#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

社会運動は大人になれるのかー『レッド』とユリイカの山本直樹特集を読んで

山本直樹さんが連合赤軍事件と浅間山荘事件を描いた大作「レッド」が遂に完結しました。

なんと12年にもわたる長期連載!
徹底した取材でほぼ事実に基づいて描かれ、連合赤軍メンバーだった植垣康博氏をして「この作品のすごいところは、事実を無視した創作が持ち込まれていないことである」とまで言わしめています。

さらに期を同じくして「ユリイカ」でも山本直樹特集が組まれました。

この中で山本直樹氏自身は何度も「『良いことをしたい、この世界を少しでもまともにしたい』と思ってアレコレがんばった末に、いつのまにかとんでもないことになっていた という人たちに興味がある」と言っています。
f:id:yoshimi_deluxe:20180830140217j:plain

連合赤軍事件、そして先月実行犯の死刑が執行されたオウム真理教事件にも氏は興味があったと述べているんですが、「この世界を少しでもまともにしたい」という熱意ある若者のピュアネス、葛藤、危なっかしさという意味では、現在私が関わっているNPO/ソーシャルビジネス業界にも共通するところがあるのではないかと感じてしまいました。

人殺しをした集団と一緒にするな!という意見もあるでしょうが(ごめんなさい)、人殺し以外では非常に似通ったものを感じてしまいます。「ユリイカ」によれば日本赤軍は殺人事件が明るみに出る前までは「人気」があった、ゴールデン街でカンパを募るとどんどん集まったということですし(飲み屋ファンディング!)、「レッド」を読んでも多くの支持者が資金や隠れ家を提供しながら活動を続けていたことが分かります。オウム真理教も、サリン事件の前まではゴールデンタイムのとんねるずの番組とか普通に出てたし…。

『社会を変えてくれそうな存在』として期待されていた、というもてはやされ方に加えて、今までにない/その界隈の人以外にはそんなに通用しない/それでいて何だか良さそうな「新しい言葉」を使って、自分たちこそ「多くの人を巻き込んで」「社会を変えていかねばならない」という正しさに突き動かされているさまは、現代のわたし(たち)もオウムも連合赤軍の人たちも似ているんじゃないか、と感じずにはいられないのです。

では、どうしてそういう団体が「とんでもないこと」になってしまうのか。それが分かっていたらオウム事件も起こらなかったのかもしれませんが、今でもはっきり分かっていないような気もします。
私は「ユリイカ」の富永京子さんの論考を読んで、こうした「社会を変えたい運動」の「書かれ方」「語られ方」を考え、変えていくことが、もしかしたら暴走を止めうる一つの方法になるかもしれない、と考えました。

社会運動を描くことには、特有の困難がつきまとうのではないかと筆者は考える。第一に、当事者が生きていて完全に「歴史」化されていない以上、どんな第三者よりも、当事者のほうが事実をよく知っているという前提(しばしば誤解)がある。このことは、「当事者の発言が最も彼らの意味世界をよく表している」という読み手の認識を生み出してしまう。第二に、社会運動という対象そのものがもつ劇的さである。自らの正しいと思う理念や規範を達成しようとする集団行動の魅力ゆえに、書き手も読み手も強い共感(あるいは忌避感)を持って受け止めることが少なくない。本作は、二つ目の困難を冷静に退けながら、抑制の利いた記述を積み重ねることで、社会運動の記述にまつわる第一の困難があくまで我々の誤解にすぎないと証明してくれる。(富永京子「組織と個人を透徹に描く 合理的な個人による不合理な集合行動としての『レッド』」ユリイカ総特集「山本直樹」2018年,青土社 ※強調はyoshimi_deluxeによる)

「当事者」へのフォーカスのしかた*1、「強い共感(あるいは忌避感」を押し出すところは、まさに現在のNPO/ソーシャル界隈をめぐる言説にも言えることではないでしょうか。そしてこれこそが「正しいけれど、なんか窮屈」な感じ、モヤモヤとした違和感を口に出すことをためらわせてしまう原因ではないかしら、と私は考えました。

こうした事件の叙述の在り方としてよく見られるのは、まず「頭のおかしい人びとの逸脱行動」として描くか、あるいは「理想に生きた若き活動家たち」に対して、過度に共感的な描き方をするかのどちらかとなるだろう。しかし『レッド』はそのどちらでもない。本書で描かれているのは、それなりに他者と共有可能な生活の背景や人生の経緯を有する人びとであるにもかかわらず、殺人やリンチを伴うおかしな集団行動に傾倒してしまうというその過程だ(同)

NPO/ソーシャルビジネスがマスコミで取り上げられるとき、私たちがその活動をSNSでシェアする時(賛成の時も反対の時も)、「過度に共感的」な取り上げ方をしていないだろうか、と思いました。
ちなみに私は『レッド』を読んで、主人公たちが拠点を山岳ベースに移していくにつれ外からの情報が入らなくなり、自分たちの信じる「正しさ」で自分たちを追い込んでいくところと、SNSで似た意見の人・同じ階層/業界/セクターの人ばかりで盛り上がっていくところは似ているなと感じました。

他者の行動を解釈しようとするとき、私たちはしばしば共感や同調を前面に押し出そうとする。社会運動のように、強い理想や信念に満ちた行動であれば、なおさらその傾向は大きい。しかし、そうではない他者に対する理解の仕方があることを、本作を描く作者の目線が教えてくれる。近年、社会運動や政治運動はますます外部から「理解不能な」「不合理な」ものとして、あるいは内部から共感が当然のものとして論じられることが少なくない。明確に参与者と非参与者の境界が分けられ、「完全に共感はできないが、理解はできる」という態度を取りづらくなっているようにも思う。(同)

私はNPO/ソーシャル界隈でよく言われる「自分ごとにする」という言葉になんとなく違和感を感じていたんだけど、そこに「共感を押し付ける」ようなニュアンスを感じていたからかもしれない、と思いました。社会問題はたくさんあって、そのどれもが私個人の生活と結びついているものだとは思うんです。でも、その全部を何とかする具体的な活動に対してコミットできるほど、私は「自分」を拡大できないなあ…と思うのも事実で。

むしろ「他人ごとだけど、尊重する」という姿勢のほうが大事なんじゃないか?と考えました。自分ごとだから大切にして、他人ごとだからほっておく、じゃなくて。自分ごとじゃないけど「へえ~そうなんだ。じゃあそれも大事にしよう」という姿勢とか、他人ごとどうしの関係を調整していこう、という方法だって私たちは選択できるんじゃないかなと。それこそが「私とは直接関係ないけどそういうのもいいんじゃな~い」という、広くてゆるい合意形成とか、色んな人の居心地を悪くしない多様性を生むんではないか、と。


山本直樹さんのような卓越した表現はできなくても、私はNPO/ソーシャルセクターをその内部からも外部からも書いたり語ったりするうえで、『レッド』から学ぶ手法は多いのではないかと感じました。共感でも敵視でもなく、一つ一つの事実や言説を丁寧に観察すること。誰しも食欲や性欲や自己顕示欲や、人に優しくしたい気持ちやずるしたいという気持ちを持つ生活者であるということを忘れないこと。イデオロギーやカテゴリーについて深く学び考えたうえで、それにとらわれないで事象を批評すること。
要するに決めつけないでつねに「ほんとかな?」って思い続けるっていうことなんだけど。エマーソン北村さんみたいに「他者」と関わっていくっていうことなんだけど。そのためには、安易に「共感」の快さに流されないこと、自分や他者の小さな声を軽んじないこと、要するに「個人」であることがまず大事なんじゃないかなって思いました。(こういう考え方ってもう古いのかな。でも、とりあえず古くてもいいや…)

だって「私」や「誰か」という一人ひとり、ひとりの人のために「社会」や「社会運動」や「市民活動」があるのであって、その逆では決してない、と思うからです。
だけど「私」という一人はあまりにも小さく、弱く、たよりなく、だらしなく、そのどうしようもなさに耐えられなくてつい「劇的」で「正しく」て「良さ」が感じられる物語にすがって自分を預けたくなってしまうけれど、
本当に社会が変わるということ、成熟するということは、一人ひとりの小ささ、弱さ、たよりなさ、だらしなさ、どうしようもなさが「しょうがないなー」「まあいいんじゃない」って感じで受け入れられることなんじゃないかなって思いました。

レッド1巻から最新巻
12年の連載の歴史。電子書籍にはない重みが感じられるんだぜ…。

*1:これは過去に「当事者」を置き去りにした活動が展開されたことへの反省によるものだと思う。でも「当事者」を絶対視して特別扱いすることもまた、「当事者」を「私たち」とは違う存在に閉じ込めることにもならないだろうか。

勝手に解決するな社会の課題ーソーシャルビジネス以前

「なくそう!子どもの虐待プロジェクト2018」が6月15日から1か月あまりの期間で10万5千人の署名をネットで集め東京都知事や厚労大臣に署名とともに施策の充実を訴えたものの、そのもともとも署名ページの施策内容が署名をした人にも、発起人となった人たちにもきちんとした報告連絡相談のいずれもなく書き換えられていた、ということが分かりました。
ネット上ではたくさんの人がこの書き換えと、書き換えに当たって署名をした人に全く事前の説明がなかったこと等が問題であると述べられています。私も大きな問題だと思います。

news.yahoo.co.jp

この件について公開質問状も出されましたが、それに対する回答(下記の署名サイトの報告が回答であるとのこと)も十分な説明責任を果たしているとは、現時点(2018年8月1日)では私は思えません。

★公開質問状の内容

★公開質問状への回答とされたページ
goo.gl

同じくネット上ではこの回答に対する疑問や、発起人・共同発起人の方の意見を求めたり、責任を問う声が上がっています。(何名かの発起人および共同発起人の方は書き換えの事実を知らなかったことを述べ、署名された方に謝罪されている方もいます。)私は「署名をする側」の立場の人として今回の事件をどう考えたらよいのか、これからどう行動していったらよいのかも考えてみたいと思います。

署名で救われたのは誰か

キャンペーンがSNSでシェアされまくって勢いよく広まり、すごい速さで多くの署名を集めていくのを見て、わたしは最初「すごいな」「他の社会活動もこういうふうにやれば、もっと多くの人の賛同を得られたんじゃないか」と、その手法にちょっと嫉妬というか…なんで今までコレやらなかったんだろう、とも思っていました。今回は小さな女の子が巻き込まれた痛ましい事件がきっかけになりましたが、例えばこれまでにも生活保護が利用できず、暖房のない寒い部屋で餓死してしまった方とか、親子で心中を図ってしまった方などが大きなニュースになり、私はそのたびごとに心を痛めたからです。あんなにひどい事件があったのに何もできず、同じように生活に行き詰って命を落とす人が今も絶えないのに、相変わらず自分は何もできないでいる…。私(たち)も色んな団体や、会社や、有名人やインフルエンサーに声をかけて連帯して、生活保護ケースワーカーの増員を求めたり、保護費の引き下げに反対したりすればよいのではないか…そんなふうにも思いました。

で、私は署名したかというとしませんでした…。なぜしなかったかというとやっぱり警察との全件共有の部分が気になって。書き換え前は全件共有となっていたし、Twitterとかでも全件共有推しの論調だったので、それには賛成できないなあと。でも、すんなりあきらめたわけじゃなくて「全件共有は嫌だけど、児相の予算や人員を増やすことはいいことだから署名してもいいのかなあ…」とか悩んだんですよ。もしかしてキャンペーン中に「全件共有は問題が大きいので書き替えました」というアナウンスがあったら、私は署名していたかもしれません…。逆に、全件共有しなかったら署名した意味ないわ!と思う人もいたかもしれませんが。
いずれにせよ、署名集めって「賛成する/賛成しない」の意思しか示せないのが難しいところだなと。今回、署名した人にも「この部分はどうかと思ったけど、署名した」という考えの人って多いと思うんだけど、そういう思いは署名だけでは汲み取れないんですよね。なので、そこはキャンペーン前の設計段階から、キャンペーン中の説明から、その後の運動に至るまで丁寧にフォロー&コミュニケーションが必要なんだろうなと思いました。

今回の「書き換え」は、署名した人の心の「複雑さ」への想像力に著しく欠けたふるまいではないか、と私は思います。同時に、署名した側にも「正直キャンペーンページにある「児童虐待八策」の内容全部を理解したわけではないけれど、これだけ多くの専門家や責任ある立場の人(発起人や共同発起人)が言っていることなんだから、きっと実現すればいいことが起こるだろう」という思いがなかったとは言い切れないのではないでしょうか。
連日、テレビから流れるあの女の子の「お手紙」の内容を聞いて、胸が張り裂けるような思いをした人は多いはず。私もそうです。なぜ、こんなことが…、もう、こんなことは絶対に起こってほしくない。そう思ったけれど、自分には「何もできない」「どうしていいかわからない」と思うとさらに絶望は深くなりました。そんな時、これに署名することで、何か少しでも役に立てたら、と思わずにはいられなかった人は、私だけではなかったのでは、と思いました。

自分の苦労を丸投げしない

考えてみると、私(たち)は何か社会で理不尽なこと、心が痛むこと、なんとかしなきゃと思ったときに、寄付やクラウドファンディングや署名やSNSでのシェアやらを通じて、NPOやソーシャルビジネスの団体に「なんとかしてもらう」ことに慣れすぎたというか、疑問を感じなさ過ぎるようになったのではないか、と思います。

f:id:yoshimi_deluxe:20180803000437j:plain

この図のように、寄付や署名を託してそれを原資にNPOやソーシャルビジネスを標榜する団体に「課題解決」を「担ってもらう」。自分はそんなイメージを持っていなかったかと思います。
けれど「社会課題」や「困っている人」は、私たちと切り離されたところにあるものでしょうか。例えば「子どもを叩く家庭」は、叩かないでいる家の人から見たら、何万キロも離れた遠い場所にいるものでしょうか?「私も育児でいっぱいいっぱいの時は叩きそうになる」と思う人は少なくないのではないでしょうか。では、育児がいっぱいいっぱいになるのはなぜでしょうか。保育園がない?仕事が休めない?ほかに協力してくれる人がいない?では、それはなぜかとまた考えると「子どもは家で親がみるのが当たり前という価値観」「長時間労働を前提とする会社」「過剰なサービスを安く欲しがる消費者」といった理由が思い浮かぶわけで、要するに「社会課題」と「私たちの生活」って思いっきりつながってるんですよね。子どもに当たってしまうことと、働いても働いても給料が上がらないこと、しかもそれを「お前の努力が足りない」と言われてしまうことは、本当に密接につながっていると私は思うんです。

だから「社会課題」をなんとかしようと思ったら、私たちが変わらなければいけない。私たちだけが動かず変わらないでいて、課題だけ変わって(=解決して)欲しい、はあり得ないのではないかと。なぜなら課題と私たちはつながっているので、どちらかが変わらなければもう一方も変わるわけがない、そう思ったんです。

f:id:yoshimi_deluxe:20180803002150j:plain

それで思い出したのが、北海道の浦河町精神障害のある人のリカバリーに取り組む「べてるの家」のことです。
べてるでは医師などの専門職が病気を「治してあげる」のではなく、病いを抱えた人自身が仲間と共に自分に向き合い、失敗を重ねながらなんとか死なずに生きていく具体的な手立てを考えていく。病気のせいで自暴自棄になって暴れてしまう人に、専門職が先回りして薬を飲ませたり世話を焼いたりするのではなく、失敗して後始末の方法を考え、仲間に手伝ってもらいながら少しずつでも取り返していく。べてるの言葉ではこれを「自分が苦労の主人公になる」と言うそうです。

私(たち)はもしかして、「社会課題」に対して「自分が苦労の主人公」になる体験をしたことがなく、自分の苦労を自分で助ける方法を知らないのかもしれない、と私は考えました。自分の不安、絶望、葛藤、焦燥、無力感…といったものを「なんとかしてくれそうな」人や団体に丸投げしてはいなかっただろうか。

もちろんすべての人が「いわゆる社会問題」を解決するために生きているわけではないので、NPOやソーシャルビジネス企業に何らかの役割を果たしてもらうべくお願いすることは、何ら悪いことではないと思うんです。しかし、託すことは全権を委任することではないはず。べてるには「みんなと治そう自分の病気」「勝手に治すな自分の病気」という理念もあり、これは仲間とともに自分の苦労にとことん向き合うからこそ、うわべではない確かな回復が生まれるということだそうです。なので、思いを託されたNPO/ソーシャルビジネス側もまた課題と寄付者を切り離す活動ではなく、自団体を含めた全てのステークホルダーが「共に変わっていく」ような活動を期待したいなと思いました。

共に考えること、それは当事者と共に現実の困難に連帯しながら、同じ苦労の目線で”同労者”として歩もうとするあり方である。私は、この「聴く」という関係のもつ可能性の一つに、「共に弱くなること」があるような気がしている。別な言い方をするならば、聴くという行為は当事者のかかえるさまざまな困難な現実に「共に降りていく」プロセスとしてある。その降りていくことを具体的に実現するうえで大切なのが、「共に考える」関係ー研究的な対話関係ーである。
 ≪開かれた聴き方≫が、誰かがそばにいる感覚を自らのなかに具体的に取り戻すためのプロセスの入り口として重要だとしたら、≪研究的な対話関係≫は、聴くという行為を、具体的に人と人を結び付ける手立てとして役立てるばかりではなく、「悩み」という形で個人のなかに取り込まれた生きることの課題を、いまを生きている人たちとの意味ある共通のテーマとして時代に開いていく契機となる。(向谷地生良「技法以前 べてるの家のつくりかた」医学書院,2009)

大きな社会の矛盾、不公平、理不尽さに対して私たちは胸を痛め、何もできない自分や動かない状況に苛立ちを感じる。でもそこで、自身の不安や焦りをスッと解決してくれそうな人や団体や方法に簡単に委ねてしまっていいのだろうか。
今回の署名のことに限らず、その葛藤や無力感から逃げないできちんと向き合うことー「苦労の主人公」になり「みんなと治す」ことこそが、誰かに治してもらったのではない、確かな回復があるのではないか、それこそが真に「社会が変わる」ことではないかと私は考えました。
虐待されたことのない人には虐待された人の気持ちはわからないし、生まれてからずっと貧しく暮らしてきたひとのことを、そうでない人が同じように感じることは難しい。でも、「この状況はおかしいけど自分にはどうすることもできない」「何もできなくて苦しい」という自分の苦しみ、できなさ、行き詰まり感から目を背けずにいることこそ、「弱さ」でつながり、共に活動していく契機になるのではないかと考えました。(苦しみを丸投げしては、この連帯ができない。)

「問題の物語」は「つながりと和解の物語」へと紡ぎなおされる。人のかかえる「問題=弱さ」は、内在化されたままでは問題として深刻化するが、外在化され仲間と語りを通して共有された瞬間に、場を癒す力として人々のあいだに浸透していく。(同)

私はソーシャルセクターでも「問題=弱さ」が開かれることなくむしろ隠され、「成果・インパクト(できたこと)」や「速さ」「大きさ」「失敗しないこと」が疑問なくもてはやされ過ぎなことに危うさを感じます。
若く聡明なリーダーがサクサクと「社会を変えてくれる」ーそこに関与している「私」と、「社会課題」を解決する「プロジェクト」をやればやるほど褒められ、期待され、仲間が増えていく「ソーシャルセクター」のリーダーたちー、私たちと「NPO/ソーシャル企業」との共依存関係が「ない」と言えるでしょうか。その嗜癖が私たちから「自分で治す」力を失わせ、みんなの苦労を抱え込むことがやりがいになってしまったリーダーを追い詰めたり、思い上がらせたりしてしまうことがなかったでしょうか。

「何も知らない素人の私がこんなこと言っていいんだろうか」といろいろな発言がためらわれることが多いけど、でも「わからない」「おかしい」「こわい」「なんとなくいや」ということを、勇気を出して言っていけるようにしたいなと思う。インターネットとかで大々的に公言しなくても、安心できる場で少しずつでも、発言していくことが大切だと思う。そしてソーシャルセクターは、そういう小さな声を決して見くびらないで、活動につなげていくことが大事じゃないかなと思いました。

外在化とは、外部の人間がその人の内面に入り込んでいく作業でも、本人がそれをさらけ出すような作業でもない。当事者自身が抱えている≪問題≫を、新しい意味をもった経験として、目に見えるかたちで語りだすプロセスなのだ。それは自己否定的な「とらわれ」や「こだわり」を、もっと楽しい≪関心≫や≪探求心≫へと変えていく作業でもある。こうして内部に滞った問題が、新たな可能性を持った物語として立ち現れる。(同)

技法以前―べてるの家のつくりかた (シリーズ ケアをひらく)

技法以前―べてるの家のつくりかた (シリーズ ケアをひらく)

傾聴と完コピ

エマーソン北村さんというキーボード奏者の方が書いた「僕の考えるパッタナー: 「田舎はいいね」をカヴァーして」という文章にいたく感じ入った。

www.emersonkitamura.com


エマーソン北村さんが、タイの人が作った「田舎はいいね」という曲をカバーするにあたって、どんな苦労や工夫をしたかということが書かれている。その苦労の中身は主に、西洋の、というかいわゆる先進国の人が、アジアとかアフリカとかカリブ周辺とか、いわゆる発展途上国の音楽がイカスと思って、カバーしたりコピーしたりその要素を取り入れたりするとき、一見リスペクトしているようで実は搾取しているだけなんじゃないか?という葛藤だった。

僕がレゲエ、アフロなど非西洋のポップスに興味を持つようになったのは、1970年代終わりから80年代頭にかけて起こったパンク・ニューウエーブ、特にイギリスでのそれの影響だった。そこには、アメリカのロックンロールやポップスが大好きなのだが、同時に、アメリカのポップス的な価値観には絶対に取り込まれまいとする強い意志が曲や演奏の端々に表れていた(中略)。それらの動きがちょっと煮詰まったかな、という感じが出てきたころ、非西洋の要素を取り入れた「ワールドミュージック」がブームになった。その中でよく議論されていたのは「我々はその音楽を新しいと言ってもてはやしているが、それは彼らの音楽を、新たなやり方で搾取しているだけではないか」というものだった。その議論は特に大きな結論を見ないまま、音楽のトレンドの変化にともなって「リスペクトを忘れない」みたいな言葉に置き換わって何となく収まったけど、僕たちにない音楽を、単にアレンジ上の要素として加えるだけのやり方はしたくないという気持ちは残った。
問題は、では「単にアレンジ上の要素で取り込んだ」ものと「本当に相手の音楽を、彼らの気持ちに立って理解したもの」との境目はどこにあるのかということである。(上記エマーソン北村さんのブログより 強調はyoshimiによる)

エマーソン北村さんは「田舎はいいね」を「本当に作った人の気持ちに立って理解する」ために、求められているのはインスト曲なのに「歌」を完全にコピーして演奏してみたという。タイ語もわからないのに、曖昧な要素の多い音を耳で聞いてひとつずつ楽譜に起こし、起こせないところは「このタイミングは微妙」というメモを入れる。歌の次はベースに何かあるんじゃないかと考えて、キーボード奏者なのにベースの譜面を作る。この丁寧さ、しつこさは凄まじいものがあるので、ぜひ元の記事を読んでもらいたい。とにかく演奏する「前」の段階で原曲を理解しようとする手間と時間のかけ方が半端ない。もっと手っ取り早くできそうなやり方だってありそうなのにそれを選ばず、地道に原曲を聞きこむ。その結果、ついに「田舎はいいね」の持つパワーの源にたどりつく。


私は今までにいわゆるホームレス状態にある人や、家はあってもものすごく生活に困っている人と関わる活動や仕事をしたことがある。
その時にいつも感じたのが「五体超満足で心身共にめちゃくちゃタフ、四大卒で正社員として勤め、何不自由なくぬっくぬくと40年近く暮らしてきた健康優良中年たる自分」に、彼女ら彼らの何が分かるのかという葛藤だった。

いや、別に分からなくてもいいのかもしれない。完全に分かることなどできないものなのしれない。けれどおこがましくも「支援」とか言って、「彼らの音楽を、新たなやり方で搾取しているだけではないか」とも感じていた。

生まれた時から全く違う環境、家庭、地域、階級で育ち、言葉もお金の使い方も違う。見てきた風景、感じてきた傷みが全然違う。それなのに、あたかも彼女ら彼らのことが分かるかのようにふるまって、「支援」する、とはどういうことなんだろう。

彼女ら彼らの生活を少しでも良くしていく、そのために色んな策を尽くして努力する。だけどその「良さ」って、私の価値観、私の階級の価値観で解釈した「良さ」ではないだろうか。それは、西洋音楽のモノサシでタイのローカル音楽を聴いて、素朴で心あたたまるとか訳が分かんなくてヤバイとか言ってることと、同じではないだろうか。彼女ら彼らの生活を良くする、とは、「私たち」の思う「良い暮らし」に近づけていくことなんだろうか?それは、タイの音楽をヨーロッパとかアメリカの音楽に近づけていくことを「洗練」と言っているのと同じにならないだろうか?

もちろん支援する人は勝手にああしろ、こうしろと「良い生活」を押し付けてるわけじゃなくて、本人の気持ちを聞いて、本人の意に沿うようにサポートしていると思う。
でも、その「本人の気持ちを聞く」時に、エマーソン北村さんがしたように聞いているだろうかと思う。音楽家としての知識も演奏家としてのスキルもいったん横に置いて、ただその音楽、その文化しか持ちえない表現に向き合っているだろうかと。ついつい、西洋音楽としての文脈で「田舎はいいね」を解釈していないか。つまり、私が育ってきた環境を前提として、目の前にいる人の気持ちを解釈していないか。その結果、「支援」と言いつつ「新たなやり方で搾取する」ことになっていないだろうか、と思う。


昨日から「健康で文化的な最低限度の生活」という生活保護ケースワーカーを主役にしたドラマが始まった。役所で働く人は、多くが大卒で心身ともに概ね健康で、知性や教養、対人スキルなんかも身に着けてきた人たちだと思う。でも藁にもすがる思いで役所に来る人たちの中には、大学に行くとか自分の健康に気を付けるとかいった文化を必ずしも共有していない人たちもいる。「支援」とは、「そういう文化」を「共有できるようにする」ことだろうか?と私は思う。
まずはエマーソン北村さんのように、いろいろを脇に置いてその文化をあじわうことからじゃないかな、と最近私は思っている。

誰もがエマーソン北村さんみたいにできるわけじゃないし、できたとしても、エマーソン北村さんでさえ結局どうしてもわからない(譜面に起こせない)部分は残る。
それでも、ついにエマーソン北村さんは「田舎はいいね」のコアに肉迫し、原曲のパワーを残したまま知識とスキルを生かした表現に昇華させた。

私はソーシャルワーカーの仕事もこういうものじゃないかなと思っている。その人の持っている文化を最大限生かしながら、その人が持っていない文化とのぶつかり合いや融和を起こし、新たな芸術、文化、暮らしを生んでいくような。それはたぶん、「課題解決」ということばに小さく押し込められてしまう仕事ではないはずだと思う。

前のブログでも紹介した大阪の田中俊英さんはよく「サバルタンは語ることができない」という話を紹介される
けど、私はサバルタンが語れないだけじゃなくて、私たちが「聞けていない」のではないかと思っている。私たちの脳の中で鳴っている音が大きすぎて、誰かの奏でる音楽をかき消しているだけなんじゃないかと。

『田舎はいいね』e.p. (12

『田舎はいいね』e.p. (12" vinyl record) [Analog]

ひょっとして自分は劣化していないつもりでいるんじゃねぇだろうな

このインターネット時代に、1か月以上も前にやった「劣化する支援@名古屋」というイベントの感想を書きますね!

劣化する支援というのは大阪で一般社団法人officeドーナツトークという若者支援の団体の代表の田中俊英さんが全国でやっているイベントです。
新興NPOというか、田中さんの言葉で言うと「おしゃれNPO」の運営の甘さ、SROIやクラウドファンディング・休眠預金といったトレンドに気兼ねなく乗ってしまうピュアさ(&あざとさ)、支援の必要なほんの一部の貧困層にしかリーチできてないのに持ち上げられすぎではないのか、といったことを舌鋒鋭く指摘するネットメディアでの記事とともに、おしゃれを自認しないNPO界隈の一部で話題となっています。

しかしこのインターネット時代ですから、参加された方がすでに素晴らしいレポートを書いておられます。まずはそちらをご覧ください。特にこの小池達也さんのブログには、Facebookで感想を述べていた方のリンク*1もまとめられていてすごいのでぜひ読んでください。

◆ミサイルの空、孤立の川
ミサイルの空、孤立の川 | Neu Zuppa

こちらのブログも素晴らしいのでどうぞ!

◆遭難者は、自分が道をロストしたと気づけるのか?『劣化する支援6@名古屋』
note.mu

このインターネッツ時代に、しかもすでにすばらしい記事が数多あるのに、まだ自分が書く意味あんのかなとも思ったんですが、私は皆さんよりも意識低く、下世話目線から書いてみようと思います。

貧困層が「見えていない」のはだれか?

田中さんがいつも言ってることって主に下記なんですよ。

1)「おしゃれNPO」がリーチしているのは、貧困層のうち学習支援や子ども食堂に「来ることができる」ほんの一部のみである。
  「おしゃれNPO」の代表やメンバーは中流~上流階級出身なので、意欲を奪われ「支援」を拒む貧困層に出会うことすらできていない。
2)なのに、「おしゃれNPO」はやった気でいる。貧困に興味がさほどないのに自団体の事業拡大のため色んな地域に拠点を出したりしている。
3)「おしゃれNPO」はSROIとか休眠預金とかに安易に飛びつきすぎ。
4)NPOの財源の多くは「寄付」か、行政からの委託事業や助成金であり不安定。給料が少なく、20代後半~30代になるとやめていくスタッフが多数。
 「おしゃれNPO」は食えないのに大学生を夢とかソーシャルグッドとか美しい言葉で誘って入社させるのはいかがなものか。

名古屋のイベントでもほぼ同じことを言っていて、支援のあるべき論から団体のマネジメントまで、短い時間で色んなことを一緒に語りすぎでは?という意見もありました。
だけど私は、田中さんが言ってることはひとつ、「意欲を奪われ「支援」を拒む貧困層がそれ以外の層から見えなくなり、必要な支援が届かなくなることが問題」ということだけだと思うんですね。

ひとつずつ見ていきましょう。

1)「おしゃれNPO」がリーチしているのは、貧困層のうち学習支援や子ども食堂に「来ることができる」ほんの一部のみである。
  「おしゃれNPO」の代表やメンバーは中流~上流階級出身なので、意欲を奪われ「支援」を拒む貧困層に出会うことすらできていない。

→「見えていない」ので、学習支援や子ども食堂など清く正しい支援「のみ」が貧困支援だと思われてしまうと、そこに乗れない層はほったらかしになってしまう。また「無料の学習支援や子ども食堂があるのになんで来ないの?来ればいいじゃん」となるとそれは「乗れない層」の生活や気持ちへの想像力を全く欠いたものであり、これだけが貧困支援だとなって制度が整えられていってしまうのはまずい。


2)それなのに、「おしゃれNPO」はやった気でいる。貧困に興味がさほどないのに自団体の事業拡大のために色んな地域に拠点を出したりしている。

→貧困にさほど興味がない=支援のスキルに乏しい団体が「支援」の名のもとに当事者を無意識に傷つけたり、遠ざけたりしてしまうのがまずい。


3)「おしゃれNPO」はSROIとか休眠預金とかに飛びつきすぎ。

→「成果」の出やすい人の支援ばかりクローズアップされ、就労しづらい、学校に復帰しづらい、目に見える変化をしづらい人など本人に何十年もよりそい続けるタイプの支援がないがしろにされるのはまずい。


4)NPOの財源の多くは「寄付」か、行政からの委託事業や助成金であり不安定。給料が少なく、20代後半~30代になるとやめていくスタッフが多数。
 「おしゃれNPO」は食えないのに大学生を夢とかソーシャルグッドとか美しい言葉で誘って入社させるのはいかがなものか。

→息の長い対人支援が必要な現場で、せっかく関係構築できたNPO職員と引き離される当事者がたくさんいる状況はまずい。

というふうに私は理解しています。

しかし、他の地域は知らないですが、今回の名古屋では「あいちコミュニティ財団」などの不祥事に「NPOの劣化」を感じていたり、「支援」を対人支援にとどまらず「NPO団体を支援すること」と捉えて来場した方も多かったようです。
そうした方にはもしかして「子ども食堂に来れる貧困層」と「子ども食堂に来れない貧困層」のどちらもすぐにはピンとこない、という状態の人も多かったのではないかと思います。その前提が共有できていなかったのではないかと。
しかし、この状況自体が「『劣化する支援@名古屋』に来たNPOに関わっている人々=貧困層との交流がほとんどない中流層以上の階級の人」という田中説を補強しているようにも、私は感じました。

私は私の言葉を持っているのか

私はこれまでしつこく「あいちコミュニティ財団」についてのブログを書いてきました。が、最近は財団自体じゃなくて、どんなかたちであれ「財団を応援していた私(たち)」について私は考えたいんだなと気づきました。

「遭難者は、自分が道をロストしたと気づけるのか?」にもある通り、若くて、頑張っていて、今までにない取り組みで、みんなを励まし、『社会課題を解決』しようとするチャレンジャーに、
寄付をしたり、スポンサードしたり、取材したり、講演や大学の授業に読んで話してもらったり、SNSでシェアしたり等で応援してきた人、つまりそれって(たち)なんだけどさあ!!!
(たち)の応援の方法はあれでよかったのか、(たち)の応援によってリーダーやそこで働く人たちを逆に追い詰めていなかったか、不祥事に対して(たち)はなぜこんなにガッカリしてしまったのか、なんで不祥事のあと手のひらを返したような態度をとる人たちに対してはこんなにムカついているのか、を考えたいんです、は。

イベントの中で「おしゃれNPO」のリーダーたちは、社会的インパクト評価とかソーシャルグッドとかコレクティブ何とかとか、流行りの言葉は上手に使うけれど、自身の活動や団体についての思いや理念を自らの言葉で語ることはできていない、という指摘がありました。

これを聞いて、私は寄付をするとき、クラウドファンディングの画面をクリックするとき、自分の寄付行動を説明できる、納得できる自分の言葉をもっていたかなとふりかえりました。社会を良くしてくれるなら、困っている人が助かるなら、頑張っている人が応援できるなら。それは紛れもなく善意だし、そう思って寄付する人を、私は責めることができません。

けれども、それは私にとって、耳ざわりのいい言葉に流された思考停止でもあったのでは、とも思います。
Facebookである人が「環境問題が叫ばれるようになった時、『環境にやさしい商品』が市場に出て、人々はそれを『買う』ことで環境に貢献できると考えた。でも、相変わらず市民は『自然環境』から切り離されたまま。それが問題の元凶なのに」と書いていました。

同じように今、貧困問題などに注目が集まり、インターネットを使った情報発信がしやすくなり、寄付も集めやすくなりました。イベントの中で「『おしゃれNPO』とは『劣化』ではなく、多くの人に問題が共有されるようになったがゆえの『一般化』ではないか」という指摘も参加者の中からありました。
確かに「ソーシャルな問題にアクセスする人が増えた」という状況だけを見れば『一般化』かもしれません。

でも、クレジットカードを持っていて、クラウドファンディングのサイトにログインできるリテラシーがあって、仕事とは別にソーシャルな活動もできる経済的知識的肉体的精神的に不健康ではない人と、
子ども食堂はおろかコンビニ行くにも一大決心という子や、「学校へ行ってない子はラーメンなんて食べちゃダメだと思っていた」子とか、家に児童相談所が来てこのままだとマズいと思ったとき県外に引っ越してしまう人とかの『分断』をむしろ進めているようであれば、それはやはり『劣化』ではないかと私は思ってしまいます。

誰もがフルコミットでガッツリ貧困問題に関わるわけにはいかないので、できる方法でできることをすればいいと思うんです。だから寄付もクラファンもどんどんやればいいと思うんです。でも「自分は免罪符を買っただけかも」という気持ちは持ち続けたいと私は思いました。
「うしろめたさの人類学」という本を読んでから、寄付ってなんだろう?とずっと考えています。
考えてみると寄付って、「金払ってやったんだからやることやれよ」とか「私はお金払う役割の人なんだからそれ以上を求めないで」という考え方を超えていくようなー生産者と消費者とか、投資する側とされる側みたいなー資本主義の考え方とは全く違う軸を持っているのではないでしょうか。それこそが「社会課題とを切り離さない」ことへの可能性だと思うんだけど、寄付によって人が『消費者化』されているとしたら、それは『劣化』なんじゃないかな。って、NPOの中間支援をしている人は思った方がいいんじゃないかと私は考えました。*2

NPOの人は「みんなで考えたい」「一緒に考えたい」って言うじゃないですか。絶対そうしたほうがいいんです。
でも、私が広報や宣伝の仕事をして身にしみるのは「考えさせないほうが、買わせやすい」ということです。
すぐに分かること、エモーショナルで心を動かされずにはいられないこと、反論の余地がないくらい正しいと思えること。「共感」と「思考停止」ってもしかしてすごく近いところにあるのでは?と私は思いました。自分は目先のお金集めたさに「考えさせないような」コピーや文章を書いていないだろうかと…書いたこともあるなぁ。ごめんなさい。*3

でも、「考える」っていうのは「正しいよね」「うん、正しいよね」って言い合うだけのことじゃないですよね。本当にそうかなあ…でも、こういう場合は…こういう人もいるよね…そもそも何だったんだっけ…ここは失敗だったね…とかだらだらしたやり取りで行きつ戻りつしながら進めていくことじゃないでしょうか…。

でもさー、そんなことやってたら圧倒的に時間が足りないわけですよ!!!今ここに虐待されている子がいるのに!!!今10円しか持っていない人がいるのに!!!もっとスピード感もってやらないと!!!
とも思ってしまうんですよね。でも、多くの現場の人はすごいスピード感を持って昼夜問わず対応してくれているし、それでも限界なのが残念だけど現実なんですよね。
それはそれで改善していくべきことは多々あれど、私はいち寄付者として、いち現場にいない者として、苦労知らずでぬくぬく育った中流階級として、「その焦燥感は誰のため?」「何もできない自分の罪悪感を解消したくて『社会課題の解決』を急いでいるだけじゃないのか?」という気持ちを持ち続けたいです。

「もっと早く、もっと速く、もっと多くの人に」と「社会課題の解決」をしたい人は考えると思います。でも、その欲望が若くまじめなNPOリーダーを追い詰めていないか。苦しい立場にある人を置き去りにしてはいないか。と私は思います。
そして貧困問題において、対人支援において、そもそも「社会課題」ってなんだろう?と思います。私は最近「スピーディな解決」だけではなく「課題と”ともにある”」というあり方もあるのではないか、と考えています。(これに関しては、もっとよく考えて、別に書けたらと思ってます)

半田でやってもよかったのでは?

今回のイベントに、コミュニティ財団のいろいろで抱えたモヤモヤを何とかしたくて、という思いで来場した人も多いと思うんです。
でも、話を「自分の言葉で語れない=劣化」に戻すと、そのモヤモヤを全国的にも影響力のある「田中さんの言葉」に頼ってなんとかしたいと思う、その私の心こそが「劣化」ですよね。だから、愛知で、名古屋で起こったことは、愛知/名古屋の人が自分の言葉で納得できるような思考とアクションを重ねていくしかないのだと思います。

その意味では、今回のイベントは愛知県半田市でやってもよかったのかもしれません。日本福祉大学の野尻先生、半田市社会福祉協議会の前山さんの問題意識としては、半田市あるいは知多半島を中心に若者支援をしていたNPO法人エンド・ゴールについての問題意識も高かったようにも思うからです。エンド・ゴールさんだってかつてはマスコミによく取り上げられて、企業も行政も大学も市民もすごく応援していた、と私は認識しています。「私たちは若い人たちが必死で頑張るNPOをどう応援すべきか/あるいは、しないべきか」ということを考え反省する機会という意味では、エンド・ゴールさんのことを考えないではいられない、と私は思います。(エンド・ゴールさん自身も良くなかった点は色々あると思いますが、が考えたいのはあくまで「応援する立場としての(たち)」の問題です。)

ユーモアが足りない

私が『劣化する支援』に行って一番の収穫と感じたのは「名古屋のNPOセクターにはユーモアが足りないんじゃないか?」と思えたことです。登壇された方が全員関西にルーツがある方で、関西マナーの言葉で話されていたんですね。関西マナー(関西弁を含む、関西コミュニケーションのマナーみたいなものと思ってください)だと、「親しみを込めた冗談」が名古屋弁文化圏にいる私(たち)には「辛辣な言説」に聞こえ、いまいちウケてなかったとこから気づきました。

「これは良い」と思ったら熱烈応援し、ダメなところがあったらこきおろすか無視する。どっちのガワについたらいいか周りの視線を気にしながらポジションを確かめる。それってさー、どれもマジメすぎるが故、価値観が「社会的に良いことは良い」しかないからじゃないの?って思ったんです。
「良くあろう」とすること、それ自体は全然悪くないと思うんです。でも「良さ」ってもっと豊かなものでしょう?それこそ一つの、清く正しく美しい「良さ」しかなかったら、逃げ場のないところに人を追い詰めるだけなんじゃ?って思うです。

ユーモア、ってふざけてんのかって怒られそうだけど、そうじゃなくて視点をあえて横にズラして、価値観の変換をはかる、っていうことじゃないですか。あっちからもこっちからもズラしてゆさぶって、アホらしくて笑ってしまっても、でもやっぱ残るものがあればそれが本物だと思うし、ズレたところに発見があればそれを取り入れていくのもアリじゃないですか。私はもっとユーモアをもってソーシャルセクターを見て、ボケたりつっこんだりしていこうと思いました。私にとって「批評」ってそういうことだと思うし、批評が中間支援足り得るとしたらコレやんって思ったんです。

だけど、誰もが批評家になる必要はないと思うんです。メタな視点を(あえて)持たないからこそすごい力を出せるNPOリーダーって多いと思うし、メタ視点を持てずに苦労している人の活躍の場としてソーシャルセクターがありうるかもしれない。そして、何よりコミュニティ財団とかの話でいえば、パワハラを受けた側の人がユーモアなんて簡単に言えないと思うし。でも、様々な関わり方のひとつとして、ユーモアをもって問題提起をしていく人はもっといてもいいかなって。マジメなことは借り物の言葉でも言えるけど、ユーモアは自分で考えないと絶対に面白くないと思うので。

私からは以上です。

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

STILLING STILL DREAMING

STILLING STILL DREAMING

*1:Hagiwaraさんの記事のサムネイル画像が強烈

*2:私が「NPO」に過度な期待をしているだけなんでしょうか?でもそうじゃなかったらNPOじゃなくていいやん!!!

*3:あと●日でクラウドファンディング終了です!とかね。

知多と女とDIY、勝手にやる人たち-知多地域成年後見センターのこと

少し前になるんですが、2017年度に知多地域成年後見センターさんが開催された「知多半島ろうスクール」の報告書と、他の地域でも「ろうスクール」を開催できるようにした手引きを兼ねた「実践ガイドブック」の編集をお手伝いさせていただきました。

f:id:yoshimi_deluxe:20180513160337j:plain

成年後見というのは一般的には認知症とか精神障害・知的障害とかで判断能力に不安がある人のサポート(金銭などの財産の管理、いろんな契約のお手伝いなど)をすることです。
知多地域成年後見センターでは愛知県の知多地域(10市町村)の委託を受けて、後見が必要な人のお手伝いをしており、受任件数は9年で500件以上、相談件数はのべ4000件以上とのこと。裁判所での申し立てから、日々の支払いから、転居やら入所やら、ペットやゴミ出しでご近所とトラブルになってしまった状況をなんとかするやらで、職員の人は毎日朝から晩まで大忙しで働いています。

なのに、特に誰かから「やれ」と言われたわけでもないのに、毎年何らかの助成金を取っては「未来デザイン手法を使ったケース検討講座」とか「ファシリテーション講座」とか、今回の「ろうスクール」とかを開催しています。しかもこれ、全然成年後見と関係なくね?って感じじゃないですか。後見センターがやるなら「後見とは何か」とか「市民後見人養成講座」とかじゃないですか、普通。*1今回は、ド忙しい中、なぜ知多地域成年後見センターがこういうことをしているのかを、誰にも頼まれていないのに考えて、書いてみました。

勝手にやる女たち

知多地域成年後見センターの成り立ちは、ある知的障害のあるお子さんを持つ母子家庭のお母さんが末期がんになったことだったそうです。社会福祉法人むそう戸枝陽基さんのブログに当時のことが書かれていますが→ http://toeda.info/essay/fuwafuwa22.html 戸枝さんが名古屋市弁護士会、愛知県社会福祉士会などいろんな人に知的障害のあるお子さんの財産管理、身上監護などについて相談し、知多市NPO法人「地域福祉サポートちた」が法人として後見人を引き受けることになりました。後にここからスピンアウトして「知多地域成年後見センター」が生まれたのだそうです。

「地域福祉サポートちた」もそうなんですが、知多地域にはNPOとか盛んに言われる前の時代(1990年代後半)から、福祉のNPO的な活動をする団体が立ち上がり、その担い手の多くが女性、いわゆる主婦だったことがNPO界隈ではよく知られています。特に福祉についで勉強したわけでもなく、何か社会にいいことをしたいと思ったわけでもなく、地域の課題を解決しよう!と息巻いたわけでもなく、NPOを立ち上げた人がたくさんいたようなのです。
その動機はむしろ「このままだと義親の/親の介護で私が詰む」「子育てで私が詰む」だったのではないかと思います。鉄鋼や自動車の大きな会社があり、転勤で知多地域に移ってきた人が多く、周りに頼れる家族や親戚が少ない人が多い、という土地柄もあったのではないかと言われています。

後見って「その人の代わりになって、その人の権利を行使する」とか「権利が侵害されないようにする」ことなので、すっごく難しいことだと思うんです。でも、おそらくそれまで「後見」なんてほぼ聞いたことがなかったであろう「地域福祉サポートちた」の人たち、主にスタッフだった女性たちが「やろう」と思ったのは、社会にそれが必要とか思ったこともなかったわけではないだろうけど、「知ってしまった以上放っておけない」「他に誰もやらないなら私たちで」と思った、それが一番だったのではないかと想像します。

それで思い出したのが、最近見た佐々木大志郎さんのnoteです。
note.mu

知多で女性たちがNPOを始めたころは、全国的にもNPOで働いて暮らしていけるだけの給料が得られるということは難しく、それを目指していた人もほとんどおらず、という状況だったと思います。でも今では年商何億円みたいなNPO法人も少なくなく、新卒を採用するNPO法人が珍しくなかったり、志ある大学生がソーシャルグッドな団体への就職に憧れるということもあったりします。

社会的な影響力を持つようになったNPOが現れる中、「解決しやすい課題に取り組んで成果を上げたと言ってるだけで、コアな貧困層にはアプローチしてないじゃないか」とか「根本的な課題解決をすべきは国や地方自治体ではないか。NPOが安い下請けになってどうする」といった問題提起もなされるようになってきました。それに対して上記の佐々木さんのように「それはそうだけど、今ここにある課題をすぐなんとかしなきゃいけないんだからしょうがないじゃん」(超訳)とか、「てか旧来型の運動が成果出してこなかったからいまこんなヒドイ状態になってんじゃん」という議論もあり、どっちの話もそうだよなあと思いつつ、精神的には消耗するなあと感じています。

ひるがえって、もう一度知多の女の人たちがNPOを始めたことを思うと、それは「自分たちでやる他に方法がなかったから、やむにやまれず」という動機からではなかったかなと私は想像します。
当時の女性たちは、介護保険子育て支援もなく、「家の中のこと」を公に助けてもらえるなんて考えたこともなかったはずです。というか、当時の女性たちが「公」、「国」とか「役所」に助けてもらっている、守られていると感じたことってあったのかな?と思います。さらに「会社」に守られている、と思えたこともなかったのではと。親に養ってもらっている、会社からもらうお給料で暮らせている。そう思ったことはあると思います。でもそれは「結婚するまで」のことであって、あとは家庭で嫁として母としてツトメていただき、ダンナに守ってもらってください、そういう社会ではなかったかしらと思うんです。
学校では男女は平等だと教えられ、法律でも男女の雇用機会は均等ですと定められたのに、相変わらず半人前の労働力としてしか見られず、給料も少なく、ひとりぼっちで子どもや家族の面倒を見る役割に置かれる。
私は、そういう人たちが「国」や「社会」に何かを期待したり、信頼したりできるとは思えません。だから、その活動は一義的に国に何かを訴えようとか、社会に対してはたらきかけよう、とはならない。だから、「誰もやらないから、自分たちで」とか「自分たちでできるだけやってみよう」となる。で実際に会って、しゃべって、確かに感じられる仲間と一緒にやっていこう、となるんじゃないかなあ、と思うんです。誰からも期待されていないし、誰にも期待していない。だから勝手にやる、自分たちでやる。知多のNPOの人はみんな知的で優しく、ユーモアと包容力とおせっかいがたっぷりの素敵な人ばかりだけど、根底にあるのは、実は社会への絶望に裏打ちされたDIY精神なのではないか…と私は思っています。

何が絶望をアクションに変えるのか

今回の仕事で、知多地域成年後見センターの事務局長の今井さんが「私たち知多地域成年後見センターはまちづくりのNPOだと思っている」と言っていたことが心に残った。
後見人の業務を通して、判断能力に不安のある人のサポートをする。それは手段のひとつであって、目的はまちづくりだと。(超訳)今井さんたちはよく、後見人がいなくても、家族がいなくても、本当はその人の周りにその人の生活や気持ちをサポートしてくれる人がいて、権利を侵害されることなく生きていくことができれば、わざわざ裁判所で後見人を付けなくてもその人らしく生きていけるんだとも言っている。これから高齢者が増えて、認知症の人も増える、つまり判断能力のサポートが必要な人=「ニーズ」は増える、だけれども、その「二ーズ」に応える方法は後見センターを大きくすることではないんじゃないか、と思ってやっているらしいのだ。(私は後見センターのここがすごいと思うし、好き。)

未来デザインやファシリテーションの講座をわざわざやるのも、違う立場の人を思いやれる人や、規則や今までの常識にとらわれず、やわらかく発想を変えていくことで、いろんな人が生きやすくなる考え方や方法を、地域の人や地域の専門職が身に着けるためなんだと思う。

ちなみに冒頭で紹介した「知多半島ろうスクール」とは、主に定年退職したけどアクティブなシニア世代の人が、自分たちの老後の生活(老)と、それに必要な法律(law)などを学ぶ学校、というコンセプトで開催した連続講座です。熟年離婚とか相続とか、老後のヒマの過ごし方とかを、おっちゃんおばちゃんがクラスメイトになって教室で勉強するというものでした。講座内では退職した男性が、昨今の#metoo運動が聞いたら卒倒しそうな(でも、それがこの数十年を生きてきた男性のプライドを支えてきたであろうという)発言をしてみんなを苦笑いさせるという場面もあったそうですが、スクールの卒業式後は「同窓生でなんかやろう」みたいになり、地域におじちゃんおばちゃんの新たなつながりが生まれたというイイ話も聞きました。


さっきまでの当たり前がもう通じなくなったり、取るに足りないと思われていたことが急に価値を持ったり、その逆も起こったり、すごい速さで時代が変わっています。その速度に乗れなかったり、乗りたくなかったりして、「国家」や「社会」や、そして社会の一部である「支援してくれるNPO」にさえも期待も信頼も持てなくなっている人もまた、日々増えていると思うんです。

そういう人たちが、かつての知多の女性たちのように、自分たちでやろう、生き抜こうという力を持てるようになることがいいんじゃないか。と私は思うんだけど、そのためには何が必要なのかな?と。知多の女性たちがNPOを始めて続けられたのは、ぶっちゃけフルタイムで働かなくてもいいくらいの夫の収入があったから、という要素もあったのでしょうが、一家を養えるだけの収入を一人で稼ぐということが、昔よりもずっとずっと難しいというのは誰でも知っていることです。

だけれども、「自分の人生に必要な知識を、不安を煽る広告とかではないところから得る」「仲間と一緒に学びあう/学び合いを通して仲間を得る」ということは、人をすごく力づけるんだな、と私は「ろうスクール」のガイドブックを作りながら感じました。

認知症の人、精神障害や知的障害、発達障害のある人、そのどれでもないけど家から出られない人、家から出られるけど色々とうまくいかない人。そういう人たちに対して「サービスを提供する」ことが国なのか民間なのか、どっちがいいかは今の私にはわからないけれど、どっちがやるにせよその「支援」はその人たちをエンパワメントするものになっているのか?そう問い続けることが必要なのではないかと思う。
認知症の人、精神障害や知的障害、発達障害のある人、そのどれでもないけど家から出られない人、家から出られるけど色々とうまくいかない人。そういう人たちは単なる「顧客」ではない。「ニーズ」に応えているかどうかだけではなくて、その人が社会をかたちづくっていく一員としてエンパワーできているかどうかが、「支援」であり、価値が問われるところなんだなあ、と思いました。

f:id:yoshimi_deluxe:20180511233601j:plain
「ろうスクール」を他の地域でも開校できるよう、ガイドは知多地域成年後見センターの事例を参考にしながらスクールの企画を立てられるワークブック形式になっています。

ガイドブックが見たい方は、知多地域後見センターさんにお問合せくださーい。(もう残ってなかったらすみません)。

*1:知多地域成年後見センターでも、そういう講座も全然やってないわけではない。年数回頼まれたりしてやっていると思う。市民後見人は要請してないけど。

あいちコミュニティ財団のことを考えないでファンドレイジングしてもいいのか問題

4/14に「ファンドレイジング・日本2018(FRJ2018)振り返り会(東海チャプター主催)」に参加してきました。

日本最大のファンドレイジングイベント「FRJ2018」に参加された愛知県周辺の方が、このイベントの振り返りもかねて、FRJでどんな意見交換があったかをシェアしていただけるということで、勉強のために行ってきました。

jfra.jp

FRJではファンドレイジングにまつわる様々なセッションがあり、東海チャプターの方が参加されたセッションだけでも22。その中から聴講者が聞きたいセッションに手を上げてもらって、人数の多かったものからどんな内容だったかを東海チャプターの方が説明してくれる、というかたちで進行されました。

f:id:yoshimi_deluxe:20180419131711j:plain

この写真は、線の左側の数字がセッションの番号、右側が会場の人が「聞きたい」と手を上げた数です。
「聞きたい」の数が多く、この日に詳しい説明をしていただけたセッションのタイトルは下記の通りです。

  • No.49 「財団をつくる」という社会貢献のカタチ ~誰にでも助成財団を創れる時代の新たな可能性~(8名)
  • No.7 社会的インパクト評価の最新動向 ~2020年社会的インパクト評価推進に向けたロードマップ~(7名)
  • No.16 ソーシャルデザイン ~社会をちょっとよくするプロジェクトのつくりかた~(5名)
  • No.22. 受け入れ団体から見た伴走型コンサルタント ~組織づくりから始めるファンドレイジング~(5名)
  • No.54 マーケティングで企業から選ばれるNPOになる ~企業は何に「共感」してNPOと連携するのか?~(5名)

この中の「「財団をつくる」という社会貢献のカタチ ~誰にでも助成財団を創れる時代の新たな可能性~」は私も聞きたくて手を上げました。
内容は、平成20年に「新公益法人制度」が始まったことにより財団が作りやすくなったこと、その後にできた全国の財団(パブリック・リソース財団、熊西地域振興財団、一般財団法人みらいRITA)の活動を紹介するというものでした。日本の個人金融資産の約半分が預貯金であり、しかも60代以上の人に集中しているということで、お金の使い道が分かりやすい身近な財団が増えることで、寄付シーンの活性化につながるのではないか…というような話でした。

でも私はこれを聞いて「え、それだけ?」と思ったんです。

だって、財団といえばあいちコミュニティ財団じゃないですか?しかも、東海チャプターの振り返り会です。この地域でファンドレイジングに興味のある人で、あいちコミュニティ財団のことを知らない人はいないと思ったんです。

yoshimi-deluxe.hatenablog.com


なので「今年のFRJ2018では、あいちコミュニティ財団について話し合ったセッションはなかったんですか?」と質問しました。

答えとしては、FRJ2018ではあいちコミュニティ財団について正式に話し合いを持ったセッションはなかったとのことでした。

しかも、私の質問の意図がよく伝わっておらず、会場でなぜか日本ファンドレイジング協会の職員の方にあいちコミュニティ財団との距離感について説明させてしまったり、会場にあいちコミュニティ財団の関係者の方も来られており、財団のこれまでの経緯について丁寧にご説明いただくことになってしまったりして、私の不用意な発言で会の雰囲気が気まずい感じになってしまったことを申し訳なく思いました。ごめんなさい。

でも、私の質問の意図は、ファンドレイジング協会に説明してほしいとか財団に説明してほしいとかじゃないんです。
会場でも言ったんですが、ファンドレイジングをする/必要とする私たち一人ひとりが、ひとりのファンドレイザーとして、今回のあいちコミュニティ財団の一件をどのように受け止め、今後の活動に生かしていくか?ということを考えたかったんです。

しかし、あいちコミュニティ財団のことが公になったのは年末年始の時期。FRJ2018は大きなイベントなので、短期間で新しくセッションを追加するということは準備の都合で難しかったのかなーとも思います。ただ、公に議論はされなかったけれど、参加した東海チャプターのメンバーは全国のファンドレイザーの方から「あれはどうなったの?」と休憩時間などに聞かれることはあったとか。やっぱりファンドレイジングに関わる人の関心ごとであったことは間違いないようです。

そのうえで、今回FRJ2018であいちコミュニティ財団について考えるセッションがなかったとしても、それはそれでひとつの考え方だと思うんです。「あいちコミュニティ財団が起こした不祥事は、あいちコミュニティ財団という個別の組織の問題であり、日本のファンドレイジングを考えるうえで、大した問題ではない」という考え方もあるのかなと。(そういう説明をされた方はいなかったですが…)
でも、私は、そうではないのではないか、と思うのです。

あいちコミュニティ財団の不祥事の原因は「ファンドレイジング」活動が内包している矛盾にもあるのではないか

FRJ2018のセッション内容を見てみると「社会的インパクト評価」「企業連携・CSV」「社会貢献教育」「調査分析」「ストーリーテリング」「地域特性を生かしたファンドレイジング」「伴走型コンサル」とあり、これって全部「あいちコミュニティ財団」がやってきたことじゃんか、と思いました。昨年であれば、あいちコミュニティ財団の取り組みは、FRJでベストプラクティスとして輝かしく取り上げられていたのではないでしょうか。

それが今回、この無視ぶりというのは…。あいちコミュニティ財団も、日本ファンドレイジング協会はじめ全国のファンドレイザーと一緒に、日本の寄付シーンを盛り上げていこうと尽力してきた仲間ではないのでしょうか。
だからこそ、今回の不祥事には驚き、戸惑い、がっかりし、憤りも感じたと思います。財団の今後の方針など状況が定まらない中で対応に困ったことも多いと思います。
でも、でも、だからこそ、私たちはこの問題をなかったことにしないで、きちんと向き合い、考え話し合うべきものではないでしょうか。それは厳しいメッセージを発信することかもしれないし、立ち直りに向けて協力することかもしれないし、しないことかもしれません。

社会課題と向き合い、きちんと調査し、ロジックモデルを使って戦略を立てる。思いをストーリーにして語り、共感をベースに多くの人の協力を集め、「社会を変える」事業をかたちにしていく。かたちになった事業を数値にして評価し内容を公表する。その全部を美しく実現してきた組織が、一方では新たな「課題」や「抑圧」を生み出していた。それを私はどう考えたらいいのだろう、と思いました。

私だってファンドレイジングしたくて、ちゃんと勉強したくてこの振り返り会に参加したんです。私は今、あるホームレス支援団体の広報や寄付集めに関わっているのですが、スタッフのお給料はお世辞にも高いとは言えず「貧困者を支える団体が新たな貧困を生み出していないか?」とは、ずっと苦しく思ってきたところです。少しずつでも寄付を集めて、みんながストレス少なく活動できたらと思って試行錯誤しています。

だけど、一方で「社会にいいことをしているのだから」「ホームレス状態にある人だけじゃなくて、みんなのためになることだから」と言って活動をPRし、寄付をいただくことを「当然だ」と思っていないか、そこに傲慢さはないかと常に思っていなければ、と、私はあいちコミュニティ財団の色々を見て考えました。私の信じる「正義」のために無理を通していないか、「正義」のために美しくない部分を隠していないか、「正義」のために誰かに我慢をさせていないか。そしてそれでも「正義」というか信念を通さねばならないとしたら、どうするべきなのか。

もう一つは「誰のための」「何のための」ファンドレイジングなのかを忘れないことではないかと思います。
クラウドファンディング、休眠預金、ソーシャル・インパクト・ボンドなどなど、新たな資金調達の方法っていろいろあると思うんです。でも、それって「誰の」ニーズなのか?誰が望んでいることなのか?ということを常に考えないと、と思います。私は、テレビ塔の下の植え込みの陰で寝ている人や、後ろ指をさされながら空き缶を自転車に満載して売りに行く人に対して、私がやってる広報とか寄付集めってどんな意味を持つのかな?と思うと苦しくなることがよくあります。(なので、もっとよい方法を、たくさんの人と一緒に勉強したいと思っているのです。)

「社会を変える」とか「日本の寄付・社会的投資市場を10兆円へ」といったかっこいいキャッチフレーズは多くの人に響くし、そういう言葉がなければ寄付やソーシャルな活動に興味を持たなかった人たちもいると思います。だから、意味がないとは思いません。でも、結局は誰のためなのか?という問い、再配分を受け取るべき人を置き去りにしていないかという問いは忘れずにいたいと思います。

そして、その問いは、社会にイイコトをしていい気になってる私の驕りをいさめてくれるだけでなく、活動そのものを改革するエンジンになると思います。公園で寝ている人は「社会課題」というフワっとしたものではなく、ひとりの意志ある人間です。給食費が払えない、塾に行けない子どもも、障害者も、外国人も意志ある人間です。寄付はその人たちを助けるためのものでしょうか。それともその人たちを「社会課題」たらしめている状況を変えるためのものでしょうか。社会の前に、変えるべきはファンドレイザーのマインドではないか…と私は書きながら思いました。

手法に加えて、そもそも論も必要では?

こんだけ書いといてなんですが、私はファンドレイジング協会とか、FRJ2018とか、東海チャプターとかあいちコミュニティ財団をディスりたいわけではないんです。准認定ファンドレイザーの勉強しようかなあと思ってファンドレイジング協会にマイページも登録したし、一緒に学ぶ仲間だと勝手に思っていますよ!

ただ、ファンドレイズの具体的な手法だけでなく、何のためにとか、本当にこれでいいのかみたいな「そもそも」の話ももっと勉強できたらなあと思っているんです*1。それはもしかしたら、自分たちの活動の根幹を揺るがすような議論になるかもしれないけど、社会を変えるとか威勢のいいことを言うくらいなら、その程度のことにビビってちゃいけないんじゃないかな、とも思うんです。

完全に矛盾がなくて、美しい活動はないと思います。私は日本のファンドレイジング・シーンに矛盾があることがおかしい、と言っているのではなく、矛盾にこそ向き合っていきたいと思っているんです。首尾一貫していないこと、潔癖でないこと、自分の手が汚れ目は曇っているかもしれないことを、自分にも他者にも隠さないでいたいんです。清く正しく美しく、速く賢く大きい物語より、ズルくてケチくさくても「でも、やるんだよ」という実践こそが、「共感」や「ブレイクスルー」を生むと考えるからです。

私からは以上です。

■□■関連する記事■□■
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

*1:ちなみにFRJ2018では「ファンドレイジングの7つのジレンマ~ワークショップで考える、エシカル・ファンドレイジング」というセッションがあったようです。「エシカル・ファンドレイジング」という言葉が衝撃だったんですが「エシカルとは言えない面も現状、ある」っていうことをちゃんと認識することって大事だなーと思いました。

うしろめたさゆえの短絡的な寄付ー寄付は贈与か交換か

前回の記事の続きです。

あいちコミュニティ財団のおこぼれにあずかろうと思っていた自分、財団内の色々について知っていたのに何もしなかったといううしろめたさにさいなまれ、私は藁にもすがる思いでこの本を手にしました。

うしろめたさの人類学

うしろめたさの人類学

「うしろめたさの人類学」とありますが、手に取ってみると筆者自身のエチオピアでの経験と、モースの「贈与論」などを引きながら「贈与」や「交換」や「市場」「国家」なんかについて論じるというもの。これはやはり今の自分にピッタリではないかと思い、どんどん読みました。

うしろめたい中流階級の私

 エチオピアを訪れた日本人が最初に戸惑うのが、物乞いの多さだ。街の交差点で車が停まると、赤ん坊を抱えた女性や手足に障がいのある男性が駆け寄ってくる。生気のない顔で見つめられ、手を差し出されると、どうしたらよいのか、多くの日本人は困惑してしまう。
 「わたしたち」と「かれら」のあいだには、埋めがたい格差がある。かといって、みんなに分け与えるわけにもいかない。では、どうするべきなのか?これは途上国を訪れた旅行者の多くが抱く葛藤かもしれない。(松村圭一郎「うしろめたさの人類学」ミシマ社、2017年)

 ホームレス支援のボランティアをしていた時にキツかったことがある。
 夜回りをしてカイロや食べ物を渡し、少しお話をしてありがとうと言われる。野宿の人も一緒に炊き出しの準備をし、みんなであたたかいものを食べて、教えてもらいながら片付けをする。イベントに呼ばれてみんなでビッグイシューの出張販売に行き、打ち上げと称して飲みに行ったこともあった。
 その時はお互いに仲間になれた気がして楽しかったけど、帰りは別々になる。私があたたかい風呂と寝床のあるアパートでグースカ寝ている時に、さっきまで一緒にいた人たちは、屋根もなくいつ襲撃されるかもわからない冷たい地面の上で眠るのだ。それを思うと辛かった。私のやっていることって何なのかなと思った。

 最近、エチオピアでは、私もポケットに小銭があれば、誰かに渡している。なるべく収支の帳尻をゆるくして、お金が漏れていくようにしている。
 自分が彼らよりも不当に豊かだという「うしろめたさ」がある。つねに彼らからいろんなものをもらってきたという思いもある。*1そのうしろめたさに、できるだけ素直に従うようにしている。
 それは「貧しい人のために」とか「助けたい」という気持ちからではない。あくまでも自分が彼らより安定した生活を享受できているという、圧倒的な格差への「うしろめたさ」でしかない。
 この違いはとても大きい。善意の前者は相手を貶め、自責の後者は相手を畏れる。(同)

 私が寄付をしたりボランティアをするのは、何よりもこの「うしろめたさ」が原動力だったのではないか。そして、もしかして今、コミュニティ財団みたいなところや、NPOや、クラウドファンディングに寄付をしたい人や、被災地でボランティアをしたい人や、フェアトレードの商品を選びたい人の動機にも、この「うしろめたさ」があるのではないかと思った。なので、「うしろめたさをなんとかしたい」という目標(Mission)に対して「寄付」という行為(Activity)がどんな結果(Output)や成果(Outcome)をもたらすのだろうか、という疑問からスタートして、この記事を書いてみようと思います。

贈与と交換と再分配

 「うしろめたさの人類学」では、「他者とのモノや行為のやりとりが社会/世界を構築する作業である」として、そのやり取りの種類を「贈与」「交換」そして「再分配」に分けて論じられていたので、私なりに整理して紹介しますね。

贈与:

  • やり取りするモノやお金に「思い」や「感情」を付け加える
  • やり取りする人どうしの共感を増幅する
  • やり取りする人どうしのつながりを作る
  • 感情にあふれた、でも時に面倒な親密さを生む
  • 代替不可能なかげけがえのないものになる
  • 「贈与される側」は受け取ることが義務であり、欲しくないものが贈られることも。贈与は心温まるやりとりだが万能ではない(被災地にたくさん支援物資が送られてくるが、実は現地では必要な物ではなく山積みになっているような状態とか)

交換:

  • やり取りするモノやお金から「思い」や「感情」を差し引く
  • やり取りする人どうしの共感を抑圧する
  • やりとりの関係が一回で完結する
  • やり取りの中に感情は乏しい
  • いつでも誰とでも交換ができる
  • お互いの必要性を満たす最適値を目指して取引がなされるため、ニーズの多様性に対応しやすい。モノのやりとりの「自由さ」をもたらす「市場」を創造する。しかし市場の論理だけだと、不公平な配分の責任は「個人」にあるとされてしまう。

「贈与」をバレンタインとかクリスマス、結婚や誕生日祝いのギフトやプレゼント、「交換」を「お買い物」としてイメージしてもらうとわかりやすいのではないかなと思います。
これは贈与がハートウォーミングで人間らしくて良い、交換がカネを介した冷血なやりとりでケシカランというわけじゃないんです。そもそも「贈与」と「交換」はどちらがなくても今の世の中は成り立たないし、ここからは贈与!こっちは交換!とクッキリとした線が引けるものではないということなんです。筆者の言葉を借りればこれは「仮の区切り」であり、わたしたちは日々贈与と交換を巧みに使い分けたり、その間をユラユラ揺れ動きながらモノやコト、思いや感情をやりとりしているんだっていう話です。*2

ちなみにモノのやりとりのもう1つの形態として「再分配」も紹介されていました。

再分配:

  • 税金のように、いったん多くの人から徴収した財を特定の人や事業に振り分けること
  • 非市場的な財の移譲という意味では贈与に近い
  • 贈与と違い、お金の出所が匿名化され覆い隠される(贈与では、贈られた人は贈った人の顔を思い出せる)
  • 資金の出し手も自分が資金の提供者であるという意識を失いがち。例:税の再分配の失敗は政府の責任であり、納税者たる自分の責任ではない。
  • 贈与=人との関係をつなげる、交換=人との関係を解消する、再分配=あるべきつながりが途中で切れている

あいちコミュニティ財団の事業は贈与?交換?再分配?

ここからあいちコミュニティ財団の事業を見てみると、「贈与」「交換」「再分配」のいいところを組み合わせて、新たなお金と人の流れを作っていこうとしていたんだなと私は感じました。

できるだけお金だけでなく「寄付者の声」を寄付者の顔写真付き紹介しようとし*3、寄付だけでなく応援してくれるボランティアが伴走する仕組みを作ろうとしていました。(=「贈与」のよいところを生かす)

そして私が「あいちコミュニティ財団やるな~」と思ったのは、「交換」の良さを生かそうとしていたところです。
前の記事から私がねちっこくこだわっているセオリー・オブ・チェンジ(TOC)や、TOCの考えをベースに非営利活動を評価するSROIは、まさに「贈与」だけでは共感できなかった多くの人たちに「交換」の理屈を活用してメリットを謳うことで「寄付」を促すそうという取り組みだったのではないか、そしてそれは、一定の効果があった(たくさんの寄付金を集めることができた)のではないかと私は考えました。でも、これは特段あいちコミュニティ財団に限ったことでなく、今の日本のファンドレイジング全体の流行なのかもしれませんが。

「交換」のほうが分かりやすい

いま私たちは、100円玉は100円の価値があるものと交換されなければならないし、それが当然だと完全に思っているのではないでしょうか。
さらに、手取りの月給が20万円ならばひと月20万円以内で暮らさなければいけないし、作るのに20万円かかる商品であれば20万円かそれ以上で売るべきであるというのが常識なんじゃないでしょうか。

そりゃそうなんですけど「贈与」ってその仕組みの外側にもあるものなんですよね。例えば私がオギャーと生まれてから今まで、両親から「贈与された」有形無形のモノコトカネについて、等価で返すことなんて一生かかってもできないし、親だって全部返せよ~とは思ってないはずなんです。
しかも「贈与」ってクソめんどうなんです。冒頭で私は「自分が寄付をするのは『うしろめたさ』ゆえなんじゃないか」と書いたけど、もらった方はもらった方で『負い目』を感じることもあるわけです。もらってばかりいる、養われている、誰かのおかげでメシが食えている、そういう負い目。だから、贈与には「あげる側がエラくならず、もらう側も負い目を感じない」という工夫が要る、と同書にも書かれていました。出産祝いでも香典でもバレンタインでも、贈られたら「お返し」をする決まりがあるし、大昔の狩猟採集民もわざわざ他人の道具で狩りをして、道具の所有者にも獲物を渡すとか、誰もが一方的にあげるばかりもらうばかりにならないようにしていたんですと。
贈られたもの、もらったものは返せない。返せないけど報いたいと思う。返されたら返されたで、うわあこんなに返されちゃった、また贈ろう、みたいな、もやもやだらだらしたやり取りになるわけです。

それに対して「○○円の寄付で子どもへの学習支援が〇回開催できます」みたいな説明は「交換」的で、なるほど!とすぐに合点がいきやすいように思ったんです。お返しを期待して寄付するわけではないけど、自分の財や行為がどう役立てられているのかが分かると嬉しいし。

そして何よりも「交換的」なやりとりって「対等である」っぽい感じがすると思うんです。要するに「等価交換」だから「負い目」や「うしろめたさ」を感じにくいのではないか?という理屈です。かわいそうだからやっているんではないんです、対等なんです。出したお金の分だけ、私(や社会)もリターンを受け取っているから、対等なんです。助ける助けられるの関係じゃなくて、共に歩む仲間なんです、っていう。

誰のための対等か、何のための共感か

でも最初にかえって、本当に対等なんだっけ?と思うわけです。ていうか対等って何?
支出と収入がバランスしているから、助けると助けられるとの量が一致しているから、一方的に与えるだけではないから対等なのかなあ。対等だから、負い目やうしろめたさを感じずに堂々としていればいいのかなあ?
と、私は思ったわけです。

冒頭の「うしろめたさの人類学」から再び引用します。

物乞いが、ぼくらのために働いてくれるわけでも、なにかを代わりにくれるわけでもない。このとき「わたし」が彼らにお金を払う理由はない、となる。
「交換」において、「わたしのお金」は「わたしの利得」の代価として使われるものだ。そこえはきちんと収支の帳尻を合わせることが求められる。簡単にお金は渡せない。
 こうして、日本人の多くは物乞いに「なにもあげない」ことを選ぶ。(同)

基本的にはNPOへの「寄付」も、直接的には「私だけのために働いてくれるわけでも」「何かを代わりにくれるわけでも」ない、と言えます。(寄付を求めるNPO=物乞い と言ってるわけじゃないですよ!!!)
でも「○○円の寄付で子どもへの学習支援が〇回開催できます」→「学習支援を受けた結果、高校への進学率は〇パーセントアップ、学習意欲が増えた子どもは〇パーセントアップ、人への信頼感が増えた子どもは〇パーセントアップ」→「進学せず就職した場合の収入と高卒で進学した場合の収入の差はいくらで、納税額ではこれだけ変わります」ってなるとさらに交換的になりますよね。

交換を説明に使うのは悪くないと思うんです。
でも、本当に「交換」だけで世の中が渡っていけるなら、寄付じゃなくてそもそもいいはず。市場で売り買いすればいいんです。それが「ソーシャルビジネス」というものなのかもしれないけれど。

市場の原理ではできない、もらったものを返しきれないから寄付でお願いしているんじゃなかったっけ、と私は思ったんです。
そして、見てしまったものを放っておけない、なにかしなければいけないのではないか、そういう心の動きを作ったものの原動力って実は「うしろめたさ」だったのではないでしょうか。それを「交換」によって「解決」して、なかったことにしていいんでしょうか。私はいいことをしている、寄付もしているボランティアもしている、啓発もしている差別もしない対等だ、だからといって、自分には温かい風呂と寝床があり、ある人にはそれがないという現実、それを受け止められない自分から目をそらしていていいのかな。私は「寄付」を通じて、「私はよいことをしている」という物語を買っていたというか、消費していただけなのかな?持て余したうしろめたさを麻痺させるモルヒネを買っていたのではないか…とも思いました。

ぼくらは他者と対面すると、かならずなんらかの思いを抱く。無意識のうちに他者の感情や欲望に自己の思いを共鳴させている。泣いている赤ちゃんを目の前にすると、なんだか自分まで悲しくなってくる。何かしてあげねば、という気になる。人がタンスの角などに足の小指をぶつけるのを見ると、その「痛み」はひとごとには思えない。思わず「あいたたた」と声が出てしまう。
 この「共感」が、コミュニケーションを可能にする基盤である。
 身体の弱った老婆を目のあたりにして、何も感じないという人はいないだろう。でも「交換」のモードには、そんな共感を抑え込む力がある。(中略)交換のモードでは、モノを受け取らないかぎり、与える理由はないのだから。心にわきあがる感情に従う必要はないのだから。(中略)
 あるいは「与えることは彼らのためにならない」と言うかもしれない。これだって同じ正当化にすぎない。ためになるかどうかは、そもそも与える側が決められるものではないからだ。いろんな理由をつけて最初に生じたはずの「与えずにはいられない」という共感を抑圧している。(同)

与えずにはいられないから与える。その結果、避難所に段ボールが積み重なるように、それ自体は感謝されないかもしれない。役立たないかもしれない。だから寄付って難しいし、「交換」の論理からしたら、何やってんのバカじゃない?となるかもしれない。そして、もらう側も、いかに「正当な」理由があっても、やっぱりもらうだけでは負い目を感じると思う。これだけのインパクトが出せる活動なんですよ、堂々としていいんですよと言われても、どこか「返せない」気持ちはあるのではないか。また「寄付者(資金の出し手)」から「私たち、平等ですよねっ」と言われたら「は、はい…」と答える以外はないのではないか、とも思う。。。
 

とにかく贈与には割り切れないいろいろが付きまとう。でも、「うしろめたさ」が行為の源泉ならば、そこから目をそらしてはいけないと思う。うしろめたさがあれば「こんなにいいことをやっているんです!」と尊大な態度をとることはできなくなる。

私は社会福祉士なんですけど、数年前に福祉関係の仕事もしている大先輩から「福祉の仕事は、どんなに美しく価値があることだとしても『結局は、人の不幸でメシを食っているとも言える』ということを忘れてはいけない」と言われたことがある。不幸・不便・不満・不足…を解決したり解消したりする仕事は尊く、役に立ち、人に感謝されるけれど、不幸・不便・不満・不足があらかじめない方がいいように、その仕事自体も本当はない方がいいようなものなのだ。でも、ないといけない現状があるから、やむにやまれずやらせていただくものなのだ。だからといって過剰に卑屈になることも、偉そうにすることもしなくていい。

 たくさんの人の共感を得て、たくさんのお金を集めたとしても、それ自体で浮かれてしまうことはないようにしたい。いたたまれなくてうしろめたくて思わず募金してしまったとしても、一度の「交換」でスッキリしてしまうばかりではなく、うしろめたさを生み出す真因を変えていく一歩を踏み出せる個人でありたい。そして既存の「贈与」や「交換」や「再分配」の定義に縛られず、組み合わせたり、境界線をちょっとずらしたりしながら、失敗もしつつしたたかに枠組みを変えていく挑戦をおそれないソーシャルワーカーでありたい。

*1:yoshimi_deluxe注:この本の筆者はエチオピアでフィールドワークする文化人類学

*2:同書の中ではアメリカからアフリカへの「贈与」としてのODAが、そもそも穀物価格の調整(=「交換」のための価値の最適化)を動機として生まれていること、アフリカへ渡った援助物資が(禁止されているけど)売買されて「交換」のためのモノに変わっていることが紹介されています。交換によって入手したものを心をこめてラッピングして贈与し、贈与されたモノはメルカリに出品され…と、贈与と交換の間を旅するモノの動きって面白いですね。

*3:今はリンクが切れていますが、HP上の「寄付者の声」コーナーでは顔写真入りで寄付者のメッセージを公開していた