#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

この愛はメッセージ、そしてThe Message is LOVE

先日、名古屋市市民活動センターの方に教えていただき、
NPOのための広報講座」みたいなのに行ってきました。

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広告代理店を経てNPOの広報を手がける「ハンズオン埼玉」の吉田知津子さんを講師に、NPOが寄付や仲間(スタッフやボランティア)を集めるための情報発信についてお聞きしました。

聞いていて心に残ったのが、漠然と「たくさんの人に伝えたい」と思わない方がいいということ。「誰でも」「みんなに」「等しく」伝えたいと思うと、結局誰にも伝わらないんだと。どんな人に伝えたいのか。どんな人と仲間になりたいのか。それをきちんと考え抜かないといけない、と。吉田さんが手がけたドラマ「北の国から」は「たった一人の人」のために作ったのだという。

広告代理店の人が新製品を売り出す時とか、広告を作る時に「ペルソナ」というのを想定するんだという話を聞いたことがある。その商品を使う人はどんな人か?この広告を見てアクションしてほしい人はどんな人か?ということを徹底的に考えるのだと。「20代の女性」とか「30代の主婦」というざっくりしたものではなくて、もっと徹底的に絞り込んでいく。仕事は何で、会社ではどんなポジションで、休みの日は何をしているか。好きなブランドは何か、貯金はいくらくらいか、家族は、友達は、どんな家に住んでいるか、コーヒーと紅茶ではどっちが好きか、などなど…。

昔は「そんな架空の人物を、しかも一人だけ想定して何になるんだ?」と思っていた。
でも、吉田さんのお話を聞いていたら、「一人」の人に伝えようと思うからこそ、伝え方が具体的になるし、どうしたら「その人」に受け入れてもらえるかを考えられるようになる。その人の気持ちを深く考えて、その人の心に寄り添ったメッセージを考えられるようになるんだと思った。

ヒットする歌謡曲は「僕は君が好き~」とか「あんた、あたしを捨てないで~」という、ごく個人的な恋愛の歌が多い。普通なら「お前の好いた惚れたの話なんか、知らんがな。」という話だと思う。理屈だけで考えれば、お前の彼女のことなんか知らんわっていう話でも、「その人のことを思う気持ち」というのは、なぜか多くの人に共感されるものなんだと思う。
これが「みんなを愛しましょう」「どの人もみんな素敵です」っていう歌だったら「正しいことを歌っていますね」とはなるものの、それほど人の心に迫る歌にはならないんじゃないだろうか。*1それどころか「そんな童謡みたいな曲、退屈で聞いてられない」ってなったりすることもあるんじゃないだろうか。


「誰か一人のことを考えるからこそ、誰か一人のための活動だと思うからこそ、共感が広がる」というのが面白いなと思った*2。しかも、「誰か一人」のことを考えていると、「みんな」「誰もが」を考えているだけではわからない「自分(たち)」の姿も浮き上がってくる。「あなた」のことを考えれば考えるほど、「わたし」が何者かを考え、それを「あなた」に明かさなければ、愛を伝えることができないのだ。
吉田さんは「広報はラブレターを書くような仕事だ」とも言っていた。


そう考えると、ライターとして広報に関わるということは、ラブレターの代筆を請け負うということなんだと思った。いくら愛しているからと言って、あれも・これもとしゃべりすぎる人と仲良くしたいと思う人は少ない。TVCMが15秒で「商品についてもっと知りたいな」と思えるようにするように、NPOの広報も限られた機会の中で「続きをもっと聞かせて」と思ってもらえる伝え方をしないといけない。正しいけれど心に響かない、というものを超えて。心すっかり捧げなきゃ、いつも思いっきり伝えていなくちゃ。


(おまけ)
この日は初めてsakiasを履いて出かけました~。やっぱり長く歩いたらちょっと親指の辺りが痛くなったけど、しっかり足がホールドされて心地よい履き心地でした。ハイヒールが好きになった。
https://www.instagram.com/p/BJxMdn7Brt2/
#sakias の靴履いて出かけてみました よいわ〜

*1:「イマジン」みたいな特別な曲くらいかなっていう…

*2:以前に書いたこのブログのことも思い出した。「物語をつくること」と「排除しない」の両立ってこういうことなんじゃないかな…とぼんやり。 yoshimi-deluxe.hatenablog.com

何歳からでもはじめられる

南知多で知多牛BBQしてきました!
https://www.instagram.com/p/BJnIy3SBeB_/
知多牛BBQ楽しかった〜

この3月まで知多半島で仕事をしていたんだけど、この知多半島というところは何という変わった地域なんだ!?と赴任当初から思い、仲間と「2025年の知多半島を考える会」という大層な名前のグループを作って、色んな人に会ったり色んな所に行っては「スゲー!スゲー!」と必要以上に面白がるという活動をもう2年半くらいやっています。

3年くらい前、名古屋で生活困窮者支援の仕事をしていたんだけど、生活に困った人から電話がかかってきては、車で1時間かけて食料を届けたりお話を聞かせてもらいに行ったりしてたんですね。
そのたびに「これって1時間も離れたところにいる人がやることなのかなあ…」「もっと近所の人で助けてもらえないかなあ…」と思っていたんです。「近くの人」に頼もうとしても、わたしたちが頼りにできるのはその市町にある役所か、同じような困窮者支援のNPOかのどっちかで。で、どっちも慢性的な人手不足だから、必ずしも機動力があるわけではない。そんなに大したことはしてくれなくていいから、ちょっと何かを届けたり、話し相手になる近所の人がいるといいのに…なんて考えてたわけです。こういう「専門家じゃないフツーの人のボランティアをどう集めるか」っていうのって名古屋のNPOではどこも悩みの種だったんです。(たぶん全国的にも)

でも知多半島に来てみたら、もう20世紀の終わりごろから「たすけあい」という名前で、近所のひとがちょっとずつ、できることを持ち寄って他の人の家のお手伝いをしたり、おばーちゃんをみたり子どもをみたりしあう活動が出来ていたんですよ。しかも、なんかイケイケな感じで社会課題をソーシャル起業でカイケツしたるで~みたいな人ではなくて、
「そろそろ子どもも大きくなったし何かしたいわ」とか「困った時に頼れる人が必要よね」と思った普通の主婦の人たちが、素朴にニーズと知恵と時間とお金を出し合ってはじめたというんだから凄いなと思って。介護保険とか自立支援法とかない頃からですよ。いま、名古屋のNPOが欲しくてたまらなくて悩んでいることを、もう知多では20年も前からやってるじゃん!と思ったんです。

そんで、最初は福祉系のNPOの人の話を聞く会とかをしていたんだけど、それ以外にも知多半島ってすごく変わった人*1ばかりで、農家をしているひととか、古民家をなおして何かしている人とか、新しいマルシェみたいなお祭りしている人とか、寂れた港町を何とか盛り返そうとしている人とかを毎月たずねてはお話を聞いたり、まち歩きをしたりという活動をしていました。


その中で知り合った人が知多牛BBQの食材と場所を提供してくれた、南知多の「知多牛工房 牛小屋」の大岩さんなのでした。
知多牛工房 牛小屋


大岩さんはずっと南知多で知多牛を育てる畜産農家なんだけど、「育てた牛を直接食べてくれる人のところへ届けたい」と一念発起して、農家の傍ら牛肉の直売も始めた人です。*2
そのほかにも南知多ではエネルギッシュな人とたくさん知り合って、還暦を過ぎてから、使命感にかられていきなり経験のない障害者の支援を始めた人とか、脱サラしてオリーブ農家を始めた人とかと会いました。


昨日BBQしながらあらためて思ったのは、いつからでも人はやりたいことを始められるんだなということだった。
巷には「30代でしておきたい10のこと」みたいな本とかあるじゃないですか。早いうちに生き方を決めてそれに向かって努力すべきだみたいな。
確かにそうだなと思って、いまわたしは37歳なんだけど、同じ年くらいで成功している人を見ると若いときからすごくその分野の勉強をして、失敗をして今があるんだなと実感する。
それに比べて、わたしが「本当に自分がやりたいことをしよう」と決めてライターを始めたのはつい最近、今年からだ。いろいろなお仕事をいただくけれど、ライターなら普通にできてしかるべきことが、新米なのでおぼつかない。こんなにイイ歳のオバサンなのに、こんなこともできないし、知らないし、恥ずかしい。ああ、もっと早くから始めていれば、ライターとしてのキャリアを確実に積めていたのにな、と思うこともある。


でも南知多の人を見ていると、そんなのただの言い訳だったなと思う。人間は何歳からでも始められるし、何歳からでも始めていいんだと思う。大岩さんはじめ、どの人もおおらかで楽しそうにしているけれど、本当は辛いことも大変なこともあると思う。でも、それをまだわからないから、やったことがないから…と逃げないでやっていくことが大事なんだなと思う。
商売は初めて2年くらいだけど、大岩さんのお肉が美味しいのはまじめに牛を育ててきたからだし、BBQが楽しいのは大岩さんがバイク乗ったり友達を大切にしてきたりと、ご自身が楽しいことを積み重ねてきたからだと思う。経験がなくて始めた障害者施設に利用したい人が集まるのも、その人が生きてきた中で積み重ねてきた魅力があるからだと思う。

駆け出しのライターで、これまで職も転々としてきたのでさしたるスキルも無い。それでも、「転々としてきた」なりの何かが自分にはあるはずだと思う。たとえ無かったとしても「ない」ということだって自分オリジナルの属性だと思えばいいのではないか。「ない」ゆえにできることもあるんじゃないか。


Team2025も、実は最初はわたしが感動した知多半島の市民活動の歴史をリサーチして、それを本にしようと思って始めたプロジェクトなんです。でも、ある時「20年前と今では、担い手となる人の属性も時代のニーズも全然違うでしょう?*320年前の活動のことを本にして、そんなの誰が読むの?」と言われたことがあって、その時は何も言い返せず、その計画はとん挫したままになっているんです…。
このブログであまりTeam2025のことを書いてこなかったのも、たぶんその辺が引っかかっていて、うまく言葉にできなかったのだと思います。

でも、3年間やってきてみて、やっぱり当初考えてきた歴史をまとめることも、来年あたりからできたらなあと再び思い始めました。時代が違えばニーズが違うのは当たり前。でも、じゃあなんでみんなが司馬遼太郎歴史小説をありがたがって読むんだよ!!!っていう話ですよ!!!(笑)時代が違っても、そこに何か学ぶものがあるからでしょう!!!
ということで、BBQとかする活動も楽しみつつ、そっちも来年くらいからできたらなあ、と思っています。あまり仲間づくりとか得意じゃないけど、今度こそ、色んな人に助けてもらって、自分自身で、ともに。


↓以前に大岩さんのことを書いた記事。今読むと稚拙なところが目立って恥ずかしいけれど、たまにこうやって自分が書いたものに自分で励まされる。
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

*1:褒め言葉

*2:ほとんどの畜産農家は市場に牛を納めるまでが仕事で、その後自分が育てた牛がどこへ売られて最終的に誰が食べたかを知ることはない

*3:20年前は夫の稼ぎで食える専業主婦の人が市民活動の中心になれたけど、今はそんな余裕のある人少ないでしょ?みたいな。

世界最高峰のクラブ・ベルリンのBerghain(ベルクハイン)に入った日本人によるレポート

togetter.com

このまとめは超・役に立つのではないでしょうか~。このためにベルリンに行っても、ドレスコード知らなかったら入れないってことですもんね…。

こっからはババア(わたくし37歳)の自慢ですが、二十歳の時に「ベルグハイン」の前身のクラブ「Ostgut」に行ったことがあるんですよ。ラブ・パレード*1の期間中に行ったせいか、↑のまとめのようなドレスコードは無かったけど…(むしろ蛍光色のゴアパン&厚底のスニーカー&髪の毛を変な色に染めているといういかにもドイツの田舎から来ましたみたいな人のが多かった。流行っていたのだろうか…)
でも荷物チェックはこれくらいありましたね~。時間がもったいなくて、3日間ほぼ寝ずに色んなクラブに遊びに行ってたけど*2最後の方はこの荷物チェックが煩わしくて手ぶらで出かけるようにしていた。

ベルグハインだと金曜~日曜までぶっ続けでパーティをしているようだけど、やっぱりヨーロッパ(ドイツとかパリとかロンドンとかアムステルダムとかあっちの方…)だとダンス・ミュージックをアホみたいに楽しむことがふつうの趣味のひとつになっているんだろうな~と思う。日本だと何だろう…例えば釣りとか、宝塚とか…マニアックながらも、一般的に「これが趣味です」というえば「ああ、あれね」と分かってもらえる程度の趣味…みたいな。風営法云々とか言ってる国とは楽しみごとに関する文化がやっぱり違うんだなあと思いました。

文化の違い、といえば…この、基準はよく分からないけど「ダサい奴は入れません」というルールが堂々とまかり通っているのもすごいなーと思う。「コミュニティ」というものの作り方、「ベルグハイン」というクラブが果たす役割についての考え方に筋が通っている。割り切っている。誰でもいいわけじゃないんだよね。日本だったら「差別的だ!」とか怒る人が出そうだけど(ドイツにもいると思うけど)閉ざしておかないとできないこと、ルールやマナーやカルチャーを共有していないとできないこともあるんだろうな~。そのうえで「多様性」や「公共性」をどう担保していくか…みたいなことが、こういうところを面白くしていくキモなんじゃないかしらと思った。昔、東京にあった「GOLD」とかそんな感じだったのかなあ、なんて思ったり。


□■□関連しそうで特に関連しない投稿□■□
yoshimi-deluxe.hatenablog.com
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

DJバカ一代

DJバカ一代

天国の車庫

天国の車庫

クラブカルチャー!

クラブカルチャー!

戦争に反対する唯一の手段は

むかしむかしピチカート・ファイヴのCDを買ったときに書いてあった「戦争に反対する唯一の手段は~」が、最近また気になって調べてみた。
もともとは吉田健一さんという、翻訳家で評論家で小説家だった方が新聞のコラムに書いたこういう文章だったらしい。

『汽車に乗つたりなんかしてゐるうちにたうとう長崎まで來てしまつた。長崎は廣島と並んで原爆被害地として有名である。
併し、今日、丘の上に立つて全市を見渡しても、原爆の跡と解るものは何も殘ってゐない。ただ永井隆博士の「長崎の鐘」を讀んだものには浦上邊あたりの明かに戦後に建つた新しい家屋が散在する焼け跡が痛々しく感じられるだけである。

浦上の天主堂の廃墟はあるが、これは何も原爆の記念に殘してあるわけではなくて、建てるのに四十年掛かつたこの東洋一の天主堂を再建するのが、さう簡單には行かないだけの話である。恐らく今から又四十年後には、前のに劣らないものが長崎市の目印になるに違ひない。その附近に平和公園なるものが旣にできてゐるが、これは立派な公園で、たださういふ立派な公園という
意味において散歩を樂むことが出来る。

戰争に反對する最も有効な方法が、過去の戰争のひどさを强調し、二度と再び、・・・・・・と宣伝することであるとはどうしても思えない。戰災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。古傷は消えなければならないのである。

戰争に反對する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。過去にいつまでも拘はつて見たところで、誰も救はれるものではない。長崎の町は、さう語つてゐる感じがするのである。』
http://hyakuyobako.boo-log.com/e325411.html ←このブログからお借りしました


1957年頃に書かれたものだそうだけれど、すごい文章だと思う。
でも「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」ということの意味は、頭では分かっていたけれど、ずっと何かが引っかかっていて、心から納得できるものではなかった。

そういうもどかしさを感じた時のことを、
昨年の3月11日の日記に書いていた。
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

初めて細野晴臣さんの演奏を聴いたのは2011年の4月のことだった。桜沢エリカさんの漫画に、高校生の女の子が初めてシャネルのスーツに触れて「なんて上等な生地なんだ」と驚くシーンがある。それみたいに「なんて上等の、美しい音楽なんだ」と心をうたれた。でも、なぜいまこの時期に、こんなに優雅な音楽を呑気にやっていられるのか、とも思った。

「演奏がうまい」とはこのことか、とびっくりするような美しい演奏だった。
わたしがそれまであまりちゃんとしたコンサートなどに行ったことがなかったせいか、それまでファストフードでしか外食をしたことがなかった人が、初めてレストランでシェフが作ったフレンチを食べたような、「うまい」とはこういうことか。と初めて気づいたような、それは美しい、洗練された音楽だった。わたしは越美晴さんしかわからなかったが、細野さん以外のバンドの人もきっと長いキャリアのある一流のミュージシャンばかりなのだろう。と思った。

しかし、わたしの心にはぜんぜん響いてこなかった。
どうしていま、こんな浮世離れした宮廷の音楽のような、上品な演奏ができるのだろうと思った。
その時のわたしには、熱い鉄の塊のような怒りをまるごとぶつけてくるような、ハードコア・ラップみたいな音楽にしかリアリティを感じられなかった。こんなことが起こっているのに、どうして。こういう時だからこそ冷静になろうとか、生活の美しさを守ろうとか、逃避も抵抗の一形態だとか、そんな言動はバカバカしくて聞いていられなかった。
細野さんはあこがれの人で、聞いているとうっとりと背筋が伸びるような音楽だったけれど、わたしは聞き続けていられなくて、途中で会場を出てしまった。
#レコーディングダイエット「震災と友人のこと」
http://yoshimi-deluxe.hatenablog.com/entry/2015/03/12/171353

それから暫くして会社を辞めて、いわゆるNPO的な…福祉的な…ソーシャル起業/企業的な…的な…活動に積極的に参加するようになった。デモにも行った。出来る署名は全部した。自分の中で、政治の季節が到来していたのかもしれない…。いや、ずっと自分の中にあった政治的ないろいろを、話したり行動に移したりすることが多くなっただけなのかもしれない…。
その時々で自分にできる精一杯のことをやってきたと思うし、思慮は浅いなりにもできる限り考えてやってきたと思う。それでも、またまた自分は全然満足も納得もできなくなって、またまた「ずっと着ていた服がいつの間にか体に合わなくなっていた」ような気持ち悪さを感じるようになってきてしまった。
なので、それまでやっていた活動もお休みして、勤めていた大学も辞めることにした。友人には「もう社会にいいことなんてまっぴら。地域のためにとか、社会のためにいいことなんてもうしたくない。」と、よく分からない愚痴を言って泣きつく始末であった。。。

311の後に感じた怒りやもどかしさは嘘ではない。そしてもっと、ずっとそれ以前から、社会の仕組みに矛盾があることには強い疑問を持っていた。そのために自分ができること、やりたいことをやってきたつもりだ。なのにどうして「服が体に合わなくなる感じ」がしてくるんだろう。
やってもやっても報われないから?それは違う。それくらいですぐに変わったり、解決したりするようなものではないということは分かっていたから。そもそも、報われたくてやっていたわけではない。


でも、昨日の日記(sakiasの靴を買いました)を書きながら思ったんです。
自分の今までの仕事や活動は

・○○は△△をするべき
・○○はこうあるべき
・○○は◆◆でないといけない

といった「べき」論や、世の中に既にある規範とか、理論にしたがってやっていたものなのではないかと感じた。自分はその規範とか理論が「正しい」と信じてやっていたんだから、それでよかったはずなんだけど。
はずなんだけど…

「~するべき」に縛られて、「わたしはこの靴が好きだ」と思う気持ちを知らず知らず後回しにしてきたんじゃないかと気づいた。年齢にふさわしい額の貯金をするべき、華美でない装いをするべき、身の程を知った振る舞いをするべき。そういう「~するべき」という考え方が自分を縛っていたのではないか。加えて「社会的な弱者の味方であるべき」「不平等は正すべき」「戦争はなくすべき」という考え方さえも、わたしを縛っていたのではないか、と感じた。

わたしには美しい靴を美しいと感じる感性があり、音楽に感動する心があり、よく生きたいと願う気持ちがある。でも、そういう気持ちよりも「こうあるべき」を知らぬ間に優先していたのではないか。あるいは、優先はしないまでも、「こうあるべき」の方を上位だとして、「好き」「美しい」と感じる心を取るに足りないものとしてきたのではないかと気づいた。
そしてそれは「国のために」「日本のために」ということの方を上位にして、個人が感じる気持ちをないがしろにすることと、とても似ていると感じた。というか、同じじゃないか。


「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」というのは、こういうことなのかと思った。
平和のために、不平等を正すために生きているのではない。生きるために、平和や不平等を正すことが必要なのだ。わたしにとって生きるとは、美しい靴を履き、お酒と音楽を楽しみ、本を読み、書いて過ごすことだ。平和はそのための手段であり、必要条件だ。
逆だったんだ。自分が感じることが先で、「~するべき」という大義名分のほうがずいぶん後だったんだ。



そういえばこの前の金曜には、NPOセクターの人たちがたくさん集まるパーティに行った。どの人もそれぞれに、いろんな社会課題に取り組む人たちだ。
どの人もみんな楽しそうだった。パーティが楽しいというのは、それぞれの人がそれぞれに楽しんでいるということだとわたしは思っている。どの人も、何かの理想のために、とか、この問題を放っておけないという目標に向かってやっていると思う。でもきっと、それ以前にみんな、その仕事、その活動自体がとても「好き」なんだろうなあと思った。好きだから、魅了されているから活動が改善されるし、前進するし、理想に近づいていくのだろうと思う。
「社会のためにいいことをするべき」なのではない。「社会のためにいいことをしたい」という気持ちを、大切にすることなんだと思う。


戦争に反対する唯一の手段は。 - ピチカート・ファイヴのうたとことば - -music and words of pizzicato five-

戦争に反対する唯一の手段は。 - ピチカート・ファイヴのうたとことば - -music and words of pizzicato five-

自分の感受性くらい

自分の感受性くらい

sakiasの靴を買いました

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(画像は
http://www.l-o-v-e.jp/store/products/list.php?category_id=47から)


ずーっと憧れていたsakiasの靴を買いました。
デザイナーの瀧見サキさんのブログで見てカンドーして、なんて素敵な靴なんだろう~、いいな~、欲しいな~とずっとずっと思ってたんです。

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でもこの靴¥60,000くらいするんです。¥60,000って言ったらアナタ、ウチの一カ月の家賃より高い*1んですよ。だからおいそれとは買えなかったんです。

しかも毎シーズン出るどの靴も悶絶するほど可愛いんだけど、デザイン自体はすごく個性的なんですよ。だから、どういう服に合わせればいいんだろう、自分が持ってる服には合わないんじゃないか、派手すぎるんじゃないか、というのも二の足を踏む原因になっていました。


でも、岡崎のセレクトショップ「LOVE」(↑の画像もこちらのお店から借りました)さんに行く機会があって、初めてこの靴を実際に履いてみたんですよ。

そうしたら、サイズも自分のために作られたかのようにぴったりで(残りはこのサイズ1足だけだったそう。奇跡~)、かつ9.5センチ(!)ヒールだというのに、全然足が痛くならないんですよ!!!
ハイヒールって、低めのものでも履くとどうしてもつま先立ちした感じというか、足の指の付け根の辺りに力が入って痛いじゃないですか。今までは、ハイヒールとは「そういうもの」だと思ってガマンして履いていたんだけど…

このSAKIASの靴、履いたときそういう感じが全然ないんですよ!
試着したとき、ビルケンシュトックのサンダルから履き替えたんだけど、SAKIASの方がなぜかラクだったくらいなんです。靴自体も羽のように軽いし、前述した通り背伸びした感じも不思議としない。それどころか立ってみたらスッと背筋が伸びて姿勢も良くなり気持ちが良かった程なんです。なんという体験!

でもその時はやっぱり価格にひるんだこともあり、ちょっと冷静になって考えようと思い、買わなかったの。それから3週間くらい毎日悩んで、結局やっぱり買いました。


今までの自分の買い物を振り返ると、素敵だなと思う服や靴があっても、高いからとあきらめて、安くて似たデザインのものを探したり。「自分には似合わない」「いつ着るのよ」と思って「来年も着られそう」な無難なデザインと価格のモノばっかり買ってたなと思ったんです。
でも、結局本当に気に入ったものが一つもない。だから満足できないし、スタイルもあか抜けないから、また別のものが欲しくなる。欲しくなるけどまたお金をケチって無難なものをチョイスして、また満足できない…という繰り返しだったんじゃないかと思ったんです。結果として「嫌いじゃないけど好きでもない」というものばかりが部屋にあふれていく。これからも自分は、そういう生き方でいいのか、と思ったんです。


そりゃー高い靴だけど、これを買ったからって今すぐ破産して生活が立ち行かなくなるわけじゃないし。(苦しくはなるけど)合わせる服がなければ、これに合う服だけを買い足していけばいいじゃないか。たくさん買わなくても、いいものを買っていつもそれを着ればいいじゃないか。
と思って、買いました。


それで、靴が家に届いてみると、やっぱりすごくすごく嬉しい。この前買ったジーンズの時に履くのもいいし、秋になったらタイツに合わせるのも楽しみ。と想像するだけで幸せ。


他の人からしたら、わたしは何でもすごく自由に、好きなようにしているように見えるかもしれない。。。けど、本当はいろいろなことに言い訳しながら自分の欲望に蓋をして、傷つかないよう、失敗しないようにやり過ごして来たんだなと思った。
でも本当は、好きなようにしても何ら傷つかないし、ひどい目にも合わないんだから、本当に好きなことばっかりを選んでいけばいいんじゃないかと思った。
これからはそうする。


瀧見サキさんのインタビュー記事。これもすごく好き。↓
《SAKIAS》という東京の靴学(前編)
https://www.diastandard.com/journal/201410feature11sakias01/

《SAKIAS》という東京の靴学(後編)
https://www.diastandard.com/journal/201410feature11sakias02/

*1:名古屋市内・地下鉄駅すぐ近くの2LDKで6万円しないので、逆に言うとどんだけ家賃の安いボロ家に住んでいるのかという話でもある。

ホールズフレッシュスペアミントが凄い

HALLSの飴が好きでこれまでにおそらくだいたい全種類食ってるけど、今日買ったこの「フレッシュスペアミント」味はすごいよ!!!

なんと、ミントの歯磨き粉の味がするの!!!
歯磨き粉の味をこんなに忠実に再現した飴は世界中を探しても他にないんじゃないかな。
歯磨き粉の味が好きな人にはたまらない一品です。
ちなみにわたしは全く好きじゃないです。
おえー


ふつうの味のホールズがおすすめです。

鳩サブレとディスコ

昨日で社会福祉士実習がひと段落。
実習の途中から、同じ施設に別の学校のフレッシュな若い子(20代前半)が2人来ていて、よく一緒にお昼を食べたりしてました。昨日で彼女&彼ともお別れ。可愛くて素直な良い子たちだったんだよ~。

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そしたらさいごに鳩サブレ―とコーヒーをくれたの~~~!!!
こんなことしてくれると思ってなかったから嬉しかったわ~。最近の若い子は本当に優しくて気づかいができてえらいよね…。きっと立派なソーシャルワーカーになると思うよ。

夜はパーチーに行きました。パーチーに。
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久しぶりにいろんな人にお会いしました。

前職で知り合った方がこのブログを読んでいただいていて
「石黒さんのブログにはディスコ・ミュージックの特集があるよ」
などと他の人に紹介しておられたのがうれしかった。
そんな特集してないけど…
せっかくなので今日は1曲デスコの曲を貼っておこう。

Tamiko Jones - Can't Live Without Your Love

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8月19日(金)

クリームチーズのパン
ヴァーム、コーヒー


鶏と野菜の煮物、はんぺんの入ったお吸い物、きゅうりと切り干し大根の梅和え、ごはん、お茶

おやつ
ういろう、三ツ矢サイダーのすっぱいやつ、鳩サブレ―、コーヒー


ビール、お肉、オニオンフライ、ポテトフライ、スパニッシュオムレツ、生ハム