#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

桜山にすごい果物屋さんがあるよ!

そういえばこの前、思いがけず桜山のすごい果物屋さんに行ったんですよ!

トップフルーツ八百文
retty.me

最近スムージーとかフルーツジュースとか流行ってるでしょ。
ここも生のフルーツだけを使ったジュースがとても美味しいお店と聞いて行ったんだけど、そういうおしゃれさは全くなく。正直「え?ここ、どこから入るの?ていうか、営業中?」みたいな…どう見ても年季の入りまくっためっちゃ小さい果物屋なんですよ。知らなかったらジュースが飲めるどころか、果物を売ってるかどうかすら分からなかったかもしれない…。

店に入るとギッチリと果物が並べられ、通路を「身体を横向きにして」通ります。(狭いのでまっすぐでは歩けない)バナナ、プラム、プルーン、みかん、西瓜、梨、そして店の奥の冷蔵庫にはメロンや葡萄がドーン!ドーン!ドーン!てな感じで並べてあります。

そんな中喫茶コーナーが机二つ分&カウンターという感じであります。椅子もぎっちぎちに並べてあります。適当に座るとお店のオバちゃんに「ここ詰めて!」「向かい合わせじゃなく隣同士にして!」などと指示されます。
このオバちゃんが果物ひと筋ウン十年みたいな方で、かつ、林家パー子さんとかアパホテルの方をほうふつとさせるトロピカルないでたちなんですわ。わたしが行った日はつばにぐるりとサクランボの装飾をあしらった麦わら帽子に、ショッキングピンクのブラウスでした。

で、メニューがフルーツジュースだけでもものすごくいっぱいある。50種類くらいはありそう…。選んでも、選べなくてオススメを聞いてもどちらでも、その果物に関するウンチクをオバちゃんから聞くことができます。そして当然名古屋の喫茶店マナーも外しておらず、ジュースを頼むとなんとフルーツの盛り合わせが付いてきます。すごいです。
わたしはプラムのジュースを頼みましたが、「スイカ・メロン・バナナ・ミカン・ブルーベリー・葡萄・パイナップル」を一切れずつ盛ったプレートが付いてきました。すごい。

しかも、ジュースも果物もどれもビックリするくらい味が濃くて甘くて美味しいんです~~~!!!
わたしは普段、好んで果物を食べることはないのですが、ここのはばくばくいきました。ジュースも、フルーツジュースというのはこんなに美味しいものなのかー!と感動しました。

ちなみにこんなに小さい果物屋なのに、メニューは他にフルーツのサンドイッチやパフェ、今の時期だとかき氷もあります。別のお客さんがかき氷を頼んでいたけど、パイナップルをくりぬいたのを器にして、その中に氷とパイナップルがこれでもかと盛られ、周りにフルーツが盛り付けられているというゴージャスなものでした。
かき氷は豪華すぎて腰が引けましたが、また行って違うジュースを飲みたいな~と思いました。友達と一緒に行くとあらゆることが面白いので行ってみてね。トーストとフルーツの盛り合わせが付いてくるモーニング(!)も大混雑らしいよ。

トップフルーツ八百文 | モーニング

Drink!

Drink!

若い頃に戻りたいなんて思わない

↓今日読んだはてなダイアリー
anond.hatelabo.jp

わたしも10代の頃、特に高校3年生以前には全然戻りたくないし、できるだけ思い出すこともしたくない。暗黒すぎる。

まず親に養われていることがとても嫌だった。親は自分のことを全然理解も信用もしてくれないし、全然大人としても尊敬できないし(と当時は思っていた)、それなのに「そういう人」に養ってもらわないと学校も行けないしご飯も食べられないという状態の自分がとても嫌だった。誰に食わせてもらっていると思っているんだ、と言われたこともあったけど、それを一番感じていたのは自分だった。好きで食わせてもらっているわけじゃねえし。*1

そして学校に居場所が無かった。「中学の時は成績が良かったけど高校に入ったら勉強ができることなんてフツー」というありふれた進学校で、テストで今までにとったことのないようなスコアをメイクするようになった。自分でも何が分からないのか分からなかった。クラスの友達とは何を話していいのか分からなかったし、話したいとも思わなかった。昼休みにクラスの子といっしょにお弁当を食べるのが苦痛で仕方がなく(話すことがないし友達の話すことにも興味が持てないので)、堪えられなくなって「生徒会の会議がある」と言って毎日生徒会室でひとりで昼食をとった。生徒会の役員をやっていなかったら、トイレで食べていたと思う。とにかく誰にも見られないところに居たかった。ちなみに生徒会をやったのも「自分みたいな者がこの学校にいていいんだろうか?」と悩んだ挙句、「生徒会長だから」という理由があれば学校に居てもいいかもしれない、と思った末のことだった。今思うと気が狂っていたとしか考えられない。毎日学校に行くのがつらくてつらくて、でも学校を一日でも休んだらますます授業についていけなくなる、授業についていけなくなると卒業できない・大学行けない、そうなったらお先真っ暗だと思うとその方がおそろしく、その恐ろしさからついつい登校していたら、結果として皆勤賞だった。

この自信のなさ、周囲への不信感はどこからきていたかというとものすごく自分がブスだったということがあると思う。今でも相当にブスだけど当時に比べるとだいぶマシなのだ。知らない人とすれ違って「うわっ、すげーブス」とか言われるくらいブサイクだったんですよ。(幻聴とかじゃないよ!)しかもモードな服が好きで(CUTIE少女だったのです)でもセンスはなくて着ている服とかも本当に滅茶苦茶だったんです。死にたい。でも10代の頃って性欲もメチャメチャに強くて、ものすごくモテたかったんです。男に媚びるような服とかクソだと思ってたんですけど、でも本当はすごくすごくモテたかったんです。男の人に必要とされたり欲情されたりしたかったんです。というか、誰にも欲情されない自分なんて価値がないんじゃないか?と思うとそれだけでまた死にたくなりました。援助交際がメディアを賑わせていた頃でした。でもわたしは売春することよりも、売春しようとして「お前なんかに金が払えるか」「お前なんかに勃起すると思ってんのか」と言われるんじゃないかと思ってその方がつらかった。別に売春したかったわけでも、しようとしたわけでもないし、誰からもそんなこと言われてないんだけど、そういう自動思考がはたらいて勝手にしんどかったです…。


でも大学に入ったらだいぶ変わったんですよね。
バイトしまくったので以前よりも親に遠慮せず好きなこと(主に夜に遊びに行くだけ)ができるようになったし、ゼミの先生は私のそういう過剰な自意識こそ研究に値するものがあるからと全面的に受け止めてくれた。そして「世の中でさも当たり前だと思われていることは、実はそうでもないんだよ」という授業ばかりで面白かった。大学自体にリベラルな雰囲気があったし、自分に興味のある授業ばっかりとれるというのも自分に合っていた。授業に来ても来なくてもよいというのも、制服が無いというのも、「クラス」というのがなく人間関係が自由なこともよかった。そして自分が楽しくなったら友達も増えた。色々なことが許せるようになっていった。世間に媚びた服なんかつまらないと思っていたけれど、身だしなみを整えることも悪くないと思えるようになった。社会人になって、良い上司に恵まれたことも大きい。


顔立ちや体型は、どんなに努力しても、整形手術でもしなければ劇的に変えることは難しい。でも、大人になるにつれて「美」の基準は多様になることを知った。
10代の頃は「10代のアイドルのような」見た目こそ可愛らしいと思われがちだ。でも、それは見た目のほかに差別化する要素が少ないからだと思う。
20代を過ぎ、仕事や恋愛や結婚や出産や趣味や友情や裏切りや、コツコツとした努力や不慮の事故や、思いがけない出会いや別れといった、画一的だった学生時代にはない「その人ならではの経験」が増えていく。そういう経験が、その人の外見と内面の両方に豊かな彩りを加えていくことを知った。キリッとして強くクールな美しさもあれば、ふんわりと柔らかく周囲を和ませる美しさもある。純粋で生き生きとした人に元気づけられることもあれば、どっしりと落ち着きのある人に憧れることもある。美しさは、多様なのだ。

そして、その多様な美を楽しむには知性が必要なのだ。食べるもの、身に着けるもの、部屋に置くもの、聴く音楽や出かける場所がその人の美しさを作っていく。本を読んだり音楽を聴いたり、人と会ったり知らない所へ旅したりした経験が、若い頃には閉じていた美を開花させる時がくる。それが外見の美しさに反映されるときもあるし、装いに派手さはなくても内側からにじみ出すような魅力になることもある。どういう風に自分を見せたいか、どんなふうに発信したいか、どのように他者と関わっていきたいかというプロデュース能力は、文化的な資本を充実させると自然についてくるものだと思う。

そしてそれは、年齢を重ねれば重ねるほど美しさを発揮すると思う。若さからくる肌や髪のハリやつやはどんどん失われていくけれど、経験や知性は重なるにつれ豊かになるものだからだ。
しかも、努力によってなんとかできるものなのだ。

若いときは、そんなものはババアの負け惜しみだと思っていた。でも、それはその当時の自分に美の多様性を感じられるだけの知性と経験が無かっただけなのだ。若くても若くなくてもそれぞれの人に美がある。それを感じられるかどうかなのだと思う。

そして若いときは、大人というのは何が楽しくて生きているのだろうと不思議だった。毎日毎日やりたくもない仕事をし、稼いだお金は家族に吸い取られ、顔も体もしわしわになっていく。
でも今、そう思っていた時から20年経って、今のほうが当時よりずっとずっと楽しくて、大人になってよかったと思った。顔はレーザーで消したいしみばかりだし、いい大学に入って一部上場企業に入ってマンション買って暮らすんだと思っていた未来からは遠くかけ離れているけれど、当時の自分よりも、当時の自分が描いていた未来よりもたぶん幸せだ。出会った人、読んだ本、聴いた音楽、やってきた仕事、書いた文章、そういうことの全部が、自分を縛っていたいろいろなものから自由にしてくれたおかげだと思う。

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7月29日(金)

ヴァーム、コーヒー、チョコチップクリームの入ったパン


カレーライス、鰆の焼いたのとオクラ、きゅうりのサラダ、コーンスープ、豆、漬物、お茶


ニラ玉、レタスのサラダ、鶏のから揚げ、ビール

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10代の時の自分に読ませたい1冊

女の子よ銃を取れ

女の子よ銃を取れ

10代の時はなんでこんなクソつまらん説教臭い本の読書感想文を書かねばならんのじゃーーーーと切れたけど最近また読み返したいなと思ってる1冊

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

10代の時たぶん一番何回も読んでた本

*1:しかしながら、当時の自分は「今親元を離れるよりも、堪え難きを耐え忍び難きを忍んで大卒という学歴を手に入れなければ『誰かに食わせてもらう』という状況からは抜け出せない」という判断ができる程度の打算的な考えを持てたことができたことが結果的にはラッキーであった。

相模原の事件を知った時の動揺を隠さないで伝えてくれたあなたへ

こんばんは。
昨日は相模原の事件を知った時の動揺を隠さないで伝えてくれてありがとう。朝起きてすぐにこのニュースを知って、わたしも、なんと言っていいか分からない気分の悪い中、出かけました。でも、一日中頭の周りに鉛のように重たい靄がかかっているようで、不安と悲しみと憤りと、そして何よりもそれを言葉にできないつらさと悔しさと、気持ちの悪さを抱えてぼうっと過ごしました。

だから、わたしが社会福祉士の資格取得のための実習を終えて、帰り道でスマホの画面を開いて、あなたがまっすぐに、不安と混乱と怒りを伝えてくれた時、わたしはその言葉の激しさ強さにも関わらず、心底ほっとしたのです。わたしの気分の悪さは、残念ながら、まだまだそのままだけれど(あなたも気持ちが切りかえられなくて苦しいと言ってくれましたね)。でも、同じように苦しく感じている人が身近にいるということを感じて、心を落ち着かせようという気にさせてくれました。

このブログでは、毎日自分が食べたもののことを書いています。昨晩は「こういう日だからこそ、いつもと同じことを書こう」とわたしは考えました。今日も、淡々と、自分が食べたものを書こうと。だって、悔しいじゃないですか。あんな卑劣なことに心を砕かれて、わたしの日常を変えざるをえないなんて。あんなことに負けたくないからこそ、いつもと同じ態度を貫きたかった。そんな卑劣なことに、決してわたし(たち)は屈しないぞということを示したかった。

でも、昨晩はぐったりして結局何も書けませんでした。あんなことのために心を乱したり、あんなことのために時間を使うことは嫌なんだけれど、やっぱり、わたしはあれについて書かなければ、先に進めない。そう思いました。


あなたもよくご存じだと思うけれど、わたしは物事に動じないほうの人間だと思っています。言いづらいですが、大きな地震津波が起こった時も、わたしは自分は他の人よりもずっとずっと「何も感じていない」と思っていました。悲惨なニュースも、それが遠くであれ身近なことであれ、どちらでも、どこか他人事というか、誰かの痛みを自分の痛みとして感じることが少ないタイプだと思います。
なのに、どうしてこの事件だけ、一日中ずっと頭を離れないのだろう、と思っていました。それはそれ、これはこれ、と、どうしても気持ちが切りかえられないのです。

あなたは、わたしのまわりに障害のある人がたくさんいて、これまでの仕事や活動でもたくさんそういう人に会ってきたからだろうと思っているかもしれませんね。障害者と呼ばれている友人や、障害者と呼ばれている人が身内にいる友人がいるからだろうと。たしかに、このニュースを聞いたとき、そうした友人たちの苦しみ、理不尽さはいかほどかということにも思いをはせました。


でも、ひと晩考えて、どうも、そうじゃないとわたしは思ったんです。
この事件は「障害者の問題」なんでしょうか。被害者が障害者だから、加害者が精神障害者である可能性があるから、これは「障害者」の事件なんでしょうか。わたしは、そうではないと思うんです。そして、決してこの事件を「障害者の事件だ=健常者(障害者ではない人)の事件ではない)」という風に片づけさせてしまっては、いけないと強く思っています。

わたしが気分の悪さを感じているのは「××ができないから」「××の役に立たないから」という理由で、誰かを排除することをよしとしたり、やむを得ないこととしたり、正当化したりすることです。
働いていないから、働いていても一人で食っていけるだけの稼ぎがないから。税金を払っていないから。生活保護を受けているから。親に養ってもらっているから。そういうことを理由にして、役に立っていないと言われている人が、残念だけれどたくさんいます。ちなみにわたしは、子どもを産んでいないからという理由でも、「社会の役に立っていない」と言われることもあります。

そしてさらに悲しいことは、働いてなかったり生活保護を受けていたりする上記のような人自身こそが、このような「××ができない人は社会の役に立たないからダメだ」という価値観を内面化していて、「自分ってダメだ」と遠慮して生きてしまっていることが少なくないことです。上記のような人たちは「人の役に立ちたくない」のではなく「人の役に立たなければならない」という規範意識を強く強く持っているがゆえに、自分に厳しくなり、自分が許せず苦しくなっていくのではないかと思っています。あなたの真面目さを見るにつけ、わたしはいつもそう思います。


でも「社会の役に立つ」というのは、どういうことなんでしょうか。労働して税金を払い、誰にも頼らず、家族を養って生きていくことなんでしょうか。もちろん、それもあると思います。でも、それは「社会」の中のほんの一部なのではないでしょうか。人間の生き方も、体つきも、持っている資産も、産まれたところや生活する場所もひとりひとり違います。人の生き方はだってひとりひとり違うのに、「社会との関係はこうあるべき」というものが一つだけ、というのは無理があると思います。

いまの日本では

・「日本人」で
・心身共に「健康」で
・「成人男性並み」に週5日・1日8時間以上くらい働けて
・四大卒で
・正社員で
・スピーディでムラのないコミュニケーションが得意で
・移り変わる情報やテクノロジーをキャッチアップできて
異性愛者で …

みたいな人しか「社会の役に立っている」とは言えない、と言われる状況がどんどん増えてきているように思えるのです。そうで
ない人は役に立っていない、だから社会に居なくてもいい…と…。

でも、上に挙げた条件に合う人は、ほんとうは日本にほんのひと握りしかいないはずなんです。
ほとんど不可能そうな規範に自分を合わせようとしたり、「規範」を作っている側の人間に認められようと媚を売ることは、結局は「規範に合っていない」自分を受けいれられずに、苦しくなっていくだけだと思うのです。
そして、こういうタイプの「自分への厳しさ」は、往々にして他人に向けるまなざしも厳しいものになるのではないでしょうか。


先ほどわたしは、あなたも「自分に厳しい」と書きました。でも、あなたには、自分の不安やおそれを包み隠さずわたしに話してくれる素直さがあります。そして、自分も混乱の中にあるにもかかわらず、同時に、身近にいる障害のある人のことも真っ先に心配する優しさがありますよね。そういう素直さや優しさが、わたしを勇気づけてくれたように、他の多くの人を支えるものであると思います。
でも、あなたは今までに、その繊細さや優しさを、様々に傷つけられたリ、裏切られたりしてきた経験があるので、役に立たないものだとか、弱いものだとか、こんなものを捨てて強くなりたいとよく言っていますね。
そして、そういうあなたの辛さを、わたしなんかには分からないでしょう、ともよく言いますね。確かにそうです。わたしは「日本人」で、女だけど「男並み」に働けるだけの気力と体力に恵まれた「健常者」で、大学を出てから色々な人やコトを蹴落としながら働いてきたヘテロセクシャルです。いまの日本社会において、わたしは強者です。

それでも、わたしはあなたに生きていて欲しいし、一緒に生きていきたいと心から思っています。

あなたやあなたの周りの人に障害があるから、かわいそうだから、弱い人を助けたいから、そう思うのではありません。あなたという人がかけがえのない友人だからです。

役に立つとか、立たないからではありません。あなたが素晴らしいからとか、ろくでもないからということでもありません。誰にでも何かに貢献できることがあり、できないことがあります。素晴らしいところもあり、どうしようもないところもあります。そして社会の「規範」と言われているようなものは、すぐに移り変わるはかないものだと思います。

「日本人でバリバリ働くマッチョなエリートビジネスマン」が激しい競争に明け暮れる裏には、「負けるのが怖い」「ここから落ちるのが怖い」という強烈な不安があるようにも思えます。わたしもそうです。強さ、とか、正しさ、とか、有用性、といったものだって、実はおそれや不安や劣等感に支えられているものなのかもしれません。

あなたにはできないことがある。わたしにはわからないことがある。強いことや正しいこと、役に立つことよりも、弱いことやできないこと、何の役にも立たないことに、わたしはあなたとつながれる契機を見出したいと思っているのです。そのためには、あなたがいてくれないと困るのです。テレビやインターネットでは色々なことを言っている人がいますが、わたしは生きていて欲しいと思っています。

まだ、残念ながら心がすっきりとはしませんが、明日からも、誰からも求められなくてもブログを書き、何の役にも立たなくても好きなものを食べ、若作りだと笑われても好きな服を着て、いい年してバカだと言われてもパーティを楽しむ、そういうふだんのくらしをこそ、大切にしていきたいと思っています。


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yoshimi-deluxe.hatenablog.com
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フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

明治学院大学の公開講座が豪華

明治学院大学の連続公開講座のゲストが豪華だな~と思ったので
紹介します。
しかも参加無料。

www.meijigakuin.ac.jp

こういうのが「都市の幸(さち)」(海の幸とか山の幸に対して)
だな~と思う。
若い頃、岐阜に住んでいて、都会がうらやましいなと思ったのは
こういうイベントが「うわー行きたいのがかぶってるけど 
どっちに行こう~」と迷えるくらいいっぱいあることだった。
クラブでやるパーティもそうなんだけど。

                  • -

7月24日(日)
朝昼兼用
ジャーマンポテト、お茶

おやつ
コーヒー、カプチーノ、ダイエットコーク、バニラアイス


ホルモンを2~3種類、センマイ刺し、せせり、地鶏、ミノ、ネギ塩タン、とんちゃん、ビール、ハイボール
焼肉屋に行ったけど、脂の多いホルモンが胃にもたれるお年頃となってまいりました

7月25日(月)

塩チーズパン、コーヒー、お茶


サンドイッチ、アイスコーヒー

おやつ
コーヒー


ニラ玉、梅干し入り納豆、ピーマンの塩昆布あえ、ビール

こども食堂にケチをつける前にやることが100個くらいあるーー「正しさ争い」は不毛だ

湯浅さんのこのエントリーが話題ですね。
bylines.news.yahoo.co.jp

湯浅さんの言いたいこととは違うかもしれないけど
最近「こども食堂」について

「そんなことは子どものためにならない」とか
「もっとこういう人を集めるべき」とか
「子どもだけじゃなくて大人の問題だ」とか
「やってる人の自己満足じゃん」

みたいな批判をですね~~~~~~~~~~~
もともと子ども支援や貧困の支援をしている人が
ゆってることが気になっていました。

新しい動きに対して、
いやいやそれだけじゃないよね。とか
批判的な目で見て評価することって大事だと思うんです。
確かに子ども(や、「かわいそうな人」)をダシにして
自己実現をしようとするコト(「いいことしている私」)って
やっぱ良くないことだから、それに対して
ブレーキをかけることって大事だと思うんです。


でもさー、最近「こども食堂」を始めた人たちって
そういう人たちばかりなのか?と。
きっと、多くの人はそうじゃないんだと思うです。
湯浅さんの記事にあるように、専門的な知識はないけど
一緒にごはんを食べることなら、私達にもできる!と思って
始めた人たちだと思うんですね。

その知識のなさゆえに、子ども支援の経験がある人から見たら
危なっかしいことをしてしまうこともあると思います。

でも、だからといって「それは違う!」と批判だけするのって
駄目ですよね。
それは、子ども支援をしている人なら
よく分かるのではないでしょうか。
(子どもが間違ったことをしようとしたとき
 ただ単に「ダメ!」と言うだけの人は
 保育や教育や子ども支援のプロとは言えないですよね。)

湯浅さんは別の記事のコメントで
「『こども食堂』は、新たな支援者を掘り起こした」と言ってたけど
本当にそう思います。
イキオイでこども食堂を始めた人は
危なっかしいところもあるかもしれないけど
「子どものために何かしたい」と思っている人ではありますよね。

子ども支援の現場って、どこでも人手不足じゃないですか。
職員もボランティアもなかなか集まらない…となっていた中で
「こども食堂」は、子ども支援のプロにとっても
今まで繋がれなかったけど
やる気(と行動力と多少の資金)がある
新しい人とつながるチャンスと捉えられるんじゃないでしょうか。

他団体にも、自団体にも完全な「正しさ」「完璧さ」
「あるべき姿」を求めて
繋がれる人を少なくしてしまうのではなく
不完全だからこそ補い合って、つながっていく方が
子どもにとってもいい活動、いい社会を作るのに
ずっと役立つのではないでしょうか。

        • -

ついでに、言わんでもいいことを言うと
ほんとうの敵は「間違った支援をしている団体」ではなく
「間違った支援をしている団体にお金(補助金とか)を
 出しているところ」
ではないでしょうか。
支援のプロであれば、というか、ソーシャルワーカーであれば
たたかう相手を間違ってはいけないと思います。

          • -

7月23日(土)
朝昼兼用
中華丼(非常食の中にあった賞味期限切れたのを処分)、お茶

おやつ
ほうじ茶、くるみきなこ、あられ


鶏の焼いたの、鳥刺し、チョレギサラダ、さつまあげ、冷汁、炊餃子とそのしめにラーメン、ビール、ハイボール

ここで↓毎日飲んでばっかだな~
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Page1:ANATOMY OF INSANE

Page1:ANATOMY OF INSANE

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ポケモンのほうがリアルだ

最近はあまり言われないのかもしれないけど
ゲームばっかりやってないで
アニメばっかり見てないで
本ばっかり読んでないで
もっと現実に触れたほうがいいとか
社会に出ろみたいな言い方をされたことがあるけど
わたしはいつも、

「社会や『現実』が、自分にとって
 リアルに感じられるものではない」

ということのほうが問題じゃないのかと思っていた。
ワクワクしたり、びっくりしたり、
きれいだな、おもしろいな、すてきだな、
かっこいいな、すごいな、何だこれ!と思えることが
自分にとってリアリティのあることであって、
物理的に近くにあるとか手で触れるとか
生活に関係あるとかっていうことじゃないんだよね。
と、いつも思っていた。
https://www.instagram.com/p/BIKYFGmB2d5/
キャピピ

                • -

7月22日(金)

食べず


冷やしうどん(冷たいうどんに冷やし中華の具見たいのがのってた)、なすとピーマンの煮びたし、レンコンと鶏肉の煮物、お茶、コーヒー

おやつ
ホットドッグ


砂肝オイスターソース炒め、だし巻きたまご、海ぶどう、牡蠣のアヒージョ、えいひれ、お好み焼きなど
ビール、知多ハイボール

太田川のここ↓でいただきました。沖縄料理屋なんだけどなぜか窯焼きのイタリアンピザ推しという、コンセプトがよく分からないお店でしたが美味しかった。
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弱いロボット

いま読んでる本。すっごい面白い!
出てくるロボット達が、愛おしい~。
そして、自分の行き詰まりの理由が少しずつ
分かってきたような気がした。
後日、レヴューを書こうと思っています。

弱いロボット (シリーズ ケアをひらく)

弱いロボット (シリーズ ケアをひらく)

話しかけられても「む~」としか喋れないロボット、
人にごみを拾ってもらわないといけないゴミ箱ロボットなど
「ひとりでは何もできない」ロボットにまつわる研究の話です。

「一人では何もできないロボット」という観点からは、他者からのアシスト(=グラウンディング)を上手に引き出しながら、ある目的を達成していくということばかりを考えていた。(中略)
 見方を変えるならば、「自分の表情や姿の意味や価値を、個体として主張するばかりでなく、その周囲に委ねている」といえるかもしれない。(岡田美智男「弱いロボット」医学書院、2012年)

「一人では何もできない」という開き直りの中で、自分のことを自分だけで表現することをなかばあきらめてみると、それを取り囲むモノとの関係や他者との関係が顕在化してきた。これは「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり筏乗り」といった感覚だろう。(同)

私は、「もうそろそろロボットのカタチをデザインする時代ではないのかもしれない」と思った。むしろ、「周囲との関わりをデザインする時代なのではないか」と。ロボットの個体としての姿や機能を議論するのではなく、周囲との関わりから立ち現れる意味や機能に着目していくというロボット研究があってもおもしろい。(同)

                          • -

7月20日(水)

チョコレートブラウニー、紅茶


鶏の焼いたの、ほうれん草のソテー、パン、スープ、お茶、コーヒー

おやつ
カプチーノ


鶏レバーの生姜煮、枝豆、豆腐、茄子の煮びたし、だし巻きたまご、ピザひと切れ、アスパラ、サラダ、ビール
こちらでいただきました。美味しかった!
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