#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

結婚していなくてもできたこと、できなかったこと

5~6年の付き合いになる彼氏がいるのですが
私が「結婚という制度に私は乗っかりたくない」という理由から
結婚していません。

結婚という制度に納得がいかない点があるというのもあるのですが
(姓を変えたり変えさせたりしなきゃいけないのが嫌とかとか)
私は「愛しているからこそ、家族になりたくない」
というのが一番結婚したくない理由なんだと思っています。
昔から、家族といるより他人と居る方が
落ち着いて自分らしく居られるからです。。。
私は「愛する他人」と一緒に居たいんです。
今では家族とそんなに軋轢があるわけではないし
今の自分があるのは家族のおかげなので
大変感謝はしているのですが
これ以上、私に家族は、もう、いいです…と思っているのも確かで。

家族/家族という制度には素晴らしいこともあります!
大いにあります!
結婚含めその制度を大いに活用し、楽しみ、
人生の充実に役立てている方はたくさんいるし
わたしはそういう人を特別にけなそうともホメようとも
思っていないけど、
人それぞれに信じた方法で生きていくのがよいと思っているので、
他の人は大いに結婚や家族をエンジョイしていただいて
全く構わないのですが、自分はとにかく家族や結婚はしたくないのでしていません。*1

そんな中、最近その彼が交通事故に遭って入院することになり
色々あって、対外的にも
自分が妻っぽいことや家族っぽいことをしなければならないことがあったので
どなたの役に立つのか分かりませんが、結婚しなくてもできたこと
できなかったことを書いておくことにしました。
私は法律に詳しいわけでもなんでもなく、自分の経験を書いているだけですので
あくまでもご参考程度で。

1.結婚してなくても同じ保険に入れる

これは事故よりずいぶん前のことなんですが
彼が私の車も運転することが多くなったので
保険も内容を変えたほうがいいのかな?と思い
自動車保険の会社の人に相談したんですよ。

保険会社の人「運転される方はどういう方ですか?」
私「うーん、彼氏っていうか」
保険会社の人「内縁関係っていうことですか?」
私「内縁?どういう関係のことを内縁関係っていうんですか?」
保険会社の人「あ、うーん…一緒に住んでらっしゃれば内縁関係かなと」

そうかー、たまに週刊誌とか新聞で見て、どこか
後ろ暗いようなイメージがあった(私だけ?)
「内縁の妻」に自分はなっていたのか!と。
で、内縁関係なら「夫婦扱い」なので今の契約のまま(お金変わらず)で
いいですよ~と言われました。ちなみに損保ジャパン日本興亜です。
また、彼は原付に乗るのですが、原付の
「ファミリーバイク特約」っていうのも内縁OKで付けられました。

ちなみに「一緒に住んでるかどうかは、どうやって調べるんですか?」と
聞いたら「住民票が同じ住所ならいい」とのことでした。

2.結婚してなくても病院から説明を受けられる

なんだかんだで事故後最初に病院に行ったのは
私だったんですが、家族じゃなくても面会とか
医師からの説明とか受けられるのかな?と思ってたんです。

こういう時のために(?)私は小賢しい悪知恵を持っておりまして
↑の前置きに書いたような説明を長々としなくても
「結婚はしてないけど私達は特別な関係である」ということを
2秒で説明できる、パワーワードがあるのです。

それは「婚約者です」と言うことです。

入籍と違って婚約って口約束レベルでも成立するし
「特に結婚の予定はないけど、もしも結婚せねばならんとなったら
結婚する相手だよね」というレベルの合意でも
婚約は婚約であろうという判断から、ウソはついてないよねと思い、
説明がメンドくさい時にたまに使っています。
(私は使ったことがありませんが、家を借りる時に
「同棲します」よりも「婚約者です」と言うと大家さん受けが良い
という話を聞いたことがあり)

というわけで病院でも便宜的に?婚約者ですと名乗ったら
何の疑いもなくすぐにレントゲンとかを見せてもらえ、
この書類を書けここにサインしろとか色々言われ、
ハイハイと従っていたら入院の手続きもスムーズでした。

病院からしたら「私が手続き等々に関して責任を持ちます!」と
言ってくれる人であれば、誰でもよかったのかもしれず
彼女でも内縁の妻でも同じ対応だったかもしれないな…と思いました。

3.結婚していないと住民票は取れなかった

手続きの中で彼の住民票の写しが必要になったので
代わりに私が区役所に行くことになりました。
窓口の人に聞いたら「あ~、住所が同じでも世帯が違うと
委任状を書いてもらわないと住民票は出せないです」と言われました。

私達は二人とも同じ住所なんですが
結婚していないので世帯は別々なんですよ。
同じ住所に世帯主が2人おるのです。

委任状と言っても簡単なもので、
住民票の写しの取得を私に委任します、という書類に
彼の印鑑を押してもらうだけなんですけどね。

逆に「家族だったら(世帯が同じなら)委任状無しで
他の人の住民票を黙って取ってこれるのか!?」と思い
トラブルになったりしないのかなと不安になりましたが
とりあえずそれ以上は考えないようにしました。

4.結婚していない自分に堂々としていることができなかった

というわけで、今回「結婚していない」という理由で
特に不便を感じたことはなかったんですよ。
会社員だったら、家族が入院したときに
介護休暇がとれたかも~というのはあったかな?と
思いましたが、自営業だし。。。

さらに、手続きの中で、メンドーなので
書類に自分の続柄を「妻」と書いて済ませたりもしてたんですね。

でも、生活が落ち着いてくるにつれ
最初はなんでもなかったそれがだんだん
苦痛になってきて…。
「婚約者」もウソではないけれども、
名誉白人みたいなものというか…

自分は結婚していてもしていなくても
人間の価値に変わりはないし、そのことで
優遇されたりされなかったりするのっておかしいんじゃないか?
という疑問を持っているのに、いざとなったら
「結婚しているということで便利な面」だけをスルっと
美味しいとこ取りしてるだけじゃん、ていう
自分の中のもう一人の自分が自分を糾弾し始めたんですよ。

イヤイヤ、でもさー
そうは言っても緊急事態なんだしー
病院とか保険で主義主張を振りかざしたところで
何か変わるわけじゃないじゃん?
それにそんなに潔癖に戦わなくてもさー
小賢しく非婚生活をいけしゃあしゃあと送り続けて
多様性が堂々と存在する状態を作ってしまえば
人の意識とか制度って後追いで変わっていくんじゃないのー
という、また別の自分が自分を庇いに来たんです。

こんな感じで自分の中で自分同志が水掛け論の泥仕合になってしまいました。

「面倒だから」という理由で、婚約者ですーとか言って
その場をやり過ごして、その時はスムーズでいいんだけど
でも、その説明を省いたことが自分には思った以上のダメージに
なっていたみたいなんですね。なんか、蕁麻疹が出たり…
そんなに「妻」とか書くことに本当は抵抗があったんだなあ、
まさに「結婚アレルギー」なのかしら…とか。(笑)

メンドくさがられても、いちいち自分の考えを
説明し続けたほうがいいのかなあ?
それとも、もっとしたたかにやれるように腹を決めればいいのかな?

どちらもまだ、自分の中では腑に落ちないので
ここで安易に決断しないで
両方の間で迷いながら考え続けようと思いました。

*1:結婚しない理由ってこんなに長く書かないといけないものなんでしょうか

疎外感がエンジンだ

みんなー!ネオまちおこしことシティ・プロモーション界隈にサブカルおしゃれ旋風が吹き荒れているよー!

神戸市
fnmnl.tv
名古屋市
snug.city.nagoya.jp

別にいいんだけどさー!

しかし何なんですかね、行政がクソダサいことやると「そんなダッセーことに税金使うんじゃねえよー!」と思い、ちょっとおしゃれなことをやれば「チャラついて小金持ってるヤングアダルト(死語…)に媚び売ってんじゃねーよ!」と思う、この私の荒んだ心は…。まちじゃなくて、私の心がゲットーなのか。過疎なのか。


と、思ってele-kingを読んでいたら、レヴューにこんなことが書いてあった。

新しい音楽というのは、それまで存在していた世界に疎外感を覚えていた人にしかつくれないと僕は思っている
(三田格「Klein/Only」のレビュー http://www.ele-king.net/review/album/005644/

www.ele-king.net

オシャレなまちづくりグループに居場所のなさを感じたら、もうちょっとカジュアルなグループを自分で作ったり見つけたりすればいいし、お上の作ったまちおこし計画がダサくて死にそうだったら、もっと面白いことを自分でやったり、かっこいいと思えることをやっている他のまちに堂々と出て行けばいいだけなんだよね。
どうしても目立つアクション=その地域の印象、ってなっちゃうけど、そんなに単純なものじゃなくて、ほんとうは同じ地域にいろんなジャンル、いろんな世代、いろんなムード、いろんなコンセプトの集団がいくつもあるわけで。それを「この地域は○○だから!」とか、誰に何を言われようと、わかりにくいとかとか言われようと、ひとつにまとめなくってもいいし、自分たちが地域ブランドみたいなものに染まらないからと言って気にしなくてもいいんだよね、べつに。

いろんなグループがたくさんあって、それぞれが切磋琢磨しあったり批評しあったりすればいいんじゃないかな。自分たちのグループだけのものさしで「あいつらはおかしい」「ダサイ」「公金を使う意味がない」とか言って潰しあわなければ。「ああいう考えもあるんだよね」くらいで、それぞれのグループ同士いい距離を持っていればいいんじゃないかな。だけど同じ地域にいる以上、グループを越えてどうしても合意しなければならないことは、話し合いの手間を惜しまず合意できるようにそれぞれが頑張る。みたいな。

ちょっと話がそれたけど、そういう新しい「グループ」っていうかまちおこしムーブメント的なものを作る時にエンジンになるのって「郷土愛」みたいなものだと思われてると思うんだけど
「疎外感」も、そのエンジンになるんじゃないかなって思ったの。
あれも嫌、これも嫌い、ここは自分のいる場所じゃない。そう思った時が本当はチャンスで、新しい人間関係や文化に向かって自分が進んでいける時なんじゃないかなって思った。

これを読んでから、ずーっとブロックチェーン的世界をユートピアのようなものとして夢想しているのです、私は。

読むことは愛すること、愛することは読むことーー起業支援ネットaile98号が出ましたよ

いつも書かせていただいている
起業支援ネットさんの「aile」98号が
3月の始めに出ました。
今回は、なんと、福島特集です!
はるばる福島県まで取材に行かせていただきました~。

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インタビューさせていただいたのは
福島県双葉郡広野町楢葉町で障害のある人の
生活をサポートする事業所を営んでいる
NPO法人シェルパ」の古市貴之さんです。
ハートネットTVにも出ていらしたんですね~。
www.nhk.or.jp

震災から6年、まだ原発事故の爪痕も色濃く残る地域を
古市さんと、起業支援ネット/起業の学校福島キャンパスの戸上さんに
車でぐるぐると案内していただきながら、色々なお話を聞きました。

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海岸に大きな堤防を作っているところ
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除染した土を入れたフレコンバッグ

aileのお仕事を初めていただいたとき(もう2年くらい前でしょうか)、
「もっと”よしみ色”*1を出して欲しい」
というようなことを言われたのですが

起業支援ネットの会報誌なのに、なんで?
どうしてそんな、イチ個人の”色”が必要なのか?と
正直に言うと意味が分からなくて、今もよく分かってなくて、
でも、今回の福島特集は、誰にも求められていないけれど
初めて記事を一人称で書きました。
なんか、そうしないとウソだと思ったんですよね。

読むことは愛すること

いきなり話は変わるんですが
わたくし、文章が上手くなりたい一心で
数年前からイシス編集学校という講座を受講しているんですよ。
福島に行く前日は、東京で編集学校の「物語講座」という
お稽古をしておりました。(なんと、夜の23時まで…)
編集する。日本する。イシス編集学校

文章を書くのが上手くなりたくて
物語講座を受けたんですが
前にも書いたんですけど
書くよりも前に、まずは「読むこと」のほうが
ずっとずっと大事なんだなって、この東京~福島ツアーを経て
再び実感しました。

本でも、人でも、風景でも、ある事象でも
まずは、じっとそれ自体を「読む」。。。
判断したり、言及したりしようとする前に
その人・そのこと自体の在りようを
そこに書かれていること、そこにあるままにじーっと見て読む。

「書く」ということは、そこから自然と浮かび上がってきた
何かーーそれが「物語」なのかもしれないーーを
そっと写し取る行為なのではないか、と思ったのです。

で、それって「愛」じゃんって思ったんですよ。
「君が僕を知ってる~♪」っていう曲があるじゃないですか。
あれは、君が僕のことを、
ちゃんと「読んで」くれているっていう喜びなんじゃないかなと。

一人ひとりの小さな物語をナビゲートする学校

ちなみにこの「aile」を出している「起業支援ネット」さんは
「起業の学校」という、ソーシャルビジネスやコミュニティビジネス
その他ビジネス・生業を立ち上げたい人や
すでに立ち上げちゃったけど迷いの中にある人のための
講座を開催しています。
NPO法人起業支援ネット

起業の学校のカリキュラムには
「自分で作った事業計画書を発表する」というのと
「自分のこれまでの道のりを物語にして発表する」というのが
あるそうですよ。
なんでも「事業計画書は”強さ”の共有、物語は”弱さ”の共有」
なんだそーです。

…と、説明しようとすればするほど、なぜか
「起業の学校」とは何ぞや、というのが
どんどん分からなくなってしまう、という講座ですので
気になる方は、ぜひ近日開催される「起業の学校」の
説明会や無料公開講座に行ってみては、いかがでしょーか!

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お申込みはこちら↓から
http://www.npo-kigyo.net/oc-koukai-nagoya

ちなみに、今回取材した古市さんも
「起業の学校 福島キャンパス」の卒業生です。
起業支援ネットさんが震災後、名古屋だけでなく
それまで特別に関係が深かったということもない
福島でも、敢えてこの講座を開講した、ということの意味に
思いを遣る取材でもありました。

起業支援ネットが、それぞれの人の抱える
「小さな物語」を、「起業」をキーにナビゲートしているのであれば
福島には、東北には、震災後の日本には、
不安や強がりに任せて性急に放たれる言葉よりも、もっと多くの
読まれるべき物語があるのではないか、と思いました。

■□■ Oshirasse ■□■

「aile」は名古屋市内・愛知県内の公共施設等の、
いろんな会報やパンフレットが置いてあるところで読めるほか
(ざっくりした説明…)、
起業支援ネットさんの正会員/準会員になって、
キラリと光る志ある起業家さんの応援をしていただけると、
三ヶ月に一回届きます。
この機会に、ぜひご入会くださいませませませませ。

入会は、こちらから

■□■ 余談 ■□■

取材前日に23時まで物語講座をやっていたのみならず
朝3時半まで遊んでいたのでした…
もう、こういう仕事のしかたは、しないぞ!!!
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

君が僕を知ってる

君が僕を知ってる

物語編集力

物語編集力

*1:よしみというのは私の名前です

お前は「何かの役に立つから」という理由で音楽を聞くのか?

お前は「何かの役に立つから」という理由で音楽を聞くのか?
聞かんでしょ!?

「何かの役に立つから」という理由で
音楽を聞いたことがあったとしても
そんなのつまんないでしょ?
いくらいい音楽であっても、
そんな「お勉強」みたいな聞き方
つまらんでしょう?

かっこいいからとか好きだからとか面白いからとか
踊れるからとか何か気になるからとかヒマだからとか
そーゆー何の役にも立たない理由から、あるいは
そんな理由すら特になく音楽を聴くでしょう?
そしてカンドーするでしょう?
気持ちよくなって幸せになるでしょう?
それでいいじゃないですか。

で、突然なんですけど「人間が生きていること」も
同じではないかと思ったんですよ。
音楽の価値を「何かの役に立つから」なんてことに
押し込められないように
人間を「何かの役に立つかどうか」なんて
みみっちいことで判断しようなんて
セコいし、意味のないことなのではないか!
と思ったのです、

この、佐藤彰一先生の「障害者差別解消法を考える」(視点・論点)を
読んで。
www.nhk.or.jp


ちなみに「やまゆり園」について考えたことを、
わたしはこの前の夏には↓こんな風に書いていました。

「老いの空白」 鷲田清一著 ヨシミさんより – インター・スコア

わたしは日常の外から日常を撃つような音楽が好きだ。


JJJ - BABE ft. 鋼田テフロン (Prod by JJJ) 【Official Music Video】

HIKARI

HIKARI

老いの空白 (岩波現代文庫)

老いの空白 (岩波現代文庫)

THA BLUE HERBのライブを見てきました(2016年12月24日)

ご縁あって、2016年12月24日に名古屋のClub JB'sでの
THA BLUE HERBのライブを見てきました。
…という話を
2017年2月23日に書きますね。
遅っ!

TBHR [THA BLUE HERB RECORDINGS]

20th Century Rapper

とはいえ、わたしがブルーハーブをよく聞いていたのは
大学生の時なので、
ということは、もう20年も前のことなんですね…!

THA BLUE HERB
この映像は2000年のフジロックの時のライブなんですけど
当時は本当に神がかってたんですよ。
今は色んなラッパーがいますけど
こういうポエトリーリーディングみたいな感じで
ラップする人っていなかったし
圧倒的な語彙と知識に裏付けられた歌詞の厚みも
段違いでしたもんね。

で、今も日本語ラップ流行ってますけど
当時もけっこう流行ってたんですよ。(ざっくりした説明)
でも、当時ラップしていた人たちの中には
売れてくるにつれラップする意味を
失っていくように見えた人も多く
(ex.「成り上がりたい」がラップの動機だと
 成り上がってしまうとラップする意味を見失う)

でも、ブルーハーブは、当時のような勢いはないかもしれないけど
20年間現役でやってるんだー、
すごいなーと、思う一方で
今更…というか
何で今でも…というか
昔取った何とかで商売してんじゃないの…?
みたいな疑念も持っていました。

C.EのTシャツ着てる中産階級が聞く音楽とは

JB'sに入るとライブ前から超満員。
HAZUさんのDJ*1を聞きながら、うわー、若い子ばっかだー
と驚いた。

若い子だったら、もっとイマドキの若いラッパーの
音楽のほうがワクワクするんじゃないの?
なんでこんなおっさん(失礼…)の音楽がいいの?
など、三たび自分のことは棚に上げて考えていた。

また、わたしは今
Ryugo IshidaとかゆるふわギャングKOHHといった
ヒリヒリする生活の実感から生まれた
想像力とエネルギーが、暴走する彗星みたいになってるタイプの
ラップに夢中なので

C.E*2を着た大学生みたいな子たちが
安くないチケットを買って集っているのを見て
あー、よいご身分でいらっしゃいますね
なんて、これまた自分のことを棚に上げて思ったりしていた。

こっちゃポエム書いとるわけじゃねぇ

年寄りはジェネギャップ感じてしゃーねー

上っ面しかはかれんその物差し
へし折んのにやっとんだぜGame

流石 青臭くてトベねーのは
駄草の名産地ならではのお方

目指せ直木賞だなまるで

TOKONA-X「EQUIS.EX.X」2002年

「テレビは見なくてメディアリテラシーが高くて
トランプが大統領になって驚き怒っている人たち」と
「そういう人の言うこと為すことに
憤懣やるかたない思いをしている人たち」の断絶が
最近は話題になったけれど
2002年にTOKONA-XブルーハーブをDISったこの歌詞をふりかえってみると
前者が後者の思いに、存在に
気づくのが遅すぎただけだったんじゃないか?
そんな風に思ったりした。
寒がりのババアはカシミアのセーターを着てきてしまい
開演前から既に汗だくだ。

生き恥、説教、ライフストーリー

https://www.instagram.com/p/BOadlNoB3bm/
行ってきた #thablueherb

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ライブが始まるとドーっと若い人がステージの方に押し寄せてきて
しかも、皆、もう、目がキラキラなんですよ。
キラッキラ。
本当にみんなBOSSのことカッコイイと思っていて
ブルーハーブが好きなんだな、と思った。

でもBOSSの歌ってることって
他のヒップホップもそうなんですけど
ほぼ説教なんですよ。
自分の信じた道を生きろとか
他人の言うことに惑わされるなとか
わずかな金やちょっとした名声のために誇りを売るなとか。
汚れつちまつたババアには暑苦しく感じることも多いんだけど
それをメンタルとフィジカルの両方に響かせるべく
力強くてエモーショナルに訴える
20年戦士のラップだった。

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たぶん彼らのピークタイムのひとつは
20年前であったことは確かで
彼らも今もやり続けていることを
生き恥を晒しながら歌っている」とMCで言っていた。

昨今のラップバトル・ブームについても
だいぶ抑えたトーンで苦言を呈していた。
「自分はバトルMCではない、ラッパーだから」とも。

「バトルでそのラッパーが本当に言いたいことが
 ”勝ちたい、負けない”だけならばそれを言えばいい。
 でも10代を過ぎても言いたいことがそれだけなのか。
 10代なら10代、20代なら20代
 30代なら30代、40代なら40代の
 そこからしか見えないLIFE STORYを語ることが
 ヒップホップなんだよ!!!」

うおーっ、と盛り上がる会場の若人たち…

カッコよくてもすぐにイタくなり
常に色んな視点からの評価がメタメタに感じられ気になり
何事も言い切れない、決めきれない 
相対化の大海原にいるからこそ
生き恥でも痛くても、ピークじゃなくても、
おっさんでも、中流階級でも、
俺はこうなんだ、これを信じるんだ、と
熱く押し付けてくれる力を眩しいと感じるのかもしれないなと思う。


明日をも知れぬ非正規雇用から
抜け出せる道筋なんて全く見えなくて
家族はバラバラで金もなく
税金とか保険とか何それ?みたいな生活をしている人が
いっぱいいる世界では

iPhoneでサチモス聞いて
自分で焙煎した豆で煎れたコーヒー飲んで
ニューバランス履いて、みたいな子を見ると
ケッとか思っちゃうけど
中産階級には中産階級の苦悩があり、生活があり
それぞれに辛さがあり、それぞれに絶望があり
それぞれに必死なんだな、という
ごく当たり前のことに気づかされた。

だからといって
「お前らだけじゃないよ、それぞれ苦労してんだよ」
と、収入の少なすぎる層の苦しさを
相対化してしまうことは、
絶対にあってはならないと思うんだけど。


でも、後になってTOKONA-XとBOSSが和解した*3ように
たぶん、こういう音楽、こういう文化は
階層によって断絶されてしまった人たちが出会い
結びつくような機会と力を持っているんだと思う。

わたしは、誰になんと言われてもそう信じているので
ライターとして、
こういう音楽、こういう文化から貰った力をもとに
断絶を揺り動かすような言葉を紡いでいこうと思った。

やらなかった事 やれなかった事とも言うだろう
あんたが人生においてやらなかったことだよ
あなたがやり残したものとは何だい?

ハーフタイムは終わった ここから後半だ
土壇場 モノにする度 MORE YOUNGER
最後まで笑っていたいから頑張る 
まだやり残したことがあるんだ
THE BLUE HERB「AND AGAIN」


THA BLUE HERB×OLEDICKFOGGY:THA BLUE HERB「AND AGAIN」
(この映像は私が見た12月のライブの映像ではありません…)

LIFE STORY

LIFE STORY

IN THE NAME OF HIPHOP(2CD生産限定盤)

IN THE NAME OF HIPHOP(2CD生産限定盤)

トウカイ×テイオー

トウカイ×テイオー

THA MASTA BLUSTA :20周年記念エディション

THA MASTA BLUSTA :20周年記念エディション

*1:自分の中ではHAZUさんのイメージはSCHOOL NITEのDJなので普通にヒップホップをかけるDJは新鮮だった。ってこっちが本業だよね…。 ディスコ高齢社会---「SCHOOL NITE」に行ってきた【前編】 - #レコーディングダイエット

*2:スケートシングさんがデザインする洋服のブランド。Tシャツでも1万円くらいする

*3:とBOSSは言っている

フリーランスは風邪をひいてはいけないと思っていた

会社を辞めてこれからはフリーでやっていくんだ、
と決めた時
これからは自分の代わりはいないんだから
絶対に風邪ひいて仕事を休むなんてできない

と思ったものだった。

しかし、そんなの無理だった。
何があっても風邪をひかない完全体なんて
機械の身体を手に入れないことには無理なのだ。
少なくとも自分には無理みたい。

と、今年インフルエンザの予防注射をしたのに
見事にインフルエンザに感染してしまい
熱に浮かされながら思った。

結局、4日くらい仕事を休ませてもらい
申し訳ないなあ、情けないなあ、と感じたけれど
自分が行かないとどーしてもダメ、みたいな仕事は
幸いにも、その間はなかったので助かった。

風邪を引いたら休めばよい

…という、当たり前のことを、
なんでわざわざこんな太字の見出しにしてまで
言わねばならないのだろうか…

寝ながらダラダラネットとかを見ていたら
アイドルの女の子が嫌な仕事を事務所に強要されて
どーのこーの、という話がやってて

アメリカではグラミー賞に異を唱えるアーティストが
「俺たちでHood Grammy賞を作ろうぜー」とか言ってるのに*1
日本の芸能界は事務所の奴隷みたいやなあ、なんて
思って、はっと気づいたんですよ。
別に芸能界だけの話じゃないなーって。

わたしも会社員の頃は仕事が嫌でも
でもこの会社辞めたら次の仕事があるか分かんないし
無かったら食っていけないし
途中で辞めたら同僚やお客さんに迷惑がかかるし
とか思ってやっていた。
少々の風邪や体調不良で休んだらダメだと思ってたし
休んでも家からメールや電話して
他の人に「あれはこうして、これはこうしてください」って
お願いしたりしていたなって思い出した。
そもそも「風邪や体調不良」になること自体が
「自己管理」のできないダメな人間、って事で
ダメだと思っていた。

でもさー、どんだけ自己管理して健康に気を付けてても
風邪ひくときはひくんですよ。
倒れる時は倒れるんですよ。
にんげんだものー(みつを)

そういう時に「ごめんなさい、今はできません」って
すぐに、素直に謝れることのほうが
フリーランスとして大切なんじゃないかと今は思う。

無理して引き受けて、質の低い仕事をしたり
それどころか、結局できなくて
納期を守れなかったりするリスクのが大きいし
いざという時「ごめんなさい」と言える関係を
普段からクライアントと作っておくことが
フリーランスとしての自分のリスクヘッジなんじゃないかと。

寝食を忘れることができない

「ずーっと仕事をしている人」に憧れていた。
やっぱり成功する人、デキる人って
すごく長い時間集中して、情熱をもって、粘り強く
諦めずサボらずそれひとすじにやっているでしょ。
それで、すごい成果を出すでしょう。

そういう人がうらやましかった。
大きな努力に見合った大きな成果が出せることも
うらやましかったし
それ以上に、そこまで情熱を傾けて
没頭できることがある、ということ自体が
うらやましかった。

わたしも、どの仕事も一生懸命やってきたつもりだけど
寝たいし、食べたいし、土日は休みたいし、
旅行も行きたいし新しい服も買いに行きたい。
ので、そこまでは集中してやることができなかった。
でも、それでは、中途半端なんじゃないのか?
土日も研修に出たり、関連する本を読んだりしたほうが
いいんじゃないのか?
そういうことをしないから、何も極められないんじゃないのか?
と思うと、
遊んでいても何か後ろめたくなった。
かといって、
遊ばずに仕事一筋にもなれなかった。
それがダメな気がして、いつも自信が持てなかった。

でも、今回インフルでずーっと寝ていて
自分には無理なんだから、仕方がない。
と、やっとあきらめることができた。笑

今までは若かったから体力があって
多少の寝不足でも何でも気合いとハッタリで何とかなる
やる気がない自分が悪いんだ、と思っていたけど
どうも歳をとってみると「そうでもないな~」と
思うようになった。
没頭できるものがないのは残念だけど仕方がないし
没頭できるものがあっても、自分にはもしかして
自分が思っているほどの体力は備わっていなかったのかもしれない
と思うようになった。
その範囲内で、自分ができることを精一杯やり
(その精一杯が、他の人と比べて取るに足りないものであっても)
できないことは、誰かにお願いする、というのが
勇気ある行動ではないかと思った。

ちなみに今回のインフル感染は
1月末に受けた社会福祉士試験の勉強の疲れが出たかな?
と思うんだけど

・人に迷惑をかけてはいけない
・寝ないで頑張らないといけない
・甘えてないで常に前進しないといけない

…という価値観が、いまの社会に差別、偏見、断絶を生んでいるわけで
(=迷惑をかける人・寝てる人・ガツガツできない人が排除される)
だとしたら、率先してソーシャルワーカー
人に頼り、働き過ぎず、寛容であるべきではないか~!
ソーシャルワーカーが忙しい自慢をしていたら
社会正義も人権も多様性も尊重できず、
ウェルビーイング(福祉)は推進されないじゃないか~!
と、考えていたらますます熱が上がって頭が痛くなった。

知りたい! ソーシャルワーカーの仕事 (岩波ブックレット)

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ソーシャルワーカーのジリツ――自立・自律・而立したワーカーを目指すソーシャルワーク実践

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親しき仲にも隠し事あり

「夫のちんぽが入らない」を読んで
わたしがじーんときたのは
ちんぽが入るとか入らないとかじゃなくて

「家族にも、絶対に言えないことがある」

ということを、書いてくれたことだった。

家族にも、恋人にも、友人にも
どんなに近しい人にも言えない
自分だけの秘密(でもなぜかブログには書けたりする…)を
持っている人は、自分だけじゃないんだって分かって
心の底から、ほっとした。

今じゃ言えない秘密じゃないけど、
できることなら言いたくないよ、っていうようなことから
どうしてもどうしても誰にも言い出せないこともあって。
でも、周りの人は家族や恋人には
「何でも」「気兼ねなく」話しているように思える。

わたしは、より親しい人のほうが遠慮や気後れや
ムダな心配をしてしまって、何も言えなくなってしまうことが多い。
(なので、ブログには書けるのかもしれない…)
実際に、家族や恋人や友人から
「よしみちゃんは、もっと何でも話してくれたらいいのに」とか
「もっと心を開いてくれればいいのに」と
言われたこともある。*1

でも、自分としてはこれでも
なんとか精一杯開いていて、
ギギギと音がするくらい必死に心のドアを
開けているつもりなんだよね~。

なんだけど、仕方ないなと分かっていながら
どこかイマイチ割り切れなくて、
やっぱり「閉じている部分がある」ということが
後ろめたくて、自分はダメなんじゃないか、
傷つくのを恐れて自分を守っているだけなんじゃないか、
と自分を責めたり

かと思うと
「あたしは、そういうベタベタした人間関係は嫌なんだよおおお~」
と、誰だか分からない社会を責めたりしていたのでした。

でも、どうしても言えないことがあるのは
自分だけじゃないんだな~と思って。
「夫の…」を書いた「こだま」さんだけじゃなくて
わたしの家族や恋人や友人たちだって、
本当は、言えないことを持っているのかもしれない。

そして、わたしはどうしても言えないこと
開くことができないことを持ってはいるけれど、
家族や、恋人や、友人や、まわりの人を
ないがしろにしているわけじゃないんだ。
自分なりにできる、精一杯の方法で
大切しているんだ。
結果として傷つけてしまうこともあるけれど、
だからこそ、大切にしようと努めているんだ。

そしてそれは、わたしだけじゃなくて
程度の差はあれ、他の人も同じなんじゃないかと思った。
「言えないことがある」「開かれていないこともある」
ということも含めて、わたしであり、その人なのだ。
それが大事なんじゃないかと思った。

「ちんぽ」読みながら、このバンドのPVを見ていたんですよ。↓

D.A.N. - SSWB (Official Video)

若い人たちがフレッシュ過ぎて、見ているとなんだかこそばゆく
なっちゃうような演技もあったりしたんだけど(笑)*2
全員が全員に対して秘密を持っている、という
ストーリーなわけですよ。

↑のビデオのYoutubeのコメントにもあったけど
「最近の若者は必要以上に他人に立ち入ろうとしない」
とか、たまに聞くじゃないですか。

でも、わたしはそれは全然悪いことじゃないと
思うんです。

どんどん人間関係が希薄になっていく…
もっとおせっかいがしあえるような関係を
地域に作っていかないと…

と、福祉やまちづくりに関わる人の間では
よく言われていたりして
それを聞くと、はい、全くその通りです…はい…と思い
正しすぎて、何も言えなくなっていました。*3

でも、それって何もかもさらけ出して
バレバレになるような関係だけじゃなくて
お互いの「秘密」の部分ーお互いの「孤独」を
大切にしながら、支え合っていく、ということは
できるのではないか、と
「ちんぽ」読みつつ「D.A.N.」を聞きつつ、考えた。
ビデオに出てくる若い人たちは、
お互いの秘密をお互いに守りつつ、
きっと次の晩も、同じ車で一緒に遊びに行くだろう。

「それは寂しいことだ」という人もいるかもしれない。
たしかに、さびしいかもしれない。
でも、さびしいかどうか、さびしくないかどうか
人とどんな関わり方をしていくか
人のどんなところを大切にしていくかは
それぞれの人の選択と決断の積み重ねを
尊重していくしかないと思う。

地域や社会が危機的な状態になっていたとしても
わたしたちが地域や社会のために何もかも捧げるのではなく
地域や社会が、「わたしたち」一人ずつの孤独を
尊重できるものでなければ、いわゆる「生きづらさ」は減らないと思う。

私は、生まれて育った場所の
どの家の人がどーしたとか誰がこーしたとか
秘密も何もありゃしない、という雰囲気が嫌で
田舎を離れた。
「隣の人の顔も知らない」という都会の暮らしは
今までのわたしには、何の煩わしさもなく、とても快適だ。

だけど、いま、
都市ではないところに移り住んだり
都市に移り住んだりして
その土地にあった食べ物でカフェを開いたり、
農業をしてみたり、マルシェをしてみたり、
デザインをしてみたり、ワークショップをしてみたり
新しい仕事やコミュニティを作ろうとしている人たちは

べたべたと遠慮なくもたれあうでもなく
他人に関心のないふりをしてクールにやり過ごすだけでもない
新しい関係のある地域を、コミュニティを作ろうとしているのかなって
やっと気づいた。


Denki Groove - N.O. [Live at FUJI ROCK FESTIVAL 2006]

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

VITAMIN

VITAMIN

ototoy.jp

*1:「何を考えているのか分からない」とかも多い

*2:完全にババアである

*3:嘘です。ちょっとはブツクサ言っていました。