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アナーキー・国家・ユートピア・わたし

わたしのブログで一番読まれた記事はこの
『「誰も排除したくない」という欲望と、「物語をつくること」のあいだにあるもの』なんです。yoshimi-deluxe.hatenablog.com

で、これを読んだ方から紹介されたのが
ノージックの「アナーキー・国家・ユートピア」なのです。

アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界

アナーキー・国家・ユートピア―国家の正当性とその限界


タイトルからして「おおっ」と思ったので
中古で買って読み始めてみたんだけど
こういう本を読みなれないせいか全然わかんなくって。
なので、千夜千冊を読んでみることにした。
449夜『アナーキー・国家・ユートピア』ロバート・ノージック|松岡正剛の千夜千冊


で、読んでみたら、ますます分からなくなってしまった。
順調だな~~。
遅々としてはかどってるな~~。

最近思うんだけど、「わからないこと」を
わかりやすく言い換えたり噛み砕いたりする前に、
「わからないまま、そのまま読む」っていうことって大事だなって。

自分の解釈・思いを排して、
言葉づかいも考え方自体もその本やその人のやり方を
そのままたどっていくような方法って大事だなって。
自分の中に、「他者の方法」自体を取り込んでいくんだ。

ノージックは「危害を押し付けることと、安全や安心を押し付けることは同じではないのか」と問う。
 人々が危害にさらされることから人々を守るのは、国家の最大の義務だと考えられている。では、人々を安全にするためには何をしてもよいのだろうか。(松岡正剛の千夜千冊「449夜」http://1000ya.isis.ne.jp/0449.html

 ノージックは国家が国民の「全員」を相手にしなければならないと思いこむ"国家の自己幻想"ともいうべきを、すっぱり捨てていた。そのかわりに「複雑性」と「多様性」を前提にした複合的社会を叙述した。そして国にひそむ層・相・厚みをまたぐ社会を描こうとした。
 その基本になるのは決定論を排した「協会」(association)なのである。(略)この協会は各地各層で自由に選択された「いくつものコミュニティ」が媒介になる。
 この協会の"進化のプロセス"で、ノージックは3つのユートピア主義を克服する。全員にパターンのコミュニティを要求する帝国主義ユートピア、特定のコミュニティに評価を与える伝道的ユートピア、生存可能な条件だけでコミュニティをつくろうとする実存的ユートピアである。
 これらは、いまわれわれの周辺を埋めつくしている市場主義、価格主義、議会主義、宗教主義、環境主義、オルタナティブライフ主義などの別名である。ノージックはこれをなんとか乗り越えようとした。それも「アソシエーション」(協会)などという古くさい言い方によるユニットによって。(同)

アナーキー・国家・ユートピア 上―国家の正当性とその限界

アナーキー・国家・ユートピア 上―国家の正当性とその限界

偶然性・アイロニー・連帯―リベラル・ユートピアの可能性

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