#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

カーテン、散髪、アウティング

2020年5月14日
前の日記からだいぶ間が開いてしまった。
引越しをして、カーテンのない家で過ごして(昔の家で使っていた丈の合わないカーテンをかけ、足りない分は段ボールをあてがって)いる。まとめてやってもらったほうがよかろうと、自分で同じ日になるように頼んだんだけど、ガスやエアコンや電気の工事の人が次々にあわただしく来て落ち着かない。何もしていないのにぐったり疲れてソファで猫と一緒に昼寝をして、起きたら夜だった。

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すごいせまいと思うんだけど

2020年5月15日
美容院に行った。
最近は散髪のための外出を控えている人も多いと聞くけれど、くせ毛で広がる髪の毛多い族の私としては、定期的に整えないと手入れされていない洋館が蔦でいっぱいになるみたいに、自分の髪に全身を包みこまれてしまうので絶対に行くのだ。
まあそうじゃなくても行くけども。
美容師さんに「こんな時でも来ていただいてありがとうございます」と言われる。
こちらこそこんな時でも開けてくれてありがとうございますである。

どうしようかと思ったけれど、胸くらいまであった髪をばっさり、耳の下までのショートにしてもらった。
美容院に行ったことを隠したくなくて。

帰りに、通常は夜だけ営業だけど今はランチもやってますみたいなお店に入ってカレーを食べた。お店の人が来てくれてありがとうございます、みたいな感じでさかんに話しかけてくれたけど、普段からお店の人と親しくしたい気持ちがあまりないタイプの人間なので、緊張してしまいほとんど味がしなかった。

2020年5月17日
カーテンが届いた。

コロナウィルスの感染拡大が落ち着いて、ロックダウンが解除された韓国でまたクラスターが発生してしまったというニュースを見た。
感染源となった人が行っていたクラブはゲイの人たちが多く集まる場所だったという。

www.newsweekjapan.jp

ここに集まった人を対象に検査するとか、それはアウティング性的少数者であることを本人の意思とは関係なく公開すること)じゃないの?と思ったし、クレジットカードの利用履歴とか携帯電話の位置情報から感染した可能性のある人を調べているというのは怖いし嫌だな、私は絶対にしてほしくないなと思った。
私は今のところ異性愛者で、身体と精神の性別もいちおう一致しているけれど、コロナウィルスにかかったとき、行動履歴を根掘り葉掘り聞かれたら本当に嫌だなと思った。特にやましいこともないからいくらでも言ったっていいんだろうけど、人間には人には言えないことをする権利も自由もあると思っているし(できるだけ他人の権利や自由を侵害しないという範囲で)、言えなくないことだけど人には言わない権利や自由もあると思っている。だから私は何であれ言いたくない。

同時に、日本でマイナンバーの仕組みが機能していないのは、『人権派』の人たちが反対したから、本人確認とかのセキュリティを強固にしすぎて複雑なシステムになってしまったからなのだ、みたいなことを言っている人がいるのも見た。

blog.goo.ne.jp

でも私としては、マイナンバーそのものへの不信じゃなくて、人権を大事にしない政府への不信感がマイナンバーへの不信にもつながったのでは?と思う。

そりゃエストニアみたいに電子政府で納税も確定申告も手続きレスでラクラク!ってなったほうがいいなって思いますよ。

けど、大事なことを決めるのに議事録は残さない、書類はシュレッダーする、シュレッダーが遅れた理由を障害者雇用のせいにする、すぐバレるようなウソをつく、都合良く記録やデータを改ざんするみたいな国で、自分の個人情報を公のために差し出しますなんて思えないのは当然だと思うんだけどなあ。

でも、上記のようなことが全くなくなったとしても、自分がどこのクラブで遊んでたなんて誰にも言わされる必要は無いと思うんだけどなあ。

仕方ないなと思っていないし、どこもまったく割り切れないよ

2020年4月26日
 来月引越しをするのでカーテンを頼んだんだけど、モタモタして頼むのが遅すぎたのと連休があるのと工場がこのご時世でゆっくり操業なこともあり、引越し前にカーテンが届かないどころか、新居で2週間近くもカーテンなしで過ごすことが決まった。段ボールを立てかけておくなどしてなんとかやり過ごすことにする。学校ないし家庭もないし、暇じゃないしカーテンもないし・・・
 昨年度の報告書の提出があったり、ありがたいことにお仕事も色々お声がけいただいていいるし、書きたいと思うことも尽きず、毎日慌ただしく過ごすことができている。こういう毎日を幸せだと思わなきゃいけないんだろうなあという気持ちと(実際幸せだし)、幸せとかありがたいとか「思わされる」ものじゃないから思っても思わなくても私の自由だ、という気持ちの両方がある。
 他者からの批評やアドバイスをきちんと受け止める知性と素直さを持ちつつ、他人の勝手な評価からは自由でありたいと思う。私の場合はブスとかデブとかバカとか言われても気にしないで堂々としていたいっていう程度のことなんだけど・・・

2020年4月27日
 なんの罰則もなくても、業種によっては補償もなくても営業を控えて、でも家賃や従業員へのお給料はなんとか出したいと走り回っている人たちや、それもできなくて死にそうになっている人もいるのに、税金で意味わからんマスクをあやしげな会社に発注して儲けようとしていた人がいるんじゃないかと思うとほんと腹立つな。やめやめ!もう自粛なんかやめやめ!って思うわそんなん…。

 外国を見ると「先進国はいいなあ、うらやましいなあ」と思うことばかりだけど、でもどの国もそういう仕組みを、血のにじむような、という言葉では全然甘いくらいの努力をして作ってきた結果なんだよね。たとえばドイツなんてアーティストに「無制限の支援」をする、なんていち早く宣言してみんなを驚かせましたよね。
jazztokyo.org

 これをやるために「ドイツ国内の誰がアーティストなのか」をどうやって特定したんだろ?って思ってたんだけど、アーティストはだいたい組合に入ってるらしいのね。だから組合員=芸術家、だとして組合員全員に振り込めばokという。ベルリンなんかはアートが一大産業だから手厚いんだみたいなこと言ってる人もいたけど、それだって組合が普段から行政に働きかけたりしてきたからこそ、芸術家が活動しやすい環境が整ってますます面白いシーンが出てくる、といういい循環になっていたんじゃないかなと思う。

↓ベルリンのアーティスト協同組合についての記事
www.peeler.jp

概して社会的に立場の弱いアーティストは、団結した行動を通してしかその利益を獲得することができないという状況を鑑み、BBKは自らをアーティストの弁護人、スポンサー、サービス提供者と定義してアーティストの利益を代表し、広範囲にわたる情報、アドバイス、サポートの形で様々なサービスをメンバーに提供する。
具体的には、専門家による社会保険相談、年金相談、税金相談、スタジオレンタルに関する法律相談、職業上の法律相談窓口などを開設し、アーティストとして生きていくための生活基盤を整えることができるようサポートしている。会費は年間100ユーロで、現在2000人の会員がいる。

 
 台湾だって台湾だって韓国だって、民主化のためにすごい痛み、すごい努力をしてきた経験があるんだよなあと思った。どの国も完璧ではないにせよ、今までとは違う生活を送らざるを得ないとき、できるだけ多くの人が納得して行動できるようにするにはどうしたらいいか、という視点に立ったオペレーションができていたんじゃないかと思った。
 日本にも「組合を作って自分たちと社会を守ろう」とか、衝突をおそれず言いたいことを言いながら相手の意見も聞き、時にはクレバーに条件交渉をして全体としていい感じになるようにする・・・を繰り返してなんとかやっていこうみたいな気分や仕組みを作るにはどうしたらいいんだろうと思った。

 日中は仕事の打ち合わせ。その中で、今まで人は「集まる」ということにすごく価値をおいてきたよねという話になった。どんな宗教でも、神様と自分だけがいればいいというものではない。一人で部屋にこもって聖書を読む、ということだけではなくて、「教会」があって、みんなで集まって話を聞いたり歌ったりすることが大事だったわけで。
 組合もそうだし、選挙もそうだし、社会運動はだいたいそうだし、クラブとかディスコだってそうだし(一人で部屋で音楽を聴けばいいというものではない)、学校も会社も集団になることで何かを生み出してきたっぽい。3密makesサムシングだったのに、集まるなと言われたら、どうやって運動とか選挙とかやっていくんだろうか。
 …と思ったけど、すでに運動や選挙で「集まる」人ってだんだん少なくなってきているし、コロナがなくても瀕死の状態だったのでは…とも思った。

 集まることのしんどさとめんどくささと、楽しさや面白さの両方を、何か手垢のついていない、もっと実感を伴った言葉で整理できないものか。してみたい、と思った。

N.O.

N.O.

私が社会福祉士になれたのはクラブに行ってたから

2020年4月17日
様々な理由で名古屋のクラブも(名古屋以外もだけど)休業を余儀なくされて、クラファンやってない店のほうが珍しいくらい、どこもクラウドファンディングサイトで寄付を募っている。

そのまとめサイトがこちら
note.com

ちなみに休業中でもネットで配信をしている名古屋周辺のDJの情報まとめはこちら
note.com

このClubbers Guide Nagoya(twitterは@ClubbersNagoya)はハーシーちゃんという、名古屋をはじめ全国のクラブで遊びまくっているいちファンで(たまにDJもしているらしいけど)、DJやライブをやるいわゆる演者でもなく、クラブの経営者やスタッフでもなく、ほんとクラブが好きな客の一人という人が、コミュニティのことを考えてできることをすぐやる、ちゃんとやる、誰かに言われなくてもやる、自分ひとりでもやる。そういうところがクラブカルチャーの良心を体現しているとしか言えなくて、私は彼女をめちゃくちゃ尊敬している。

「金を払って楽しませてもらう側と、金をもらって楽しませる側」ではなくて、クラブって客もDJもお店の人もみんながその場を良くしようと思って楽しまないと、楽しくならない遊び場なのだ。それでいて、一人ひとりが自分なりの楽しみを見つけて楽しみ出すと、なぜかその楽しみがたまたま居合わせただけの他の人にも伝染して、結果としてその場全体がいい雰囲気になる、というミラクルが起こる場所でもあるのだ。

なのでクラブで払うお金は、利用料や酒代というよりもお寺のお布施みたいなものだと思って私は払ってきた。ディスカウントされると申し訳なかった。その場を維持するために必要な人が寄進しているようなものだと思うので。

しかし同時に、クラファンだけで本当にいいのかというモヤモヤも感じる。いつまでこの状況が続くか分からないのに、クラファンだけでどれだけ支えられるんだろう。それなりの金額を集めているクラブもあるけれど、小箱や若い人が中心に支えているクラブは、どんなに頑張っても厳しい面もあると思う。私は私が行ったことのないチャラ箱や小箱も含めてどのクラブも生き残ってほしい。だから破産してでも応援したいけど、いかんせんもともと財布が薄すぎるのである。
ここ↓でSaveOurSpaceが言っている通り『「持たざる者」が「持たざる者」を助ける状況』になっていると思う。それはお互いぎりぎりでもなんとか支えたいという純粋な思いの集合体だけれども、その切実さに図々しく乗っかって、絆だ連帯だ民間の力だという飴でくるんで美談に仕立て上げて、何かを覆い隠そうとしようとする動きから目をそらしてはいけないと思う。国や地方自治体による十分な休業補償を堂々と求めることと、私たちが自助努力でできることをすることはどちらも大事だと思う。
note.com


話は変わって、高円寺のEADレコードのヨウゾウさんのインタビュー記事を読みました。

音楽文化の底上げを図る高円寺のレコード店、「EAD RECORD」(DONUTS MAGAZINE )
https://donutsmagazine.com/store/shirahase-tatsuya-21/

「レコードだけが売れてもダメなんです。全部が繋がらないとコレクターの世界で完結してしまう。(略)結局みんなが潤わないとシーンが活性化していかないですから。」

これはヨウゾウさんがほんとに話したことだと思うけど、これをどこでどれくらい取り上げるかはライターや編集者の思いによるところが多いと思う。記事を書いた白波瀬さんは釜ヶ崎で厳しい生活を強いられた人と関わる活動や研究をしてきた人でもある。その経験が、シーンに対するまなざしにも表れているのではないかと感じた。


追伸:
長野県飯田市のクラブ「After5ive」も寄付を募っています。小さな町で、店長のみいなちゃんを筆頭にすごく頑張っているお店です。私も飯田にいたらAfter5iveがあることが希望だったと思います。(名古屋に住んでいても希望です)音響にもこだわったすごくいいクラブです。行ったことがない人もぜひ再開したら行ってほしいので応援してください。
camp-fire.jp

zoom越しに見る自分の顔がテカっていた

2020年4月15日
自分がいま子どもだったら学校もなく、図書館も閉まっていて、どこにも行けない状態で何か月もどうやって過ごすんだろう?と思う。子ども時代はまじめだったから、ちゃんと勉強したかなあ。国語は得意だったから自分ひとりでも教科書読んだりするだろうけど、数学や化学、物理なんか絶対に自分だけでは分からないし、する気も起きない気がするな。そのくせ見栄っ張りだから分からないことを分からないって認めたくなくて、認めたとして聞く人いないし、分からない自分がダメなんだと思ってひっそり泣いたり腐ったりするんだろうな。。。
自分が子どもの頃にはオンライン授業なんてなかったから想像がつかないけど、今の子は普通にYoutubeとか見てるから、環境さえ整えば平気なんだろな。

「クラッパーの限定効果説」というのを知った。いわゆるR18とかR15 のコンテンツが見た人に与える影響は、コンテンツの質だけによるものではなくて「コンテンツの質(c)×本人要因・資質(p)×環境要因(e)」といういくつかの要素の掛け合わせで決まるという話だった。
コンテンツのネガティブな影響だけじゃなくて、有用な情報を伝えたいという場合も同じじゃないかと思った。オンラインだけではpやeに介入することが難しいから、別のサポートが必要だと思った。いい環境でオンライン授業を見られる家に住んでいる子ばかりではないから…。やっぱり登校してもらうとか、各家庭に家庭教師みたいなティーチングアシスタントを派遣するとか…

クラッパーの限定効果説があります。暴力的ないし性的コンテンツがダイレクトに暴力や性を煽るという強力効果説は間違いで、本人要因(資質)と環境要因(対人ネットワーク)次第で影響が変わるとします。悪影響をy、コンテンツ要因をc、本人要因をp、環境要因をeとすると、強力効果説はy=f(c)、限定効果説はy=f(c,p,e)です。
 対人ネットワークとは、子どもがコンテンツを誰と一緒に観たかです。家族と観たのか。親しい友人と観たのか。親しくない知人と観たのか。知らない人と観たのか。濃密な関係の中で観るほど、コンテンツの影響は中和されます。一人ぼっちで観る場合はリスクが高まります。悪影響を気にするなら、こうした需要環境の制御こそがポイントです。(宮台真司 /磯部涼「踊ってはいけない国、日本 風営法問題と過剰規制される社会」河出書房新社、2012年 より)

多和田葉子さんの小説「献灯使」を思い出す。この小説で書かれた災厄は原発の事故を想像させるけど、このコロナ禍だと思うといよいよおそろしい。年寄りばかりが異様に元気にのさばっていて、子どもたちは肉体的にも精神的にも社会的にも育つ機会を奪われて生きているという話だった。


夜は2時間以上zoomで会議。画面に映った自分の額がニキビに悩む高校生かと思うほどテカテカに光っていた。でもいいの、私気にしないの。安達祐実さんも「化粧直しはしない、多少テカっても、にんげんだもの」と言っていた。私はこのメイク動画を見て「世界で一番かわいい『にんげんだもの』いただいちゃったよ」と感動し、以来、真似して拭き取り化粧水を使うようになった。

【安達祐実】セルフメイク動画を大公開!【スキンケア~メイクまで愛用コスメも紹介】

献灯使 (講談社文庫)

献灯使 (講談社文庫)

ファンタジーが現実をつくる

2020年4月13日
何となくだらだらモヤモヤして半日ほとんど何もせず過ごしたのち、気になっていたお店のペスカトーレを食べることにした。ちまちま読んでいる小説、柚木麻子さんの「BUTTER」で「その時、一番食べたいと思うものを好きなだけ食べるのよ。耳をよく澄まして、自らの心や身体に聞いてみるのよ。食べたくないものは決して食べないの。そう決心した瞬間から心も身体も変わり始めるわ」と、木嶋佳苗をモデルにした登場人物が言っていたので、雨の中わざわざ出かけた。寒かった。
スパイシーで贅沢に作ってあって、何もかも忘れてずっと食べていたいほど美味しかった。夕方からは冴えわたって、でも苦しみながら原稿をやった。
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2020年4月14日
何にでもミーハーで、変わり身の速さだけで世の中を渡ってきた。しかし今回はダメで、zoomの便利な機能を試してみようとか、remoをやってみようという気に全くならない。新しい技術を取り入れることに抵抗がない方なので、必要とあらばすぐに実装するんだけど、今回はとにかくwithコロナとかポストコロナとか、そういうことを考える気にならないし、正直自粛もバカバカしいなと思っているとこがある。思ってはいるけど出かけてませんよ、でも私は自粛が嫌だと思っていることだけは言っておきたい。嫌だ嫌だ、ほんとうに嫌だ。嫌だと言ったらそれだけで人殺し扱いされそうなのもほんとにヤダヤダヤダヤダ。感染するのもさせるのも嫌、でも自粛もファッキン嫌だ。

こうやって時流に乗っかれなくなるのが老いるということなのかな?と思う。あるいは、私は人生の躁鬱が激しいというか、バイオリズム的に世界の全てが嫌になる時期と、ガンガンいこうぜといろいろやろうぜを混ぜて1000倍増しにしたシーズンが交互に来るタイプなので、ダウンな時期と今がたまたま重なっただけなのかなあ?とも思う。

さいころから本が好きで「本に書いてあること」が「本当」だと思ってきた。
男女は平等です。国籍や肌の色で人を差別してはいけません。職業に貴賤はありません。おかしいことにはおかしいと言いましょう。そう思って堂々と生きて、発言して行動してきたのに、あれ…?なんか世間はそうではないみたいなのだ。みんな建前を生きていて、そうでない人はアホで下品な田舎者と思われ嘲笑されているみたいなのだ。
だけど私は本のほうが好きで、本みたいに生きたくて、本に書いてあるような世界になってほしかった。本のほうがリアルだった。だからいつも「なんで世界は本に書いてあることと違うの!?」と思って怒り狂っていた。本というイデア(理想)の世界に現実を近づけるべき、私の思いはいつもそうだった。というか、イデアのほうがリアルで、現実のほうがフェイクだった。いつまでもイデア、理想、ファンタジーのことを考えていたい。しかし、目に映る全てのことはクソ・メッセージ。

で、今のこのコロたんフィーバーの状態って、現実現実現実現実現実現実現実現実現実現実現実ばかりの毎日なんじゃないか?と思ったんです。手を洗え。出歩くな。食うことと寝ることだけ考えろ。むちゃくちゃ現実である。

もともと衣食住だと「食・住」には興味がなかった。そこそこカロリーがとれて、寝られれば良い。でも「衣+それ以外」には湯水のごとくお金を使った。洋服、靴、化粧品、酒、酒、ダンス、音楽、本、酒、インターネット。さいきんは映画も少し。実用品(現実)ではなく、ファンタジーに関わるモノだからだ。
ひとつ前のブログで、「会社(公)がプライベート(私)に侵入するのが嫌だ」みたいなことを書いたけれど、自分にとっては「ファンタジーに現実が入り込んでくるのがイヤ」という面もあったのではないかと思った。

今の状況を戦時中に例えるのは嫌なんだけど、それでも戦争中なのに浮世離れしたことばっか考えて、空襲の警報が鳴ってるのに避難せず、ボーっとしてて死んでしまった人とかいたんじゃないかなって思う。自分もその時代に生きていたらきっとそうだっただろう。

ポーランド出身のカロリーナ・ステチェンスカさんという方がいる。漫画「NARUTO」を読んで将棋が大好きになり、来日して女流棋士となった人だ。大塚製薬カロリーメイト)がスポンサードしていたそうで、その時のアニメが素晴らしくて見るたびに泣いてしまう。彼女の挑戦を、現実を、香車銀将や歩兵が応援して、勇気づける。


カロリーメイトweb movie|「すすめ、カロリーナ。」本篇

私もそうだった。現実があって、その余剰でファンタジーを楽しんでいたわけじゃない。ファンタジーがあって、初めて現実に向き合う力が持てた。それを不要不急だという人は言えばいいと思う。その程度で揺らぐような文化ではない。

BUTTER (新潮文庫 ゆ 14-3)

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心理的なディスタンスがほしい

2020年4月11日

ウイルスに感染しないために、ソーシャル・ディスタンスをとりましょうと言われている。スーパーではレジに並ぶのにも距離を保つようテープが張られ、SNSで出回っている漫画だと「ペンギン2頭分くらい離れましょう」とか描いてある。知らんわ、ペンギンの大きさ…(ペンギンは好きです)

「ソーシャル(社会的)・ディスタンス」だと何もかも離れて孤立してしまうようなイメージがあるので、「フィジカル(身体的)・ディスタンス」という言い方がいいんじゃないかと言っている人を見て、なるほどと思った。ツバ(飛沫感染)をよけるためなら、身体さえ離れていればそれでいいわけで。

しかし出勤できない、会って話せないという、フィジカルが離れた状態になった今、それでも心理的サイコロジカル)な距離は決して離すまい、という風潮を強く感じるのは、私だけなのでしょうか。
それを特に感じるのはzoomなどリアルタイム・ビデオ通話の偏重されぶりである。いやzoomとかほんとに便利でいいんだけど、リアルの会議と同じくほんとにzoomつないでやんなきゃいけないミーティングなのかなとか。メールやslackで済まないのかなとか思うんですね。「zoomの会議が1日にいくつもあって疲れる」みたいな話を聞いていると。

自分が文字でのコミュニケーションの方が対面より10000倍得意だからそう感じるのかもしれないけれど(なのでみなさん、メールやメッセンジャーをください♡)特に今、在宅勤務でzoomを使う人が多いわけで、やっぱり「会社が家を侵食してくる」感がメールよりもやっぱ強いじゃないかと思うんですよね。
私はフリーランスなので好きで家で働いてるし、以前からzoomも使っていたけどやっぱ気は遣いますよね。メールと違って時間も合わせなきゃいけないし。よほど気を強く持たないと、家で仕事をしているのか、職場で寝ているのか分からなくなっちゃいますよね。職場のコミュニケーションの雰囲気にもよると思うけど。

余談だけど(このブログに余談じゃない話があるのか?)「zoom飲み会」も私にはちょっとキツい。やったことないんだけど、やることを考えるだけでひるんでしまう。なんでそんなに嫌なのか?と考えたんだけど、自分にとって飲み会は「店でわーわー飲む(気が大きくなって往々にしてデカいことを言う)→家に帰る(ひとり反省してふりかえり飲みをし、泣きながら寝る)」までがセットなのだと気づいた。「外→内」「公→私」の移動までが私の飲みによるキマり方なのではないかと。zoomだとずっと家だし、帰るとこないし、ソトがウチまでやってくるのがつらいし…ウチモードでソト対応できないし…家でも毎日ひとりで飲んでるけどそんな姿は誰かに見せられる/見せたいようなものではないし…みたいな…

最近は「住み開き」(自分の家を開放して、気軽に色んな人が寄って交流できるスペースを作ること)も流行っている(?)ようなので、私みたいに「家=プライベート、私的空間」とガチガチにとらえて他者の侵入を阻んでいるのは、これまた時代遅れなのかもしれない…とも思う。

でも、そんなにいつでも人とつながり続けること、感情の機微までも共有し続けることって本当に大事なのかな?とも思う。考えていることが完全に分かり合えなくても、心理的にもたれあわなくても、一緒に生き続けることは可能なんじゃないだろうか。一人ひとりの孤独を大切にすることと、お互いに弱った時に助け合うことは両立するんじゃないだろうか。社会的・身体的な距離はどうあれ、心理的な距離を縮めすぎず、離れすぎずに心地よい状態を保っていくことを、私は学びたいと思う。

明治から昭和にいたるまで、文壇を支配したのは、主義主張を持つ党派であり、師匠と弟子の集団であり、同世代の若者が結ぶ独特の友情の関係であった。(略)
 それらは、たんに外に向かって排他的であるだけでなく、内の仲間にたいして強い心理的な拘束力を持ち、粘っこい、湿潤な共通感情を分け合うことを求めあったが、その場合の誠実さとは、それぞれの私的な感情の真実を吐露しあうことであった。
 ひょっとすると、日本の近代精神史を解明するひとつの鍵は、明治末年から昭和の前半までつづいた、あの「友情」という特殊な観念の君臨だったかもしれない。それは、漱石の『こころ』の「先生」と友人「K」を支配し、無数の旧制高等学校の生徒たちの感情を呪縛し、反族と無頼を誇る文士たちの精神を支えてきた。(略)
 最大の皮肉は(略)その新たな拠り所として、一見、近代的にみえて、じつはきわめて古い社会集団に頼ったことであった。師弟や友情の集団は、それを個人が選びとるという点で近代的にみえるが、いったん選んでしまえば、その先は一元的で全身的な帰属を要求するという点で、古めかしい。社交の場合のように、個人が複数の関係に距離をおいて関わり、そのどれにも属しながら属さないという自由な立場は、この集団では許されない。いいかえれば、それは青年たちに、自由に選びとったという自己満足は許すものの、実質的には、彼らが捨てた家族や地縁の絆と同質の集団だったのである。(山崎正和森鷗外 人と作品ー不党と社交」,1968年)

これは私が好きな文章なんだけど、いま読むと「党派・師弟や友情の集団」あたりを今は「企業」に置き換えたほうがしっくりくるような気がする。特に「正社員」の人の場合は…。コロナ対応のためにどれくらい行動を「自粛」するかって、「会社から言われているかどうか」がすごく大きいなと感じていて。会社が在宅勤務や外出禁止を命じているタイプの人は私生活でも危機感が強く行動を自ら制限しがちなのに対して、通常通りの仕事の人はやや弱めな気が。(特に根拠はないです。私の観察範囲での感想だけど…)企業福祉は強いなという思いを新たにしたのでした。

運動の言葉と生活の言葉をつなぐ―田島ハルコさん大好き日記

2020年4月10日

嫌だなーと思っていたzoomでの遠隔インタビューも、そうも言っていられる状態じゃなくなってきたのでやってみたら意外とできて、とても面白かった。やっていくうちに色々コツとかもつかめるしこれはこれでいいかも。
こうして新しいツールを使いこなしていくことってカッコいいように見える反面、システムに馴致されていくだけなんじゃないか…とか、ますますテクノロジーの奴隷になっていくだけなんじゃないか?という不安も感じる。

でも以前、宇川直宏さんがDOMMUNEで「アートはテクノロジーに縛られている面もあるけど、テクノロジー(の開発者)が思いもよらなかったような使い方をすることですごい表現を生むこともある」というようなことを言っていたのを覚えている。録音物の再生機として生まれたレコードプレーヤーを2台同時に使う人たちが現れて、それ自体が新しい音楽を生み出すようになったように。なので、もっと技術を想像力を広げるような方向で使えるようになりたいな。そういえば、今日のインタビューもそういう話だったような気がする。


話は変わって、最近の私は「運動の言葉と生活の言葉をつなげる」というテーマを発見しまして。私は昔から左翼というか、世の中の矛盾に対して「これはおかしい!」と声をあげて変えていこう!と、真っ赤な血を熱くたぎらせるタイプなんです。だから反貧困運動とかめちゃめちゃ共感してきたし。
でも同時に、今までの運動のやり方でいいのか?という気もモヤモヤ持ち続けていて、でもどうしたらいいのか分からない、みたいな。正しいことを言いたい、でもそれだけでは伝わらないし、伝わっても変わらない。
最近何人かの方と「運動の言葉(イデオロギーとか)」だけでなく、もっと普段の生活に根差した「生活の言葉」で社会の仕組みを変えていく必要性を発信していく必要があるのではないか、ということを話しました。例えば、「人権を守るために連帯しよう」とだけ呼びかけるよりも「バイト先で理不尽なシフトを組まれて困っている同僚が居たら、店長のところに一緒に行ってあげるとか、その同僚が店長に話しているときに同じ部屋にいるだけで、一人で訴えるより効果がある」と話すほうが「連帯の必要性」にリアリティを感じられるのではないか、とか。
原発をやめよう!」と声を上げる運動も大切だけど、並行して「地域で電気の会社(発電とか小売りとかをやる)を作って、地域の人がそこから電気を買うようにする。電気の会社の利益を地域の福祉や産業に還元する」という仕組みづくりをすれば(実際にやっている地域が何カ所かある)ゆくゆくは原発も必要とされなくなるのでは…みたいな。

貧困や差別の問題についても「生活の実感に根差した、リアルな言葉」を増やしていくことで理解を広げられないか…と思っていたんだけど、田島ハルコさんというラッパーは、すでにそんなことばかりを曲にしていたのでした。「人権」という言葉を歌詞に入れまくる人なんだけど、それと安くてかわいい指輪や服や化粧品を愛すること、音楽やライブを楽しむことは地続きなんだってことがストレートに分かるし面白い。

ちふれGANG

田島ハルコ「ちふれGANG」(feat.ワッショイサンバ)

日本国銀行券
(政府のコロナ政策に対して作られた曲。マスクに名前をつけ出すところが最高)

田島ハルコ「日本国銀行券」(prod.田島ハルコ)

HAPPY税(消費税が上がった時の曲)

田島ハルコ/HAPPY税 (MV)


kawaiiresist [HRC-002]

kawaiiresist [HRC-002]