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#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

フリーランスは風邪をひいてはいけないと思っていた

起業

会社を辞めてこれからはフリーでやっていくんだ、
と決めた時
これからは自分の代わりはいないんだから
絶対に風邪ひいて仕事を休むなんてできない

と思ったものだった。

しかし、そんなの無理だった。
何があっても風邪をひかない完全体なんて
機械の身体を手に入れないことには無理なのだ。
少なくとも自分には無理みたい。

と、今年インフルエンザの予防注射をしたのに
見事にインフルエンザに感染してしまい
熱に浮かされながら思った。

結局、4日くらい仕事を休ませてもらい
申し訳ないなあ、情けないなあ、と感じたけれど
自分が行かないとどーしてもダメ、みたいな仕事は
幸いにも、その間はなかったので助かった。

風邪を引いたら休めばよい

…という、当たり前のことを、
なんでわざわざこんな太字の見出しにしてまで
言わねばならないのだろうか…

寝ながらダラダラネットとかを見ていたら
アイドルの女の子が嫌な仕事を事務所に強要されて
どーのこーの、という話がやってて

アメリカではグラミー賞に異を唱えるアーティストが
「俺たちでHood Grammy賞を作ろうぜー」とか言ってるのに*1
日本の芸能界は事務所の奴隷みたいやなあ、なんて
思って、はっと気づいたんですよ。
別に芸能界だけの話じゃないなーって。

わたしも会社員の頃は仕事が嫌でも
でもこの会社辞めたら次の仕事があるか分かんないし
無かったら食っていけないし
途中で辞めたら同僚やお客さんに迷惑がかかるし
とか思ってやっていた。
少々の風邪や体調不良で休んだらダメだと思ってたし
休んでも家からメールや電話して
他の人に「あれはこうして、これはこうしてください」って
お願いしたりしていたなって思い出した。
そもそも「風邪や体調不良」になること自体が
「自己管理」のできないダメな人間、って事で
ダメだと思っていた。

でもさー、どんだけ自己管理して健康に気を付けてても
風邪ひくときはひくんですよ。
倒れる時は倒れるんですよ。
にんげんだものー(みつを)

そういう時に「ごめんなさい、今はできません」って
すぐに、素直に謝れることのほうが
フリーランスとして大切なんじゃないかと今は思う。

無理して引き受けて、質の低い仕事をしたり
それどころか、結局できなくて
納期を守れなかったりするリスクのが大きいし
いざという時「ごめんなさい」と言える関係を
普段からクライアントと作っておくことが
フリーランスとしての自分のリスクヘッジなんじゃないかと。

寝食を忘れることができない

「ずーっと仕事をしている人」に憧れていた。
やっぱり成功する人、デキる人って
すごく長い時間集中して、情熱をもって、粘り強く
諦めずサボらずそれひとすじにやっているでしょ。
それで、すごい成果を出すでしょう。

そういう人がうらやましかった。
大きな努力に見合った大きな成果が出せることも
うらやましかったし
それ以上に、そこまで情熱を傾けて
没頭できることがある、ということ自体が
うらやましかった。

わたしも、どの仕事も一生懸命やってきたつもりだけど
寝たいし、食べたいし、土日は休みたいし、
旅行も行きたいし新しい服も買いに行きたい。
ので、そこまでは集中してやることができなかった。
でも、それでは、中途半端なんじゃないのか?
土日も研修に出たり、関連する本を読んだりしたほうが
いいんじゃないのか?
そういうことをしないから、何も極められないんじゃないのか?
と思うと、
遊んでいても何か後ろめたくなった。
かといって、
遊ばずに仕事一筋にもなれなかった。
それがダメな気がして、いつも自信が持てなかった。

でも、今回インフルでずーっと寝ていて
自分には無理なんだから、仕方がない。
と、やっとあきらめることができた。笑

今までは若かったから体力があって
多少の寝不足でも何でも気合いとハッタリで何とかなる
やる気がない自分が悪いんだ、と思っていたけど
どうも歳をとってみると「そうでもないな~」と
思うようになった。
没頭できるものがないのは残念だけど仕方がないし
没頭できるものがあっても、自分にはもしかして
自分が思っているほどの体力は備わっていなかったのかもしれない
と思うようになった。
その範囲内で、自分ができることを精一杯やり
(その精一杯が、他の人と比べて取るに足りないものであっても)
できないことは、誰かにお願いする、というのが
勇気ある行動ではないかと思った。

ちなみに今回のインフル感染は
1月末に受けた社会福祉士試験の勉強の疲れが出たかな?
と思うんだけど

・人に迷惑をかけてはいけない
・寝ないで頑張らないといけない
・甘えてないで常に前進しないといけない

…という価値観が、いまの社会に差別、偏見、断絶を生んでいるわけで
(=迷惑をかける人・寝てる人・ガツガツできない人が排除される)
だとしたら、率先してソーシャルワーカー
人に頼り、働き過ぎず、寛容であるべきではないか~!
ソーシャルワーカーが忙しい自慢をしていたら
社会正義も人権も多様性も尊重できず、
ウェルビーイング(福祉)は推進されないじゃないか~!
と、考えていたらますます熱が上がって頭が痛くなった。

知りたい! ソーシャルワーカーの仕事 (岩波ブックレット)

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親しき仲にも隠し事あり

こじらせ 社会 音楽 クラブ

「夫のちんぽが入らない」を読んで
わたしがじーんときたのは
ちんぽが入るとか入らないとかじゃなくて

「家族にも、絶対に言えないことがある」

ということを、書いてくれたことだった。

家族にも、恋人にも、友人にも
どんなに近しい人にも言えない
自分だけの秘密(でもなぜかブログには書けたりする…)を
持っている人は、自分だけじゃないんだって分かって
心の底から、ほっとした。

今じゃ言えない秘密じゃないけど、
できることなら言いたくないよ、っていうようなことから
どうしてもどうしても誰にも言い出せないこともあって。
でも、周りの人は家族や恋人には
「何でも」「気兼ねなく」話しているように思える。

わたしは、より親しい人のほうが遠慮や気後れや
ムダな心配をしてしまって、何も言えなくなってしまうことが多い。
(なので、ブログには書けるのかもしれない…)
実際に、家族や恋人や友人から
「よしみちゃんは、もっと何でも話してくれたらいいのに」とか
「もっと心を開いてくれればいいのに」と
言われたこともある。*1

でも、自分としてはこれでも
なんとか精一杯開いていて、
ギギギと音がするくらい必死に心のドアを
開けているつもりなんだよね~。

なんだけど、仕方ないなと分かっていながら
どこかイマイチ割り切れなくて、
やっぱり「閉じている部分がある」ということが
後ろめたくて、自分はダメなんじゃないか、
傷つくのを恐れて自分を守っているだけなんじゃないか、
と自分を責めたり

かと思うと
「あたしは、そういうベタベタした人間関係は嫌なんだよおおお~」
と、誰だか分からない社会を責めたりしていたのでした。

でも、どうしても言えないことがあるのは
自分だけじゃないんだな~と思って。
「夫の…」を書いた「こだま」さんだけじゃなくて
わたしの家族や恋人や友人たちだって、
本当は、言えないことを持っているのかもしれない。

そして、わたしはどうしても言えないこと
開くことができないことを持ってはいるけれど、
家族や、恋人や、友人や、まわりの人を
ないがしろにしているわけじゃないんだ。
自分なりにできる、精一杯の方法で
大切しているんだ。
結果として傷つけてしまうこともあるけれど、
だからこそ、大切にしようと努めているんだ。

そしてそれは、わたしだけじゃなくて
程度の差はあれ、他の人も同じなんじゃないかと思った。
「言えないことがある」「開かれていないこともある」
ということも含めて、わたしであり、その人なのだ。
それが大事なんじゃないかと思った。

「ちんぽ」読みながら、このバンドのPVを見ていたんですよ。↓

D.A.N. - SSWB (Official Video)

若い人たちがフレッシュ過ぎて、見ているとなんだかこそばゆく
なっちゃうような演技もあったりしたんだけど(笑)*2
全員が全員に対して秘密を持っている、という
ストーリーなわけですよ。

↑のビデオのYoutubeのコメントにもあったけど
「最近の若者は必要以上に他人に立ち入ろうとしない」
とか、たまに聞くじゃないですか。

でも、わたしはそれは全然悪いことじゃないと
思うんです。

どんどん人間関係が希薄になっていく…
もっとおせっかいがしあえるような関係を
地域に作っていかないと…

と、福祉やまちづくりに関わる人の間では
よく言われていたりして
それを聞くと、はい、全くその通りです…はい…と思い
正しすぎて、何も言えなくなっていました。*3

でも、それって何もかもさらけ出して
バレバレになるような関係だけじゃなくて
お互いの「秘密」の部分ーお互いの「孤独」を
大切にしながら、支え合っていく、ということは
できるのではないか、と
「ちんぽ」読みつつ「D.A.N.」を聞きつつ、考えた。
ビデオに出てくる若い人たちは、
お互いの秘密をお互いに守りつつ、
きっと次の晩も、同じ車で一緒に遊びに行くだろう。

「それは寂しいことだ」という人もいるかもしれない。
たしかに、さびしいかもしれない。
でも、さびしいかどうか、さびしくないかどうか
人とどんな関わり方をしていくか
人のどんなところを大切にしていくかは
それぞれの人の選択と決断の積み重ねを
尊重していくしかないと思う。

地域や社会が危機的な状態になっていたとしても
わたしたちが地域や社会のために何もかも捧げるのではなく
地域や社会が、「わたしたち」一人ずつの孤独を
尊重できるものでなければ、いわゆる「生きづらさ」は減らないと思う。

私は、生まれて育った場所の
どの家の人がどーしたとか誰がこーしたとか
秘密も何もありゃしない、という雰囲気が嫌で
田舎を離れた。
「隣の人の顔も知らない」という都会の暮らしは
今までのわたしには、何の煩わしさもなく、とても快適だ。

だけど、いま、
都市ではないところに移り住んだり
都市に移り住んだりして
その土地にあった食べ物でカフェを開いたり、
農業をしてみたり、マルシェをしてみたり、
デザインをしてみたり、ワークショップをしてみたり
新しい仕事やコミュニティを作ろうとしている人たちは

べたべたと遠慮なくもたれあうでもなく
他人に関心のないふりをしてクールにやり過ごすだけでもない
新しい関係のある地域を、コミュニティを作ろうとしているのかなって
やっと気づいた。


Denki Groove - N.O. [Live at FUJI ROCK FESTIVAL 2006]

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

VITAMIN

VITAMIN

ototoy.jp

*1:「何を考えているのか分からない」とかも多い

*2:完全にババアである

*3:嘘です。ちょっとはブツクサ言っていました。

夫のちんぽは、入れなければならないのか?-「夫のちんぽが入らない」を読んで

本/書評 乙女 こじらせ 社会 福祉

すごいタイトルで、新聞広告を出そうにも
新聞社内でどのように扱っていいか
戸惑われているという
「夫のちんぽが入らない」を読みました。

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

1ページ目から剛速球で
「夫のちんぽが入らない」という本題に入り
その入らないぶりが赤裸々に描かれます。

入らないながらも、日々を重ねるごとに
丁寧に育まれていく「夫」との暮らし。

でも、その夫にさえも話せない
いろいろな悩み。
一方で、夫がひとりで抱えている苦しみに
気づいても何もできない時間、
荒れる教室(主人公の職業は小学校の教師)、
生徒に翻弄される日々。

そういう日々の心のうちが、
夫と、親と、同僚や、そのほかの人との関係が
微に入り細に入り、
豊かな比喩と巧みな情景描写、
絶妙のセンスとタイミングで挟まれるユーモア*1を交えて
綴られている。

心身の健康を害するほどに、自分の感情を吐露し
自分を最も苦しめていたはずの
夫との関係や、生徒との関係に
ボロボロになりながらもぶつかっていく中で
主人公が、世界との向き合い方
自分と社会の新しい関係を拓いていくさまは感動的だ。


「自分のしあわせは自分で決める」
「世間に合わせなくてもいい」
「ありのままの自分を受け入れていこう」

「何の価値もない人なんていない」
「生きているだけで価値がある」
「支える/支えられるの関係でなく、共に生きる関係へ」


そんなこと、教科書にも書いてあるし
テレビでも言ってるし
お役所の人権啓発セミナーでも言ってるし
はてなブログにもアメーバブログにも書いてあるし
どんなミュージシャンもだいたい歌ってるし
コンビニで売ってる自己啓発本にだって書いてある。

だけど、それが何なんだ。

そんな言葉は都合のいい時だけ利用されて
実際には、全然実現されてないじゃないか。
全然信じられていないじゃないか。
わたしだって信じられていない。


けれども「夫のちんぽが入らない」を通して
この主人公であり、語り手である筆者が
とことん自分と自分の周囲の関係に向き合い
その中から、まさに「血まみれ」になって
新しい、自分と世界の信じ方を掴んで行く時、
その言葉は、単なる綺麗ごとでも絵空事でも、
鬱陶しい説教でも、
お嬢さん、お坊ちゃんの語る
ポリティカル・コレクトネスでもなく
その人の手で得た、紛れもない真実なのだと思わされる。


この本を読んでみて、ああ
The personal is political ってこういうことか、
と思った。
筆者の「こだま」さんは、そんなことこれっぽっちも
考えていないだろうけれど
わたしがフェミニズムに求めていたことって
こういう感動だったんじゃないかと気づいた。

ごくごくパーソナルな部分、
自分の心、欲望、セックス、仕事、コンプレックス…に
深く深く深く向き合っていく中で
他者とつながれる部分、共感できる部分に出会う。
その出会いを通じて、世界の新たな見方を発見する。
自分がフェミニズムに魅かれたのは
こういうところなんだ。


ちんぽが入らなくてもかけがえのない関係が作れるように、
自分以外の、たくさんの他者と一緒に生きていく中で
「こうしなければいけない」という規範なんて
本当は無いんだと思う。

でも、どうしてもその規範から自由になりきれない
わたしたちの毎日を
あきらめるでもなく、あるべき姿、正しい論理だけにすがるでもなく
ただ、そのままにトレースして見せつけられるような小説だった。
だから、辛くて、吐きそうになって
ページを捲ることができずに読み進められないところと
輝くばかりに美しいところが、両方ある本だった。

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

*1:笑ってる場合じゃないところに限ってぶっこんでくる

もっと公務員をほめる仕組みをー小田原市の生活保護ワーカーのニュースを読んで

福祉 社会

神奈川県小田原市生活保護ケースワーカー
生活保護受給者に対して「保護なめんな」とかいう
文字の入ったおそろいのジャンパーを着ていたという
衝撃のニュースを見ました。
www.yomiuri.co.jp

もちろんこれには各方面から非難轟轟。
生活保護ケースワーカーというのは
生きていくにあたって、生活保護
受給せざるを得ない状況にある人たちに対して
健康的で文化的な最低限度の生活を保障していく上で
欠かせないサポートをしていく仕事をする人です。
市役所・区役所・町村役場の生活保護に関わる部署の人が
この仕事を担当します。

生活保護を受給せざるを得ない人というのは
高齢であったり、心身の病気や障害のために
働けなかったりして、収入や資産が少ない人です。
生活保護ケースワーカーは、受給している
その人ごとの事情に応じて、
必要なサポート(通院、就労支援、家計、子育て等々
あらゆる生活上の相談にのる)をすることが仕事です。

もちろん、生活保護という制度を適正に運用するために
法律にのっとった額の保護費がきちんと支給できているか*1
チェックする、という仕事もあるけれど
それはワーカーの仕事からしたらほんの一部のことです。
そもそも不正に生活保護費を受給している人も
生活保護受給者のごくわずか、ほんの一部です。
「不正に」といっても、高校生の子のアルバイト代とかを
うっかり申告し忘れていた、とかも含めて「不正」なので
悪気のあるヤクザ屋さんみたいな人なんてほぼいないですよ。
(H23年の調査だと不正受給は受給世帯約160万世帯のうち3万5,568件
 件数を世帯数で割ったとしても2.2%程度*2


↑まさにおっしゃる通りで
こんなジャンパーを堂々と着てしまう時点で
生活保護ケースワーカーの仕事を全然わかっていない。
受給者は敵でもないしそれ自体をもって悪人でもない。
それは生活保護を受給して「いない」市民が
それ自体で、役所の人の敵でもないし悪人でもないのと同じだ。

これに対して、良識ある市民の方々や
生活保護制度に詳しい良識ある人々からは非難轟轟。
そりゃそうですよ。ありえないですよ。
まさに「福祉のスキルと倫理、意欲のない職員」そのものですよ。


だけど、考えてみると
市役所の人って、「生活保護ケースワーカー」をやりたくて
公務員試験を受けた人ばかりではないわけですよ。
(※そういう人もいます。
道路を作る専門の人が技術職として公務員になるみたいに
福祉職として採用される人もいるので)
生活保護の係になるまで生活保護の制度をよく知らない人や
水道局や観光局にしかいたことのない人も
いきなり生活保護の係になって
100人くらいの人の担当になったりするわけなので。

でもさー、そんなの「甘い」って思いますやん?
フレンチのシェフになりたくてレストランに入っても
最初は皿洗いをするし
クルマの設計がしたくて自動車会社に入っても
最初は工場で塗装係をやったり、販売店に配属になったり。
でも、それは一生懸命やるでしょ。
けど、それって「美味しいものを作るために必要なこと」
「いいクルマを作るために必要なこと」っていう
ミッションが共有されているから、
自分のやりたい業務に直接関われなくても頑張れるわけで。
そして、そのミッションに貢献すればそれに応じた報いが
あるからできるわけでしょ。


生活保護ケースワーカーさんって
何をもって、その人の仕事を「評価」されるのでしょうか?


サラリーマンだと評価される方法は大きく分けると2つです。
「売上(収益)を増やす」 か
「経費を削減してコストダウンする」 のどっちかです。

公務員の人は、何をもって評価されるんでしょう?
自分なりに考えてみたんだけど

例えば企業をたくさん誘致したとか、
企業活動をしやすい環境を整備したとか、
生産年齢人口の人をたくさん移住させたとか
訪れる観光客増やして
税収を上げた/上げそうな施策を打ったというのもそうでしょう。

必要でない事業を縮小したり
効率の良いやり方を考えたりして
コストダウンに貢献したというのもそうでしょう。


で、その中でも「生活保護ケースワーカー」は
どうしたら、評価されるんでしょうか?
ほめられるんでしょうか?


公務員というのは、世間では
「安定していていい仕事」みたいに言われているけど
その反面「文句ばっかり言われる仕事」でもあるわけです。
役所の窓口、税金の徴収、上下水道
道路、学校、保健所、図書館、ごみの回収、バス、地下鉄…
これらは「普通に、トラブルなく動いていて、当たり前」であって
ホメられることも、注目されることもありません。
その代わり、何かイレギュラーなことがあれば
むっちゃくちゃ怒られ、問題にされ、新聞に載ります。

生活保護ケースワーカー
世間や上司からは「不正受給を一件も出すなー!」と怒られ
どんなに尽くしても、受給者からは
プライバシーに踏み込まれて嫌な顔をされ
(受給者自身も、それは仕方のないことと分かっていながら
毎年資産状況や生活状況をを確認されるのは
恥ずかしいし、気持ちのいいことではないですよね)
そんなにほめられることもありません。

それでも、暮らしに困って生活保護を受給した人に
話を丁寧に聞き、必要な制度の利用を助け、
あたたかく励まし続けて、その人やその人の生活が
その人らしく立ち直り
「本当にありがとうございます。
 あなた(=ケースワーカー)のおかげです」
と感謝されることもあります。
そういうことを励みに、頑張れるのだ
というワーカーさんもたくさんいます。

でも、そういう人ばかりではないし
そういう人も、くじけそうになる時やくじける時があります。

同僚たちが新しい、画期的な法律を作って注目されたり
チャレンジングなまちづくりの取組みをしているのを横目に
深夜まで残業しながら、受給者の書類のチェックや
障害年金の計算、訪問日程の調整をしている人たちを
もっとエンパワーする方法はないのかと思います。


保護費を減らした、納税者を増やした
だけではなく

例えば、滋賀県野洲市の取組みのように
「生活に困った人がいる」という現状を
市政の改善の起爆剤、
庁内連携のきっかけにしていく取組みができるようにしていくとか
小平市議会議員 石毛航太郎|公式ブログ 歩歩是道場
www.jiam.jp

あるいは、SROIを生活保護行政の評価に取り入れてみるとか。
ケースワーカーの、受給者へのはたらきかけによっては
保護費以上の社会的インパクトが、必ず出ていると思うんだけど。

SROIの概要 – 特定非営利活動法人SROIネットワークジャパン

悪いことが起こったら、きちんと市民として、専門家として怒り
それを正すことを求めるのは当然のこと。

でも、同じだけ
良い取り組み、良い頑張り、良いチャレンジに対しては
きちんとホメていく、評価していく

その両輪がなければ、行政は良くならないし
その結果、生活保護を受給せざるを得ないような
最も弱くされた立場の人たちの暮らしも良くならない。
わたしは、そう思います。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

Q&A 生活保護利用ガイド -健康で文化的に生き抜くために-

Q&A 生活保護利用ガイド -健康で文化的に生き抜くために-

*1:生活保護費はその世帯の収入等によって支給される金額が違う。働いていても、収入が生活保護基準に満たなければ基準と収入の差額を生活保護費として受給できる

*2:生活保護に関する実態調査結果報告書 総務省行政評価局 平成26年8月」より。ちなみにH24年度のうち64.1%は不正受給金額30万円以下。

エゴを持たないタイプのアーティストーーー2017年は「よく読む」ライターに

お仕事 ライティング 起業 編集 クラブ

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

2016年は3月に大学職員を辞して
その後はずっとやりたいと思っていたライターの仕事を
本格的に始めました。
特に何のあてもなく「ライターをやるっ」と言って
始めた商売ではありますが
色々な方からお声をかけていただき、
奇跡的にこれまで死なずに生き続けることができました。

2016年の主なお仕事まとめ

「何の媒体に書いているの?」と聞かれることが多いのですが
わたしはライターなんだけど雑誌とかにはほとんど書いてないので
2016年はこんなお仕事をさせていただきました というのを
まとめてみました。


- 八事の杉浦医院の訪問診療のお手伝い
 森先生、いつも本当にありがとうございます。
 先生の書籍の出版に際しては出版社さんとの打合せに
 同席させていただいたりと、勉強になることばかりでした。
 こうして自分をフックアップしてくれる人に恵まれ幸せです。

 訪問診療では色々な方のお宅をおうかがいして
 生きることや死ぬこと、お金に余裕がある人とそうでもない人、
 病床にあるご本人とその家族、
 医療と福祉の関係について
 新しい発見と思索を巡らす機会をいただきました。

 2017年はこのあたりのことをもっと書いていけたらと思います。

長寿大国日本と「下流老人」

長寿大国日本と「下流老人」

- 地域福祉サポートちたさん 豊田市の生活支援コーディネーター研修のお手伝い
 大学職員時代からお世話になっているサポちたさんの
 豊田市の生活支援コーディネーター研修のお手伝いをさせていただいています。
 パワフルな豊田市下和会地区の皆さん、
 まじめで優しい地域包括支援センターの皆さん、
 聡明であたたかい豊田市役所の皆さんによる
 新しい地域社会の仕組みとネットワークを作る試行錯誤に
 ご一緒させていただきました。

 年始はこの報告書を作る仕事があります。地道な取組みの価値が
 伝わるレポートができるといいなと思っています。


- 起業支援ネット「aile」編集長
 2016年もたくさんの起業家の皆さんのお話を聞かせていただきました。
 2017年もますます、すなおに、しなやかに、あたたかく、
 世の中に中指を立ててゆきたいです。
yoshimi-deluxe.hatenablog.com
yoshimi-deluxe.hatenablog.com


- CSRコミュニティ事務局
 社会のためにわざわざ何か良いコトをするのではなく
 企業の本業、事業活動を通じて社会を良くしていこうとする
 熱い志ある社長さんたちから、事業主として「こうありたいな」と
 思える姿を学ばせていただいております。
 おもに色々な企業のCSR/CSV的な活動の取材をさせていただいています。
 現在、会員さんと取材先を大募集しております。
www.csr-com.jp


- 日本福祉大学のホームページ
 日本福祉大学さんの卒業生インタビューなどをさせていただきました。
 元職場からお声がけいただけることは本当にありがたいです。
www.n-fukushi.ac.jp

- ぴあ「食本」シリーズ など
 名古屋のジャーナリスト・カメラマン・ライターさんの集まり
 「なごやメディア研究会」を通じて知り合った方にご紹介いただき
色々なお店にうかがいました。アポ取り、納期管理、誌面全体を考えた執筆など
 これまたライター一年生には勉強になりまくりでありがたいお仕事でした。
 2017年はなメ研でお近づきになった皆さんとクラブに行きたいです。(笑)


- 名古屋のハイパーローカル・インディペンデントWEBマガジン『Liverary』
 こちらでもたまに書かせていただいております。
 やっとかめ文化祭の面影座レポートは、作座人の番器さんにも誉めていただいて
 すっごいすっごいうれしかったです。生きててよかった。
liverary-mag.com

これ以外にも、ある建設会社さんのWEBのお仕事、
北陸の学習塾、ゼロ会さんのブログなど
いろいろなところに書かせていただきました。
ありがとうございました!

2017年は『よく読む』ライターに

こうしてふりかえってみると、意外に働いていたなと思うのですが
旧年中はずっと「もっと書かなければいけない」
「書く量が少なすぎる」と焦ってばかりでした。

同時に、いろんなところに取材に行くと
事業を立ち上げたり、専門性をもって何かにがっつり
取り組んでいる人と自分を比べては
自らの無力さに肩を落としたり
進むべき方向が見えずに不安になってばかりの一年でもありました。

でも、年末に(2016年に亡くなった)
David Mancusoのインタビューを読んだり
編集学校の物語講座を受講してみたら
自分に足りないのは「書く力」じゃなくて
「読む力」ではないかな?と感じたので
2017年はもっとたくさん、もっと丁寧に『読む』ことをしていきたいと思いました。

www.redbullmusicacademy.jp
www.redbullmusicacademy.jp

DJはレコードをミックスして流れを生み出そうとするが、私の場合は、とにかくレコードの内容、最初から最後までの内容を台無しにしないようにしていた。レコードの途中で次のレコードへミックスしていた時代もあったが、ある日「私はいったい何をしているんだ?」と思ったんだ。家の壁に勝手に絵を描いてしまうようなものさ。色は変えるべきではない。意図はそのまま残すべきだ。音楽をそのまま成立させなければならない。RED BULL MUSIC ACADEMY「ロングインタビュー: DAVID MANCUSO PART 1」
http://www.redbullmusicacademy.jp/jp/magazine/interview-david-mancuso-part-1

Davidのインタビューを読んでいると
彼自身がどんなレコードをかけるか、かけたいか
ということではなく
音楽のために、どんな環境を用意したらよいか
ということのためだけに邁進しているように感じられる。
そのために、サウンドシステムを整え
パーティの会場を整え、ケータリングを用意し、
プライベートパーティを続けるための法整備にも積極的に関わった。
まるで自分を捨てて音楽に殉じているようだ。

けれども、かれが音楽のためにと活動すればするほど
David Mancusoという彼自身のキャラクターが色濃く反映され
彼無しではありえない、オリジナルの芸術としての
DJ、パーティのスタイルが確立されていったようなのだ。

DJは、作詞も作曲も、楽器の演奏もせず
ただ、すでにあるレコードをかけるだけの存在だ。
けれども、誰よりも音楽をよく聞き
パーティに来ている人たちのことをよく見て
その時にいちばんかけるべき曲をかけていく。
それは編集であり、批評であり、ファシリテーションであり、
レコードと音楽と、それに関わる人を讃える芸術に他ならないと思う。

わたしも取材する人・もの・ことを
よく見て、よく聞いて、良く調べて
つまり「よく読んで」
読むことで自然と立ち上がってくる世界の物語を
言葉で再生していくような仕事をしていきたい。

DJは、パフォーマンスとリスナーの間に立つという新しいフォーマットを生み出したんだ。(同)

DJはアーティストだ。エゴを持たないタイプのね。DJがエゴを出してしまえば、アーティストにはなれないし、音楽のための存在ではなくなってしまう。そうなれば、いずれ存在を忘れられてしまうだろう。私はDJには第3の耳があると思っているし、全体を捉える能力が備わっていると思っている。大きな絵を描いているようなものだ。(同)

David Mancuso Pres. the Loft

David Mancuso Pres. the Loft

David Mancuso Presents The Loft 2 by David Mancuso

David Mancuso Presents The Loft 2 by David Mancuso

インタースコア: 共読する方法の学校

インタースコア: 共読する方法の学校

物語編集力

物語編集力

キスはゲロの味、だけれども---Ryugo Ishidaは「弱さ」をラップする

2016年の日本のヒップホップ界のブライテスト・ホープ
Ryugo Ishidaが大好きで
毎日毎日毎日聞いています!


Ryugo Ishida - キスはゲロの味 (Official Music Video)

初めて見たのがこのPV
「キスはゲロの味」で
今の若い人風の言葉で言うと完全に「食らった」。

よくあると言えばよくある
ワン・ナイト・ラブ・アフェア~の歌なんだけど
この「キスはゲロの味」というタイトルといい、
場末の遊び場のザラつき、
マイルドじゃないヤンキーの暮らし、
パリピでないタイプのパーティライフを物語る
諦めにも似た醒めた言葉。

それでも、この一夜、この刹那の快楽に
必要以上の魅力と期待を感じる気持ちを捨てられない心を
ウエットなフロウとトラックが奏でる
下品でロマンチックな曲だ。

このPVも素晴らしく、特に出演している金髪の女の子が素敵すぎる。
こんなにセクシーで、全然媚びてなくて、カッコいい子を
どこから発掘してきたんだろう、この子を出しただけで凄すぎる。
と思ってたんだけど
彼女はRyugoさんのガールフレンド、Sophieeさんというラッパーで
一緒に「ゆるふわギャング」というユニットもやっているのでした。


ゆるふわギャング "Dippin' Shake"
このPVと「キスはゲロの味」を比べると彼女の表現力の豊かさに驚かされる。

茨城県土浦市出身のRyugoさんが
東京のクラブでSophieeさんに出会った時
「Ryugo君のラップって『ゆるふわ』だよね」と
言われたというエピソードが好きで。

Ryugoさんの生い立ちに関するエピソードは
ネットのインタビューや動画で見られます。
小さい頃からかなりハードな環境で育ってきた、
(「13歳の時彼女がレイプされた」とか
 「友達が何人もお金に困って自殺した」とか…。)
ということがインタビューからも、曲からも分かるんだけど
彼の唄いぶりにはマッチョなところがあまり感じられないんですよね。
どちらかというと、辛さや悲しさ、
もどかしさややり切れなさを歌う人だと感じる。


INTERVIEW FILE:Ryugo Ishida


Ryugo Ishida "Fifteen"

辛い 部屋は暗い
一人の夜 ただ今は辛いからこんなところから逃げ出したい
(Ryugo Ishida "Fifteen")

今年は「高校生ラップ選手権」とか
「フリースタイルダンジョン」が流行って
お茶の間ではラップというのは威勢よく喧嘩をしあうことだ
というふうに捉えられているかもしれない。
そういう文化でもあると思うので間違いではないけれど
彼のラップにはそれとは違う魅力がある。

彼も他のラッパーと同じように
自分はラップで勝ち上がるんだ、というようなことを歌うけれど
俺はやるぜ、という強気な歌詞と同時に
日々の生活に絶望してしまう気持ちにも正直だ。

夢と現実、希望と絶望、強さと弱さのあいだを
ふわふわと行きつ戻りつ揺れ動くようなフロウは
虚勢を張るだけのラップよりも
友情・努力・勝利の成り上がり物語よりも
実は、タフで確かなものを感じさせる。


Ryugo Ishida "YRB"

社会不適合 バカにされる
でも夢はデカい 世界に挑んでいる
今は迷惑ばかりでゴメン 遊んでいるけどマジで遊んでるのさ
(Ryugo Ishida "YRB")

ナンパした女の子にゲロを吐かれたり
大きな夢を語った後、目が覚めたら便座の上だったり
寂れた街のあどけない顔のヤンチャな後輩たち、
そういう、どうしようもないもの、頼りないもの、
明日をも知れないもの、取るに足らないとされるものを
温かな眼差しで見つめ、切実さとユーモアたっぷりに伝える。
優れたラッパーは優れたストーリー・テラーでもあるんだな、
と思わされる。


きっと今夜もたくさんの人たちが
自らの思いのたけを伝えようと声を嗄らしていると思う。
彼ら彼女らの抱える状況の切実さを思うと胸が締め付けられるような気分になる。
そのことは、とても美しいことだけれど
「ゲロの味」と隣り合わせでもあると思う。
いや、「ゲロの味」だけれども
美しさと隣り合わせだと言うべきだろうか。


eif.theshop.jp
diskunion.net
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「身の丈」とはどれくらいの大きさか--起業支援ネット「aile」の最新号が出ました

お仕事 ライティング 乙女 こじらせ 編集 起業

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毎号書かせていただいている起業支援ネットさんの会報誌
aileを今回(2016年12月発行)も担当させていただきました。

今回は知多市で無農薬の野菜の生産と販売を行っている
竹内農園の竹内さん、
天白区でギター工房・音楽スタジオを今年オープンしたばかりの
Seeker.guitar creative factor.の鹿間さんを取材しました。

お二人とも若いながら「自分のやりたいこと」に
地に足のついたやり方で確実に、試行錯誤しながらも、
笑顔で一歩ずつ向かわれていました。

「身の丈」とはどれくらいの大きさか

起業支援ネットの「起業の学校」では
(竹内さんも鹿間さんもこの学校の卒業生)
「身の丈の起業」ということを言うのだけれど
この記事を書きながら
「はて『身の丈』とはどういう大きさなんだろう?
と、考えたのです。

例えば服を買う時に
ちょっと高い服だったり
「かわいいけどコレどこに着ていくのよ?」みたいな
派手な服だったりすると躊躇するんですよね。
自分には高級すぎるかな、とか、
まだ似合わないんじゃないかな、とか
大して稼いでもいないのに贅沢しちゃだめかな?とか。

そういうことが仕事や日常生活の中にもあって、
何か言いたいことややりたいことがあっても
「わたしが言ったら生意気かな?」とか
「その前にお前がやれよ、って話だから言わんとこ」とか
「実力もないのにこんなことやりたいって言ったら/
 やったらイタいかな?」
と、思って言わなかったりやらなかったりすることが
わたしの場合は多いんですよ。

でも、ふと思ったんですよ。

「身の丈に合ったことをやる」
「身の程を知る」
ということは、
「自分にできそうなことをそこそこに、何となくやる」
ということなのか?

いや、そんなことはないだろう、と。

 

竹内農園の竹内さんも、
ギター工房の鹿間さんもまだ開業してそんなに時間は
経っていないんだけど、
もうこの人たちにはこれしかないんだろうな、というか
まさにこれが竹内さん・鹿間さんにぴったりの仕事であり
スタイルなんだろうなあ、と「しっくりくる」ものがあった。

でも、竹内さんも鹿間さんも、最初からそれが
「できそうだからやった」っていうことではないはずだ。
最初からぴったりだった、似合っていた、自分のものになっていた
というわけではないはずだ。

 

自分の欲望、成し遂げたい何か、こうありたい姿
というものがあり、
それと「今の自分」とのあいだにある距離を見つめる。
「今の自分」からも「あいだにある距離」からも
「自分の欲望」からも目を背けないで、試行錯誤していく。
安易に距離をショートカットする方法に逃げるのでもなく
距離に絶望して欲望をあきらめるのでもなく
かといって熱い思いだけで突っ走るのでもなく

自分と自分の欲望に正直に歩み続けていく。
そういう行為が『身の丈』ではないかと、
今回の取材を通して感じました。

 

そういえばこの靴↓を買った時も
「自分なんかにはおしゃれすぎるんじゃないか」
なんて思っていたけれど、
履いてみたらカワイイし、軽くて快適だし、
何より履くと楽しくて楽しくて仕方がないので
買ってよかったと思った。
似合っていなかったとしても「似合っていない」という状況自体が今の自分だし、似合うように工夫していくことがおしゃれの楽しみなんだ。
わたしの楽しみを、誰からもとがめられる理由なんかない。もちろん、自分自身にも。

yoshimi-deluxe.hatenablog.com

■□■ Oshirasse ■□■

「aile」は名古屋市内・愛知県内の公共施設等の、
いろんな会報やパンフレットが置いてあるところで読めるほか
(ざっくりした説明…)、起業支援ネットさんの正会員/準会員になって、
キラリと光る志ある起業家さんの応援をしていただけると、三ヶ月に一回届きます。
この機会に、ぜひご入会くださいませませませませ。

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