#レコーディングダイエット

毎日食べたものを書きます

女の子じゃなくて上等だぜ!

headlines.yahoo.co.jp

これ、動画は削除されちゃったせいか見られてないんだけど
「25歳以上は女の子じゃない」ということよりも
「女の子」以外の女に価値を見出せていないことが
CM作った側(にそういう意図があったか見てないからわかんないんだけど)にも批判している側にもあるんじゃないかな~と思う。

「子孫を残したいという欲求=本能=男が欲情するかどうか」みたいな言われ方がされますよね。だから閉経した女には魅力がないみたいな。(過激な言い方でごめんなさい)でも、もしこの図式が本当だとしたらパイプカットしたりコンドームをつけたりした状態では勃起しないんじゃないの?と素朴に疑問に思います。若いからとか、生殖能力があるから欲情するんじゃないと思うんですよ。ヘテロ男性の皆さんは、「本能だ」とかいう思考停止状態に逃げずに、自身の欲望のメカニズムに向き合ってみれば、自分がどんな人・コト・モノに欲情しているかが分かるんじゃないでしょうか。そこから、真に「女性という他者」と向き合えるようになるじゃないかしらと思います。

女性(特に若いヘテロ女性)は、男の人だって自分が何に魅力を感じているかなんて実は分かっていないことが多いと思うので、そんなモノサシに頼らず、自分のしたいこと・なりたい姿に正直に生きていくのがいいんじゃないかな~と思います。
それが難しいんだけど。
でも、あきらめたら死んでるのと同じだからなー。

女の子よ銃を取れ

女の子よ銃を取れ

ザ・フェミニズム

ザ・フェミニズム

□■□関連する記事□■□
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

岐阜の印刷会社で働いてよかったと思うこと

地域で子どもだけでも入れる食堂を開いたり
ひとり暮らしの認知症のお年寄りの家を訪問したり
精神障害のある人が安心していられる小さな場所を作ったりする
本当に地道な、小さな活動と

大きな会社や、大きな会社と取引をしているような会社が
生き馬の目を抜くようなスピードで
海外や東京や、宇宙や、膨大なビッグデータを相手に
昼夜を問わず仕事をしていることとの

開きが大きすぎると思う。
こんなにかけ離れていては、どちらもどちらを思いやることがとても難しいと思う。
わたしは、どちらも、どちらかが持っているような価値観や、資源を必要としているのではないかと思っているんだけど、現状ではとても難しいと感じている。

月に一度以上は海外出張があり、出張帰りですぐに本社で会議、翌日は国内出張。その間に億を超える単位の商談の決裁をいくつか、さらにそのまたスキマ時間でジムに行き、部下の誕生日にプレゼントするワインを選んで送ってもらう。そしてまた新事業の立ち上げとクレーム対応。
かたや、母親は精神障害で家にこもったまま自分に対してなのか誰にたいしてなのか分からない恨み言を言い続け、バイトして生活費にする高校生。だけどいつ「元・高校生」になるかわからない。父親の顔は知らない。「しまむら」よりも安い古着屋で、できるだけ安くて長持ちしそうで新しそうな服を買う。
こういう人がそうじゃない立場の人について想像力をめぐらすことはとても難しいと思う。
でも、わたしは本当は、どっちもが、自分にはない価値観や文化・資源を、その真逆(に見える)階層の人たちが持っていて、それが、それぞれの階層のイノベーションに必要なんだと信じている。


と、いう話と関係あるのかどうか分からないけれど
きっと関係があるだろうと思っているので
わたしが岐阜の印刷会社で働いて良かったと思っていることを書きます。

新卒で入った会社は、たぶん岐阜でいちばん大きい印刷会社でした。
わけもわからず就職活動をして、マスコミとか広告代理店とかに行っていたのですが、この会社の説明会で一番印象に残っているのは(というかそれしか印象に残っていないのは)
人事の人が、工場の人が着ているのと同じ作業服を着て
「ウチはそんなに給料がいいというわけでもないし、残業も多いです。」
と言ったことだった。

それまでに回った他の会社の説明会では、キラキラギラギラした社員の人が、いかに仕事がクリエイティブでやりがいに満ちており、最先端の感性に触れられ充実したライフを手にしているかということだったので、わたしはこの会社の人事の人の話を聞いて「なんて正直な会社なんだ」と衝撃を受けた。

その後、役員面接では一通りのことを聞かれた後、なぜか役員*1の一人が
「僕ねぇ、昨日、名古屋に行ったんですよ。
 そしたらねえ~、公園にいっぱいホームレスの人がいて、ダラーっとベンチで寝ていたのを見たんですわ。
 石黒さん(←あたし)は、そういう人たちを見て、どう思うかね?」

と、聞かれて…
わたしはのちに名古屋の会社で働くようになって、ホームレス支援のボランティアをはじめたりするんですけど、当時は全くそんなことに思いもよらず、福祉の勉強も全然しておらず、興味もなく、ていうか福祉という言葉をほとんど聞いたこともなかったんじゃないかと思うんですけど。まさか就職の面接でホームレスについて聞かれるなんて思ってなかったのにも関わらず、なぜかこういう風に答えたんです。
「ホームレスになる原因には、ただ単に職がないというだけではなく、うつ病の問題が関係していると聞きました。だから、ただ単に怠けていると決めつけるのではなく、その背景にある問題に目を向けるべきだと思います。」
自分でもなんで咄嗟にこんな答えができたのか謎で、たぶん偶然見た「クローズアップ現代」とかの単なる受け売りなんだろうけど、でもこう言って内定を獲得した。

若い頃からものすごくひねくれていたので、堅気の社会人生活に適応することは難しかった。そのあたりのことはこの記事に書いています。
この記事にあるようないい上司に恵まれ、家族のような雰囲気の中で、アホでも失敗してもあたたかく見守られながら育てていただける、そういう社風が、自分みたいな世間知らずには良かったなあと思います。今でもそういう、のんびり育ててくれる会社ってあるのかな、と若い人と話したりするとたまに感じることがあります。

そしてもう一つ良かったのは、印刷会社という特性、かつ、ある程度の規模があり・かつ、ローカルな会社だという特性から、大きな会社から家族とか個人でやってるような小さな会社まで、規模も業種も色々な会社営業マンとして回ることができたということです。
大企業の岐阜支社にいる人ともお仕事をさせてもらえたし、ひとりで小さなエステ店をはじめるんです、という人の名刺を作らせてもらったこともあった。当時はプリントパックみたいなインターネット通販の会社もなかったし、個人や普通の会社で買えるようなPCやプリンタの性能もよくなかったこともあり、いろんなお仕事を気軽に印刷会社に頼んでもらえたんですね。チラシ・ポスター・伝票・報告書・パッケージ・ノベルティ…印刷物が必要ない業種って基本的にないですからね。通信会社もハウスメーカーも、美容院も新聞社も、医者もスポーツクラブも行きました。それぞれの会社に違ったルールがあり、違った文化があり、違った価値観を持っている人がいる。何を好ましいと思うかも全然違う。そういうことを実際に見て、話して、納品して感じられたことが自分には良かった。

それと同時に、企画から製造、納品までの過程を、ふだんの仕事の中でつぶさに見ることができたのが良かった。納期ひとつにしてもお客さんと、工場では捉え方が全く違う。考える・見積もる・決定する・デザインする・材料を仕入れる・版を作る・印刷する・断裁する・梱包する・配達する…ひとつの製品にはさまざまな要素があり、機能があり、関わる人の思い入れが違う。その中で、製品として完成されるアウトプットはひとつだけれど、たくさんの意味を持っている。お客さんと工場と上司と外注さんと…の間に立ってその全員から叱られながら、そういうことが分かって本当に良かった。世の中の流れや仕組みがわかったと思えること、その一端に触れられたと感じることの喜びは大きい。




地域で子どもだけでも入れる食堂を開いたり
ひとり暮らしの認知症のお年寄りの家を訪問したり
精神障害のある人が安心していられる小さな場所を作ったりする
本当に地道な、小さな活動と

大きな会社や、大きな会社と取引をしているような会社が
生き馬の目を抜くようなスピードで
海外や東京や、宇宙や、膨大なビッグデータを相手に
昼夜を問わず仕事をしていることとの

開きが大きすぎると思う。
でも、どちらも「自分が社会や世界の一端に触れられている」という生き生きとした感動に飢えているという点では、同じなのではないかと感じる。
わたしはクラブやインターネットが好きで、書くことが好きでいま生きている。そしてそのどれもが、生きることには直接的には役立たないように思われがちだけれども、きっと階層を横断し、境目を揺るがし、人と世界の接点に介入する装置だと思っているので、ずっと続けていきたいと思っている。

生きる歓び (中公文庫)

生きる歓び (中公文庫)

子ども食堂をつくろう!  ── 人がつながる地域の居場所づくり

子ども食堂をつくろう! ── 人がつながる地域の居場所づくり

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる

*1:この方はのちに社長になられた

中指の立て方ーー起業支援ネット「aile」の新しい号が出ました

3カ月に一回発行の起業支援ネットさんの会報誌
「aile」でまた書かせていただきました。
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とはいえ、今回の「起業物語」は起業支援ネットの久野さんが書かれたもので、自分は取材にも同行できなかったのですが…
空色まが玉」さんの店内に、いつの間にか入り込んでしまったような…店主の谷さんの語る「店の奥にひっそりと座っている、何歳か分からないおばあちゃんがビンのジュースを売っている店」の様子が、ありありと浮かんでくるような…凄い記事になっています。久野さんは、本当にすごいな~。

わたしはさいごのページの、今年6月にウィルあいち1Fから東片端の正文館書店2Fに移転したフェアトレード・ショップ「風’s」さんを取材しました。
フェアトレードって、途上国の人のためのものじゃないんだなあ、と思ったことを記事にしました。
ちなみに「風’s」さんで売っている商品の中ではマヤビニックのコーヒーがおすすめです。さっぱりと爽やかなのに嫌な酸味や雑味が無く、コーヒーそのもののよい香りが楽しめます。マヤビニックって何?という由来についてお店の人に聞いていただくと、いっそう味わいが深まりますよ。
正文館は本のセレクトも老舗ならではのウィズダムに満ち満ちていて、かつ店員さんの趣味や思い入れも垣間見られるサイコーの書店な上、「風’s」に寄ると美味しいコーヒーもいただけて幸せなので、皆さんもぜひどうぞ。


今号は90年代後半~00年代前半、まだコミュニティビジネスやソーシャルビジネス、あるいはNPOといった言葉がない頃から、後には結果としてそう呼ばれるようになってしまった、というかまさにそうとしか言えないようなお店を始められたお二人の女性をフィーチャーさせていただく号となりました。
空色まが玉の谷さんも、風’sの土井さんも、社会の課題解決のために!世の中のために!世界のために!というわけではなく。ましてやそういうことを声高に叫んだりするわけでもなく。自分のお店を始められたわけなのですが
20年後に、ご本人たちとその周りの社会を、静かに、ゆっくりと、でも確実に変えていった方々なのでした。

起業支援ネットも、NPO/コミュニティビジネス/ソーシャルセクターには珍しく(?)、一見するとフラットで、穏やかで、冷静で、泰然自若としているように見えるかもしれないけれど(わたしにはそう見えていました)

本当はそうではなくて、世の中に対して中指がギンギンに立っているんだと思います。(笑)

わたしのような知性と教養の無いものは、そういう時に両手両足の中指をむき出しにして、ここでは書けないようなひどい罵倒の言葉を並べ立て、蒲田くんよろしくたぎった血を下品にぶちまけてしまうのだけれど

本当に何かを良くしたいという志のある人は、中指の立て方がエレガントなのだと思います。
それはカッコつけてるとかじゃなくて、その方がきっと確実だという確信からなのではないでしょうか。
…ということが、今号の「aile」の編集後記に書いてありますので、ぜひ読んでくださいませ。


■□■ Oshirasse ■□■

「aile」は名古屋市内・愛知県内の公共施設等の、
いろんな会報やパンフレットが置いてあるところで読めるほか
(ざっくりした説明…)、起業支援ネットさんの正会員/準会員になって、
キラリと光る志ある起業家さんの応援をしていただけると、三ヶ月に一回届きます。
この機会に、ぜひご入会くださいませませませませ。

入会は、こちらから

この愛はメッセージ、そしてThe Message is LOVE

先日、名古屋市市民活動センターの方に教えていただき、
NPOのための広報講座」みたいなのに行ってきました。

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広告代理店を経てNPOの広報を手がける「ハンズオン埼玉」の吉田知津子さんを講師に、NPOが寄付や仲間(スタッフやボランティア)を集めるための情報発信についてお聞きしました。

聞いていて心に残ったのが、漠然と「たくさんの人に伝えたい」と思わない方がいいということ。「誰でも」「みんなに」「等しく」伝えたいと思うと、結局誰にも伝わらないんだと。どんな人に伝えたいのか。どんな人と仲間になりたいのか。それをきちんと考え抜かないといけない、と。吉田さんが手がけたドラマ「北の国から」は「たった一人の人」のために作ったのだという。

広告代理店の人が新製品を売り出す時とか、広告を作る時に「ペルソナ」というのを想定するんだという話を聞いたことがある。その商品を使う人はどんな人か?この広告を見てアクションしてほしい人はどんな人か?ということを徹底的に考えるのだと。「20代の女性」とか「30代の主婦」というざっくりしたものではなくて、もっと徹底的に絞り込んでいく。仕事は何で、会社ではどんなポジションで、休みの日は何をしているか。好きなブランドは何か、貯金はいくらくらいか、家族は、友達は、どんな家に住んでいるか、コーヒーと紅茶ではどっちが好きか、などなど…。

昔は「そんな架空の人物を、しかも一人だけ想定して何になるんだ?」と思っていた。
でも、吉田さんのお話を聞いていたら、「一人」の人に伝えようと思うからこそ、伝え方が具体的になるし、どうしたら「その人」に受け入れてもらえるかを考えられるようになる。その人の気持ちを深く考えて、その人の心に寄り添ったメッセージを考えられるようになるんだと思った。

ヒットする歌謡曲は「僕は君が好き~」とか「あんた、あたしを捨てないで~」という、ごく個人的な恋愛の歌が多い。普通なら「お前の好いた惚れたの話なんか、知らんがな。」という話だと思う。理屈だけで考えれば、お前の彼女のことなんか知らんわっていう話でも、「その人のことを思う気持ち」というのは、なぜか多くの人に共感されるものなんだと思う。
これが「みんなを愛しましょう」「どの人もみんな素敵です」っていう歌だったら「正しいことを歌っていますね」とはなるものの、それほど人の心に迫る歌にはならないんじゃないだろうか。*1それどころか「そんな童謡みたいな曲、退屈で聞いてられない」ってなったりすることもあるんじゃないだろうか。


「誰か一人のことを考えるからこそ、誰か一人のための活動だと思うからこそ、共感が広がる」というのが面白いなと思った*2。しかも、「誰か一人」のことを考えていると、「みんな」「誰もが」を考えているだけではわからない「自分(たち)」の姿も浮き上がってくる。「あなた」のことを考えれば考えるほど、「わたし」が何者かを考え、それを「あなた」に明かさなければ、愛を伝えることができないのだ。
吉田さんは「広報はラブレターを書くような仕事だ」とも言っていた。


そう考えると、ライターとして広報に関わるということは、ラブレターの代筆を請け負うということなんだと思った。いくら愛しているからと言って、あれも・これもとしゃべりすぎる人と仲良くしたいと思う人は少ない。TVCMが15秒で「商品についてもっと知りたいな」と思えるようにするように、NPOの広報も限られた機会の中で「続きをもっと聞かせて」と思ってもらえる伝え方をしないといけない。正しいけれど心に響かない、というものを超えて。心すっかり捧げなきゃ、いつも思いっきり伝えていなくちゃ。


(おまけ)
この日は初めてsakiasを履いて出かけました~。やっぱり長く歩いたらちょっと親指の辺りが痛くなったけど、しっかり足がホールドされて心地よい履き心地でした。ハイヒールが好きになった。
https://www.instagram.com/p/BJxMdn7Brt2/
#sakias の靴履いて出かけてみました よいわ〜

*1:「イマジン」みたいな特別な曲くらいかなっていう…

*2:以前に書いたこのブログのことも思い出した。「物語をつくること」と「排除しない」の両立ってこういうことなんじゃないかな…とぼんやり。 yoshimi-deluxe.hatenablog.com

何歳からでもはじめられる

南知多で知多牛BBQしてきました!
https://www.instagram.com/p/BJnIy3SBeB_/
知多牛BBQ楽しかった〜

この3月まで知多半島で仕事をしていたんだけど、この知多半島というところは何という変わった地域なんだ!?と赴任当初から思い、仲間と「2025年の知多半島を考える会」という大層な名前のグループを作って、色んな人に会ったり色んな所に行っては「スゲー!スゲー!」と必要以上に面白がるという活動をもう2年半くらいやっています。

3年くらい前、名古屋で生活困窮者支援の仕事をしていたんだけど、生活に困った人から電話がかかってきては、車で1時間かけて食料を届けたりお話を聞かせてもらいに行ったりしてたんですね。
そのたびに「これって1時間も離れたところにいる人がやることなのかなあ…」「もっと近所の人で助けてもらえないかなあ…」と思っていたんです。「近くの人」に頼もうとしても、わたしたちが頼りにできるのはその市町にある役所か、同じような困窮者支援のNPOかのどっちかで。で、どっちも慢性的な人手不足だから、必ずしも機動力があるわけではない。そんなに大したことはしてくれなくていいから、ちょっと何かを届けたり、話し相手になる近所の人がいるといいのに…なんて考えてたわけです。こういう「専門家じゃないフツーの人のボランティアをどう集めるか」っていうのって名古屋のNPOではどこも悩みの種だったんです。(たぶん全国的にも)

でも知多半島に来てみたら、もう20世紀の終わりごろから「たすけあい」という名前で、近所のひとがちょっとずつ、できることを持ち寄って他の人の家のお手伝いをしたり、おばーちゃんをみたり子どもをみたりしあう活動が出来ていたんですよ。しかも、なんかイケイケな感じで社会課題をソーシャル起業でカイケツしたるで~みたいな人ではなくて、
「そろそろ子どもも大きくなったし何かしたいわ」とか「困った時に頼れる人が必要よね」と思った普通の主婦の人たちが、素朴にニーズと知恵と時間とお金を出し合ってはじめたというんだから凄いなと思って。介護保険とか自立支援法とかない頃からですよ。いま、名古屋のNPOが欲しくてたまらなくて悩んでいることを、もう知多では20年も前からやってるじゃん!と思ったんです。

そんで、最初は福祉系のNPOの人の話を聞く会とかをしていたんだけど、それ以外にも知多半島ってすごく変わった人*1ばかりで、農家をしているひととか、古民家をなおして何かしている人とか、新しいマルシェみたいなお祭りしている人とか、寂れた港町を何とか盛り返そうとしている人とかを毎月たずねてはお話を聞いたり、まち歩きをしたりという活動をしていました。


その中で知り合った人が知多牛BBQの食材と場所を提供してくれた、南知多の「知多牛工房 牛小屋」の大岩さんなのでした。
知多牛工房 牛小屋


大岩さんはずっと南知多で知多牛を育てる畜産農家なんだけど、「育てた牛を直接食べてくれる人のところへ届けたい」と一念発起して、農家の傍ら牛肉の直売も始めた人です。*2
そのほかにも南知多ではエネルギッシュな人とたくさん知り合って、還暦を過ぎてから、使命感にかられていきなり経験のない障害者の支援を始めた人とか、脱サラしてオリーブ農家を始めた人とかと会いました。


昨日BBQしながらあらためて思ったのは、いつからでも人はやりたいことを始められるんだなということだった。
巷には「30代でしておきたい10のこと」みたいな本とかあるじゃないですか。早いうちに生き方を決めてそれに向かって努力すべきだみたいな。
確かにそうだなと思って、いまわたしは37歳なんだけど、同じ年くらいで成功している人を見ると若いときからすごくその分野の勉強をして、失敗をして今があるんだなと実感する。
それに比べて、わたしが「本当に自分がやりたいことをしよう」と決めてライターを始めたのはつい最近、今年からだ。いろいろなお仕事をいただくけれど、ライターなら普通にできてしかるべきことが、新米なのでおぼつかない。こんなにイイ歳のオバサンなのに、こんなこともできないし、知らないし、恥ずかしい。ああ、もっと早くから始めていれば、ライターとしてのキャリアを確実に積めていたのにな、と思うこともある。


でも南知多の人を見ていると、そんなのただの言い訳だったなと思う。人間は何歳からでも始められるし、何歳からでも始めていいんだと思う。大岩さんはじめ、どの人もおおらかで楽しそうにしているけれど、本当は辛いことも大変なこともあると思う。でも、それをまだわからないから、やったことがないから…と逃げないでやっていくことが大事なんだなと思う。
商売は初めて2年くらいだけど、大岩さんのお肉が美味しいのはまじめに牛を育ててきたからだし、BBQが楽しいのは大岩さんがバイク乗ったり友達を大切にしてきたりと、ご自身が楽しいことを積み重ねてきたからだと思う。経験がなくて始めた障害者施設に利用したい人が集まるのも、その人が生きてきた中で積み重ねてきた魅力があるからだと思う。

駆け出しのライターで、これまで職も転々としてきたのでさしたるスキルも無い。それでも、「転々としてきた」なりの何かが自分にはあるはずだと思う。たとえ無かったとしても「ない」ということだって自分オリジナルの属性だと思えばいいのではないか。「ない」ゆえにできることもあるんじゃないか。


Team2025も、実は最初はわたしが感動した知多半島の市民活動の歴史をリサーチして、それを本にしようと思って始めたプロジェクトなんです。でも、ある時「20年前と今では、担い手となる人の属性も時代のニーズも全然違うでしょう?*320年前の活動のことを本にして、そんなの誰が読むの?」と言われたことがあって、その時は何も言い返せず、その計画はとん挫したままになっているんです…。
このブログであまりTeam2025のことを書いてこなかったのも、たぶんその辺が引っかかっていて、うまく言葉にできなかったのだと思います。

でも、3年間やってきてみて、やっぱり当初考えてきた歴史をまとめることも、来年あたりからできたらなあと再び思い始めました。時代が違えばニーズが違うのは当たり前。でも、じゃあなんでみんなが司馬遼太郎歴史小説をありがたがって読むんだよ!!!っていう話ですよ!!!(笑)時代が違っても、そこに何か学ぶものがあるからでしょう!!!
ということで、BBQとかする活動も楽しみつつ、そっちも来年くらいからできたらなあ、と思っています。あまり仲間づくりとか得意じゃないけど、今度こそ、色んな人に助けてもらって、自分自身で、ともに。


↓以前に大岩さんのことを書いた記事。今読むと稚拙なところが目立って恥ずかしいけれど、たまにこうやって自分が書いたものに自分で励まされる。
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

*1:褒め言葉

*2:ほとんどの畜産農家は市場に牛を納めるまでが仕事で、その後自分が育てた牛がどこへ売られて最終的に誰が食べたかを知ることはない

*3:20年前は夫の稼ぎで食える専業主婦の人が市民活動の中心になれたけど、今はそんな余裕のある人少ないでしょ?みたいな。

世界最高峰のクラブ・ベルリンのBerghain(ベルクハイン)に入った日本人によるレポート

togetter.com

このまとめは超・役に立つのではないでしょうか~。このためにベルリンに行っても、ドレスコード知らなかったら入れないってことですもんね…。

こっからはババア(わたくし37歳)の自慢ですが、二十歳の時に「ベルグハイン」の前身のクラブ「Ostgut」に行ったことがあるんですよ。ラブ・パレード*1の期間中に行ったせいか、↑のまとめのようなドレスコードは無かったけど…(むしろ蛍光色のゴアパン&厚底のスニーカー&髪の毛を変な色に染めているといういかにもドイツの田舎から来ましたみたいな人のが多かった。流行っていたのだろうか…)
でも荷物チェックはこれくらいありましたね~。時間がもったいなくて、3日間ほぼ寝ずに色んなクラブに遊びに行ってたけど*2最後の方はこの荷物チェックが煩わしくて手ぶらで出かけるようにしていた。

ベルグハインだと金曜~日曜までぶっ続けでパーティをしているようだけど、やっぱりヨーロッパ(ドイツとかパリとかロンドンとかアムステルダムとかあっちの方…)だとダンス・ミュージックをアホみたいに楽しむことがふつうの趣味のひとつになっているんだろうな~と思う。日本だと何だろう…例えば釣りとか、宝塚とか…マニアックながらも、一般的に「これが趣味です」というえば「ああ、あれね」と分かってもらえる程度の趣味…みたいな。風営法云々とか言ってる国とは楽しみごとに関する文化がやっぱり違うんだなあと思いました。

文化の違い、といえば…この、基準はよく分からないけど「ダサい奴は入れません」というルールが堂々とまかり通っているのもすごいなーと思う。「コミュニティ」というものの作り方、「ベルグハイン」というクラブが果たす役割についての考え方に筋が通っている。割り切っている。誰でもいいわけじゃないんだよね。日本だったら「差別的だ!」とか怒る人が出そうだけど(ドイツにもいると思うけど)閉ざしておかないとできないこと、ルールやマナーやカルチャーを共有していないとできないこともあるんだろうな~。そのうえで「多様性」や「公共性」をどう担保していくか…みたいなことが、こういうところを面白くしていくキモなんじゃないかしらと思った。昔、東京にあった「GOLD」とかそんな感じだったのかなあ、なんて思ったり。


□■□関連しそうで特に関連しない投稿□■□
yoshimi-deluxe.hatenablog.com
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DJバカ一代

DJバカ一代

天国の車庫

天国の車庫

クラブカルチャー!

クラブカルチャー!

戦争に反対する唯一の手段は

むかしむかしピチカート・ファイヴのCDを買ったときに書いてあった「戦争に反対する唯一の手段は~」が、最近また気になって調べてみた。
もともとは吉田健一さんという、翻訳家で評論家で小説家だった方が新聞のコラムに書いたこういう文章だったらしい。

『汽車に乗つたりなんかしてゐるうちにたうとう長崎まで來てしまつた。長崎は廣島と並んで原爆被害地として有名である。
併し、今日、丘の上に立つて全市を見渡しても、原爆の跡と解るものは何も殘ってゐない。ただ永井隆博士の「長崎の鐘」を讀んだものには浦上邊あたりの明かに戦後に建つた新しい家屋が散在する焼け跡が痛々しく感じられるだけである。

浦上の天主堂の廃墟はあるが、これは何も原爆の記念に殘してあるわけではなくて、建てるのに四十年掛かつたこの東洋一の天主堂を再建するのが、さう簡單には行かないだけの話である。恐らく今から又四十年後には、前のに劣らないものが長崎市の目印になるに違ひない。その附近に平和公園なるものが旣にできてゐるが、これは立派な公園で、たださういふ立派な公園という
意味において散歩を樂むことが出来る。

戰争に反對する最も有効な方法が、過去の戰争のひどさを强調し、二度と再び、・・・・・・と宣伝することであるとはどうしても思えない。戰災を受けた場所も、やはり人間がこれからも住む所であり、その場所も、そこに住む人達も、見せものではない。古傷は消えなければならないのである。

戰争に反對する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。過去にいつまでも拘はつて見たところで、誰も救はれるものではない。長崎の町は、さう語つてゐる感じがするのである。』
http://hyakuyobako.boo-log.com/e325411.html ←このブログからお借りしました


1957年頃に書かれたものだそうだけれど、すごい文章だと思う。
でも「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」ということの意味は、頭では分かっていたけれど、ずっと何かが引っかかっていて、心から納得できるものではなかった。

そういうもどかしさを感じた時のことを、
昨年の3月11日の日記に書いていた。
yoshimi-deluxe.hatenablog.com

初めて細野晴臣さんの演奏を聴いたのは2011年の4月のことだった。桜沢エリカさんの漫画に、高校生の女の子が初めてシャネルのスーツに触れて「なんて上等な生地なんだ」と驚くシーンがある。それみたいに「なんて上等の、美しい音楽なんだ」と心をうたれた。でも、なぜいまこの時期に、こんなに優雅な音楽を呑気にやっていられるのか、とも思った。

「演奏がうまい」とはこのことか、とびっくりするような美しい演奏だった。
わたしがそれまであまりちゃんとしたコンサートなどに行ったことがなかったせいか、それまでファストフードでしか外食をしたことがなかった人が、初めてレストランでシェフが作ったフレンチを食べたような、「うまい」とはこういうことか。と初めて気づいたような、それは美しい、洗練された音楽だった。わたしは越美晴さんしかわからなかったが、細野さん以外のバンドの人もきっと長いキャリアのある一流のミュージシャンばかりなのだろう。と思った。

しかし、わたしの心にはぜんぜん響いてこなかった。
どうしていま、こんな浮世離れした宮廷の音楽のような、上品な演奏ができるのだろうと思った。
その時のわたしには、熱い鉄の塊のような怒りをまるごとぶつけてくるような、ハードコア・ラップみたいな音楽にしかリアリティを感じられなかった。こんなことが起こっているのに、どうして。こういう時だからこそ冷静になろうとか、生活の美しさを守ろうとか、逃避も抵抗の一形態だとか、そんな言動はバカバカしくて聞いていられなかった。
細野さんはあこがれの人で、聞いているとうっとりと背筋が伸びるような音楽だったけれど、わたしは聞き続けていられなくて、途中で会場を出てしまった。
#レコーディングダイエット「震災と友人のこと」
http://yoshimi-deluxe.hatenablog.com/entry/2015/03/12/171353

それから暫くして会社を辞めて、いわゆるNPO的な…福祉的な…ソーシャル起業/企業的な…的な…活動に積極的に参加するようになった。デモにも行った。出来る署名は全部した。自分の中で、政治の季節が到来していたのかもしれない…。いや、ずっと自分の中にあった政治的ないろいろを、話したり行動に移したりすることが多くなっただけなのかもしれない…。
その時々で自分にできる精一杯のことをやってきたと思うし、思慮は浅いなりにもできる限り考えてやってきたと思う。それでも、またまた自分は全然満足も納得もできなくなって、またまた「ずっと着ていた服がいつの間にか体に合わなくなっていた」ような気持ち悪さを感じるようになってきてしまった。
なので、それまでやっていた活動もお休みして、勤めていた大学も辞めることにした。友人には「もう社会にいいことなんてまっぴら。地域のためにとか、社会のためにいいことなんてもうしたくない。」と、よく分からない愚痴を言って泣きつく始末であった。。。

311の後に感じた怒りやもどかしさは嘘ではない。そしてもっと、ずっとそれ以前から、社会の仕組みに矛盾があることには強い疑問を持っていた。そのために自分ができること、やりたいことをやってきたつもりだ。なのにどうして「服が体に合わなくなる感じ」がしてくるんだろう。
やってもやっても報われないから?それは違う。それくらいですぐに変わったり、解決したりするようなものではないということは分かっていたから。そもそも、報われたくてやっていたわけではない。


でも、昨日の日記(sakiasの靴を買いました)を書きながら思ったんです。
自分の今までの仕事や活動は

・○○は△△をするべき
・○○はこうあるべき
・○○は◆◆でないといけない

といった「べき」論や、世の中に既にある規範とか、理論にしたがってやっていたものなのではないかと感じた。自分はその規範とか理論が「正しい」と信じてやっていたんだから、それでよかったはずなんだけど。
はずなんだけど…

「~するべき」に縛られて、「わたしはこの靴が好きだ」と思う気持ちを知らず知らず後回しにしてきたんじゃないかと気づいた。年齢にふさわしい額の貯金をするべき、華美でない装いをするべき、身の程を知った振る舞いをするべき。そういう「~するべき」という考え方が自分を縛っていたのではないか。加えて「社会的な弱者の味方であるべき」「不平等は正すべき」「戦争はなくすべき」という考え方さえも、わたしを縛っていたのではないか、と感じた。

わたしには美しい靴を美しいと感じる感性があり、音楽に感動する心があり、よく生きたいと願う気持ちがある。でも、そういう気持ちよりも「こうあるべき」を知らぬ間に優先していたのではないか。あるいは、優先はしないまでも、「こうあるべき」の方を上位だとして、「好き」「美しい」と感じる心を取るに足りないものとしてきたのではないかと気づいた。
そしてそれは「国のために」「日本のために」ということの方を上位にして、個人が感じる気持ちをないがしろにすることと、とても似ていると感じた。というか、同じじゃないか。


「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」というのは、こういうことなのかと思った。
平和のために、不平等を正すために生きているのではない。生きるために、平和や不平等を正すことが必要なのだ。わたしにとって生きるとは、美しい靴を履き、お酒と音楽を楽しみ、本を読み、書いて過ごすことだ。平和はそのための手段であり、必要条件だ。
逆だったんだ。自分が感じることが先で、「~するべき」という大義名分のほうがずいぶん後だったんだ。



そういえばこの前の金曜には、NPOセクターの人たちがたくさん集まるパーティに行った。どの人もそれぞれに、いろんな社会課題に取り組む人たちだ。
どの人もみんな楽しそうだった。パーティが楽しいというのは、それぞれの人がそれぞれに楽しんでいるということだとわたしは思っている。どの人も、何かの理想のために、とか、この問題を放っておけないという目標に向かってやっていると思う。でもきっと、それ以前にみんな、その仕事、その活動自体がとても「好き」なんだろうなあと思った。好きだから、魅了されているから活動が改善されるし、前進するし、理想に近づいていくのだろうと思う。
「社会のためにいいことをするべき」なのではない。「社会のためにいいことをしたい」という気持ちを、大切にすることなんだと思う。


戦争に反対する唯一の手段は。 - ピチカート・ファイヴのうたとことば - -music and words of pizzicato five-

戦争に反対する唯一の手段は。 - ピチカート・ファイヴのうたとことば - -music and words of pizzicato five-

自分の感受性くらい

自分の感受性くらい