#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

「地」と「図」のあいだを編集するーー「NPOのための情報発信講座MADARA」第一回ふりかえり

↓こちらのブログでエモエモしく告知し「情報発信講座の情報発信がこんなんでいいのか?」と脳内世論を巻き起こした「NPOのための情報発信講座MADARA」を2017年9月18日に無事、満員御礼で終えました。お越しいただいた皆様、ご協力をいただいた皆様、本当にありがとうございました!

yoshimi-deluxe.hatenablog.com

「この会のふりかえりを書かないことには前に進めない」という呪いにかかっているので、もう一週間経ってしまいましたが書きます。時間が経つのが一瞬だなあ…。

「地」が広がらない

参加者の方に好評だったワークの一つに「地」と「図」を考える、というのがありました。

例えば「りんご」というモノは同じでも、「地」に「スーパーマーケット」を置けばりんごは「商品」と言い替えられる(=図)し、「地」に「仏壇」を置けばりんごは「お供え」になります。食卓に置けば「デザート」だし、アトリエを地に置けば「静物画のモデル」、ドコモショップならば「iPhone」になります。

では、同じように自分の団体(NPO)を「図」として、「地」を「将来の仲間(になって欲しい人)」と考えて、「地」を動かして自分の団体の在り方を色々考えてみましょう、というのをやりました。

「地」を動かす、つまり視点を変えると自分の団体の様子がダイナミックに動いて見える、捉え方が変わる、新しい見方を発見できるというわけです。これはなかなかに新鮮な体験で「面白かった」「持ち帰って団体メンバーの皆で一緒にやってみたい」(←社員研修などにオススメです!)などといった感想をいただきました。


でも、私が参加者の方のテーブルを見て思ったのは「あまり『地』が広がらないなあ」ということでした。NPOの「地」=将来の仲間って「団体スタッフ」「ボランティア」「寄付してくれる人」「利用者(お客さん)」「行政」だけなのかなあって。そういう風に書いてる人が多かったんだけど、それだけなのかなあって。

今日買物をしたコンビニの店員さんにとって、あなたの団体とは?
あなたの家族にとって、あなたの団体とは?
隣に座っている参加者の人にとって、あなたの団体とは?

っていう風に広がらないのは何故なんだろー、と思いながら見ていました。『誰もが○○な社会~』というのを標榜しているのに、それだけの人が『地』でいいの?「行政」とか「市民」ってざっくりしすぎでは?普段は『障害者』とか『外国人』ではなく『その人』をみる、という視点で活動しているのでは?など、小姑のようにイヤらしく観察してしまいました。そうです、私が「何もしない割に文句ばっかり言う、ヤなおばさん」です。


しかし、終了後のスタッフふりかえりの場で「あのお題ってどうだったのかなあ」という話が出まして。
「将来の仲間」=「地」って、NPOにとってそんなに無尽蔵に広げればいいってもんじゃないのでは?という意見があったんです。何のための団体か、理念に基づいた活動をしていれば、活動の影響の届く範囲は広く大きくなくても、確実に届けたいところに届くことや、仲間の数が限られてもいいのではないか。そういう団体にとって、「地」を動かす、という「方法」は学びになるとしても、やたらに振り幅を大きくすることにさほど意味はないのではないか?概念の遊びになってしまうのではないか?ということです。*1

それを聞いて私は「ああ、自分は『自分の持っている世界の殻を破ってどんどん新しい出会いを求めていくべき』」というフィルターで物事を見がちなんだな」ということに気づきました。

参加者アンケートでも「地」が全然広がらなかった、という感想があったのですが「できなかった」ことが悪いのではなく、むしろそこがチャンスなのだと思います。どんなフィルターを使って思考したから限界があったのか。フィルターを切り替えるために必要なことは何か。それを考えることがスタートなんじゃないかなあと思います。「編集が不足から生まれる」ってこういうことかー、と。

なんでMADARAという名前にしたのか

講座を始めるにあたり「NPOのための情報発信講座」というネーミングでは「長い・言いづらい・堅い・つまらない」の悲惨カルテットだと思ったので、何かよいニックネームを付けたほうがいいと考えました。

NPOのための情報発信講座」は東京など他の地域では何年も前からやっていたものでもあり、何か名古屋らしい意味を加えたいなと思っていました。どんなミクロな活動をしている人でも、グローバルな活動をしている人でも「名古屋(とその距離的な周辺)という地区」が「地」になりうる団体が参加者だと思ったからです。

でも「金シャチ」とか「味噌煮込み」とかベタな名古屋のイメージもなんか違うと思ったんですね。金シャチや味噌煮込みも好きだけど、NPOのイメージとは違うと思ったんです。私はNPOに「既存の価値観を超越していくようなもの」を勝手に期待しているので、誰でもすぐ思いつくような名古屋のイメージは使いたくなかった。

そんなとき、ある打合せで編集学校の名古屋チーム(曼名伽組といいます)の組長であり、名古屋の良心「面影座」の座長でもある小島さんが「名古屋って、どこかに確固たる中心があるのではなくて、各地に独特の歴史や文化があって'まだら’みたいになっているんですよね」と言ったことを思い出し、この名前をいただこうと決めました。(小島さんありがとうございます)


確固たる中心がなく、濃いところも薄いところもある。かたちも配置も不揃いである。でも、そういうところにこそ価値やつながりを見出していく。わたしはそういう世界(名古屋)に住みたいと思うし、NPOが目指す社会はそうであってほしいと思って「MADARA」という名前にしました。

また「まだら(斑)」の語源を調べたら、どうやら「(ま)がある」または「がない」という「」、あいだ、に関するものだったんで、これはイシス編集学校っぽさもあるなと嬉しくなって付けました。「地」に対する「図」が大事なのではなく、「地」と「図」の関係をたえず編集し続けていくという姿勢でいたいものです。


さらに後付けですが、「マダラ神」という神様がいることを知りました。『煩悩の神様』でもあり『後戸の神』といって、教義の本質的な所を守る神でもあり、芸術や芸能の神でもある、というのもいいなあと思って、悦に入っています。


で、MADARAはさらに掘り下げたい方のために、第一回の参加者限定ですが、二回・三回とある連続講座となっております。次からは少人数(10団体限定)となり、さらに濃いフィードバック(指南)もできると思いますので、ぜひ続けてのご参加も検討くださいませ。



★同じ講座のふりかえりとは思えない、きむらさん(スタッフ)のブログはこちら↓
meta-kimura.hatenablog.com

知の編集術 (講談社現代新書)

知の編集術 (講談社現代新書)

*1:もちろん「地」は、この場合は「将来の仲間」としましたが、どのようにでも変えられるものなんですが。