本、聴いた音楽、やってきた仕事、書いた文章、そういうことの全部が、自分を縛っていたいろいろなものから自由にしてくれたおかげだと思う。
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7月29日(金)
朝
ヴァーム、コーヒー、チョコチップクリームの入ったパン
昼
カレーライス、鰆の焼いたのとオクラ、きゅうりのサラダ、コーンスープ、豆、漬物、お茶
夜
ニラ玉、レタスのサラダ、鶏のから揚げ、ビール
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10代の時の自分に読ませたい1冊
- 作者: 雨宮まみ
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2014/05/23
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10代の時はなんでこんなクソつまらん説教臭い本の読書感想文を書かねばならんのじゃーーーーと切れたけど最近また読み返したいなと思ってる1冊
- 作者: 吉野源三郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1982/11/16
- メディア: 文庫
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10代の時たぶん一番何回も読んでた本
家出のすすめ 現代青春論 (角川文庫クラシックス CL て 1-1)
- 発売日: 1972
- メディア: 文庫
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*1:しかしながら、当時の自分は「今親元を離れるよりも、堪え難きを耐え忍び難きを忍んで大卒という学歴を手に入れなければ『誰かに食わせてもらう』という状況からは抜け出せない」という判断ができる程度の打算的な考えを持てたことができたことが結果的にはラッキーであった。